第2節 北  米

1. 米国

(1) 内外情勢

(イ) 内政

(i)  86年末に明るみに出た対イラン武器輸出工作・対ニカラグァ反政府勢力(コントラ)援助流用問題(いわゆるイラン・コントラ問題)や,議会両院の民主党による支配等,2期目の後半を迎えたレーガン政権は厳しい状況に置かれた。さらに,87年10月19日のニューヨーク株式市場の大暴落(「暗黒の月曜日」〔BlackMonday〕)は米国民に不安をもたらした。

こうした中で,87年12月のゴルバチョフ・ソ連書記長訪米の実現,INF条約署名は,レーガン政権の成果として評価され,大統領支持率も一時60%台に回復した。

ただし,低い失業率と,インフレ,平和時としては最長の景気拡大等にもかかわらず,国民の間にこのような繁栄も長く続かないのではないかという不安感のあることが指摘され,また,財政・貿易赤字の継続,純債務国への転落を背景として,一部有識者を中心に国力の相対的低下,経済力低下を憂慮する声が聞かれ,注目された。

(ii)  行政府と議会の関係及び88年一般教書

(a) レーガン政権は,未完の政策課題の仕上げに取り組んだが,財政赤字削減,最高裁判事任命,コントラ援助,ペルシャ湾安全航行等の問題をめぐり,大統領選挙も絡んで対議会関係は困難の度合いを増した。

最高裁判事任命では,保守派判事の指名に対する議会の反対等により,3人目の候補者で承認が得られた。財政赤字削減については議会との協議が長引いたが,「暗黒の月曜日」の衝撃もあり,88年度より2年間で792億ドル削減するとの妥協が成立した。しかし,大統領が強く反対した増税を含み,国防予算は3年連続実質マイナスとなった。コントラ援助についての審議も難航し,結局,非軍事援助のみ認められた。ペルシャ湾におけるクウェイト・タンカーの米国船籍移籍と米艦護衛問題は,戦争権限法との関係からも論議を呼んだが,結局,87年7月より実施された。包括貿易法案については,88年4月に上下両院調整案(ゲップハート条項(過剰貿易黒字国に対する対抗措置導入を規定)は最終的に削除)が可決されたが,大統領は拒否権を行使した。その後下院は,7月13日に,大統領が反対を表明した条項を除いた新包括貿易法案を可決した。

(b) 88年の一般教書は,レーガン政権の業績の確認とレーガン路線の継続・推進を中心に,財政赤字削減の実行を強調し,保護主義を破壊主義と論じた。外交については,「力による平和」の原則を確認しつつINF条約の早期批准を訴え,戦略兵器削減等核軍縮推進を主張した。

(iii)  扮レーガン政権の陣容

ボールドリッジ商務長官の死去により財界からヴェリティが新長官として就任した外,レーガン政権が後半に入ったことや大統領選挙の影響により,閣僚レベルを中心にかなりの入れ替えが見られた。ワインバーガー国防長官の辞任に伴い,その後にカールーチ国家安全保障担当大統領補佐官が,カールーチの後任にはパウエル大統領副補佐官が各々就任した。ドール上院共和党院内総務の大統領選挙応援のため,夫人のドール運輸長官及びブロック労働長官が辞任し,それぞれの後任にバーンリー運輸副長官,マクロフリン元内務次官が就任した。

(iv)  88年大統領選挙

(a) 共和党が,ブッシュ副大統領,ドール上院共和党院内総務という有力候補者の闘いと見られたのに対し,民主党は,出馬した多数の候補者がいずれも知名度が低く,その中で唯一知名度の高かったハート前上院議員が醜聞により離脱し,混戦が予想された。

(b) 民主・共和両党の大統領候補を絞るための予備選挙は,88年2月から6月上旬まで各州で実施された。共和党側では,ブッシュ候補が知名度,組織・資金力,及びレーガン大統領の人気を背景に予備選挙を全般的に優位に展開し,8月の共和党全国大会(ニュー・オルリンズ)で同党大統領侯補に指名された。民主党は,ジャクソン師の4年前を上回る善戦が注目されたものの,優れた組織・資金力を有し,安定した選挙運動で着実に代議員数を増やしたデュカキス・マサチューセッツ州知事が,7月の民主党全国大会(アトランタ)にて指名を獲得した。

(c) ブッシュ候補は,基本的にはレーガン路線の継承を唱え,外交経験を強調するのに対し,デュカキス候補は,マサチューセッツ州経済再建の実績を踏まえ,米国経済立て直しを主張している。争点としては,統治能力,財政赤字,経済的競争力の回復,麻薬問題等が論じられている。

なお,強硬な貿易政策を主張し,米国労働者の保護を訴えたゲップハート下院議員(民主党)は,予備選挙の初期に善戦したものの,その後不振で選挙戦から離脱した。

(ロ) 外交

87年の米国外交で最も注目されたのは対ソ外交である。

85年のジュネーヴ,86年のレイキャヴイクに続いて,87年12月には,ワシントンで米ソ首脳会談が開催された。また,同首脳会談の開催の外,1年間に計6回の米ソ外相会談が開催されるなど,87年は米ソ間の対話がかってなほいどに密に行われた年であった。

12月の米ソ首脳会談では,81年以来6年越しの交渉でまとめられたINF全廃条約が署名された外,他の軍備管理・軍縮問題,地域問題,人権問題,二国間問題等幅広い分野にわたって突っ込んだ意見交換が行われ,さらに,88年前半にレーガン大統領が訪ソして,再度首脳会談を開催することが合意された。との合意に則り,88年5~6月,レーガン大統領とゴルバチョフ書記長による第4回米ソ首脳会談がモスクワで開催された。同首脳会談では,INF条約の批准書交換が行われた外,85年以来の米ソ間の対話の進展を評価し,今後とも具体的な成果を求めて対話を継続していくことが合意された。INF条約については,交渉過程で色々紅余曲折はあったものの,最終的には,米国及び西側同盟諸国が主張してきたグローバル・ゼロが達成された。これは,西側諸国の結束の成果であると同時に,「抑止と対話」を基本とするレーガン政権の対ソ政策が効を奏したものとして高く評価された。

なお,米ソ両国は,引き続き,戦略兵器の50%削減を目指す条約交渉を続けており,今後,同交渉及び他の分野での交渉がどの程度進展していくか注目される。

(ハ) 経済

87年の米国経済の成長率は,2.9%で前年と同水準であった。同国経済は,82年秋以来緩やかな拡大を続けており,平和時最長を記録している。この間,失業率は低下し(87年6.1%),インフレ率も抑制されている。しかし,87年の貿易赤字は1,712億ドルと過去最高を記録し,財政赤字も前年度を708億ドル下回ったものの1,504億ドルと依然高水準であった。

このような状況下,87年10月,貿易と財政の「双子の赤字」がなかなか改善されない米国経済に対する先行き不安,インフレ懸念による金利先高感,米政府要人のドル安容認発言等を背景に,ニューヨーク株式が508ドル下落,下げ幅としては過去最大を記録し,米国のみならず世界経済に動揺を与えた。同時に,市場の信認を回復するため,「双子の赤字」の改善が再び大きくクローズアップされた。

財政赤字については,株式暴落直後に大統領と議会との間で増税,国防費削減を含め,2年間で赤字を792億ドル削減するという合意が成立した。

貿易赤字については,(a)米国経済の拡大による輸入圧力,(扮持続的な為替調整によって生じるJカーブ効果等による輸入額の拡大により,87年赤字幅は前述の通り過去最高に達した。このように貿易赤字は名目ベースでは増大したものの,実質(数量)ベースで見ると,輸出は,ドル安による米国製品の競争力回復,米国企業の輸出努力等により,最近大幅に伸長しており,貿易収支は87年後半をピークとして改善基調にある。

上述の株式暴落により,米国経済が個人消費の落ち込み等によりリセッションに陥ることが懸念された。しかし,個人消費は87年第4四半期にはマイナスになったものの,88年第1四半期は再びプラス米国財政収支の実績と見通しになる等順調に回復しており,設備投資,純輸出も力強く,拡大の速度に鈍化は見られるものの当面はリセッションの可能性はほとんどないと見られている。

 

 

(2) 我が国との関係

(イ) 全般

(i)  自由と民主主義という共通の価値観を有する日米両国は,日米安全保障条約に基づく安全保障面での協力関係,往復で1,150億ドルを超える貿易量に象徴される緊密な経済関係を始めとし,政治,経済,文化,科学,人的交流等広範な分野において友好協力関係を拡大させてきた。そして現在では,両国間の緊密な相互依存関係の進展により,日米はお互いになくてはならない存在となっている。また,両国は,単に2国間の協力関係にとどまらず,東西関係,アジアを始めとする地域問題,国際貿易・金融,対途上国対策などグローバルなパートナーシップを発展させている。両国の経済規模や国際社会における役割の大きさに鑑みれば,世界的視野に立った日米協力を進めていくことは,益々重要になっている。

日米間には,経済・貿易面を中心に種々摩擦が生じているが,これは日米の緊密な相互依存関係の反映とも言える。いずれにせよ,こうした摩擦のために,日米協力関係の基盤が損なわれることのないよう両国が共同で問題解決に取り組んでいくことが肝要であり,また,これが両国政府共通の認識である。

(ii)  最近の日米間の緊密な関係を象徴する出来事の一つとして,87年10月の皇太子同妃両殿下の御訪米がある。レーガン大統領夫妻の招待によるこの御訪問において,両殿下は,ボストン,ワシントン,ニューヨークを訪問され,大統領夫妻を始め広く米国民と接せられたことは,日米友好親善関係の増進に極めて意義深いものであった。

また,首脳レベルの協力・交流関係がかってなく緊密なものになっていることは,中曽根総理大臣が在任中の5年間にレーガン大統領と12回にわたる首脳会談を行い,個人的友情と信頼関係を深めたこと等にも表れている。

(iii)  88年1月の竹下総理大臣就任後初の訪米は,同年が安定的東西関係の構築,世界経済の運営という2大課題について西側の対応が試される重要な年であり,なかんずく世界のGNPの3分の1強を占める日米が,共通の目的に向かい協力するための確固たる関係を維持することが,両国のみならず世界のためにも重要との認識の下に行われた。日米首脳会談では,竹下総理大臣はレーガン大統領と忌憚のない意見交換を通じ,両国が世界的視野に立って緊密に協力し,各々の役割と責任を果たすと共に,2国間の個別経済問題については,協力と共同作業の理念に基づき,縮小均衡ではなく,拡大均衡の方向で解決するとの基本姿勢を相互に確認し,今後の日米関係の運営についての基調を設定した。また,首脳会談を通じて,両首脳間で個人的信頼関係が構築されたことも,訪米の大きな成果であった。

(iv)  なお,経済案件を別として,87年に日米間で大きな問題に発展した事件として,東芝機械による対共産圏輸出問題,米艦スターク号被弾事件を契機とするペルシャ湾安全航行問題がある。米国議会を中心に,米国が安全保障面で多大な負担をしいられているにもかかわらず,日本はその経済力に相応の貢献を行っていない,あるいは抜け駆けを行っているとのいわぱ「ただ乗り」論的な対日批判が見られた。我が国の経済力が著しく高まった今日,国際社会において日本が責任ある行動をとると共に,適切な方法で世界の平和と繁栄に積極的貢献を行うことについて,米国の期待は益々大きくなっている。88年1月の訪米に際し,竹下総理大臣はナショナル・プレス・クラブでの講演で,国際社会における我が国の進路として「世界に貢献する日本」の基本姿勢を表明した。これは責任ある国際社会の一員として目指すべき姿であると共に,日米のグローバルなパートナーシップを充実・強化する上でも極めて重要な進路である。

(v)  88年に入り,日米首脳会談は,1月訪米時の他,5月(於ロンドン),6月(於トロント)で行われ,また,宇野外務大臣とシュルツ国務長官との日米外相会談も,1月の機会に加え,6月(於トロント),7月(於東京)に開催され,ハイ・レベルでの意思疎通の遺漏なきを期している。また,実体面でも,日米間の主な個別懸案が着実に解決をみている外・我が国の内需主導型経済構造への転換・安全保障面での努力,さらには「世界に貢献する日本」実現のための具体的施策としての「国際協力構想」の策定等,日米間には積極的な展開が見られている。

(ロ) 日米経済関係

(i)  日米間の大幅な対外不均衡(前述の米国貿易統計参照)を背景に,両国間の経済関係には依然厳しいものがある。

(ii)  米国では巨額の貿易赤字を背景に,保護主義の高まりが見られ,貿易問題が議会の重要な関心事項となり,包括貿易法案の立法化作業が行われてきた。下院案が87年4月下院本会議で,上院案が7月上院本会議で採択されたのを受け,両院協議会において法案一本化のため調整作業が行われた。作業は88年3月実質的に終了し,一本化された包括貿易法案は,4月21日下院本会議にて,27日上院本会議にてそれぞれ可決された。

両院で可決された包括貿易法案は,下院案に盛り込まれていた貿易黒字国に毎年10%の黒字削減を義務づけるいわゆる「ゲップハート条項」が削除されたものの,「スーパー301条」,東芝等外国企業制裁条項をはじめ問題の多い条項を含んだものである。「スーパー301条」は,米国通商代表部に「優先的に取りあげる外国」の障壁・市場歪曲慣行撤廃の交渉を義務付けて,交渉不成立の場合には,対抗措置の導入につながるものである。東芝等外国企業制裁条項には,東芝機械に対し3年間輸入及び政府による契約・調達を禁止すると共に,東芝本社についても3年間政府による契約・調達を禁止すること等が盛り込まれている。この外,問題ある条項としてプライマリー・ディーラー条項,外国人による米国企業買収合併の監視・制限に関する投資条項,知的所有権の規制強化に関する337条修正等がある。

我が国は,この様な問題ある条項を含んだ保護主義的色彩の強い貿易法案が成立すれば,経済分野での日米間及び多国間の協力関係に重大な影響を与え,ひいては世界経済の発展を阻害することになりかねないと考え,これまで米側に対し種々の機会をとらえて懸念を伝えてきた。

米行政府は,保護主義的な貿易法案の成立に反対するとの態度を表明していたが,5月24日レーガン大統領は,米議会が可決した貿易法案には内容の改善が見られるものの工場閉鎖事前通告義務付け条項等問題ある条項が含まれており,全体として米国にとって望ましくないとして拒否権を行使した。同拒否権は,上院においてくつがえされず維持された。しかし,米議会では,大統領が拒否権行使の際特に問題とした工場閉鎖事前通告義務付け条項及びアラスカ石油条項を削除した修正包括貿易法案が再度提出され,下院本会議(7月13日)及び上院本会議(8月3日)において圧倒的多数で可決され,再び署名のため大統領に送付された。レーガン大統領は,結局8月23日,修正包括貿易法案に署名し,同法が成立した。

(iii)  日米間の経済摩擦問題の背後には,両国間の対外不均衡を含む世界経済の構造的不均衡があり,この不均衡を是正するためには,日米を含む主要国の経済政策協調が不可欠である。我が国は,この様な認識に基づき,これまで内需拡大,輸入拡大,市場アクセスの改善等の努力を払う一方,米側に対しては財政赤字削減,産業競争力強化,保護主義防遏等の努力を求めてきた。

この様な我が国の政策努力及びこれまでの通貨調整等により,我が国の貿易は,製品輸入を中心に輸入の大幅な増加が見られ,対外不均衡の縮小傾向が定着している。対米貿易についても,88年に入ってからはこの傾向が顕著であり,同年上半期の対米貿易収支は,対前年比15%改善された。また,米国については,87年後半をピークに貿易赤字が改善基調にある。このような日米両国経済の望ましい傾向を今後共継続していくため,日米双方が各々の政策努力を着実に実施していくことが必要である。

(iv)  88年1月の日米首脳会談で,竹下総理大臣とレーガン大統領は,世界経済の持続的成長の確保と対外不均衡是正のための経済政策協調の重要性を再確認するとともに,為替相場の安定に関して引き続き日米間で緊密に協力することを確認した。また,両首脳は,相互依存関係を深める両国経済間で当然生じてくる種々の問題については,協力と共同作業の理念に基づき,縮小均衡ではなく拡大均衡を目指す方向で解決を図るとの基本姿勢を確認した。

(v)  日米間の個別案件は,両国の共同作業を通じ解決が図られてきた。87年7月には米国との協議を踏まえ「スーパーコンピューター導入手続き」が決定され,8月には自動車部品の市場アクセス改善について話合われてきた結果,「輸送機器モス協議最終報告」がまとめられた。

公共事業参入問題は,88年3月実質的に決着し,5月25日書簡の交換が行われた。本件決着では,(あ)全ての大型公共事業プロジェクトが内外無差別の調達手続により実施されることを明記,(い)87年11月に決定された関西国際空港の調達手続は米国にとっても満足のいくものであることを確認,(う)我が国の公共事業に外国企業が習熟することを目的として,7つのプロジェクトの指名に当たり,外国での実績を国内実績と同等に評価する等の内容の特例措置を実施,(え)7プロジェクトに関連した民間・第3セクターの調達につき,政府として内外無差別の調達方針を勧奨,(お)手続実施のモニタリング及び2年後のレビューを行うこと等を主な内容としている。

(vi)  日米間の未解決の個別問題についても,両国の共同作業を通じた解決努力がなされてきた。牛肉・柑橘問題については,88年前半佐藤農水大臣が訪米し,本件の解決を図るべくヤイター通商代表と協議したが,決着しなかった。この結果,5月のガット理事会で米国の要請により,パネルの設置が決定されたが,我が国としては引き続き2国間決着を図るとの方針で米国との協議を重ねた結果,6月ヤイター通商代表が訪日し,佐藤農水大臣との間で(あ)牛肉・生鮮オレンジについては91年4月から,(い)オレンジ果汁については92年4月から自由化することで,実質的決着が図られた。

米国の要請で我が国の12品目の農産物輸入制限につき,ガット・パネルが設置されていた「農産物12品目問題」については,88年2月のガット理事会で,12品日中10品目の輸入数量制限をガット違反とするパネル報告書を,我が国の考え方を理事会の記録にとどめた上で一括採択した。これを受け,我が国の必要な対応が求められている。

日米間の半導体問題については,87年4月米政府が我が国の日米半導体取極違反を理由に実施した総額3億ドルの対日関税引上げ措置のうち,6月及び11月に米政府はダンピング関連部分の撤回を行ったが,市場アクセス関連の1億6,400万ドル相当の対日措置が依然維持されている。我が国は,米側措置は何等正当性なしとして早期全面撤回を求めている。

(vii)  88年1月竹下総理大臣が訪米した際,バード上院院内総務は,個々のセクターごとに問題を抱える現在の日米経済関係を改める方途として,日米自由貿易地域につき日米で共同研究を行うことを提案した。竹下総理大臣は,まずは日本側で検討したいと返答,これを受け外務省内で自由貿易地域構想の検討が始められた。自由貿易地域構想は,即座に我が国の政策に反映させるとか,具体化させるものではなく,また,その検討に当たっては,第三国の利益を害しないこと,ガットの精神及び規定に反しないことを考慮する必要があり,中長期的観点から検討すべき課題である。

(ハ) 日米安保関係

(i)  緊密な協議・協力国の安全は,何にも増して重要である。今日の世界において,我が国が単独で国の安全を確保することは難しい。我が国は,必要最小限の自衛力を整備し,米国との安全保障体制によって国の安全を確保している。我が国が,今日,武力侵略の脅威から解放され,平和の中に繁栄しているのは,この日米安保体制があって初めて可能なことである。また,忘れてならないのは,日米安保条約は,我が国のみならず,極東全体の平和と安全の維持にも大きく寄与していることである。

今日,日米両国の安保・防衛面での協力関係は極めて良好である。

(ii)  日米安保体制の円滑な運用

(a) 日米安保条約・地位協定に基づき,我が国の安全のために,そして極東における国際の平和及び安全のために,約5万人の米軍が我が国に駐留している。政府は,その駐留が実効あるものとなるよう各種の措置をとってきている。87年においても,施設・区域の整備や在日米軍の活動を円滑にするための努力が行われた。他方,これらの措置は,周辺地域の経済的,社会的生活と調和していることが重要である。

(b) 在日米軍には約2万2千人の日本人従業員が勤務している。在日米軍の効果的な活動のためにも,その雇用の安定は必要である。しかし,経済情勢が最近大きく変化し,在日米軍経費が著しく圧迫されているため,我が国の負担し得る額をさらに増大することとし,現行労務費特別協定(87年6月発効)を改正する議定書が88年1月米国との間で署名され,同年6月に発効した。

(c) 日米安保体制の抑止力を信頼性あるものとするための努力は引き続き行われた。米軍艦船の我が国寄港が円滑に行われた外,各種の日米共同演習が実施された。

(iii)  安保・防衛面での米国との技術交流

(a) 米国の戦略防衛構想(SDI)は,非核の防御的手段によって弾道弾を無力化し,究極的に核兵器の廃絶を目指すシステムについての判断材料を得るための研究計画である。我が国は,米国政府と協議を行い,87年7月,戦略防衛構想における研究に対する我が国の参加に関する日米政府間の協定に署名した。

(b) 1990年代後半に耐用年限を迎える航空自衛隊の現有支援戦闘機F-1の後継機(FS-X)の選定作業が防衛庁において行われてきたが,87年末,政府として米国のF-16を基に日米間で共同開発を行うことを決定した。これは,日米間における装備品の技術開発協力案件として意義深いものである。

(c) 1956年に米国との間で締結された「防衛目的のためにする特許権及び技術上の知識の交流を容易にするための協定」は,これまで,具体的実施のための手続細目を欠いていた。しかし,近年の我が国の技術水準の高度化等を背景として,88年4月にはその実施のための手続細目が整備された。今後,我が国に対する防衛目的のための技術上の知識の供与がより促進されることが期待される。

(d) 最近のソ連潜水艦の能力の向上に対するため,87年6月,日米間で対潜水艦能力(ASW)向上のための協力を行うこととし,双胴型音響測定船の建造,ASWセンターの整備等の具体的協力が進められることとなった。

(iv)  国の安全保障というものは,失敗があればとり返しがっかない。反対に,日頃から日米安保体制がうまく機能するようになっていれば,そのこと自体が抑止となって侵略を防いでくれる。政府が日夜努力しているのは,その様な抑止力としての我が国の自衛力と安保体制の整備である。

2. カナダ

(1) 内外情勢

(イ) マルルーニー進歩保守党政権は,84年9月以降,議会内での絶対的多数を背景に国内の諸懸案に取り組んでいる。特に,連邦・州関係の改善,米加関係緊密化等の政策のもとに,この一年間はケベック州の加憲法への参加合意(87年4月),米加自由貿易協定の署名(88年1月)等,具体的成果を残したといえる。これらの成果を踏まえ,89年9月の任期終了を控えるマルルーニー政権が,いつ総選挙実施に踏みきるか,その行方が注目される。

(ロ) マルルーニー政権の外交政策の基軸の一つを成しているのは,加の対外貿易の約7割を占める米国との関係増進であり,1985年より毎年首脳会談が開催されている外,外相レベルでも年4回の定期協議が持たれている。このような中で,政権発足当初からの懸案であった米加自由貿易協定が88年1月,署名されたことは特筆に値する。同協定は,今後米加両国の批准承認手続きが取られ,89年1月1日以降に発効予定となっている。

(ハ) 他方,現政権は,NATO,自由主義陣営の一員として協調的外交を基本としており,87年には,英連邦首脳会議仏語圏首脳会議を主催し,さらに88年6月には,トロントでの主要国首脳会議で議長役を務めるなど,国際場裡におけるリーダーシップを発揮している。

(ニ) 経済は,対外輸出の増加に加え,個人消費,住宅建設等内需に支えられ,87年には成長率3.9%,物価上昇率4.4%,失業率8.9%(前年比0.7%減)等と示すなど,安定した推移をみせている。また,マルルーニー政権は,財政赤字削減に努力を傾注する一方,87年6月には,所得税引き下げ,売り上げ税制度改革を中心とする税制改革案を発表し,現在,その段階的実施に取り組んでいる。

(2) 我が国との関係

(イ) 日加関係は良好に進展してきている。88年1月には竹下総理大臣,宇野外務大臣が訪加し,6月のトロント・サミットの際にも議長役のマルルーニー首相との間でサミットの事前調整を目的として日加首脳会談が行われた。また,7月には,クラーク外相が訪日し,外相定期協議が開催された。両国は,西側先進民主主義国家,太平洋国家,自由貿易体制堅持等,多くの共通点を有しており,我が国のパートナーとしての加の役割は,ますます重要なものとなりつつある。

(ロ) 87年の日加経済関係は,前年に引き続き概ね良好であり,貿易,投資関係とも順調に推移した。我が国はこれまで貿易収支で対加赤字を記録してきたが,86年にはこの傾向が逆転し,我が国の黒字となった(通関統計)。このため,一時,対加貿易不均衡の拡大が懸念されたが,87年には再び我が国の赤字に戻っている。この他,日加間の主要懸案としては,主にトウヒ,もみ,松材(SPF)の関税撤廃問題があり,現在ガットで係争中であるが,早期の解決が期待される。

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