第3節 我が国の主要な外交活動

過去1年余りの間の我が国外交は,「西側の一員」であると同時に「アジア・太平洋地域の一国」であるとの基本的立場に立脚し,これをさらに強化するとともに,我が国の国際的な責任と役割の増大を深く認識した上で,「世界に貢献する日本」を実現するとの目標に向かって展開されてきた。そのための具体的施策が,「国際協力構想」である。

1. 西側の一員としての外交

我が国は西側の一員との立場に立脚した外交を展開しているが,その中でも,サミット(主要国首脳会議)は,西側主要国の首脳が一堂に会し,世界の政治,経済等の諸問題につき討議を行う場として,特に近年では主要先進国間の政策協調の場としての役割が増大していることもあって,西側諸国にとり極めて大きな重要性を有している。

87年6月8~10日にはヴェネチア・サミット(第13回主要国首脳会議)が開かれ,政治,経済の各分野において西側の結束の重要性が確認された。

87年11月6日に成立した竹下内閣(竹下総理大臣,宇野外務大臣)においても,「西側の一員」であるとの我が国外交の基本路線は継承,強化された。

INF全廃条約の発効,アフガニスタンからのソ連軍撤退等の東西関係の新しい動きの中で,88年6月19~21日にトロント・サミット(第14回主要国首脳会議)が開催された。竹下総理大臣をはじめとする7か国の首脳間の討議を通じ,西側諸国間の強固な団結が再確認されたことは,大きな成果であった。

(1) 日米関係

緊密な日米関係の維持は,戦後を通じ,一貫した我が国外交の基本方針である。このような観点から,政治,経済,安全保障,文化等の広範な分野にわたる日米の協力・協調関係は,過去1年余りの間も,首脳レベル,外相レベル等の間断なき対話を通じ強化されてきた。 首脳レベルの交流は非常に緊密で,87年4月末には,中曽根総理大臣(当時),倉成外務大臣(当時)が訪米し,レーガン大統領,シュルツ国務長官と各々会談を行い,深刻さを増しつつあった経済問題の解決のために努力していくこと等を確認した。 この時期東芝機械の不正輸出事件が,日米間で大きな問題となった。再発防止のための種々の措置がとられたが,高度技術の流出と安全保障の確保の問題につき重要な教訓を残した。 88年1月には,竹下総理大臣,宇野外務大臣が米国,カナダを訪問した。米国では,87年12月の米ソ首脳会談の際のINF全廃条約の署名といった国際政治の新しい動きを踏まえて,レーガン米大統領との首脳会談において,忌憚のない意見交換を行った。この際,日米両国が世界の平和と繁栄のために力を合わせて努力していくとともに,二国間に生ずる問題については,協力と共同作業により解決を図るとの基本姿勢を相互に確認し,今後の日米関係のさらなる発展の基礎を築いた。

 

このような事情を背景に,日米二国間の主要案件も順次決着をみた。88年3月に,懸案であった我が国公共事業への参入問題が円満な形で実質決着した。牛肉・柑橘の輸入自由化問題についても,6月,我が国市場を経過期間を設けて自由化することで決着した。また,日米科学技術協力協定が6月に署名されるとともに,7月には,新日米原子力協定が発効した。他方,8月には,米国にて保護主義的色彩の強い包括貿易法が成立し,我が国は同法の慎重な運用を求めている。

(2) 日欧関係

我が国は,同じ西側を構成する西欧との関係を重視し,その強化のため,昨年来,総理大臣,外務大臣の訪欧,西欧首脳等との会談をはじめとする種々の外交活動を行ってきた。

87年5月のヴェネチア・サミットに先立ち,ファンファーニ伊首相が我が国の意向を聴するため来日する一方で,同サミット後,中曽根総理大臣(当時)が我が国総理として初めてスペインを訪問し,日欧対話の幅に広がりをみた。

88年春には竹下総理大臣が,1か月余の間に2度にわたり精力的に欧州を訪問し,日欧関係の強化に努めた。まず,4月29日から5月9日にかけて,イタリア,バチカン,イギリス,西ドイツの4か国を訪問し,日欧関係の緊密化に努めた。同訪欧において,「世界に貢献する日本」の実現のための具体的施策として「国際協力構想」をロンドンで発表した際に,日欧関係については特に国際文化交流の重要性をあげ,人的交流の拡大等を目指す「心で結ぶ日欧文化交流計画」を具体策として挙げた。さらに,竹下総理大臣は,5月末にニューヨークにおける国連軍縮総会に出席した後,引き続きオランダ,フランス,ベルギーの三国とEC委員会を訪問,さらにNATOのキャリントン事務総長との会談を行い,日欧関係の幅と厚みを増すことに努めた。

2. アジア・太平洋地域の一国としての外交

我が国は,アジア・太平洋の一国としての立場を十分に認識し,アジア・太平洋地域重視の外交を展開してきた。

倉成外務大臣(当時)は,87年5月の第2回日韓外相定期協議,6月のASEAN拡大外相会議,さらに日中閣僚会議に出席するとともに,8月には,インド,スリランカ,バングラデシュを訪問,これら諸国との関係緊密化に努めた。

9月には,日中国交正常化15周年を記念して,日中両国間で一連の祝賀行事が行われた外,日・タイ修好百周年を記念して,タイのワチラロンコーン皇太子殿下が来日する一方で,中曽根総理大臣(当時)がタイを訪問した。

竹下内閣成立後も我が国のアジア・太平洋地域重視の姿勢の強化が引き続き進められている。まず,竹下総理大臣は,初の外国訪問先として87年12月,マニラにおいて日本・ASEAN首脳会議に出席するとともに,フィリピンを公式訪問した。竹下総理大臣は,同地で,カンボディア問題をはじめとする広範な問題につきASEAN諸国首脳と有益な意見交換を行うとともに,「ASEAN日本開発ファンド」の供与等を提唱し,対ASEAN協力への積極的姿勢を示した。竹下総理大臣は,88年2月に韓国を訪問し,87年12月の大統領選挙で民主的に選ばれた盧泰愚韓国新大統領の就任式典に参列,韓国の民主化への祝意を表明するとともに,ソウル・オリンピック成功のための協力姿勢を明らかにした。また,88年7月には,建国二百年を迎えた豪州を訪問した。

宇野外務大臣は,竹下総理大臣のフィリピン訪問,日本・ASEAN首脳会議出席に同行するとともに,88年3月に韓国を,4月末から5月にかけて香港,中国,インドネシア,シンガポールを訪問し,88年春,国際的関心が急激に高まったNIES問題への対応等につき,アジア諸国との間で率直な意見交換を行った。

トロント・サミットにおいては,我が国がアジア・太平洋地域からの唯一の参加国であることから,朝鮮半島,カンボディア,フィリピン等のアジア・太平洋情勢の重要性を強調して,各参加国首脳への説明に努め,本地域に対する各国首脳の理解を得た。その結果,カンボディア問題の政治解決支持及びフィリピンに対し特別の注意を払うべきことが,各々議長総括及び経済宣言に明記されるとともに,サミット参加国首脳によるソウル・オリンピック支援を表明したマルルーニー・カナダ首相の声明が発出された。

3. その他の地域との外交の展開

(1) ソ連

87年9月の国連総会出席の際,倉成外務大臣(当時)とシェヴァルナッゼ・ソ連外務大臣との会談が行われた外,同年11月及び88年6月には日ソ事務レベル協議が開催された。この間・貿易・漁業,文化等の実務関係では着実な進展が見られたものの,北方領土問題等の基本問題については進展は見られなかった。

(2) 中近東

87年6月のヴェネチア・サミットの後,倉成外務大臣はイランを訪問し,イラン・イラク紛争等の中東情勢等につき,ラフサンジャニ国会議長以下のイラン側要人と会談を行った。さらに,7月の国連安全保障理事会でのイラン・イラク紛争についての停戦決議598の採択を受けて,倉成外務大臣は,9月中旬にイラクを訪問,フセイン大統領等と会談し,同紛争解決に向けてのイラン,イラク両国への働きかけを行った。

また,88年6月のトロント・サミット終了後には,宇野外務大臣が,「平和のための協力」の一環として中東和平問題に係わる我が国の貢献の方途を探るため,紛争の直接当事国であるシリア,ジョルダン,エジプト,イスラエルを訪問した。

(3) 中南米

87年8月の中米和平合意の成立等・中米紛争における新たな動きを背景として,9月,倉成外務大臣がドミニカ共和国,ヴェネズエラ,グァテマラを訪問し,友好関係を強化するとともに,復興援助への積極姿勢を表明し,中米紛争解決のための努力を訴えた。

4. 経済面での世界への貢献

我が国の大幅な対外不均衡を是正し,調和ある対外経済関係を形成するため,我が国は,87年5月,5兆円規模の公共事業投資等の追加,1兆円を下回らない規模の減税を内容とする内需拡大策に加え,10億ドル規模の政府調達による追加的外国製品の購入を行うとする「緊急経済対策」を決定し,その後速やかに予算措置を講じ,着実に「対策」を実施に移した。このような努力等により,我が国経済は,輸出主導型から内需主導型経済への転換,輸入の増大等,着実に国際的に調和のとれた経済構造へと移行している。

5. 国際協力構想

我が国は,「世界に貢献する日本」を実現するよう,新たな貢献のあり方として,「平和のための協力強化」,「政府開発援助の拡充」及び「国際文化交流の強化」の三本柱からなる「国際協力構想」を,88年春以降・竹下総理大臣の累次の外国訪問の機会等に発表してきた。

(1) 88年5月のロンドンでの演説において,竹下総理大臣は「国際協力構想」を初めて明らかにし,特に,「国際文化交流の強化」について具体的提案を行った。その内容は,(あ)外国人の日本語学習への支援等,諸外国の対日関心への積極的な対応,(い)人的交流の拡充,(う)文化遺跡保存への協力等,世界の文化のための協力,(え)文化交流のための海外拠点の増設等,文化交流を実施していく体制の強化,(お)我が国の正しい姿を知らせるための広報機能の強化である。その後,竹下総理大臣により召集された「国際文化交流に関する懇談会」が,国際文化交流強化の具体的方途につき検討を行っている。

(2) 6月,第3国国連軍縮特別総会における演説において,竹下総理大臣は軍縮への力強い決意を表明するとともに,「平和のための協力」について,その具体的内容を発表した。即ち,我が国は,地域紛争等の世界の不安定化要因を安定化させるための国際的努力に対し,従来より行っている資金援助を多様化,拡充していくことに加え,国連その他の国際的な枠組を通じる平和維持活動に対し,要員を派遣することによっても貢献していく旨明らかにした。これを受け,88年4月のアフガニスタン問題に関するジュネーヴ合意の成立後,6月に,国連アフガニスタン・パキスタン仲介ミッションに外務省員1名を派遣し,我が国の世界への貢献に新境地を開いた。また,8月のイラン・イラク紛争の停戦の成立に際しても,国連監視団に外務省員1名を派遣した。

資金面での協力においては,88年に,財政危機に陥っている国連の活動を維持し,国連事務総長によるイラン・イラク紛争の調停やアフガニスタン問題の調停等の経費を賄うために,2000万ドルを拠出した。我が国としては,難民援助の強化,紛争終了後の復興援助等も積極的に行うことが必要である。

(3) 我が国は,増大した我が国の国際的責任に積極的に応えるため,第3次中期目標を掲げて政府開発援助(ODA)の拡充に努めてきた結果,同目標が早期に達成される見通しとなった。これを受けて,88年6月に行われたトロント・サミットにおいて,竹下総理大臣は,「政府開発援助の拡充」について,88年以降の5年間に500億ドル以上のODAを供与し,併せてODAの対GNP比の着実な改善を図るとともに,ODAの内容の充実を図る等の我が国の決意と目標を定めた「第4次中期目標」を発表し,諸外国より高い評価を受けた。

 

目次へ