第1章 世界の動きと我が外交の基本
第1節 我が外交の基本課題―「世界に貢献する日本」の推進
はじめに
今日の国際社会においては,近年の科学技術の進歩に促され,人物・資金・情報の流れが急速かつ飛躍的に増大し,国家間の相互依存関係が一層深まっており,諸国民の活動は地球的視野の下で行われるようになりつつある。それは特に経済面で著しく,市場経済体制をとる国家間では,国境の持つ意味が変化しつつある。政治面においては,東西の基本的対立構造に変化は見られないものの,より安定的な関係の構築に向けての新たな動きが生じている。
このような底流を背景としつつ,現下の国際関係においては,米ソ両国がその巨大な国力を背景に依然として大きな影響力を有する一方で,西欧諸国とともに,経済力,技術力の面で発展を遂げてきた日本の比重と役割も益々増大している。他方,開発途上地域も,地域紛争,累積債務といった問題,あるいは新興工業国・地域(NIEs)のダイナミックな経済発展等の様々な事象を通じ,国際社会の動向との係わりを深めつつある。
第2次大戦後,長らく,国際社会の中で相対的に小さな地位を占めるに留まってきた我が国にとって,国際環境はいわば与件であり,自らがこれに大きな影響を及ぼすことは考えられなかった。しかし今日,我が国は世界のGNPの一割を優に超える経済力を有し,また科学技術の面でも米欧とともに先端に立つに至っており,その行動が経済面ではもとより,国際関係全般にとっても,これまでにはなかった重みを持つ存在となっている。
今や,相対的に狭くなりつつある世界にあって,我が国が国際秩序を維持・発展さ迂る主要な主体としての責任と役割を果たすことがより必要となってきている。また,国際社会の将来の姿を確と展望しつつ,世界の平和と繁栄のため積極的に貢献してこそ,初めて我が国自身の平和と繁栄も確保され得る。
1. 我が国外交の基本的立場
我が国外交の基本は,我が国が自由民主主義諸国の一員であると同時に,アジア・太平洋地域の一国であるとの立場に立って,自国の安全と繁栄を確保しつつ,世界の平和と繁栄に貢献していくことにある。
(1) 自由民主主義諸国の一員としての外交
我が国の戦後の平和と繁栄は,もちろん我が国国民のたゆまざる努力の成果であるが,これはまた自由と民主主義という基本的価値観を共有する諸国との協力と連帯とに支えられて達成されたものであった。この平和と繁栄を将来に向けても確保していくためには,我が国として引き続き自由民主主義諸国の一員としての立場に立脚した外交を進めていくことが重要である。さらに,我が国は,世界の平和と繁栄に貢献するためその責任と役割を積極的に果たしていく決意を有しているが,そのための具体的施策を進めて行くにあたっては,先進民主主義諸国との協力と協調が不可欠である。
我が国外交の基軸は,日米関係である。日米関係は,戦後一貫して強化されてきたが,他方,経済問題において,特に近年,日米間に種々の激しい摩擦が生じてきたことは否めない。しかし,本年春以降,公共事業への外国企業の参入問題,牛肉・柑橘の輸入自由化等の主要案件が順次決着を見,両国間の摩擦は現在緩和の方向に向かってきている。また,日米両国のGNPをあわせれば世界のGNPの3分の1以上を占めるに至った現在,国際政治情勢の安定,世界経済の運営,開発途上国への経済協力等の面において,日米両国それぞれの動きのみならず日米関係の在り方が,世界全体に大きな影響を及ぼすようになっている。日米関係は,単に二国間だけの観点からだけでなく,世界的視点に立って発展させていかなければならない。
これに対して日欧関係についてみれば,西欧諸国が市場統合,政治協力の進展と共に新たな活力を発揮し,従来以上に国際的役割と責任を増大しつつあり,他方,我が国が世界の平和と繁栄のために国力,国情にふさわしい貢献を行っていこうとしていることを考えあわせれば,日欧が米国とともに西側諸国の結束,協調に努めることは,西側全体として急務となっているといえよう。しかしながら,日欧関係は日米関係や欧米関係に比して必ずしも十分に緊密であったとはいえず,日米欧3極間の強力でかつバランスのとれた協力のため,我が国としては,欧州との関係強化を今後の最重要課題の一つとして取り組んでゆかなければならない。
(2) アジア・太平洋地域の一国としての外交
現在,アジア・太平洋地域は,政治,経済両面で一部に不安定要因を抱えつつも,基本的には成長と民主化の過程にある。経済面では,新興工業国・地域(NIEs)を始めとしてダイナミックな成長が続いており,世界経済の中に占めるこれら諸国の比重は増しつつある。また,政治面でも楽観はし得ないものの,概ね民主化と安定化が進みつつある。
我が国とアジア・太平洋地域との関わりは,地理的近接性もあり,経済的,文化的,歴史的に非常に深いものがある。特に最近では,我が国企業の進出の拡大に加え,アジアNIEsやASEAN諸国よりの工業製品の我が国に対する輸出が目覚ましく増大し,また人的交流も活発化しており,我が国とアジア・太平洋諸国との関係は益々緊密かつ幅広いものとなっている。
このような状況下にあって,我が国は,極めて大きな経済力を有する安定勢力として,この地域が一層発展し,安定度を高めるよう,積極的に貢献する必要があろう。我が国としては,これら諸国との間で,過去において不幸な経緯があったことを十分踏まえ,また,我が国の動向が,特に経済面においてこれら諸国に対し多大の影響を及ぼしていることに十分留意しつつ,友好協力関係を強化し,この地域の平和と繁栄に寄与していかなければならない。
2. 我が国外交の課題
我が国が国際秩序の維持・発展を主体的に担っていくに当たり,取り組むべき外交課題は,安全の確保と世界経済の発展への貢献を通じる自国の繁栄の維持という最も基本的な課題を始め,広範かつ多岐にわたるものとなっている。また,これらの課題に取り組むに際し,国際社会における我が国の地位の増大に伴い,我が国自らのイニシアテイヴをもって,国際平和維持のための協力の強化,開発途上国に対する政府開発援助の拡充・強化,国際文化交流の強化を行っていくことの必要性も高まってきた。この平和のための協力,政府開発援助,国際文化交流は,竹下総理大臣の提唱の下に我が国が推進している「国際協力構想」の三本柱となっている。
(1) 我が国の安全の確保
安全保障に万全を期することは,国家の独立と繁栄を維持し,国民の生命・財産を守るために必要不可欠な条件であり,外交の基本的課題である。
(イ) 我が国の安全を確保するためまず第一に必要とされるのは,我が国及び国民を守るための広範な分野にわたる外交努力である。これは,基本的には,我が国を取り巻く諸外国の意図,動きを正確に把握し,我が国として的確な外交的対応を行っていくことであり,戦争や紛争の未然防止,東西対話推進のための西側の一員としての積極的貢献,軍備管理・軍縮への貢献等がこれに含まれよう。さらに,それのみならず,経済,経済協力,科学技術,文化交流等広範な分野において,我が国の立場,考え方を世界に訴え,理解を深めてもらうとともに,諸外国との友好関係を増進していくことも重要である。
(ロ) 今日の国際社会の平和と安定が,基本的には力の均衡と抑止の上に成り立っているのは,冷厳な現実である。我が国の安全の確保にとり米国の抑止力は不可欠であり,日米安全保障体制は我が国の安全保障の基盤である。従って,この体制を円滑かつ効果的に運用し,その信頼性を高めるため,たゆまぬ努力を行っていかなければならない。
このような観点から,我が国は,日米防衛協力のための指針に基づく研究の推進,対米武器技術供与等の防衛面での日米協力を推進すると共に,在日米軍駐留に対する支援強化に努めて来ており・88年6月にはこのような支援の一層の強化のため在日米軍労務費特別協定を改正したところである。
(ハ) 我が国の平和と安全を守る上において,日米安全保障体制の堅持と並んで,自らの防衛力を整備することは,重要な前提である。我が国は,平和憲法の下,専守防衛に徹し,他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念に従い,文民統制,非核三原則を堅持しつつ,節度ある有効な防衛力の整備に努めてきており,今後ともこのような努力を続ける必要がある。そして,我が国防衛力の整備は,日米安全保障体制とあいまって,結果的に自由民主主義諸国全体の安全保障の維持に寄与し,アジアひいては世界の平和と安定にも貢献している。
(2) 世界経済の健全な発展への貢献
(イ) 現在の世界経済においては,緩やかな拡大基調が持続している。87年10月の株価暴落は,現在の世界経済が置かれている不安定さを示したものと言えるが,この背景にあった主要国の対外収支の不均衡は,依然高い水準で推移してはいるものの,我が国の経常収支黒字の減少傾向の定着を始め,明確な改善の兆しが現れてきている。
しかし,不安定要因が解消された訳ではない。金融・為替相場の不安定感は依然残っており,開発途上国の累積債務問題も途上国の発展阻害要因としてのみならず,世界の金融・経済秩序に対する脅威として存在している。加えて,根強い保護主義の圧力や地域主義的傾向の強まりによって,戦後の世界経済の繁栄の基盤をなしてきたガットを中心とする開放的な多角的貿易体制が試練に立たされていることも見逃せない。
(ロ) 我が国の経済力が世界のGNPの一割を優に超えるに至った状況下で,我が国は自らの責任と役割を自覚し,その経済構造を従来の輸出依存型から内需主導型に転換させ,経常収支を国際的に調和のとれたものとすべく積極的に努力してきた。内需拡大策や市場開放,輸入拡大努力は,近年の円高ドル安の効果とあいまって,輸入の増大,特に米国からの輸入増加を通じ,日米間の貿易不均衡の縮小に寄与すると同時に,アジアNIEsやASEAN等からの製品輸入の増加をもたらしている。我が国は,今後ともこのような努力を続け,世界経済の発展に大いに貢献し,もって我が国経済の長期的発展を確保していかなければならない。
また,自由で多角的な貿易体制は我が国のみならず世界の経済発展の基礎であり,その維持・強化は,世界経済全体にとり大きな利益である。従って,我が国としては,現在進められているウルグァイ・ラウンドにおいて,その成功のため積極的に貢献していかなければならない。
他方,産業構造の転換,近年の円高の影響により,国内には大きな打撃を受けている産業や地域がある。我が国は,このような痛みを覚えつつも,これを適切に調整することにより,日本経済を国際的に調和のとれたものとし,世界とともに歩む日本を実現していくべきである。
(ハ) 近年の高度技術の進歩により,科学技術力が,製品開発,生産,市場といった経済活動の基盤的部分に極めて大きな影響を与えるようになった。また,民生技術が軍事技術の優劣に大きな影響を与えるようになり,民生技術の開発・移転と安全保障上の考慮との関連も軽視することのできない課題となっている。
このような認識の深まりとともに,東西関係の文脈では高度技術の東側に対する流出の問題,西側諸国の間では知的所有権保護や研究協力・交流等に関する問題,さらに南北関係との関連では,技術移転の問題や輸出振興に努めている途上国との間の知的所有権保護の問題といった,科学技術にかかわる多様な問題が生じている。我が国は,西側の一員であり,同時に,アジア・太平洋地域の一国としての基本的立場から我が国の科学技術力を世界に役立てるとの基本姿勢の下で,基礎研究にも引き続き積極的な努力を傾注し,また諸問題解決に積極的役割を果たしていくことが必要である。
(3) 「国際協力構想」―我が国の進める国際協力の三本柱
国際社会における我が国の地位の高まり,特に,その経済力の大幅な伸長により,今や我が国は,国際環境を単なる与件として把えるのではなく,我が国自身が国際社会の動向を左右する一つの重要な要素となっていることを前提として,国際社会に臨んでいくべき時となっている。
我が国が国際の平和と繁栄への協力を進めるに当たっては,既存の枠組みの下での協力を拡充するにとどまらず,我が国が創意をもって国際的な諸努力に積極的に参画し,世界に貢献していくことが必要となっている。そのことは,我が国自身の平和と繁栄のためにも不可欠となっている。
以上の認識を踏まえ,我が国は,安全の確保のための努力と世界経済の健全な発展への貢献の基礎の上に,我が国のなし得る国際的貢献の具体的施策として,平和のための協力,政府開発援助(ODA),国際文化交流を三本柱とする「国際協力構想」をまとめ,その推進に努めている。これらの分野における我が国の国際的貢献を一層拡充し,国際社会の側の必要に応えるものとしていくことが,当面の重要施策である。
(イ) 平和のための協力
世界の平和と安定を確保することは人類の長年の悲願であるが,現実には,国際紛争,地域問題,さらには国際テロ等,多くの不安定要因が存在している。
このような状況の中で,近年の我が国国力の著しい伸長を背景に,我が国に対する国際社会の期待は,経済,経済協力の分野にとどまらず,国際平和の維持,確保等の政治的分野においても一層強いものとなってきている。世界の平和と繁栄が我が国の平和と繁栄にとって密接不可分なものとなっている今日,我が国としても,国際社会の平和を単に享受する立場としてではなく,自らこのような平和の維持・構築に参画していくことが必要である。
今後,我が国は,「平和のための協力」の発想の下に,地域紛争等に関し,まず確固たる平和の基盤を作るための外交努力を行うと同時に,これまでも実施している平和維持活動への資金拠出等の協力を多様化,拡充し,さらに国連その他の国際的な枠組を通じる平和維持活動に対し,要員を派遣する等積極的に参加していかなければならない。また,難民援助の強化,紛争終了後の復興援助への積極的貢献など・国際的平和の維持・強化のための活動にも幅広く積極的に貢献していくことが必要となっている。
(ロ) 政府開発援助(ODA)
世界の人口の4分の3を占める多数の国が,未だ低位の発展段階にあり,経済成長の速度もいわゆる先進工業国に遅れがちな状況にある現状は,国際社会の健全な発展にとり大きな問題である。
我が国は,平和国家として,また世界有数の経済力を有する国との立場から,この南北間の格差是正に寄与し,もって国際社会の安定と発展に寄与しなければならない。このため,特に開発途上国の経済社会開発,民生の安定,福祉の向上に資することを目的とする政府開発援助(ODA)の拡充を重要な国際的責務であると認識し,国際的に定着している援助理念,即ち,「相互依存」と「人道的考慮」という基本的考え方に基づいて実施している。我が国の政府開発援助は,近年その規模を著しく拡大していることに伴い,開発途上諸国や途上地域の経済的,社会的安定に寄与し,結果として,これら諸国・地域の平和と安定に一定の役割を果たすに至っている。我が国が政府開発援助を推進するにあたっては,このような側面をも十分念頭においていく必要がある。
さらに,経済協力の分野における我が国の貢献に対する先進国の期待と関心も,近年,我が国の経済力の飛躍的増大に伴い,急激に高まってきた。
我が国は,このような南北双方の期待に積極的に応え,その国力にふさわしい国際的役割を果たすため,先般,「第4次中期目標」を策定し,一層の国際的貢献を行っていくこととした。その内容は,我が国のODAの分担割合を経済規模に見合った水準に引き上げることを念頭において,ODA実績総額を88年以降の5年間に500億ドル以上とするよう努めることとし,併せてその対GNP比率の着実な改善を図り,また,後発開発途上国への援助の一層の無償化と債務救済措置の拡充,留学生対策の強化等の技術協力の拡充,国際機関を通じる協力の推進等,ODAの内容の充実を定めている。
(ハ) 国際文化交流
物や資金と同時に,人と情報の国際的交流が活発化していく中で,世界の諸国民の間の相互理解を深めることは,国際社会にとり,古くて新しい課題である。そして,広い意味での文化交流は,体制や価値観の相違を超え,民族と民族が互いに理解し合う基礎をつくる上で,また,政治・経済分野における関係をより円滑に推進する上で,重要な意味を持つものである。
国際社会の多様な文化は,いずれも人類共通の財産であり,その普遍的価値は広く各国民によって享受されるべきものである。また,文化の相互交流を通じ,異質な文化に対する寛容な心を培うことは,開かれた国際社会ひいては国際協調につながるものであり,多様な文化の相互交流がもたらす刺激は,国際社会の発展の活力を生むものである。このような国際的文化交流を我が国が推進することは,同時に,我が国をより一層世界に対して開かれた社会にするという意味を有している。
近年,我が国と諸外国との関係が広く,深くなるに伴い,諸外国と我が国との摩擦も,その次元を広げ,単なる経済摩擦ではなく,相互の文化や社会習慣の違いに対する誤解や理解不足に起因する場合が多々見られるに至っている。このことは,我が国自身が,物質的・制度的な面にとどまらず,より幅広い意味で「世界に開かれた日本」の実現を目指すとともに,諸外国における対日関心の高まりに積極的に対応し,我が国に関する正しい認識と理解を得てもらうことが益々重要となっていることを示している。
我が国としては,世界の異なる文化間の交流を促進し,世界の文化をより豊かなものとするために寄与するとともに,我が国と諸外国との間の文化面での交流を一層推進していかねばならない。
むすび
21世紀まで余すところ10年余となった今日,我が国は国内的にも大きな変革の渦の中にある。即ち,短期的には,多くの分野で痛みを乗り越えつつ経済構造調整が進行している。また,中長期的には,人口構成の高齢化,科学技術・情報化社会の進展,そして国際化の進行等,多くの重要な意味を持つ動きが生起しており,我が国はこれから先も多くの課題に直面し,その解決に努めていかねばならない。
このような状況下で,我が国としては,憲法前文にある通り,「平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において,名誉ある地位を占め」ることができるよう,「世界に貢献する日本」の実現を目指し,懸命の努力を行っていかなければならない。世界の平和と繁栄のための応分のコストを積極的に負担し,広範な分野で世界に貢献する日本を実現することこそ,現在の我が国に最も求められているところであり,また我が国自身の利益に通じるところなのである。そして現在,日本は,その方向へ向けて踏み出しつつある。