(9) アキノ・フィリピン大統領の来日関連文書
(86年11月11日)
(イ) 総理大臣夫妻主催午餐会における中曽根内閣総理大臣スピーチ
アキノ大統領閣下,並びに御列席の皆様,
このたびアキノ大統領閣下を我が国にお迎えし,ここに午餐を共にする機会を得ましたことは,私にとって大きな喜びであります。日本政府及び国民を代表して,御一行を心から歓迎いたします。
大統領閣下,
昨夕,閣下との間で,日本・フィリピ.ン両国の現状と将来,及び両国の友好協力関係の在るべき姿につき隔意ない懇談を行いましたが,私は,アキノ大統領誕生の劇的な経緯を振り返って,フィリピンが生んだ二人の偉大な人物について想起せざるをえませんでした。
その一人は,貴国民のすべてに,「独立の父」と敬慕されているホセ・リサール博士であります。1896年,フィリピン革命の勃発とともに,外国亡命中の博士は,帰国すれば危険が身に及ぶとの友人の助言にも拘らずマニラに戻り,革命煽動者として逮捕されました。博士はついに処刑されましたが,その志はフィリピン国民に受け継がれ,その後間もなく貴国は,400年近くにわたるスペインの支配から自らを解き放って,独立を達成したのであります。
もう一人は,言うまでもなく,故ベニグノ・アキノ上院議員であります。我々日本人もまた,故アキノ氏の生涯がフィリピンの自由と民主主義のために捧げられ,今なお,その人柄はフィリピン国民より広く敬愛されていることをよく承知しておりますが,とりわけその最期が,あまりにもリサール博士のそれと酷似していることに強く胸をうたれます。
大統領閣下,
閣下は,この二人の偉大な人物が象徴するフィリピン人の魂を体現し,フィリピン国民の意志により,また,その大きな期待を一身に背負って大統領に就任されました。政権の交替がどう行われるかが世界注視の的となりましたが,それが流血の惨事を伴わずに遂行されたことは,大統領閣下をはじめフィリピン全国民の英知と勇気を示すものであります。
海を隔てた隣国,日本において固唾をのんで事の成り行きを見守っていた我が国民も,平和と愛を最も尊いものとされる大統領閣下の姿勢が貫かれたことに,挙げて賞賛の拍手を送ったのであります。
フィリピンはいま,大統領閣下を希望の星として,新憲法の制定,治安の確立,経済再建など,新しい国造りを進めています。もとより前途には,多くの困難,厳しい障害が横たわっているでありましょう。しかし,貴国民の英知と勇気,そして,どんな苦しい時でも誇りを失わず,常に希望と明るさを保つ貴国民の国民性をもってすれば,いかなる莫艮難も,これを克服することができると信じます。私は,貴大統領と5,000万フィリピン国民に心からの励ましの言葉を送りたいと思います。
大統領閣下,
貴国と我が国は,約400年前から緊密な交流を行ってまいりました。貴国のいくつかの土地には日本人町が栄え,17世紀のマニラには,今日の在留邦人とほぼ同じ3,000人にものぼる日本人が在留していたと言います。その中には,我が国でキリシタン大名と言われる高山右近もおり,その像は,パコに立っております。また同じ頃,大名伊達政宗が派遣した初の訪欧使節団は,帰途マニラに立ち寄りました。
一方,フランシスコ・ザビエル等,東洋への布教を目指したイエズス会の宣教師たちの中には,フィリピンに達してから日本を目指したものも少なくありません。こうして貴国は当時,我が国と西欧文化との中継点でありました。両国のお付合いは浅からざるものがあったのであります。
そして,いまや,我が国と貴国は,アジア・太平洋地域において重要な役割を果たすべき国となりました。とくに,貴国は,近年,その国際的地位を高めてきたASEANの有力な一国として,また,その地政的地位の重要性からして,その安定と繁栄は,近隣諸国の等しく願うところであります。我が国としては,かかる目的のために,貴国が,種々の困難な問題に対し現実的な政策を一つずつ着実に実行していかれることを期待する次第です。
私は,このような貴国に対し,その新たな国造りのため,我が国としても支援を惜しまぬことを,ここに御約束したいと思います。
御列席の皆様,
それでは最後に,アキノ大統領閣下の御健康,また貴国と我が国の友好協力関係の一層の発展を祈念して,ここに杯を挙げたいと思います。
乾杯。
(ロ) 総理大臣夫妻主催午餐会におけるアキノ大統領スピーチ(仮訳)
中曽根総理大臣閣下,令夫人,御列席の皆様,
本日はこのような席に御招き頂き光栄に存じます。フィリピンと日本はともに,アジアという家族の一員であります。
日比両国は,はるか過去にまで遡る歴史を共有しています。また,両国は,過去の教訓を踏まえ,希望と期待をもってともに将来に臨もうとしています。
両国がともになしうることは多くあります。日比両国は,将来,ダイナミックな成果を逐げることが確実と見られる地域の一部であります。この地域には,最もしいたげられ,また,貧困に喘ぐ地域にさえ進歩と繁栄をもたらし,それにより・太平洋に永続した平和をもたらしうる機会が多く存在します。
ときに,我々がどれだけのことを成し得,また,大きな望みに比べ,いかにその一部しか達成しえていないかにつき思いを巡らせるとき,私は,目標達成を妨げるのは,人間の愚かさと弱点のみではないかと思います。フィリピンは,豊かな資源,賃金当たり生産効率の高い労働力,高度の教育を受けた多くの経営者,地理的位置並びに政治的,歴史的関係故の多くの市場に対する潜在的な参入可能性等の条件に恵まれた国です。事実,20年前には,富の観点から見れば,我が国は,我々の地域において貴国に次ぐ地位にありました。ただ,この様な恵まれた条件にもかかわらず,我が国の政治指導者達は,全てを使い果たし,我が国を一文無しの状態にしてしまったのです。しかし,無駄にされてしまった機会につき人を非難する衝動にかられることがあるならば,貴国という偉大な国及びそこにおいて途絶えることなくあらわれてきた賢明かつ愛国的な指導者達をみるだけで,人が何をなし得るかにつき改めて認識しえます。
戦争の灰塵から貴国という偉大な国が復興したのも,人間の努力と規律によるものでありました。将来に対する見通しがわびしく,利用しうる資源もわずかな時に,日本の国民及び資導者は,成功したいとの意志があれば何が可能かを示しました。日本は強い意志があったが故に経済的な荒廃の暗やみから立直りました。日本の成功は,国全体としての決意の賜物です。全ての国民が,日本を変革した経済的成功の道に,貴国を乗せるためのチームの一員でありました。
フィリピンにおいて,我々は,現在,復興のための同様の試練に直面しています。私の政府は,前任者による自国民に対する戦い及び搾取により荒廃した経済を引き継ぎました。日本においてもそうであったように,初期の段階は容易ではありません。古い対立を解消して行くとともに,国がその上に将来を築きうる新しいコンセンサスを形成していく必要があります。
ただ,そのための基礎は既にあります。フィリピンが国を挙げて投票所での票決を確認すべく蜂起した2月の人民の力革命が,新しいフィリピンを築いていく際の礎石であります。フィリピン国民は,単に旧体制に対し立ち上がったのみならず,今後,我々の将来を形づくることとなったいくつかの価値のためにも蜂起したのであります。それは,民主主義,法の支配,そして何よりも自由であります。しかし,この自由は,隣人を尊敬し,隣人との調和を保つ自由であり,また,一人一人のフィリピン人が,国民全てに進歩をもたらすとの共通の目的を尊重し,そのために貢献する自由であります。
我々の新しい自由は,濫用を許すには貴重すぎます。それ故,我々は,民主主義の勝利を新憲法により,まちがいのないものとするべく,可能な限り迅速に行動をとりました。現在,民主的に選出されているのは,私とラウレル副大統領だけです。我々は,立憲的法体制及び諸々の自由が確保される体制という枠組の中で,非民主的かつ腐敗した権力構造を解体し,可能な限り迅速に民主主義へ移行せねばなりませんでした。現在,憲法草案ができており,2月初めに,国民投票にかけられます。もし憲法が承認されるならば,それに引続き,来年中に総選挙及び地方選挙が行われます。したがって,人民の力革命から1年余りのうちに,私の大統領制は,民主主義国家に通常ある諸機構を完備し,これらに支えられていくことになります。
このような完全な民主主義への急速な復帰は,私に対する民主的な委任により助けられています。しばしば指摘されているように,私達の行ったことは,政権にある者をひきずり降ろすことではなく,正当に選出された者を就任させることでした。それは,選挙での私の勝利により始められ,民主主義に必要な他の全ての諸機関の設立及びこれらの機関をうめる職員の選出により近々完了する予定の民主的変革の仕事を続けることを可能とした革命です。その民主的変革の過程は完了していませんが,大統領選挙での国民の勝利という揺るぎない基礎から導かれるものである故,懸念をもつ理由は何もありません。私の大統領就任は,フィリピンにおける民主主義のために我々が建てようとしている新しい家の礎石となるものです。
明確にしておきたいことがあります。新生フィリピンには民主的なやり方を受容れない人間のいる余地は存在しません。私は共産主義勢力の問題を流血を見ずに解決することに強い関心をもっていますが国家及び国民に対する非民主的勢力の挑戦を許すつもりはありません。
強力な民主主義を有するフィリピンは,統一国家として前進するための確固たる基礎を有しています。私の任期は1992年までありますが,その時には,かつて日本のためにあれほど役立った一つの方向に邁進する国家的エネルギーを,私の指導のもとで必ず見出すことができるものと思っています。このために必要な多くの経済的条件は既に整えられています。私の政権の経済閣僚は,国内における適切な政策運営,及び成功裡に終わったIMF及び世銀との交渉により,経済の再興に向け一歩踏み出すことができました。IMF及び世銀は,「やりくり上手」とのレッテルを我々に与えてくれました。また,これらの機構は,経済再建計画のための条件を緩和しました。経済運営に対する誠実さと規律が回復されたことにより,明年の経済成長目標を5.5パーセントとすることに対する国際金融機関の裏書を得ることが可能になりました。
二国間援助供与国としての貴国政府の役割もまた,支援及び理解というものです。貴国は,人道主義的な必要性,また,いったん方途が与えられれば,自ら及び隣人を助けうるフィリピン人の能力を理解しておられます。このような理解をいただいていることを高く評価しております。フィリピン国民は国家的試練を経てきたところでありますが,日本国民は,我々が成し遂げたことに共感されるとともに,フィリピンの再建及び発展のための努力を支援する上での日本の役割を認識しておられると思います。
フィリピンの選挙及び革命の劇的展開は日本において注目を集めました。貴国民の間に強い支援の絆が存在したことに,我々は感謝しています。それに加え,個人的な点に付言させて頂くとすれば,私の夫,ニノイ・アキノが暗殺された時の日本国民の反応を感謝の念をもって思い出します。我々はその時の皆様の支援に感謝しましたし,現在も感謝しています。日本国民及び政府が,過去において我が国に対し与えられた揺るぎない支援及び着実な援助により,我々はフィリピンを再興するための努力を行うに際し勇気づけられます。このような,フィリピン国民の幸福に対し貢献しようとの過去の約束の実績が,フィリピンの新たな努力に対し貴国より継続した支援を頂けるのではないかとの希望の根拠となっています。
我々がフィリピンにおいて行おうとしていることが,我々のみならず日本の友人たちにも誇りを与えるものとなることを希望しています。また,それが単に共有された誇りのみならず,地域の安全保障をも,もたらすものであることを希望します。なぜならば,強いフィリピンは,太平洋における自由世界の防衛を支え,また地域の安定性を確固たるものにするからです。他のアジア地域及び世界のために我々の役割を果たすことができるよう,我々はフィリピンにおいて成功したいと思っています。中曽根総理の指導の下で,日本は国家の利益を超えた目標に到達したいとの我々の願望をよく理解しておられ,従って太平洋における平和及び進歩という共通の夢の一部分を担うための強靱さを,フィリピンが回復する緊急の必要性を評価して頂けるものと思います。
フィリピンと日本がともに手を取り合って,太平洋の平和と繁栄のため貢献しうることを希望して,私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。