第3節 経済問題

1. 第41回国連総会

(1) 経済問題を審議する第二委員会においても,国連行財政改革に関する「賢人会議」報告の影響を受け,会合回数と時間の節約,重要案件の重点的集中審議,提出・採択された決議案数の減少等,質・量両面にわたり審議の合理化が図られた。

(2) 累積債務問題に関しコンセンサスで決議が採択された。累積債務問題は,先進国側と途上国側の立場の相違が大きく,第40回総会においても決議案はまとまらず,86年5月に再開会期を開いて審議を続けたが結局合意に至らなかった懸案事項であった。

採択された決議は,対外債務問題解決に向けての国際協力強化の必要性を確認するとともに,債務国の成長指向型調整政策の効率的推進とこれに対する先進国,国際金融機関,民間銀行の支援等,途上国の債務問題に対処する際に考慮すべき要素につき合意したものである。

(3) 米国は,「アフリカのバッタ問題」と「開発における企業家の役割」の2つの決議案を提出,いずれもコンセンサス採択された。ソ連は,第40回総会に続き「国際経済安全保障」決議案を提出,投票の結果,前回より賛成票を21票増やすとともに反対ないし棄権票を20票減らして採択に成功した。

(4) 第7回国連貿易開発会議(UNCTAD)については,経済社会理事会と日程を調整の上,87年7月9日~31日にジュネーヴで開催することが決定された。

(5) 第40回総会で20本あった各国別特別経済援助決議につき,14か国分を1本の決議にまとめたオムニバス決議が採択された。決議数の削減を通ずる審議の合理化を図った成果である。

(6) 後発開発途上国(LLDC)として新たにキリバス,トゥバル,モーリタニアが認定された。これによりLLDCは計40か国となった。

2. 経済社会理事会

(1) 86年7月の第二通常会期では,「通貨・金融・債務等相互関連事項」が優先議題とされたが,実質審議がほとんど行われないまま早々と打ち切られ,G77の要請により第41回国連総会への審議先送りが決定された。また,第二優先議題的扱いを受けた「人造り」については,第42回国連総会に事務総長報告の提出を求める東独案が修文の上コンセンサス採択された。

(2) 一般討論においては,多数の国が「相互関連事項」に焦点をあてた演説を行ったほか,アフリカ経済復興・開発問題につき言及し,86年5月に開催されたアフリカ特総の成果を高く評価した。

その他,「途上国からの資源流出」,「経済安全保障」,「信頼醸成」,「有害製品からの保護」等につき討議された。

(3) 特に,今次会合においては米国が「企業家精神の役割」,「事業活動の質的向上」,「イスラエルECE加盟問題」等の決議案を提出し,その実現に向けて積極的な動きを示したことが注目された。

3. 国連におけるアフリカ支援

(1) 86年5月27日から6月1日まで,ニューヨークの国連本部において「アフリカの危機的経済情勢に関する国連特別総会」が開催され,「アフリカ経済復興と開発のための国連行動計画(1986r1990)」を全会一致で採択した。この「行動計画」は,アフリカ諸国の自助努力の重要性及びこれら諸国の経済改革と構造調整の必要性を強調しつつ,それに対する国際的支援を確認するバランスのとれた内容であり,今後のアフリカ開発に向けて有益な指針となるものと評価されている。

(2) 国連アフリカ特別総会には,各国より33名の現職閣僚(米国からシュルツ国務長官,セネガルからディウフ大統領兼OAU議長等)を含むハイ・レベルの代表が出席,我が国からは大来佐武郎元外相が首席代表として出席した。このような一地域の経済問題を対象とした特別総会が開催されたのは国連史上初めてであり,対アフリカ支援に関する各国の関心の高さが確認された。

(3) 85年1月1日に発足した「アフリカ緊急活動本部(OEOA)」は,86年10月,その後のアフリカの食糧事情の危機的情勢からの改善に伴い,その一応の役目を終えて解散した。

4. 国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP:United Na-tions Economic and Social Commission for Asia and the Pacific)

(1) 我が国は,ESCAPを国連外交とアジア太平洋外交の接点としてとらえ重視しており,総会開催を過去5回東京に誘致したほか,資金的,人的協力を積極的に行ってきている。

(2) 第42回ESCAP総会は,86年4月22日から5月2日までバンコクにおいて開催され,我が国からは小木曽本雄元在タイ大使を首席代表とする代表団が出席した。同総会では,第42回及び第43回総会の主要テーマである「人造り」及び,85年に開始された「アジア太平洋運輸通信の10年(1985-1994)」を中心に討議が行われた。

(3) そのほか86年度中に開催されたHSCAPの主要な会議としては,貿易大臣会議,産業技術大臣会議,第13回天然資源委員会,第6回開発計画委員会,第10回海運・運輸通信委員会がある。

5. 国連貿易開発会議(UNCTAD)

(1) 86年1月,ガーナの外交官ケネス・ダッツィーがUNCTAD事務局長に就任し,この新事務局長の下で第7回UNCTAD総会の準備作業が本格的に始まった。

(2) 第7回UNCTAD総会については,86年秋の第33回貿易開発理事会(TDB)において,87年7月,約3週間の予定でジュネーヴで開催されることとなった。また,(途上国の)開発のための資源,一次産品,国際貿易・後発開発途上国の4つの主要問題に議題をしぼり討論が行われることになった。

(3) 開発資金・債務問題については,86年12月の貿易外取引・貿易関連融資委員会において,これに先立つ経済社会理事会,国連総会でもとりあげられた「資金の逆移転問題」(注1)を途上国グループは再び持ち出し,途上国における資金問題の深刻さを窺わせた。

(4) 一次産品については,緩衝在庫関連条項を有するココア協定及び天然ゴム協定の改訂交渉が,85年10月のすず理事会の財政破綻もあって難航したが,それぞれ86年7月及び87年3月にすずの教訓を生かし改善された形で妥結した。ニッケル,銅などについては,研究会設立へ向けての動きが見られた。一次産品の加工・販売・流通面での改善,輸出所得補償融資構想(注2)についても検討が続けられたが,途上国と先進国の主張が対立し,具体的な進展はなかった。

(5) 貿易問題については,新ラウンド発足を前に,3月の第32回TDBで,途上国グループより新ラウンドを先取りした内容の決議案が提出されたこともあったが,貿易をめぐるルール作りはGATTで行うべきであるとする先進国グループの結束は強く,また途上国グループ内の足並みの乱れもあり,実質的話合いはほとんど行われなかった。

6. 国連開発計画(UNDP:United Nations Development Programme)

86年6月,ジュネーヴにおいて第33回管理理事会が開催された。

同会合においては,主要テーマとして我が国が前回管理理事会で提案した「人造り」が検討され,開発における人造りの重要性に対する認識が深まると共に,今後の同分野におけるUNDPの役割等につき決定が採択された。このほかに,第4次サイクル(1987年~91年)開始を前に全体委における国別計画の審査が44か国に上り,充実した審議が行われた。

なお,次回管理理事会の主要テーマは,特定せず事務局長報告を中心に政策事項一般を検討することとなった。

7. 世界食糧理事会(WFC:United Nations World Food Council)

6月にローマにおいて第12回世界食糧理事会が開催され,主にアフリカ地域の食糧中心の開発への移行,国際食糧貿易の不安定要因・解決策等につき審議を行い・今後一層の政策改善の必要性を確認した。


(注1)途上国より先進国及び国際金融機関に流れる資金量の方がその逆に流れる量よりも大きい,とする主張。

(注2)一次産品輸出国の輸出所得の落ち込みを融資により補償する制度をさらに強化しようとするもの。

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