第2節 軍縮問題

1. 軍縮会議及び国連等における軍縮討議

(1) 軍縮会議(CD:Conference on Disarmament)

ジュネーヴの軍縮会議(84年から従来の軍縮委員会を軍縮会議と名称変更)は具体的な軍縮措置について交渉を行う唯一の多国間交渉機関である。86年の軍縮会議は,2月4日より4月25日まで(春会期)及び6月10日より8月29日まで(夏会期)開催された。議題は85年と同じく,(イ)核実験禁止,(ロ)核軍備競争の停止・核軍縮,(ハ)核戦争の防止,(ニ)化学兵器,(ホ)宇宙における軍備競争の防止,(ヘ)非核兵器国の安全保障,(ト)新型大量破壊兵器・放射性兵器,(チ)包括的軍縮計画の8議題が取り上げられた。

このうち,(ニ)~(チ)の5議題についてはアド・ホック委員会が設置され,特に化学兵器禁止については条約案作成を目指して精力的審議が行われたものの,残る議題については,実質問題についての西側,東側及び非同盟諸国それぞれの立場の相違を反映して,アド・ホック委員会設置そのものについて合意が成立せず,本会議等で意見交換が行われたにとどまった。

このような状況下,我が国は,84年6月の核実験禁止に関する「ステップ・バイ・ステップ方式」提案に関し検証手段の向上を目的として地震専門家グループに対しレベルII(波形)情報の交換に係る提案を行い(4月),また,本会議及び非公式会合の場の活用を提案(6月)するなど実質審議の開始を働きかけた。

(2) 第41回国連総会

国連における軍縮問題の討議は,78年の第1回軍縮特総において,「総会の第一委員会は,軍縮問題及び関連する国際安全保障問題のみを取り扱う」旨決定されたことを受け,専ら第一委員会で行われている。

第41回総会第一委員会の軍縮討議は10月13日より11月18日まで行われた。今次第一委員会は,レイキャヴィクにおける米ソ首脳会合直後に開始され,冒頭その結果をめぐり米ソ間の応酬が見られたが,同時に各国より米ソ交渉の継続とともに多数国間軍縮推進の必要性が改めて強調された。提出された決議案は77本であり,最終的には前年と同数の67本が採択された。

核軍縮関係では,特に我が国もその作成に中心的役割を果たした核実験禁止西側決議案が関係決議の中で最も広い支持を得たことが注目された。我が国としては,従来より軍備管理・軍縮問題の解決のための不可欠の要因として重視して来た検証,遵守をうたった決議のコンセンサス採択達成に努力する等国連における現実的審議の活発化に貢献した。

なお,82年の第2回軍縮特別総会における我が国の提案に基づき,85年に引き続き国連軍縮フェローシップ参加者が研修のため来日し,東京,広島,長崎等を訪問した。

(3) 国連軍縮委員会(UNDC:United Nations Disarmament Commission)

86年の国連軍縮委員会は,86年5月5日より23日まで開催され,(イ)核及び通常兵器軍縮,(ロ)軍事費の削減,(ハ)南アフリカの核能力,(ニ)軍縮分野における国連の役割,(ホ)海軍軍備制限,(ヘ)信頼醸成措置の指針の議題を審議した。上記のうち,「軍事費の削減」,「信頼醸成措置に関する指針」第一部にはコンセンサス形成に向けて相当の進展が見られたが,他方,「核及び通常兵器軍縮」及び「南アフリカの核能力」のように足踏み状態に留まったものもあった。

2. 主要軍縮問題

(1) 核実験全面禁止(CTB:Comprehensive Nuclear Test Ban)

軍縮会議においては,82年及び83年には核実験禁止の「検証と遵守」を検討するアド・ホック委員会が設置されて審議が行われたが,84年に至り東側及び非同盟諸国が検証問題の検討を打ち切り,直ちに核実験全面禁止条約案の審議を開始すべきであると主張したため,「検証と遵守」につき十分審議を尽くすべきであるとする西側諸国と対立した。86年においてもかかる対立が持ち越され,84年以降3年にわたり本件アド・ホック委未設置のまま推移している。

我が国は,従来より核実験禁止を核軍縮分野における最重要課題として重視してきており,軍縮会議において,核実験禁止に至る現実的方途として,84年6月「ステップ・バイ・ステップ方式」の提案を行った経緯があるところ,このための検証手段の向上を目的として・同会議の地震専門家グループ(GSE)において,4月にレベルII(波形)情報の交換に係る提案を行うなど作業進展に貢献している。

(2) 化学兵器

軍縮会議は,69年以来世界的かつ包括的な化学兵器禁止条約作成作業に取り組んできており,我が国は,本件条約の実現を非核軍縮の最優先課題としてその審議促進に努力して来ている。

86年は,化学兵器については軍縮会議会期中以外にも非公式協議等が開催され年間を通じてほぼ間断なく作業が続けられ,化学兵器禁止に向けての各国の熱意の高揚を強く印象づけた。このような状況の下で,化学兵器及び同生産施設の廃棄,並びに化学兵器を新たに生産しないこと(非生産)の検証問題につき一部進展が見られた。

我が国は,86年は・西側コーディネーターとしてr非生産」問題にかかわる西側見解の調整に尽力したほか,化学兵器条約の下での規制対象剤の量的側面に焦点を当てた演説を行い,また,作業文書を提出する等審議に貢献した。

3. 米ソ軍備管理交渉

現在,米ソ両国がジュネーヴで行っている米ソ軍備管理交渉は,85年3月に開始され,防禦・宇宙兵器,中距離核兵器(INF),戦略核兵器(START)の三分野に関して87年6月現在まで8ラウンドの交渉が行われてきている。

85年11月,ジュネーヴで行われた米ソ首脳会談においてINF交渉に関する暫定合意の追求,STARTに関する50%削減の追求という原則的合意が生まれたものの,86年6月末に第5ラウンド(5月8日~6月26日)が終了するまでの間は,ほとんど実質的な進展は見られなかった。

しかしながら,9月19日,20日,ワシントンにおいて米ソ外相会談が行われ,また同18日より第6ラウンドが開始されるに及んで,にわかに米ソ間の折衝が活発化した。即ち,この第6ラウンドの最中にソ連は,首脳会談の準備会合を首脳レベルで行うとの提案を行い,米国もこの提案を受け入れた。この結果,10月11日及び12日にレイキャヴィクで米ソ首脳会合が開催され,ここにおいてINF及びSTARTの分野に関し,相当突っ込んだ話し合いが持たれた。その過程で,INFについては,長射程INF(米国のパーシングII陸上発射巡航ミサイル(GLCM),ソ連のSS-20)を米ソとも100弾頭に削減し,欧州では全廃,ソ連はアジア部に,米国は米国内に各々100弾頭とすること,また,STARTについては,戦略核の運搬手段(ICBM,SLBM及び重爆撃機)数を双方1,600以下に削減し,さらに,その運搬手段が運搬する弾頭数を6,000以下とすることで米ソ両首脳間の潜在的合意が成立した。しかしながら,防禦・宇宙の分野でSDIをめぐる対立があり,ソ連が防禦・宇宙の問題とINFの問題は切り離して解決するとのそれまでの了解を翻してSDIと他の全ての分野がパッケージである旨主張したため,最終的合意には到達し得ず,結局,INF及びSTARTの合意はあくまで潜在的合意にとどまった。

レイキャヴィク会合の後も,米ソ両国は,同会合における潜在的合意を基礎にした新たな提案を,米国は10月28日,ソ連は11月7臼に,各々ジュネーヴでの第6ラウンド(9月18日より11月12日まで)の場において行い,さらに11月5日,6日には,ウィーンで米ソ外相会談も開催されたが,米ソ間の立場の相違は解消しなかった。しかるに第7ラウンド(1月15日より3月6日)後半の2月28日に至り,ソ連が再びINFを他の交渉分野と切り離し・レイキャヴィクにおける潜在的合意の実現を目指すことを明らかにし,他方,米国が3月4日初めて具体的なINF条約草案を提示するとのイニシアティブを示したことにより,INF分野における交渉進展ひいては米ソ首脳会談開催の可能性が現実的なものとなってき々こうした中で,第7ラウンドは,INF分野のみ3月26日まで延長され,米ソ間で詳細な協議がなされた。

このようにINF分野では,87年2月以降米ソ双方に積極的動きが認められ,具体的進展の可能性が高まってきていると考えられるが,他方,SS-20のアジア部残存100弾頭の最終的撤廃の問題,具体的検証手段についての合意など,今後解決すべき問題も依然残されている。なお,米ソ間の懸案の一つであった短射程INF問題に関し,4月13日から15日までのモスクワにおける米ソ外相会談において,ソ連は,短射程1NFの欧州全廃等に関する提案を明らかにした。

これに対し,米国は,短射程INF問題が西側とりわけ西欧の安全保障に密接にかかわる問題であることから,NATO同盟国との協議を重ねた結果6月11,12両日のNATO外相理事会において米ソの短射程INFのグローバル全廃とのNATOとしての方針を決定した。これを受けて6月15日,レーガン大統領は,米ソの短射程INFのグローバル全廃をソ連に提案する旨発表した。

INF交渉は我が国の安全保障にとっても重要な意味を持つ問題であるが,本件につき我が国は,従来より一貫して米ソのINFがグローバルに全廃されることが最善の解決策であるとの基本的立場を堅持し,87年5月の総理訪米,同年6月のヴェネチア・サミット,さらには累次の二国間協議の場においてこれを訴え,欧米諸国の賛同と理解を得てきている。ソ連は,いまだにSS-20のグローバル全廃を受け入れていないところ,我が国としては今後ともSS-20の全廃をソ連に求めて働きかけていくことが肝要である。

 

 

 

 

 

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