第6章 国連における活動とその他の国際協力

第1節 政治問題

1. 第41回国連総会

第41回国連総会は86年9月16日,バングラデシュのチョードリ外務大臣を総会議長として開会された。9月23日には倉成外務大臣が一般討論演説を行い,国連は現在,深刻な財政危機機能強化の必要性に直面し,大きな分岐点に差しかかっているとし,国連加盟30周年を迎えた日本のより積極的な国連協力の姿勢をメイン・テーマに,国連の機能強化の必要性を強く訴えた。具体的には,国連賢人会議報告書の採択と,そこに盛り込まれた諸勧告の早期実施を通じた行財政改革の推進,安全保障理事会の活性化,事務総長の権限強化等による平和維持機能強化を主張したほか,長崎出身の政治家として核廃絶達成をはじめ軍縮の推進を強く訴え,各国から高く評価された。

このように国連に対し各国とも危機感をもって始まった総会であったが,我が国も,自らイニシアチブをとって行ってきた行財政改革を実施に移すため国連賢人会議報告書の総会での採択に粘り強く努力した結果,同報告書が12月,総会終了直前にコンセンサスで採択されたことは,国連史上画期的な出来事と言ってよく,今次総会の最大の成果であった。

また,1986年は我が国が国連に加盟してから30年目にあたり,11月に外務省主催で国連加盟30周年記念式典を挙行し,今後一層積極的な対国連協力を確認した。

さらに,我が国は国連を通じ世界の平和と安全の維持により積極的貢献をするため,安全保障理事会非常任理事国選挙に立候補し,6回目の当選を果したことは,各国の我が国に対する期待に応え,我が国の国連協力を政治面でも強化する上で大きな成果であった。

国連における各種選挙においても,安保理をはじめ国際法委員会(ILC),国連予算を審議する計画調整委員会(CPC)等国連の重要機関の選挙にすべて当選を果たし,国連に対する一層積極的な貢献への土台を形成した。

2. 国連における主要政治問題

(1) 中東問題等

(イ) 米・リビア紛争

86年3月,シドラ湾内の公海で演習中の米軍機に対しリビア軍がミサイルを発射,米軍もリビアの艦艇及びシルテのミサイル基地を攻撃し,両国間の緊張が高まった。このため安保理が開催され,3月下旬から4月にかけて数回にわたり審議が行われたが,その間,4月2日TWA機爆破テロ及び同5日西ベルリンのディスコ爆破テロが発生,米国は西ベルリンのテロをリビア政府によるものと断定し,4月15日,トリポリ及びベンガジの軍事施設を爆撃した。

安保理は同問題を審議するために直ちに会合,ア首連等より,米国の軍事攻撃を非難する決議案が提出されたが,米国,英国,フランスの拒否権

により否決された。

その後同問題はリピァの要請に基づき第41回国連総会で審議され,4月のリビアに対する軍事攻撃を非難する決議が,11月賛成79,反対28,棄権33で採択された。我が国は,同決議が国際テロには一切言及せず内容的に明らかにバランスを欠いているとの考えから反対した。

(ロ) 中東情勢

86年,安保理は,西岸情勢,レバノン情勢等についても審議を行い,12月,西岸のビルゼイト大学の学生がイスラエル占領当局に殺害される事件に関し決議を採択した。また,同年9月から87年にかけて,レバノンにおいてパレスチナ難民キャンプをめぐりイスラム教シーア派民兵組織アマルとパレスチナ解放機構(PLO)の戦闘が激化したため,安保理は数度にわたり,暴力行為の自制,緊急援助を訴える議長声明を発出した。我が国は,87年2月,国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を通じて30万ドルの緊急援助を行った。

総会は,中束情勢,パレスチナ問題等に関し,85年と同様の決議を採択した。このうち,中東和平国際会議開催に関する決議は,準備段階で安保理常任理事国の参加する準備委員会を設置するとの点が新しく,85年と比較して名指し非難が削除される等全体的に穏やかなものとなったため,我が国は賛成した。

(2) イラン・イラク戦争

86年2月,イランの南部戦線における攻勢を契機として,安保理はイラク等の要請に基づき審議を行い,決議582を採択して,戦争のもととなった最初の行為及び文民地域爆撃,船舶・民間航空機攻撃,化学兵器の使用を遺憾とするとともに,すべての敵対行為及び全軍隊の撤退を求め,包括的捕虜交換を慫慂した。

その後も,秋にイラン軍の大規模地上攻勢が行われるのではないかとの観測が高まったため,安保理は10月再度会合を開催し,イラン,イラク両国に対し,安保理決議582を実施するよう要請する決議588を採択した。イランはこれまでと同様,これら一連の安保理審議には参加しなかった。

また,86年末から87年にかけての南部戦線の激化に際して,安保理は数度にわたり両当事国に自制を求める議長声明を発表したほか,事務総長も和平のために関係当事国と非公式協議を行い・同様の声明を発表した。

総会におけるこの問題の審議は前年に引き続き延期された。

(3) アフガニスタン問題

アフガニスタン問題の政治的解決を目指す,コルドベス国連事務次長の仲介によるパキスタン外相とアフガニスタン外相との間のジュネーヴ間接交渉は,85年12月以後,86年5月,7~8月及び87年2~3月の3回行われた。これまでの交渉の結果,内政不干渉,難民の帰還,国際保証の3点についてはほぼ合意ができていたため,これら3回の交渉では撤兵の期限,時期等が焦点となり,双方の立場は一年以下にまで縮まったが,合意には至らなかった。

総会では,アフガニスタンからの外国軍隊の早期,完全撤退等を求める決議が賛成122,(含我が国)反対20,棄権11で採択された(昨年総会は122,19,12)。

(4) 南部アフリカ問題

南ア政府の人種差別政策に対する国際社会の圧力が近年益々高まりつつある中で,第40回総会での決議に基づき,1986年6月,パリにおいて,南アのアパルトヘイト終えんに向けての具体的かっ効果的措置の検討を行うため,「対南ア制裁国際会議」が開催された(我が国はオブザーバーとして参加)。

さらに7月ウィーンにおいて国連主催の「ナミビア即時独立のための国際会議」が開催され,ナミビアの独立を早めるための国際協力を呼びかける「ウィーン宣言」と「行動計画」が採択された(我が国は上記パリ会議と同様オブザーバーとして参加)。

第41回総会においても加盟国に対し国連憲章第7章に基づく対南ア包括的強制制裁措置を勧奨する決議を含む8本の決議が採択された。我が国は,アパルトヘイト政策に強く反対するとの従来からの一貫した立場から,8本の決議の内3本の決議に賛成し,5本の決議に棄権した。

87年2月,「南ア問題」に関する安保理会合が開催され,アルゼンティン,コンゴ等5か国共同の対南ア強制制裁決議案が上程され,審議された。同決議案は,1986年の米国の対南ア制裁法とほぼ同じ内容で,具体的にはクルーガーランドの輸入禁止,南アの軍事物資の輸入禁止,南ア政府への融資禁止等19項目が含まれていたが,結局,英,米による拒否権の発動により否決された(我が国は棄権)。

さらに同年4月,「ナミビア問題」に関する安保理会合が開催され,アルゼンティン,コンゴ等5か国共同の国連憲章第7章に基づく対南ア包括的強制制裁決議案が上程され,表決の結果,米,英の拒否権により否決された(我が国は棄権)。

(5) カンボディア問題

カンボディア代表権問題については,10月の本会議において民主カンボディアを含む各国代表の委任状を受諾するとの委任状委員会報告が承認され,第41国総会における民主「カ」の代表権は85年同様無投票で維持された。

カンボディア情勢に開しては,10月の本会議で外国軍隊の撤退,カンボディア人の自決権行使,事務総長の仲介努力継続等の要請を趣旨とするASEAN,日本等60か国提案の決議案が賛成115,反対21,棄権13で採択された(昨総会では114,21,16)。

(6) 中米

安保理は10月,国際司法裁判所(ICJ)のニカラグァ問題判決に関する審議を行い,同国内外の軍事活動に関するICJ判決の即時完全遵守を求める決議案を表決に付したが,米国の拒否権行使により否決された。安保理で決議案が否決された直後,ニカラグァは総会議長に対する書簡を以って総会が対ニカラグァ軍事活動に関するICJ判決の即時執行問題を検討することを要請,11月3日,第41回総会本会議は,ニカラグァに対する軍事活動及び準軍事活動に関する1986年6月27日のICJ判決の即時完全遵守を求める決議案を賛成94,反対3,棄権47で採択した(我が国棄権)。また,同総会は11月18日,中米紛争のグローバル,包括的かつ話し合いによる解決のため国際法の諸原則の遵守の必要性を確認し,コンタドーラ・グループ(CG)及び国連事務総長の努力を承認する趣旨の決議案をコンセンサスで採択した。

(7) 非植民地化問題

(イ) ニュー・カレドニア問題

豪州,ニュー・ジーランド,フィジーを中心とする南太平洋フォーラム諸国は12月,仏新政権の対ニュー・カレドニア政策は南太平洋地域を不安定にするものとして,第41回国連総会にニュー・カレドニアを国連の非自治地域リストへ再登録するよう求める決議案を提出した。これに対し,仏はニュー・カレドニア住民は既に広範な自治を有しており,87年の夏には独立に関する住民投票が予定されており,住民の将来を自ら決定する機会が与えられていると強く反論した。結局,上記決議案は賛成89,反対24,棄権34で採択された。我が国は,アジア・太平洋地域に属し,また民族自決権の行使を支持しており,国連が関与することは,原則的に反対し得ないとの立場から,上記決議案に賛成票を投じた。

(ロ) ミクロネシア問題

86年5月,国連信託統治理事会は,ミクロネシア地域住民が自由にその自決権を行使したものと考え,施政権者たる米国に対し信託統治協定の早期終了を促す決議を採択した。同10月米国は事務総長に対し,パラオを除くミクロネシア地域の米との自由連合もしくは自治連邦の関係への移行を通報した。これに対して,ソ連等は「戦略地区」に指定されている同地域の信託統治協定の終了には安全保障理事会の承認を要するとして,米国の行為に対し反発を示したが,具体的行動は未だとっていない(87年4月現在)。

(8) 平和維持活動

86年を通じてシリア・イスラエル間の情勢は平穏で,重大な事件は発生しなかったため,国連兵力引離し監視軍(UNDOF)は効果的にその機能を果し,87年5月末まで任期が更新された。

国連レバノン暫定軍(UNIFIL)については,南レバノンにおいて地方民兵に攻撃される事件が頻発したため,同軍の安全を強化する措置がとられ,また,任期も87年7月まで延長された。

さらに,国連サイプラス平和維持軍(UNFICYP)の任期も87年6月まで延長されたが,財政が各国からの拠出金によっており,右が充分でないため,赤字が増大した。

(9) 国連憲章再検討問題

本件特別委は,(イ)国際の平和と安全の維持,(ロ)紛争の平和的解決,(ハ)国連の現行手続合理化の3議題につき検討を行っており,第41回総会ではそのマンデートを更新する決議をコンセンサスで採択した。87年2月にニューヨークで開催された同特別委第12会期では,第41回総会で倉成外務大臣がその早期採択を提唱した「紛争防止に関する作業文書」(我が国共同提案)の検討が大きな進展をみせた。

 

 

 

 

 

 

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