第6節 資源エネルギー問題

1. 国際石油情勢

(1) 石油価格の大幅な下落

85年12月OPECが「公正なシェア確保」決定を行い,その後大幅増産に転じたことから,86年1月より石油価格は急速に下落し,85年末に26ドル/バレルで取引された北海ブレントは4月には12ドル/バレルに落ち込んだ。4月中旬のOPEC臨時総会においては,サウディ等のシェア回復に重点を置き増産を主張する多数派と減産による価格回復を主張するイラン,リビア,アルジェリアの少数派が対立したまま何ら結論は出なかった。一方,非OPEC産油国とりわけ・米国の石油産業は価格下落の影響を被り・小規模油井の閉鎖等による生産減少,石油探鉱・開発の減退を招いた。

(2) OPECの政策の変化

OPECの生産量は7月には日量2,000万バレルを超え,このため石油価格は7月後半には8ドル/バレルまで下落した。この間OPHCは6月に定例総会を開いたものの結論は出せず中断,しかし,7月後半から8月前半にかけて行われたOPEC臨時総会ではイランの提案により,84年10月合意の日量1,600万バレルの生産上限遵守を9~10月の2か月間暫定的に行うことがイラクを除き合意された。その後10月のOPEC臨時総会では暫定減産期間が12月まで延長されるとともに速やかに固定価格制に復帰することが合意された。この背景には,OPECの石油政策が従来のシェア重視から価格回復へ転換したことがあげられている。なお,サウディは10月末ヤマニ石油相を更迭し後任にナーゼル企画相をすえ,石油政策の変更を印象づけた。石油価格は上記減産合意後14ドル/バレルへ上昇した。

(3) 86年12月OPEC定例総会とその後の石油情勢

12月20日OPECは定例総会において87年1月より18ドル/バレル固定価格制を実施し,87年前半の生産上限を暫定生産割当より約5%削減し,イラクを含め1,580万B/Dとすることで合意した(イラクは合意に参加せず)。この総会においてOPECとしては明確に従来の公正なシェア政策を放棄し価格回復策を打ち出したといえよう。右合意を受け石油価格は87年1月には18ドル/バレル台後半まで上昇した。その後2月中旬には,消費国側の在庫取崩しによる買い控え等の影響から石油価格は16ドル/バレル台まで下落した。しかしOPEC諸国は生産割当てを遵守したため価格はまもなく回復し,4月初句には18ドル/バレル台に戻し,堅調に推移している。

2. 国際エネルギー機関(IEA)の活動

(1) 86年の世界石油市場は供給過剰が継続し,石油価格は,同年前半に大幅に下落し,同年末に向かって徐々に上昇するとの動きをみせた。

IEAは,それら世界エネルギー情勢を受けて,市場分析・低石油価格のIEA加盟諸国及び国際エネルギー政策への影響分析等を行った。

(2) 86年IEAの主たる活動を概観すれば次のとおり。

(イ) 石油等国際エネルギー市場モニターと分析

(ロ) 低石油価格のOECD諸国エネルギー需給への短期・長期影響分析

(ハ) 緊急時対応体制強化(加盟国の適正備蓄レベル達成及び石油消費減少)

(ニ) 加盟国のエネルギー政策レヴュー

(ホ) 省エネルギー研究,再生可能エネルギー源レヴュー,長期ガス需給見通し,低石油価格及びチェルノブイリ後の電力見通し等についての検討

(ヘ) 87年発表予定のエネルギー研究・開発10年レヴュー準備及び,85年閣僚理決定に基づく情報システム,石炭の清浄利用ワークショップ等の履行

(ト) 非1EA諸国エネルギー開発分析及び技術的情報交換

(3) IEAは,86年に石油価格の低迷等の新しい動きが生じたこともあり,世界のエネルギー情勢を検討するため,85年7月以来約2年ぶりに閣僚理事会開催を予定している。

3. 太平洋エネルギー協力

(1) 太平洋地域のエネルギー関係者に自由な意見交換を行う場を提供する趣旨で,87年3月5日から2日間「第2回太平洋エネルギー協力会議(SPECII)」が昨年の第1回会合に引き続き開催された。同会議には議長として生田日本エネルギー経済研究所理事長・スピーカーとしてスブロト・インドネシア鉱山エネルギー大臣,黄毅誠中国国家計画委員会副主任ほか内外のエネルギー専門家が一堂に会し率直な討論が行われた。この際,太平洋エネルギー協力の具体的方向性として「エネルギー開発計画推進」,「ソフト面の協力重視」,「備蓄推進」,「エネルギーフローの最適化」,「電化推進」の5点が指摘された。

(2) 一方,太平洋経済協力会議(PECC)の枠組の下で,86年7月第1回鉱産物・エネルギー・フォーラム(MEF)が開催(ジャカルタ)され,エネルギー・データ,電力化等に関し,討議を行った。

4. エネルギー協議

(1) 現在,エネルギー需給は,基本的に緩和基調にあるが,国際エネルギー機関等によれば,将来的に需給のひつ迫化が予想されており,需給緩和期にこそ,関係諸国間と密接な意思疎通を図ることが重要と考えられる。

(2) このような観点から86年度においても,国際エネルギー機関等を通じた多国間の協議に加え,種々の二国間エネルギー協議が行われた。日米間では,エネルギー作業部会が2度開催され,協議を継続した。また,日・豪高級事務レベルエネルギー協議は,86年10月に第3回(東京)が,87年3月に第4回(キャンベラ)が行われた。

(3) 一方,湾岸諸国については,87年1月に,東京において,湾岸協力理事会(GCC)との間で,意見交換の機会がもたれた。

5. エネルギー以外の資源問題

(1) 一次産品問題

(イ) 70年代の一次産品問題は供給のひつ迫と価格の上昇が中心であったが,80年代は一転して価格の長期低迷が深刻な問題となっている。価格低迷の原因は産品ごとに異なり,循環的要因と構造的要因,需要面と供給面の原因が複雑に絡み合っているが,概して,食糧及び飲料については天候等自然条件に基づく上下の変動を混じえつつ,過剰生産や在庫蓄積による下げ圧力を受けてきており,他方農業原材料や鉱物資源については先進国の経済成長の鈍化や技術革新に基づく需要の減少等が価格低迷の要因となっている。いずれにせよ,一次産品価格の低迷は,開発途上国の国内経済に大きな損失を与え,外貨収入の減少をもたらすのみならず,現在多くの開発途上国が悩んでいる対外債務の累積に拍車をかけ,あるいはその改善を一層困難なものにしている。

(ロ) 86年は一次産品市況が全体として一層低迷の度を加えた年であった。すなわち,世界銀行の調査によれば,非燃料一次産品の実質価格は,80年を100とした場合86年は73へと低下,これを産品グループ別にみると,飲料についてはコーヒーの一時的急騰のため前年の86から102へと上昇し,農業原材料も79とほぼ前年並であったが,食糧及び鉱物は,いずれも66と前年の水準よりさらに低下した。

(ハ) 我が国は,このような一次産品の状況を踏まえ,開発途上国における生産・輸出構造の多様化,一次産品依存体質からの脱却に資するため,二国間で各種の経済協力を行っているほか,国連貿易開発会議(UNCTAD),経済協力開発機構(OECD)その他の国際的フォーラムにおける協議に積極的に参加している。さらに,品目ごとの一次産品対策を目的とする国際商品協定が有効に機能するよう・それぞれの商品機関において重要な役割を果たしてきている。

(2) 国際商品協定の動向

(イ) 86年は,経済条項をもつ伝統的協定が依然困難な道を歩み,他方国際熱帯木材協定が実質的に活動を開始するなど,国際商品協定にとって波欄に満ちた年であった。

(ロ) すなわち,前年に慢性的過剰生産のため財政破綻をきたした国際すず協定は,緩衝在庫操作を停止したまま,事態打開の努力が続けられたが不調に終わり,その後債権者による訴訟が提起されている。国際コーヒー協定は,価格の一時的急騰のためいったん停止した輸出割当の再導入が課題となったが,加盟国の合意ができなかった。新しい国際ココア協定は,過去4回の交渉によっても妥結に至らなかったが,ようやく86年7月に凍結制度の導入等経済条項の改善を図った上で成立,87年1月に暫定発効した。国際天然ゴム協定についても新協定の交渉が行われたが,経済条項の改善をめぐり産消間の対立が続き難航したが,結局87年3月現行協定の実効性を高めた新協定が成立した。

(ハ) 他方,研究開発,情報交換等を目的とした商品協定については,国際熱帯木材協定は最も新しく成立した商品協定であるが,86年7月に同機関の本部が横浜に設置されることが決定され,新事務局長も11月に着任した。

その後,87年3月23日より27日まで横浜における最初の国際熱帯木材理事会が開かれ,我が国よりは倉成外務大臣が出席,開会挨拶を行った中で,同機関の事業に対し87年度に約200万ドルの任意拠出を行う用意がある旨表明した。また,理事会では,13の準備事業の実施,熱帯木材に関する経済情報の収集作業の開始,一層の機構整備等が決定された。この横浜理事会によって,研究開発を主目的とする新しいタイプの商品協定たる国際熱帯木材協定が,その活動を実質的にスタートしたといえる。

国際熱帯木材協定と同じタイプの国際ジュート協定では,従来の消費振興に加え,研究開発プロジェクト開始の目途がつけられた。情報交換のみを目的とする協定のうち,小麦については新しい国際小麦貿易規約が86年7月に発効(我が国は同年11月国会承認),国際砂糖協定は86年末に有効期間が満了となるため,有効期間を1年間延長した。

 

 

 

 

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