第4節 国際通貨・金融問題

1. 国際通貨情勢

(1) 1980年央以降85年春に至るまで,ドルは他国通貨に対しほぼ一貫して上昇し,極めて高い水準にて推移したが,85年9月の5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)以降は一転してドル高是正が急速に進展した。

(2) 86年を通して・さらに87年に入ってもドルは引き続き下落・円の対米ドル相場は87年3月下旬には一時144円台を記録するなど,G5直前(1ドル242円)と比較すると,円は一年半の間に約67%の急激な上昇を記録した。

(3) こうしたかってないほどの急激な円高は,輸出企業を中心に我が国経済に深刻な打撃を与えており,我が国は86年10月及び87年1月の日米蔵相間共同発表,2月の主要国蔵相・中央銀行総裁会議など様々の機会を通じて,各国と協調して相場安定のための努力を行っている。

(4) 主要欧州通貨も欧州地域経済の堅調を反映,ドルに対して上昇したが,欧州各国の経済パフォーマンスの格差は各通貨の対米ドル上昇率の差となって表われ,欧州通貨制度(EMS)は87年1月,独マルクの切上げ,仏フランの据え置き等の多角調整を行った。

2. 国際通貨基金(IMF)をめぐる動き

(1) 国際通貨制度の改善

85年6月に開催された10か国蔵相会議においては,蔵相代理会議から提出された報告書に基づき議論が行われ,現状では,全般的な固定相場制への復帰,また,「ターゲット・ゾーン(目標相場圏)」の導入は非現実的であるとの意見が過半数を占め,為替相場の安定のためにはサーベイランス(各国経済についての相互監視)強化により,各国の経済パフォーマンスの調和,経済政策の協調を図ることが必要であることにつき意見の一致をみた。報告書は,85年10月,86年4月の2度にわたりIMF暫定委員会において,開発途上国の意見を代表する24か国蔵相会議の報告書とともに検討が行われ,さらに86年5月の東京サミットにおいては,サーベイランスの強化を主眼とする国際政策協調と7か国蔵相会議の創設が合意された。その後,86年9月に開催された7か国蔵相会議は,東京経済宣言の完全な実施と密接かつ継続的な経済政策協調の推進につき合意した。86年9月のIMF暫定委員会では,経済指標のサーベイランスにおける活用について検討され,指標の主要な焦点が,経常収支の持続可能性に影響を及ぼす進展ならびにこれらの基礎となる政策に当てられるべきである点につき合意がみられた。87年2月に開催された主要国蔵相・中央銀行総裁会議は,主要指標として,成長率,インフレ率,経常/貿易収支,財政収支,金融情勢及び為替レートに言及している。さらに,87年4月のIMF暫定委は,主要国間の経済政策協調の進展を評価し,政策協調のプロセス及び多角的サーベイランスを経済指標の拡大により強化する方法につき検討を行うとともに,IMF理事会に対し,経済指標の使用強化を研究するよう要請した。

(2) SDR問題

87年4月のIMF暫定委は,SDR配分問題を討議したが,多数の国が配分に好意的であったものの,配分につき必要な合意は得られなかった。暫定委は,理事会にSDR配分の問題の検討を継続するよう求めた。

(3) IMF資金へのアクセス

86年9月のIMF暫定委員会は,原油価格の低下等による産油途上国の経済情勢の悪化を反映し,増枠融資制度を87年においても存続させるとともに,次の現行融資限度枠を維持することで合意した。

(イ) 通常ケース1年90%,3年270%,累積400%

(ロ) 特別ケース(国際収支の特に悪化した国を対象)1年110%,3年330%,累積440%

(4) IMF資金の利用状況

IMFからの引出しは,一部加盟国において対外収支及び準備ポジションが改善したことを反映して,84/85会計年度の61億SDRから85/86年度には31億SDRに改善した。この間,IMFの融資残高は,80年代初頭に大幅に増大したIMF融資の返済期限が到来しつつあることを反映し,84/85会計年度末の349億SDRから85/86年度末346億SDRに減少した。

(5) 構造調整ファシリティー

85年10月のIMF暫定委は,1991年までに約27億SDRが見込まれるトラスト・ファンドの返済金をIDA適格の低所得国支援のために利用する旨合意し,これを受けたIMF理事会は86年3月に構造調整ファシリティーを創設したところ,86年末までに9件(総額192百万SDR)の融資が合意された。

(6) 我が国の資金協力

86年9月のIMF暫定委及びIMF・世銀総会において宮沢大蔵大臣は,途上国における国際収支困難の深刻化に対しIMFによる弾力的な対応を可能にするため,一時的措置として,30億SDRを我が国からIMFに対して貸し出す用意がある旨表明した。その後,貸付条件につき,我が国とIMFとの間で交渉が進められ,86年12月末,貸付取極が締結された。

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