第2節 我が国の主要な外交活動

我が国は,1986年から本年前半にかけて,東京及びヴェネチアの両サミットにおける主要な役割,ガットのウルグァイ・ラウンド発足に対する貢献,国連安全保障理事会非常任理事国選挙の当選等のほか,中曽根総理大臣の東欧等訪問,倉成外務大臣の大洋州諸国,モロッコ,イラン訪問等,積極的な外交を展開するとともに,幅広くかつ地道な外交活動を着実に行い,その結果,国際社会における我が国の重要性が一層増大し,また各国の我が国に対する期待と関心も一段と高まった。

我が国としては,今後とも責任と役割を負担しつつ,世界に貢献する日本を実現していくことが肝要である。

1986年から本年前半における我が国の主要な外交活動は次の通りである。

1 日本外交の基軸である日米関係は,貿易・経済摩擦をめぐり深刻なものがあるものの,86年4月の中曽根総理大臣・安倍外務大臣の訪米,本年3月のシュルツ国務長官の訪日及び本年4~5月の中曽根総理大臣・倉成外務大臣の訪米等を通じ,両国間の協力は一層促進された。安全保障面でも,86年9月,政府は米国の進めている戦略防衛構想(SDI)の研究への参加に関する決定を行ったほか,日米安保体制の効果的運用を確保する地道な努力が続けられ,本年6月には,在日米軍従業員の労務費追加負担を可能とする在日米軍労務費特別協定を締結した。

カナダとの関係では,86年5月マルルーニー首相が,東京サミットに引続き,我が国を訪問した。

西欧諸国との関係は,86年4月の安倍外務大臣の訪仏,4月及び9月の日・EC議長国外相協議(於パリ及びニューヨーク),12月の日・EC委閣僚会議(於ブラッセル),同月の倉成外務大臣のベルギー,イタリア,ヴァチカン,フランス訪問,及び本年前半の中曽根総理大臣のフィンランド(1月),スペイン(6月)訪問,他方,86年5月のクラクシ伊首相(東京サミット直前),チャールズ英皇太子御夫妻,10月のコイヴィスト・フィンランド大統領の来日等により促進された。

先進民主主義工業国間の政策協調の場としての役割が増大しているサミットに関しては,我が国は86年5月の東京サミットで議長国として積極的に貢献し,本年6月のヴェネチア・サミットにおいても,経済・政治の両分野で積極的な役割を果たした。

2 我が国とアジア・太平洋諸国との関係も過去一年間維持・強化された。

韓国との関係では,86年9月,中曽根総理大臣がアジア競技大会開会式出席のため訪韓して首脳会談を行い,また,同月には第1回日韓外相定期協議(於東京),12月の第14回日韓定期閣僚会議(於東京)が開催され,さらには本年5月,倉成外務大臣が第2回日韓外相定期協議に出席するために訪韓し,韓国側と「朝鮮半島の平和と安定のための三原則」につき合意をみた。

中国との間においては,86年11月,中曽根総理大臣が,日中青年交流センター定礎式出席のため中国を訪問し,中国首脳と会談し,日中友好協力関係を一層強化していくことを再確認したほか,同年4月第2回日中外相定期協議(於東京)が開催された。

ASEAN諸国との関係では,86年6月,安倍外務大臣がASEAN拡大外相会議(於マニラ)に出席して,我が国のアジアに対する基本政策を明らかにするとともに,フィリピンを訪問したほか,同年10月に,リー・シンガポール首相,11月には,アキノ・フィリピン大統領が各々来日した。

大洋州諸国については,86年5月,ホーク豪首相が来日したあと,本年1月,倉成外務大臣が豪州,ニュー・ジーランドを訪問し,豪州では第9回目豪閣僚委員会に出席し,さらに,フィジー,ヴァヌアツ,パプア・ニューギニアを訪問,特にフィジーにおいては,「『太平洋未来社会』を目指して」と題する演説を行い,我が国の太平洋島嶼国に対する積極的姿勢を打ち出した。

3 ソ連との関係では,86年5月,安倍外務大臣がソ連を訪問し,同年1月に引き続きシェヴァルナッゼ外相との間で日ソ外相間定期協議を行い,同協議は定着化した。その際領土問題を含む平和条約交渉も継続され,さらに継続して行うことが合意された。また同大臣はゴルバチョフ書記長とも会談した。倉成外務大臣は,9月国連総会出席の際,シェヴァルナッゼ外相と会談を行った。

東欧諸国等との間では,本年1月,中曽根総理大臣が,我が国総理として初めて,東西欧州の接点に位置するフィンランド,ドイツ民主共和国,ユーゴースラヴィア及びポーランドを公式訪問し,特にユーゴースラヴィアのベオグラード大学においては「欧州の友人へ」と題する講演を行うなど,東西間の政治対話と相互理解の増進に寄与した。

4 我が国が中近東,中南米,アフリカ諸国との関係及び国連活動を強化することは,日本外交の幅を広げるのみならず,世界の平和と緊栄にとっても重要な要素となりつつある。

中近東諸国との関係では,倉成外務大臣が,86年9月ニューヨークでイラク,オマーン,ジョルダンの外相と個別に会談したほか,本年6月,ヴェネチア・サミットに引き続き,モロッコ及びイランを訪問した。

中南米諸国との関係では,86年7月,アルフォンシン・アルゼンティン大統領が来日し,また11月,デラマドリ・メキシコ大統領が来日した際我が国より同国の累積債務問題に対する協力姿勢を表明するなど,我が国との関係緊密化が図られた。

アフリカ諸国との関係においては,86年9月,倉成外務大臣が国連総会出席の際,同諸国外相招待午餐会(14か国の外相及び26か国の国連常駐代表,計40か国の代表が出席)を主催した。

同年5月には,マシェル・モザンビーク人民共和国大統領,9月には,クンチェ・ニジェール最高軍事評議会議長が各々来日した。また,南アフリカ問題との関連では11月,マングウェンデ・ジンバブエ外相を団長とする非同盟諸国外相一行,本年4月には,タンボ・アフリカ民族会議(ANC)議長が来日した。

他方,86年は,我が国の国連加盟30周年に当たり,国内で記念式典を挙行した他,倉成外務大臣は,9月ニューヨークで開催された第41回国連総会に出席し,一般討論演説を行ったほか,デ・クエヤル国連事務総長及び多くの各国外務大臣と意見交換を行い,さらにアジア・太平洋諸国外相招待晩餐会,主要国外相非公式会合の主宰など活発な外交活動を展開した。また,同10月には,安全保障理事会非常任理事国選挙が行われ,アジア・グループから統一候補として立候補していた我が国は,これに当選し,本年1月より2年間の任期を務めることとなった。

5 我が国の大幅な対外不均衡を背景として諸外国との経済摩擦が深刻化する中,我が国は,自らの責任を自覚し,国際的調和を図るため経済構造の転換を図るとともに,世界経済の健全な発展に貢献すべく努めた。

具体的には,市場アクセスの一層の改善に努めるとともに,本年4月の総理訪米,5月のOECD閣僚理事会,6月のヴェネチア・サミットに向けて,我が国としての具体的な政策措置を打ち出すべく,内需拡大,輸入拡大,途上国に対する積極的な資金の還流等を内容とする緊急経済対策を本年5月に決定した。

また,我が国は,86年5月の東京サミットに加え,本年6月のヴェネチア・サミットにおいても,各国間の政策協調を一層強化するとの基調を作る上で大きく貢献した。

国際貿易面では,86年9月,倉成外務大臣が,ウルグァイのプンタデルエステで開催されたガット閣僚会議に出席し,新ラウンド発足の上で大きな貢献を行った。

経済協力面では,我が国は,諸外国の期待に積極的に応えるため,第三次中期目標を掲げて政府開発援助(ODA)の拡充に努め,86年の我が国ODA実績は,85年に比し,大幅に増加した。また,前記の緊急経済対策においては,右中期目標(7か年倍増)の2年繰り上げ実施のほか,今後3年間で新たに200億ドル以上の完全アンタイドの官民資金を途上国に還流させること,及びアフリカ諸国等への3年間で5億ドル程度のノンプロジェクト無償援助を含む贈与の拡大等を決定した。

 

 

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