第2章 1986年の世界の主な動きと我が国の主要な外交活動

第1節 世界の主な動き

1986年は,米ソ関係において振幅が見られ,地域情勢については,アジア,中東等における継続中の諸紛争の解決に向けての基本的な変化はなかったが,いくつかの注目すべき動きが見られた。

1 国際政治の基本的枠組たる米ソ関係では次の様な動きがあった。

86年9月,シェヴァルナッゼ・ソ連外相が国連総会出席のため訪米し,その機会にレーガン大統領,シュルツ国務長官との会談を行った。右会談は,8月末の在ソ米特派員ダニーロフ記者逮捕事件という懸案の中で開催されたこともあり,その成り行きが注目されたが,85年11月の米ソ首脳会談で合意されていたゴルバチョフ書記長の86年中の訪米計画については具体的決定はなされなかったものの,ゴルバチョフ書記長訪米準備のためということで,10月11,12日両日,アイスランドの首都レイキャヴィクで米ソ首脳会合を開催することが決定された。

同会合では,軍備管理問題を中心に実質的交渉が集中的に行われた。その際,戦略核兵器の50%削減,欧州部ではINFを全廃とするが,グローバルレベルでは米ソ双方ともINF弾頭数を100とすること,10年間ABM条約より離脱しないこと等,「潜在的合意」(シュルツ米国務長官)に一旦到達したが,ゴルバチョフ書記長が,10年間SDIの実験を研究室以外で行うことを禁止すべき旨強く主張し,従来の姿勢を変えて,交渉内容全体をパッケージとすることに固執したため,結局具体的な合意には至らなかった。

その後,本年2月28日,ゴルバチョフ書記長は,再び上記パッケージからINFに関する交渉を切り離して合意する用意がある旨の声明を発出し,4月にはシュルツ米国務長官が訪ソした。これらを受けてINF等若干の軍備管理・軍縮面で米ソ間の歩み寄りが見られており,双方はジュネーヴでの米ソ軍備管理交渉の場で,交渉を継続している。米国は,西側

各国と緊密な協議を行っているが,INF協定締結までにはなお検証問題,短射程INFの問題,アジア部長射程INFの問題等も残っている。

また,軍縮面や外交面でのゴルバチョフ書記長の相つぐ提案について,西側諸国は強い関心を以って見守りつつも,軍縮分野のみならず人権,地域紛争等諸分野におけるソ連の実際の行動を見極めることが肝要であるとして慎重な警戒を維持すべきとの立場をとっている。

2 86年7月末,ゴルバチョフ書記長は,ウラジオストックにおいて,ソ連の対アジア・太平洋諸国外交について包括的な演説を行った。その中で,同書記長は「ソ連もアジア・太平洋地域の国である」とし,特に対中関係において,中国側が従来より関係正常化を考えるに当たって提起している「三つの障害」のうち二つ(アフガニスタンからのソ連軍の撤退及びモンゴル駐留ソ連軍の撤退)につき一応前向な姿勢を見せた。中国側は,この様なアプローチに対し,今後のカンボディア問題を中心としたソ連側の行動を見守るとの総じて慎重な対応振りを見せている。なお,同演説を受け,本年2月には中ソ国境交渉が9年振りに再開された。

米中間では,10月,ワインバーガー米国防長官が訪中した際に,米軍艦が初めて中国の港を訪問することが発表され,11月に実現した。

3 また,米,ソ,中,それぞれの国内においても国際的に注目される動きが見られた。

まず米国では,11月の中間選挙の結果,民主党が上下両院で多数を制することとなった。また,同月,米国の対イラン秘密接触が明るみに出,イラン側が米国の武器に支払った代金の一部がニカラグァの反政府勢力(コントラ)に流れていたことも判明し,「イラン・コントラ問題」としてレーガン政権は米国議会等で厳しい追求を受けるに至っている。

ソ連では,86年2月の共産党第27回大会で,ゴルバチョフ書記長が就任以来進めてきた内外政策が,党の基本路線として承認された。また,ゴルバチョフはソ連社会,経済の活性化を目指して「建て直し」路線を推進しつつあり,国民の積極的参加を促すべく,「公開性」,「民主化」を唱えて内政上の諸改革を行いつつあるが,種々の抵抗に遭遇している模様である。

中国では,86年春から諸般の改革を促すための自由な議論が各分野で盛んとなっていたが,12月に入り自由化を要求する学生デモが発生した。かかる動きに対応して本年1月より「ブルジョア自由化」反対キャンペーンがまきおこり,同月,胡ヨウ邦総書記が辞任した。その後は,イデオロギー重視と経済改革・対外開放政策堅持の両者のうち「一つ欠けても不可」との方向が打ち出されており,本年秋の党13全大会に向けて,両政策間のバランスが注目される。

4 各地域情勢を見ると,アジアにおいては,朝鮮半島での南北対話は,IOCの仲介による南北スポーツ会談等の若干の動きを除き中断しているが,88年のソウルオリンピックや韓国における政権交替を控え同半島情勢が注目される。フィリピンでは,86年2月の政変により誕生したアキノ政権が,新憲法の制定をめぐる本年2月の国民投票及び新議会発足のための本年5月の上下両院の選挙にそれぞれ国民の圧倒的な支持を得て勝利を収めたが,経済の再建や,NPA(新人民軍)等の反政府武装勢力対策等,依然として困難な問題に直面している。

カンボディア問題については,種々外交的な動きが見られるも問題解決の糸口は依然見い出されていない。

スリ・ランカの民族問題は,本年4月のコロンボにおける爆弾テロ以来ますます混迷化しており,本件をめぐりインドとスリ・ランカとの関係悪化も見られる。

アフガニスタン問題では,国連仲介によるパキスタンとアフガニスタン現政権との間接交渉が引き続き行われている他,ソ連軍のアフガニスタンからの一部撤退(86年10月)の動き等も見られたが,実質的な解決への進展は見られなかった。

中東では,イラン・イラク紛争が戦況の膠着とエスカレーションを繰り返しながら依然継続しており,中東和平問題については,国際会議開催構想に関し,関係国間で議論が行われているが,アラブ側が未だに中東和平の進め方をめぐり分裂しており,また,イスラエル側にも国際会議をめぐり政府部内で対立があり,それぞれ和平プロセス進展への障害となっている。

南アフリカ問題については,86年6月,南ア政府が非常事態宜言を発布したことに対し,改めて国際的非難が集中し,9~10月,西側諸国は新たな対南ア制裁措置をとった。

西欧については,86年1月にスペイン,ポルトガルが新たにECに加盟し,さらには欧州統合の基礎となるべき単一欧州議定書の批准手続きがとられており,各国の一致した強い政治意志の下に「強い欧州」の建設が進められている。また,ECとコメコンの関係樹立に向けての協議が開始された。東欧については,ゴルバチョフ・ソ連政権下で,経済面を中心とするソ連・東欧圏内統合強化の動きにより,各国とも自国経済活性化のために効率的な政策運営を求められている。また,ゴルバチョフ書記長の「建て直し」路線は,東欧諸国に直接,間接のインパクトを与えているが,これに対する東欧各国の対応は,それぞれの置かれた政治・経済状態のため異なったものとなっている。

中南米については,米国による対ニカラグア反政府勢力軍事援助が再開される一方,コンタドーラ・グループを中心とする中米和平に向けての努力は困難に遭遇している。また,対外累積債務問題に関しては,本年になりブラジルによる利子支払い停止等の動きが見られた。

5 国際テロ問題については,86年もテロ事件が,中東,欧州を中心に頻発し,レバノン等での人質問題も継続し,国家支援テロ,戦争形態の一種としてのテロが注目された。4月には,西ベルリンでディスコ爆破事件が発生し,同事件等一連のテロ活動にリビア関与の証拠があるとする米国は,自衛的措置であるとしてリビアを爆撃した。また,東京サミットでの「国際テロに関する声明」の発出等,国際社会全体の問題としてテロの防止に取り組む姿勢が打ち出されたことも特徴的であった。

6 86年の世界経済を振り返ると,成長の持続,低インフレ率,金利の低下,あるいは,ガット新ラウンド交渉の開始等の明るい動きがあったものの,依然多くの深刻な不安定要因を抱えている。

先進国経済については,石油価格の低下,低インフレ率,金利の低下等の好条件の下,全体として緩やかな成長が持続したが,開発途上国経済は,アジアNICsの景気が拡大した反面,原油・一次産品の価格下落の影響を受けた国も多く見られ,特に,途上国の累積債務問題は依然として深刻な状況にある。

他方,主要先進国間の対外不均衡は,各国の努力と,為替レート調整の進展により,改善の方向への兆候を示したが,ドルベースでは依然として大きな不均衡が継続したため,保護主義圧力が強まる等,厳しい状況にある。こうした中で,保護主義圧力を防ぎ,多角的自由貿易体制を維持・強化することを目的とするガット新ラウンド(ウルグァイ・ラウンド)が9月に発足し,本年初めより,交渉項目別交渉グループの作業が開始されている。

 

 

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