第3節 緊急事態・事件に際する邦人保護
1.近年の海外在留邦人数の増加に伴い,世界各地で続発する動乱,クーデター,紛争等に際しての在外公館の在留邦人保護の役割と責務はますます重要なものとなっている。84年における緊急事態・事件の主なものは次のとおりである。
(1)80年9月に始まったイラン・イラク紛争は84年も継続し,特に2月,6月には都市相互攻撃が激化したため,攻撃警告を受けた地区の邦人は,一時安全地帯に退避した。また,9月にバンダルホメイニのIJPC(イラン・ジャパン石油化学)の工事現場が砲撃を受けたため,10月659人の関係邦人全員が,我が国に引き揚げた。さらに,85年3月に都市相互攻撃が再燃し,おのおのの首都も被弾する事態に至ったので,3月16日在イラン大使館は婦女子及び不要不急の在留邦人に対する出国勧告を発出した。これを受けて21日までに約400人の在留邦人が出国した。イラクにおいても,バクダッド市内で爆発により邦人2名が負傷する事件が発生したが,在イラク大使館は,在留邦人と緊密な連絡を保ちつつ,事態の推移を見守った。 また,ペルシャ湾においては,3月以降,イラン・イラク両国による第三国の船舶に対する攻撃が頻発した。このため,海運関係者,関係省庁との間で緊密な連絡を維持しつつ,航行の安全対策に留意した結果,日本籍船が被害を受けることはなかったが,85年2月クウェイト籍のコンテナ船「アルマナク」号が被弾し,日本人乗組員1名が死亡する事件 が発生した。
(2)レバノンにおいても市街戦激化のため,84年2月9日現地大使館は避難勧告を発出し,16日に大使館を一時閉鎖した。その後大使館は8月に再開されたが,現在に至るまで避難勧告は発出されたままの状況にある。
2.ハイジャック等人質を盾とした非人道的な暴力行為事件は,84年中も世界各地で多発した。84年1月から85年3月までの間,邦人が人質として巻き込まれたハイジャック事件は下表のとおりである。これらの事件において外務省は,関係在外公館と緊密な連絡をとりながら,人質邦人の安全確保の努力を関係国に要請する等,邦人保護のため最大限の努力を払った。 その結果,いずれの事件も早期に解決し,人質は全員無事保護された。
日本人が巻き込まれたハイジャック事件(1984年1月~1985年3月)
No.
月日
航空便
日本人 乗客数
1
1984年3月7日
エール・フランス航空フランクフルト発パリ行乗客62名
1人
2
3月22日
英国航空ロンドン発香港経由北京行乗客338名
4人
3
7月5日
インド航空スリナガル発デリー行乗客264名
1人
4
7月31日
エール・フランス航空フランクフルト発パリ行乗客68名
1人
5
11月6日
サウディ・アラビア航空ロンドン発ジエッダ経由リヤド行乗客117名
4人
6
1985年2月26日
ルフトハンザ航空フランクフルト発ダマスカス行乗客53名
1人
7
3月17日
サウディ・アラビア航空ジエッダ発リヤド経由クウェイト行乗客76名
1人