(14)レーガン米大統領国連演説(要約)

(83年9月26日,ニューヨーク)

第38回国連総会一般演説の初日にこうして演説する光栄が与えられたことを感謝します。私は,昨年の軍縮特別総会と同じこの会議場に立ちましたが,本日米国の平和に対するコミットメントをあらたにするため,ここに来た次第です。私は,この組織を創立した理想に対しいかに我々が信念を持ち続けることができるかをお話しするために参りました。

国連は,第二次大戦後,戦争の惨苦から未来の世代を守り,政治的自決と世界の繁栄を促進し,国家間の友誼の絆を強化するために設立されました。国連の創立者達は,戦争の世界を文明の発達した世界に作りかえることを願ったのであります。彼らは無情な紛争の世界が新しい暴力からの自由が支配する時代に道を譲ることを願ったのであります。いかなる挑戦であろうとも,創立者達はこの組織がたとえ強制できずとも特定の価値を代表,たとえ止めることができずとも暴力を非難することを意図したのであります。この組織は道徳的権威の声で語るべきものであります。これこそが国連の最も偉大な力であります。

しかしながら,恐ろしい真実は,政治的利益のために暴力を行使する事例が過去10年間ますます減るどころか増えていることであります。過去数週間の事件は,生命と真実を残忍にも無視する新たな歓迎すべからざる証拠を示しております。これらの事件は,我々の世界がいかに分裂し,危険であるか,暴力の手にたよるのがいかに早いかを示す望ましくもない証言となっています。

国連の創立者達の理想はどうしてしまったのでしょうか。

国連を設立した精神はどうしてしまったのでしょうか。

答えは簡単です。各国政府が国民の理想の邪魔となってしまったのです。理想は東対西の問題に希望は政治的修辞に,進歩は権力と支配の探究になってしまったのであります。どこかで国民は戦争をしない,政府がするのだという真実が失われてしまったのであります。そして今やアジア,アフリカ,ラ米,中東,北太平洋において軍事兵器がそこに住む人々の安全を脅かし,近隣の平和を危険におとし入れ,巨大国間の対立の場をさらに作りだしております。昨年1年だけでも暴力的紛争がベイルート近隣丘陵地方,チャド及び西サハラの砂漠,エル・サルバドルの山岳地帯,スリナムの街道,アフガニスタンの市や農村地帯・カンプチアの国境地方そしてイラン・イラクの戦場でおこりました。

我々が生存本能だけに頼って我々を戦争から守るととは出来ません。戦争が生み出す失われた生命や希望にも拘らず,戦争は依然として諸国家が紛争を解決し,自国の目標を達成する通常の手段となっております。また,兵器技術の進歩は平和への進歩をはるかに超えております。現代は新しいより恐ろしい核兵器の要素が加わりました。

核戦争に勝者は無く,決して戦ってはなりません。戦争を防ぐことは可能であります。軍備管理以上に国連憲章の精神に合致するものはありません。私は,第2回国連軍縮特総の際に核兵器の削減に向けて誠意をもって交渉するとの米国の,そして私自身の約束を行いましたがこれを再確認したいと思います。我々は,軍備を削減し,大幅な,衡平な,そして検証可能な軍備管理取極を達成するための交渉を希望します。

また,これ以上の核兵器の拡散により世界の安全が損われてはならず,軍備管理交渉の課題の一つとして核不拡散を忘れてはなりません。

先回の国連訪問に際し,私は長射程INFミサイルの全廃を主張しました。私は依然としてゼロ・オプションが最善の,最も公平なかつ実際的な解決であると信じていますが,不幸にもソ連がこれを拒否しています。また同じく前回,私は,戦略兵器削減交渉(START)が,第一撃能力を有する故に,最も核戦争の危険のある大陸間弾道ミサイルに焦点をしぼって交渉すべきであること,及び米・ソ双方が弾頭数を1/3削減するよう希望しましたが,とれもソ連の拒否に会ったことに失望しております。

こういう状況にもかかわらず,米国は引き続き意味ある軍備管理についての合意を追求する考えであります。私は6月にSTARTに関する新しい提案を行いました。

そして前回の交渉ラウンドにおいて,ソ連の提起したいくつかの懸念に応えた条約草案を提示しましたが,引き続きこの提案に基づき交渉を進めて参ります。同じく中距離核戦力交渉については,ソ連の指導者がこれらの兵器の全廃をかたくなに拒否している時に,米国は新しい提案をしました。我々は,暫定解決案として,双方がゼロから572の間の同じ数で合意することを提案しました。我々は可能な限り低いレベルを奨めましたがソ連はまたもや衡平な解決を拒否し,そのかわり片方だけのゼロ・オプションともいうべき提案,即ち,我々にはゼロ,ソ連には何百という弾頭を認める提案を行いました。これが現在の状況でありますが,私はソ連が真剣な交渉に応じてくる希望を未だ捨ててはいません。

我々は,合理的で衡平なかつ検証可能な合意達成のために努力をおしまない決意であります。それ故,私はジュネーヴのニッツェ大使に対し,交渉を可能な限り速かに進展させるための一連の措置を提示するよう新たな訓令を与えました。これらのイニシアティヴは米国が去る3月に提案した暫定案の枠組を基礎として作られたものであり,またソ連がこれまで交渉の場において提起した懸念に応えるものであります。

具体的には,

第1に,米国はグローバル規制に関し,新しいイニシアティヴを提案します。ソ連がグローバル・ベースでの削減・規制に同意するならば,米国側としては,ソ連のグローバルなミサイルの配備全体を,米側の欧州における配備によって相殺することはしないでありましょう。我々は,勿論,いずれか他の場所にミサイルを配備する権利を留保するものであります。

第2に,米国は現交渉の内容に関し一層柔軟に対処する用意があります。米国は,ミサイルとともに航空機についても規制を望むソ連に応えるべく,相互に合意可能な方策を考慮するでありましょう。

第3に,米国は削減の結果としてもたらされるミサイルの配分について考慮するでありましょう。均等なレベルヘの削減の下において,我々は,地上発射巡航ミサイルとともにパーシングII弾道ミサイルの数を削減する用意があります。

私はNATO諸国政府及び日本政府の首脳との個人的な書簡のやりとり及びNATO特別協議グループの頻繁な会合を含め,同盟国との十分かつ緊密な協議の後にこれらの重要なイニシアティヴの提案を決定しました。私は,また,その他の関係友好国及び同盟国と緊密な接触を保ってきています。合意への門戸は開放されております。

今や,ソ連がそこを通り抜ける時であります。

米国はより低い水準で戦力を均衡させる均等かつ検証可能ないかなる合意をも受け入れるものであります。我々は柔軟であり妥協の用意がありますが,効果的な検証の必要性については妥協はできません。

ソ連との合意が約束どおり実行されると単純に考えることは出来ないことを示す多くの証拠があります。(ヘルシンキ合意,生物兵器禁止条約及びSALT合意の違反に言及)

我々は信頼できる相互削減を必要としており,ソ連がその義務を新たに理解して交渉のテーブルに着くことにより平和への確固たる公約を示すことをソ連に要請するものであります。ソ連は単に言葉でなく現実に軍備管理を望んでいる証拠を示す時期に来ています。

米国とソ連との間で意味のある軍備管理協定は,すでに我々がソ連に提案している多くの信頼醸成措置と同様,我々の世界をより安全なものとするでありましょう。軍備管理は狭い国益を超越した精神を必要とするものであり,この精神は国連が創設された基礎であります。国連加盟国は不正でなく正義,侵略でなく平和,服従でなく人間の尊厳の側に団結しなければなりません。他のいかなる団結も国連の目的をかなえるものでなく,国連が追求する調和を崩壊するものであります。国連憲章を傷つけるものは平和を害するものであります。

国連の創設者は,加盟国が問題の功罪を秤にかけた後,独自に行動し投票することを期待しました。ブロックの出現と国連の分極化はこの機構が当初尊んでいたものを損っています。

非同盟運動はブロックの発展に抗し,ブロック間の緊張緩和を促進するため創られたことを想起すべきであります。非同盟運動のメンバーは劇的に増大しています。しかしすべての新メンバーが真の非同盟という創設者の意図を分かち合っておりません。ソ連のおかかえ政府はその独立を失って以来長きに亘り非同盟運動に群がり,その真の目的に反する活動をしております。偽りの非同盟は偽りの軍備管理と同様に悪いものであります。

米国は世界の考え方を東西の帝国間で分かったことは誤りであると考えております。

米国は従属する諸国の先頭に立つものではなく,それを望むものではありません。

西側は,いわゆる自由な連合であり,その多くは民主的であり独立を価値あるものとしております。東側ほいわゆるモスクワからの指示を受ける帝国であります。

米国は,過去及び現在も全人類の自由と自決権の擁護者であります。我々はすべての国がその目標を追求する権利を支持しそのための決定と主権を尊重するものであります。過去30年の世界をみるとき,拡張主義を追求してきたのが米国であるのか,あるいはソ連であるのかが決定されるでありましょう。

今日,米国は,国際共同体による集団的努力を支持すると共に平和に貢献してきました。我々は世界の多角的平和維持の努力と共に,国連を通ずる平和維持の努力を毅然として支持してきました。国連は調停を促進し,平和を維持する誇りうべき歴史を有しております。今日,国連平和維持軍あるいは停戦監視軍は,サイプラス,カシミール,ゴラン高原及びレバノンに展開しております。

国際的外交を助長することに加え,米国は米国自身が有する平和に対する影響力に対し責任を認識しております。1905年の日露戦争の際のルーズベルト大統領の仲介が行われて以来,我々は紛争を鎮静化し仲介し平和を促進する上で長い名誉ある伝統を有しております。

レバノンにおいては,仏,伊,英と共に我々は停戦とあらゆる外国軍隊の撤退及びレバノンの主権領土保全のために働いてきました。

チャドでは,外部からの攻撃に直面している我々が承認した政府を支持することに他の諸国と共に加わりました。

中米では,南部アフリカ同様,武力との関係を非難し平和的交渉のための枠組みを組成してきました。

我々は,第二世界から大国の力を分離する政策を支持しております。

地域的機関は国連憲章により平和探究の重要な役割を与えられております。平和のための米国の努力もかかる精神の一端を示すものに他なりません。米州機構は安全の維持のための地域的取極のパイオニアであり,中米ではコンタドーラ・グループが同地域における紛争の平和的解決の基盤づくりに努力しております。東アジアにおいては,アジアの国々が政治的・経済的協力のための枠組づくりを行っており,永続的平和の見通しが一段と強められております。アフリカでは,その可能性を現実のものとするため,西アフリカ経済共同体等が形成されつつあります。

設立の当初より,我々が国連に期待したことは,国連が最善の状態にある国際社会を反映することでありました。国連が最善の状態にあれぼ,我々には恐怖と暴力を超越することが可能となり・平和と繁栄のための巨大な力となりうるのであります。

我々が力を合せれば国際的無法状態とたたかい,人間の尊厳を高めることができるのであります。

この国連総会に出席している各国政府がその国民同様真摯な気持で平和を望むならば,平和を見い出すことは可能であります。国連の道徳的権威を再び唱えることにより,それが可能となるのであります。過去数週間に目ざましい道徳的覚醒が世界的に見られました。

この地球に住む何10億という人々のうち数百人の死でなぜこんなにも世界中をゆり動かすのでしょうか。家族との再開のため旅する母親の死,あるいは新しい知識を求めて前進する学生の死,等がなぜ深刻に問題となるのでしょうか。なぜ悲劇にあって自国民を失わなかった国までこんなにも怒るのでしょうか。

その理由は,近代化社会及び平和への追求についての我々の仮説におかれています。だれでも世界中のどこへでも旅行できるという信頼感は,平和への人類の闘争の小さな勝利と思われるかもしれません。しかし,こういった小さな勝利の総計がなかったら平和とは何でありましょうか。

平和に向かって一歩一歩小さな勝利を積み重ねることが永続的な平和を求めるために重要であります。我々は進歩し,世界戦争も防ぎ,伝統的植民地時代の終了,新しい多くの主権国家の誕生も見てきましたし,先進工業国,発展途上国のすばらしい経済成長を目のあたりにしてきました。国連及びその関連機構は,無数の生命を救い,地球上の生活の質の向上に貢献してきました。我々は国連憲章の理想に従い今後も努力を傾けていくべきであります。

私は,本日,第38回総会の開会にあたり,米国は,国連の本来の理想を維持することを誓います。我々の目的は,国連を創設した先達と同じものであり,戦時状態の世界を,法が支配し,人権が尊重され,発展が開花し,紛争が暴力から自由に代わる世界とするものであります。

1956年,ドゥワイト・アイゼンハワー大統領は,兵器と戦争抑止力に関し,次の如く述べています。「総合戦争においては,破壊は相互的かつ完全なものとなることを双方が理解する時,武力の時代は終わり,人類はこの真実に適応するか,又は死かを理解し,話し合いを行うこととなる。我々は,すでに武器によっては,安全は確保されない状態となっており,その有効性は勝利を得るためではなく,一層抑止力に集中されるようになっている。」

我々はより安全な世界を探究するために不屈の努力を行っているものであり,外交を勝利に導くためには全力を尽さねばなりません。外交,この最も栄誉ある仕事は最も祝福すべき贈り物,すなわち平和という贈り物をもたらすことができます。もし成功するならば,世界は,興奮とかつては暴力と戦争によって描かれたものを乗り越えた平和の達成を見出すことでありましょう。

私は,今日,自国民に,特に彼らが消沈した時によく語りかけるメッセージを送りたいと思います。

私はそれを自国民に話し掛けるのと同様に希望と真心をもって語りたいと思います。皆様は偉大なる夢を夢みる権利を有しており,皆様の国民に対してより良い世界を探究する権利を有しています。そして,我々は皆,そのより良き世界のために働く責務を負っています。そして平和な人々は,我々は善に向かって何と大きな力となることが出来るものであるかと考えるでありましょう。国連がかつて夢をみた夢を,再び取り戻そうではありませんか。

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