第3節 緊急事態・事件に際する邦人保護
1. 近年の海外在留邦人数の増加に伴い世界各地で続発する動乱,クーデター,紛争等に際しての在外公館の在留邦人保護の役割と責務はますます重要なものとなっている。83年における緊急事態,事件の主なものは次のとおりである。
(1) 12月18日,アンゴラにおいて反政府組織UNITAによって,修道女中村寛子さんが他の外国人17名と共に人質に捕われたが,国際赤十字委員会を通じて早期釈放に努めた結果,人質は84年4月に釈放された。アンゴラには17名の在留邦人がいるが,反政府側の攻勢による国内混乱が継続したこともあり,東京及び現地において関係企業などと緊密な連絡を保ちつつ事態の進展を注視した。
(2) 80年9月に始まったイラン・イラク紛争は83年も継続し,戦闘は国境付近に限定されたものの事態の急変に備え,現地大使館は,在留邦人との間で緊密な連絡を保ちつつ事態の推移を見守った。84年2月2日,イラク側のイラン7都市報復攻撃警告に始まる双方の警告合戦により戦闘の拡大が懸念された。警告に基づき実際に砲撃された都市のうち,イランのバンダルホメイニ,イラクのバスラ及びアマラ地区には,それぞれ141名,92名,46名の在留邦人がいたが,現地大使館からの注意喚起により,事前に安全地帯に退避していたので邦人に被害はなかった。
(3)12月以来,レバノンのベイルート南郊において政府と反政府勢力との間で武力衝突が頻発していたが,84年2月6日,反政府勢力が西ベイルートを総攻撃し,現地大使館も被弾するなどベイルート市内は危険な状況になった。このため,9日現地大使館は,避難勧告を発出し邦人の退避を援助した。さらに,ベイルート市内は強盗,窃盗が横行するなど治安状況も悪化する一方となったので,17日には大使館を一時閉鎖し,20日までには,退避を希望した21名の邦人全員が海路無事にサイプラスに到着した。ベイルートにおいては,その後も緊張状態は継続したが,残留した邦人に被害はなかった。
2. ハイジャックなど非人道的暴力行為事件は,83年中も世界各地で多発した。そのうち,邦人が人質となった事件は,5月の中国民航機ハイジャック事件,8月のエール・フランス機ハイジャック事件の2件であった。中国民航機ハイジャック事件では邦人3人を含む乗客105人が,エール・フランス機ハイジャック事件では邦人一人を含む乗客74人が人質となったが,全員無事救出された。また,84年3月には,エール・フランス機ハイジャック事件,英国航空機ハイジャック事件の2件が発生した。
エール・フランス機ハイジャック事件では邦人一人を含む乗客62人が,英国航空機ハイジャック事件では邦人3人を含む乗客338人が人質となったが,事件は早期に解決し,人質は全員無事保護された。これらの事件において外務省は,関係在外公館と緊密な連絡をとりながら人質邦人の安全確保のための努力を関係国に要請するなど,邦人保護のため最大限の努力を払った。