第3節 緊急事態・事件に際する邦人保護
1.近年の海外在留邦人数の増加に伴い,世界各地で続発する動乱,クーデタ、紛争等に際しての在外公館の在留邦人保護の役割と責務はますます重要なものとなっている。82年における緊急事態・事件の主なものは次のとおりである。
(1)3月24日,バングラデシュにおいてエルシャド陸軍参謀長を中心とする軍部が無血クーデターにより政権を掌握し,全土に戒厳令を布告した。このため,ダッカを中心とする在留邦人356名の安否が気遣われたが,幸い武力衝突も発生せず,同日,全員の安全が確認された。
(2)6月6日,イスラエル軍はレバノンにあるPLO勢力を駆逐するためレバノン南部に侵入を開始した。
当時の同国在留邦人は41名(うちベイルート34名)で,8日現地大使館からの報告により全員の無事を確認した。しかし,イスラエル軍は,ベイルートを包囲し,PLO勢力が布陣する西ベイルートに対し激しい砲爆撃を行うとの事態となり,西ベイルートは極めて危険な状況となった。
このため,9日,現地大使館は,全邦人に対し西ベイルートからの退避を勧告,邦人の退避を援助した上で,12日同館も一時閉鎖した。この勧告に従い,一部報道関係者を除き邦人の大半は北部のジュニエ等安全地帯に退避した。また,その一部は海路サイプラスに脱出した。その後,8月4日,イスラエル軍は西ベイルート突入を開始したため,現地大使館から一部残留者に重ねて退避を勧告した。これにより6日までに西ベイルート残留の邦人は皆無となった。なお,9月1日にPLO勢力が撤退するまで緊張状態は続いたが,邦人に被害はなかった。
(3)80年9月に始まったイラン・イラク紛争は,その後イラク軍優勢のまま膠着状態にあったが,イラン軍は,81年9月ごろから反撃に移り,5月にはホラムシャハルを奪回し,7月13日,イラク南部国境地帯のバスラ地区への越境進撃を開始した。
当時バスラ地区には在留邦人513名がおり,その安全は予断を許さない情勢となったので,7月15日,現地大使館は同地区からの一時退避を勧告し,イラク政府に対しても関係邦人の保護に関し協力を要請した。更に同館は館員を現地に派遣し邦人の保護に遺漏なきを期した。この結果,邦人はバグダッド等安全地帯に無事退避した。
(4)不安定な情勢が続く中米地域では比較的安全と見られていたコスタ・リカで,11月9日松下電器現地法人の小菅社長をねらったゲリラ・グループによる誘拐未遂事件が発生した。この事件で同社長は被弾し,約3週間後に死亡した。
かかる邦人目当ての誘拐・テロ等の事件続発が懸念されるため,現地大使館から全在留邦人に対し注意を喚起し,安全対策を周知徹底するための措置を執った。
2.ハイジャックなど非人道的暴力行為事件は,82年中も世界各地で多発した。そのうち,邦人が人質となった事件は,6月のアリタリア航空機ハイジャック事件,7月の中国民航機ハイジャック事件の2件であった。アリタリア航空機ハイジャック事件では,ツアー客など63人の邦人が人質となったが,全員無事救出された。この事件においては,外務省は,関係在外公館と緊密な連絡をとりながら,人質邦人の安全救出のための努力を関係国に要請するなど,邦人保護のために最大限の努力を払った。また,中国民航機ハイジャック事件では,機内において犯人は取り押さえられたが,その際,爆発物らしい物が爆発し,機体の一部が損傷したものの,幸いにして邦人乗客は,全員無事であった。