第1章 我が外交の基本的課題
1.はじめに
戦後の我が国の目覚ましい国力の増進は,国際社会における我が国の地位を高め,今日国際政治・経済を論ずるに我が国の参加なくしてはこれをなし得ぬ場合がとみに増えてきていると言っても過言ではない。
経済的に見れば,我が国は戦後の荒廃から復興し,今日では世界の国民総生産の約1割を占めるに至り,経済大国日本としての地位は,既に揺るぎない。それにつれて近年に至り,我が国の果たすべき政治的役割について,各国の間で我が国に対する期待と認識の高まりが見られる。
他面,相互依存関係の深まった今日の国際社会において,安全保障問題を含め,政治・経済上の事象は全般にわたって世界的に密接な関連を有しているものであり,世界の平和と繁栄の中にのみ自らの平和と繁栄を確保し得る我が国としては,安全保障,経済,経済協力,文化交流等我が国外交上の諸課題を総合的かつ整合性をもって取り組むとともに,これまで経済面を中心に果たしてきた我が国の国際的責任を,更に国際政治面にも拡げて,その国力と国情にふさわしい貢献を果たしていくことは当然の成り行きでもある。
2.より積極的な政治的役割を担って
我が国に対する世界の期待にこたえて,我が国は,政治面を含むより積極的な国際的役割を果たしていかなければならないが,このためには,我が国が以下に述べる指針を踏まえて,諸外国から信頼される国となるよう,我が国の国力・国情にふさわしい自主積極外交を展開していかねばならない。
第1に,我が国の基本的立場とその拠って立つ所を明確にすることである。
我が国は,東西関係を軸とする現下の国際環境においては「西側の一員」であり,かつ地理的には,アジア・太平洋地域をその基盤とするものである。
このことは,世界のすべての国との友好関係を希求する我が国の基本的態度
は維持しつつも,我が国外交の姿勢が相手国あるいは地域に対しておのずから濃淡あることを示している。自らの立場が確立していない国は,結局いずれの国からも信頼されることなく,世界から孤立するような事態を招きかねないことを銘記すべきである。
第2に,以上の我が国の基本的立場を踏まえて,国際的に責任ある行動をとり,長期的にも一貫した政策を遂行していくことである。
その際,我が国に期待される役割のうち,なし得ることとなし得ないことを明確にし,自らが明言した施策は,これを誠実に実行していくことが肝要である。自らの政策と主張を明確にせず,また,これを確実に履行していくことなくして,我が国が国際場裏において積極的な貢献を行うことはあり得ない。
例えば,我が国がこれまで内外に明らかにしてきたとおり,その防衛力の整備を図るための一層の努力を行うことは,自由主義国の有力な一員という観点からしても,我が国の責務であるが,他面,その際飽くまでも平和憲法の下,専守防衛に徹し,他国に脅威を与えるような軍事大国にならず,さらには非核三原則を堅持するという基本政策を常に明らかにしていくことが肝要である。また,経済面においても,我が国が国際的に表明してきたとおり,市場開放を進めるとともに,積極的な経済運営を図り,さらには経済協力の拡充を図るなど,国際的に責任ある態度をとることが必要である。
このようにして,政治・経済を含む幅広い分野において,我が国が国際的信用を高めていくことは,我が国が国際的に積極的な役割を果たしていく前提と言えよう。
第3に,国際情勢について,常に公正客観的な判断とそれに基づく自らの識見を有することである。
かかる公正客観的な判断を常に有し,かつ,これを基に広く世界各国との対話を行っていくことは,政治面で我が国が国際社会に貢献できることの一つであると同時に我が国の地位を重からしめるゆえんでもある。
具体的には,83年8月の外務大臣のイラン,イラク訪問の大きな意義の一つは,それぞれの国を取り巻く国際情勢について,できる限り公正客観的な立場からの日本の独自の見識を示し,武力紛争がいずれかの誤算によりエスカレートすることの危険を減少せしめるよう努力したことにある。最近は,国際情勢の変動に際して,ASEAN,中国等の近隣アジア諸国のみならず,欧米を含む世界各国から我が国の判断や見通しを求められる事例が急増し,わずか数年前に比べても今昔の感があるとさえ言える。
これは,我が国の国力の増大と,戦後30年間の我が平和外交活動の蓄積によって得た信用によるものであることを示すと同時に,今後とも,我が外交の情報機能を強化し,国際情勢に関する的確な判断力を一層高めていくことの必要性を再確認させるものである。
第4に,国民的基盤に立脚した外交を展開することである。
海外へ渡航する日本人は,今日では400万人を超え,国民が肌で外国を知り,外交の一翼を担う時代が到来している。また,海外の事象と我が国の対応が直ちに相互の国民生活の隅々にまで多大な影響を及ぼし得る状況の下で,外交と内政の関連はますます強まっている。このような中にあって,国際的な要請と国内の諸事情との間の調整を図り,我が国の総合的な国益を最大ならしめるためには,国民の理解と支持を得つつ国民的基盤に立脚した外交を推進していくことが不可欠である。
かかる外交を展開していく上で,我が国と諸外国との国民レベルでの真の相互理解はその基本的な前提であり,このためにも文化交流や広報活動を幅広く進めていかねばならない。
3.我が国の基本的立場
(1)「西側の一員」としての外交
我が国は,他の先進民主主義諸国と,自由と民主主義という基本的価値観を共有し,自由貿易・市場経済体制の維持・発展に共通の利益を有している。これら西側民主主義諸国と国際政治・経済全般にわたって緊密な連帯と協調を図りつつ外交を展開することは,我が国外交の基本である。
我が国にとって,日米安全保障条約に基礎を置く米国との友好協力関係は,我が国外交の基軸であり,政治,経済,防衛をはじめ広範な分野にわたり,米国は我が国の最も重要なパートナーである。とりわけ,我が国の安全保障のために米国が果たす役割と努力にこたえて,我が国として,その安全保障政策の主要な柱の一つである日米安保体制の円滑で効果的な運用を図っていくことが肝要である。
日米両国は,防衛,経済といった分野における二国間の諸問題の解決に粘り強く取り組んでいく必要があるが,両国は,このような当面の懸案解決にとどまらず,長期的に,かつ,広く世界的な視野に立った協力を取り進めるとの観点に立って,友好協力関係を一層発展させていかねばならない。日米欧三極のうち,83年1月の外務大臣の訪欧をも契機として,日欧のパイプが従来にも増して太くなってきていることは,歓迎すべきことである。とりわけ,我が国の政治的役割についての認識が増大している欧州との間で,我が国は,今後とも政治協議・協力を強化していくことが重要である。
(2)アジア・太平洋地域を基盤とする外交
アジア・太平洋地域は,近年世界で最も活力とダイナミズムに富み,将来に向けての発展の可能性を秘めた地域であるが,この地域の安定と繁栄は,我が国の平和と繁栄にとって死活的に重要である。我が国が,近隣諸国をはじめとするアジア・太平洋諸国民の心の底流にあるものを謙虚に見極め,彼らの信頼を得ることによって友好関係を促進し,もってこの地域の平和と発展のために資することは,我が国の責務であるとともに,我が国の平和と安定を確保する道でもある。
我が国とアジア・太平洋諸国との友好関係が今日ほどの高まりを見せたことは,かつてない。韓国との関係は,中曽根総理大臣就任早々の訪韓で著しい雰囲気の改善を見たが,今後とも多元的で国民的基盤に立脚した日韓関係の構築を目指して努力していく必要がある。中国との間には,82年に国交正常化十周年を記念して首相の相互訪問があり,両国間には友好信頼関係が維持されている。近代化路線をとり,対外開放政策を推進している中国は,対日関係を極めて重視する姿勢をとっており,このことは,同年9月の党大会において胡総書記が,他の諸国との関係に先立ってまず第一に対日関係に言及したことにも示されている。我が国としては,これにこたえて,今後とも中国との間に,友好協力関係の増進を図っていかねばならない。日・ASEAN関係は,総理大臣,外務大臣の訪問により,一段と緊密の度を加えているが,我が国としては,引き続き,ASEAN各国の強靱性強化に向けての自助努力を支援するとともに,ASEANが活力ある地域協力機構として発展することを支持していくことがこの地域の平和と安定にとって肝要である。我が国としては,インドシナひいては東南アジアにおける政治的安定の実現のため,ヴィエトナムとの対話を維持しつつ,カンボディア問題の包括的政治解決を探究するとともに,そのためのASEANの努力を支持してい
くことが必要である。また我が国と南西アジア諸国との友好協力関係も緊密化への気運を高めつつある。
我が国は,アジアにおける最大の援助国として,この地域の安定と発展に貢献していかねばならないが,環太平洋諸国をはじめとする先進民主主義諸国などとともに,アジアの発展と繁栄のために協力していくことが必要である。
(3)幅広く多面的な外交
我が国がアジア・太平洋地域を基盤とし,かつ「西側の一員」であると同時に,好むと好まざるとにかかわらず,政治,安全保障,経済,文化のあらゆる面で,我が外交が世界的な観点から進めていくべき性格を急速に加えつつあることは,否定できない事実である。これは国際情勢の変化と我が国の国力の増大から来るものである。今や,世界の平和の問題は洋の東西を問わず密接に関連し,世界のいずれの地域における出来事も直ちに世界中に影響を及ぼし,日本も無関係でいられない事態に発展しかねない。そして逆に,日本の対応や動向は,世界のいずれの地域にとっても到底無視し得ないものとなっている。かかる国際環境の下で,二国間並びに国連をはじめとする多国間の場において,幅広く多面的な外交を展開していくことは,我が国を取り巻く国際環境の安定化に貢献するものと言える。
具体的には,紛争当事国たるイラン・イラク双方,及び,インドシナ諸国・ASEAN諸国双方と対話のパイプないし協力関係を有する我が国が,イラン・イラク紛争,カンボディア問題の早期・平和的解決の可能性を探っていくこと,レバノン撤退協定実施の状況を見守りつつ,多国籍軍への協力と国際的協調の見地からレバノン復興援助実施の可能性につき積極的に検討していくこと,南部アフリカ情勢に関連してナミビア独立支援グループ(UNTAG)が活動を開始すれば要員派遣を含めた民政部門における応分の協力を行うことなどがかかる努力の現れと言えよう。
また,我が国外交に一層の広がりを与え,奥行きを深めるために,社会体制や国情をそれぞれ異にする世界のあらゆる国との間に友好協力関係を増進していくことも重要である。我が国外務大臣が83年3月及び6月には非同盟中立を貫くビルマ及びユーゴースラヴィアを,8月にはルーマニア,ブルガリアの東欧諸国,さらには,イラン,イラク及び伝統的に親日的なトルコを公式訪問したのもこのような考え方に基づくものであり,我が国の基本姿勢の一端を示すものと言えよう。
4.当面する外交課題と我が国の対応
以上を踏まえ,我が国は,当面,特に次の外交課題に適切に対処していかねばならない。
(1)平和と軍縮のための努力
東西対立を主要な軸とする現下の国際情勢においては,安定した東西関係の構築は,世界の平和と安定にとって最も基本的な要素である。そのためには力の均衡に基づく抑止が世界の平和と安全を支えるとの冷厳な現実は踏まえつつ,同時に,軍縮を中心とする東西間の対話と交渉を促進していくことが不可欠である。ウィリアムズバーグ政治声明も,サミット参加国が民主主義の基盤となっている自由と正義を守るために十分な軍事力を維持し,同時に,真剣な軍備管理交渉を通じ,軍備のより低い水準を達成したい旨述べている。
米ソの中距離核戦力,なかんずくソ連の中距離核ミサイルSS-20を巡る両国間の交渉は,我が国の安全保障にとって極めて重要であり,従来我が国は自らの立場を米ソを含む関係諸国に明らかにしてきたところであるが,ウィリアムズバーグ・サミットの政治声明において,サミット参加国の安全は不可分であり,世界全体の観点から取り組まねばならないとの立場を明らかにして西側の結束を示したことは,高く評価される。我が国としては,これにこたえてソ連が軍縮の実現に向けて真剣に努力するよう期待するとともに,今後とも米国をはじめ友好国との間で協議と連絡を一層密にしていかねばならない。これと同時に,国連,軍縮委員会をはじめ各種フォーラムにおいて検証可能かつ実効的な軍縮措置が着実に積み上げられるよう働き掛けるとともに,唯一の被爆国として,核の惨禍が2度と繰り返されることのないよう,核軍縮を最優先課題として,米ソ間の軍備管理交渉の進展,核実験の全面禁止,核不拡散体制の維持・強化を目指して引き続き努力を払っていかねばならない。
軍縮・軍備管理に限らず,政治,経済,文化すべての面において,東西関係をより安定した軌道に乗せるためには,西側全体として基本的戦略の一致を図りつつ,長期的に実行可能な政策を探究すると同時に,ソ連に対し自制を求め,自制があればソ連としても西側から得るものがあることを明らかにしていくことが重要である。また,東側諸国との経済関係を進める上で,無原則な政経分離をとることなく,安全保障上の利益に合致する形でこれを進めていく必要がある。
我が国の重要な隣国ソ連との関係は,厳しい東西関係を反映し,さらに我が国固有の領土である北方領土を含めた極東におけるソ連の軍備強化などにより遺憾ながら厳しい局面にあるが,ソ連との間に真の相互理解に基づく安定的な関係を確立していくことは,我が国外交の主要課題の一つである。我が国は,西側の一員としての立場を踏まえつつ,各種協議を通じ,ソ連との対話を維持し,国民的課題である領土問題を解決し,平和条約を締結して安定した関係を築くため,今後とも粘り強く話し合う努力を怠ってはならない。
総じて東西関係は極めて息の長い問題であり,今後,長期にわたる慎重かつ一貫性のある政策が必要である。西側がかかる政策を維持するためには,上記の諸施策に加えて,西側の力の基盤である先進民主主義諸国の経済の健全な発展を確保するとともに,世界経済全体の活性化を通じて開発途上国との間の南北問題の解決のために努力することが必要である。
(2)世界経済発展への貢献
世界経済は,ウィリアムズバーグ・サミットにおいて確認されたとおり,幸い一部にインフレ沈静化と景気回復の兆しが見られるものの,米国の金利は依然として高く,また,各国は構造的な要因もあって高水準の失業を抱えている。世界貿易は80年以降低迷し,82年には前年比で6%減を記録するなど停滞する中にあって,これを背景に保護主義的動きにも依然根強いものがある。さらに,中南米諸国を中心とする累積債務問題にも見られるように開発途上国も多くの困難を抱えている。
このような状況で,世界経済のインフレなき持続的成長を確保していくためには,各国が内外バランスのとれた経済運営に努めていくことが重要である。同時に,自由貿易体制の維持強化が世界経済の持続的成長にとり不可欠であることから,保護主義を防圧し,ガット体制の強化のため今後とも努力する必要がある。また,通貨安定のために一層の緊密な協議を含めた幅広い協力を進めていくことが重要である。
我が国が世界の国民総生産の1割を占めるに至り,経済問題については我が国の世界経済への貢献についての強い期待がある一方で経済摩擦問題等に見られるような我が国に対する批判が存在し,両者が混在した形での対日要請に我が国として適切に対応していく必要がある。また,経済問題は,国内の利害に直接結び付く事例が多いだけに,各国の国内政治とも密接に関連しており,総合的に対処していかねばならない。
我が国としては,かかる状況において今後とも内需拡大を中心とする経済運営を図るとともに,貿易の拡大均衡を目指し,また,より「開かれた日本」を実現すべく,一層の市場開放努力を進めていくことが肝要である。
さらに,中長期的な世界経済の安定的成長のためには科学技術の進歩が大きな役割を果たすことは言うまでもない。このような中で,科学技術先進国の一つである我が国に対する各国の期待には大きなものがあり,我が国としてもこの分野における国際協力を一層重視し,強化・拡充していく必要があろう。
(3)開発途上国の安定と発展への協力
開発途上国が安定的な政治的・経済的・社会的基盤を得て発展していくことは世界の平和と安定にとっても極めて重要である。このことは,開発途上国地域における紛争と混乱を未然に抑止し,その解決に資するゆえんでもある。
平和国家に徹し,また,開発途上国と深い相互依存関係にある我が国が,これら開発途上国における安定と発展に協力することは,我が国がなし得る重要な貢献である。我が国としては,かかる立場から,経済協力,なかんずく,政府開発援助(ODA)が我が国の安全を総合的な見地から確保する上でも重要な一環であるとの認識の下で,財政上の困難はあるも,新中期目標の下で引き続きODAの拡充に努力していかねばならない。
世界経済の停滞下にあって,一般に開発途上国の窮状に目覚ましい改善は見られないが,かかる状況下においてこそ,相互依存と人道的考慮に基づく,これら諸国の経済的・社会的発展のための協力の意義が再確認されるべきであろう。また,タイ,パキスタン,トルコといった紛争周辺国をはじめ,エジプト,スーダン,ソマリア,ジャマイカ等,世界の平和と安定の維持のため重要な地域に対する援助や難民に対する援助を強化することによって,関係当該国の政治的・社会的安定に資することは,中長期的に見て,国内の混乱や外部からの干渉を排することにもつながり,地域の平和と安定にも貢献するゆえんである。
また,開発途上国地域の政治的安定に資するという意味でも,国連の平和維持機能の強化に積極的に貢献していくことは重要であり,財政面における協力に加えて我が国にとり可能な範囲内で平和維持活動への要員派遣,資機材の供与等による協力を引き続き検討していくべきであろう。
建設的な南北関係の構築は,世界経済の活性化のみならず世界の平和と安定にも欠くことができない。我が国は,「南の繁栄なくして北の繁栄なし」との認識の下に,ウィリアムズバーグ・サミットにおいて南北問題の重要性を指摘し,また,ベルグラードの第6回UNCTAD総会では,南北間の橋渡し役として積極的役割を演ずるなど,理解と協調に基づいた南北対話の推進に貢献してきたところである。債務累積,一次産品,貿易,通貨金融等南の諸国が抱える問題は多いが,国際協調の下でこれら懸案の解決に向けての努力を一つ一つ積み重ねていく必要がある。
また,我が国自身も,内需拡大を中心とする経済運営を図るとともに市場開放等の措置をとり,開発途上諸国が,貿易を通じて健全な経済発展を達成することを側面から支援していく必要がある。