第5節 資源・エネルギー・原子力

及び科学技術問題

1. 国際エネルギー情勢

(1) 80年の国際石油市場の動きにつき特徴的なことは,前半の需給緩和期とイラン・イラク紛争以降の不安定要因が増大した時期とに分けられることである。

9月のイラン・イラク紛争勃発に至るまでの期間における生産は,OPECの生産が対前年比で約1割程度減少していたものの,メキシコなど非OPEC諸国の生産増により世界全体では数パーセントの落込みにとどまった。消費面では,日・米・欧などの主要国の需要が低迷したため,これら諸国の輸入は対前年比1割程度の減少を見ていた。

(2) イラン・イラク紛争により両国からの石油の積出しがほぼ全面的に停止された結果,世界市場にとっては約400万バーレル/日(世界全体の貿易量の約1割)程度の供給減となったが,その影響は,消費国側の需要の低迷及び湾岸諸国を中心とする他の産油国の増産などにより相当程度相殺された。

(3) しかしイラン・イラク紛争の勃発以降石油市場不安定要因増大の兆しが見え始めたためIEA(国際エネルギー機関)は,過去の経験にかんがみ,早急に価格急騰を回避するための措置を講ずることが必要と考え,10月1日に理事会を開き,(イ)スポット市場での異常買いの自粛,(ロ)備蓄の取崩しなどにつき合意した。

その後紛争の長期化に伴いIEAは12月9日に閣僚理事会(議長はダンカン米エネルギー省長官,わが国からは伊東外務大臣,田中通産大臣出席)を開催し,別記の10月1日の合意を再確認するとともに,備蓄の弾力的運用,国又は企業ごとに生じ得る供給不均衡の是正策,好ましからざる取引の抑制,石油の消費節減など,特に81年第1四半期にとるべき措置を採択するなど,石油市場の安定化に向け種々の努力を重ねた。

(4) 80年末に至りトルコなど一部の国が供給不足問題に直面したが,イラン・イラク両国から一部輸出が再開されたこともあり,81年第1四半期の石油情勢は当初の予想以上に良好に推移した。

また,80年4月以降イラン側の船積み停止により日・英などに対する原油輸出が停止したままになっていたが,81年2月になってイラン人質事件が解決したことから日・英両国が輸入を再開した。このニュースは石油市場安定化に明るい材料を提供した。

(5) 原油価格については,80年6月9日~11日のOPECアルジェ総会で基準原油価格が32ドルを上限として設定され,これに5ドルを上限とする油種間価格差上乗せが認められた。(サウディ・アラビアのアラビアン・ライトはそれまでの価格28ドルに据え置かれた。)

その後需給緩和基調が続く中でイラン・イラク紛争勃発直前の9月17日ウィーンで開催されたOPEC臨時総会では,基準原油が再びアラビアン・ライトに特定され,価格は28ドルから30ドルへ引き上げられるとともに,他のOPEC諸国の原油価格はその時点での水準で凍結された。

イラン・イラク紛争の長期化の中,IEA閣僚理事会後,OPECは12月16,17の両日バリ島にて定例総会を開き,(イ)公式基準原油(アラビアン・ライト)を32ドル,(ロ)見なし基準原油上限価格を36ドル,(ハ)最高価格を41ドルに設定し,予想を上回る値上げを決定した。

(6) 他方79年末一時41ドルを超えたスポット価格は,本年に入ってからの需給緩和を反映して着実に低落傾向を示し,4月のイランによる船積み停止のニュースも大きな影響は与えず,イラン・イラク紛争勃発前には32ドルを割るところまで落ち込んだ。しかし紛争の長期化に伴い,スポット価格は急騰し,80年11月末には42.75ドルの史上最高の高値をつけた。その後はイラク・イラン両国からの輸出一部再開などもあり徐々に反落し,81年3月末には36~37ドル程度で落ち着いている。

(7) OPECはまた,60年の創立以来,急激に変化したエネルギー情勢にかんがみ,OPECの目的を再度明確にし,それらの目的を達成するため長期戦略を策定することを決め,78年5月に6カ国の石油大臣(アルジェリア,イラン,イラク,クウェイト,サウディ・アラビア,ヴェネズエラ)から成る閣僚委員会を設立した。更に同委員会の下にヤマニ=サウディ・アラビア石油大臣を議長とする専門家委員会が設置され,閣僚委員会,専門家委員会それぞれが数次の会合を開き長期戦略報告書作成の具体的作業を行ってきた。

OPEC長期戦略案は,80年に入ってからは5月7,8日サウディ・アラビアのタイフで,9月15,16日にはウィーンで外務・大蔵・石油の三相会議などで更に検討され,OPEC設立20周年を記念して11月4日にバグダッドで開催されるOPECサミットの場で採択される予定であった。

バグダッド・サミットはイラン・イラク紛争のため無期延期の状態になっているが,81年に入り国際石油市場が落着きをとり戻しつつあることを背景に,再び長期戦略の検討を行おうとする気運が出てきている。81年2月20日にジュネーヴで開かれた一部OPEC諸国石油相会合では,長期戦略の検討再開につき意見交換がなされた模様である。

2. IEAとわが国のエネルギー外交

流動的な国際石油情勢に対応するため先進国は,IEA,主要国首脳会議(サミット)などの場を中心に,一方で短期的な石油市場撹乱に対する緊急時対応策を整備しつつ,他方で石油依存型経済からの脱却を目指した中長期的な構造政策を推進してきている。

(1) 80年5月21,22日のIEA閣僚理事会は,国際石油需給が緩和へ向かっている情勢を背景にラムズドルフ西独経済大臣の議長の下で開かれ(わが国からは大来外務大臣,佐々木通産大臣が出席),脱石油へ向けて消費国間協力が一歩進められるとともに,次の3点につき具体的合意が得られた。

(イ) 毎年各国の石油必要量の試算値を作成し,平常時には,これを構造変化達成の進捗状況を測定するための目安(ヤードスティック)とする。石油市場逼迫時には,この試算値に一部基礎を置きつつ,国別石油輸入上限(シーリング)設定につき決定する。

(ロ) 1985年についてのIEA全体としての現行輸入目標(2,620万B/D)を相当程度下回るよう努力する。(ちなみにIEA事務局は,この削減可能量を400万B/Dと試算している。)

(ハ) 石油輸入を削減する努力を85年以降も続ける。その結果今後10年間にIEA全体として石油依存度を現在の52%から約40%に引き下げること,また10年間を通じてのエネルギー弾性値を約0.6に低下させることが可能になると期待される。

(2) 80年6月22,23日のヴェニス・サミットでは,5月のIEA閣僚理事会の成果をも踏まえ,石油消費と経済成長とのリンクを断ち切るとの明確な姿勢が打ち出されるとともに,石油依存型経済からの脱却を図るための具体的手段につき次の合意が成立した。

(イ) サミット国全体として今後10年間で代替エネルギー供給量を1,500~2,000万B/D増大する。

(ロ) 1990年までに石炭の生産・利用を倍増する。

(ハ) 安全性に留意しつつ原子力の利用拡大を図る。

(ニ) 石油火力発電所の新設を原則として行わない。

(ホ) 今後10年間を通じてのエネルギー弾性値が約0.6に,また石油依存度が約40%に低減することが期待される。

(3) 80年前半は,国際石油需給緩和を背景に,どちらかと言えば中長期構造変化問題に焦点が当てられたのに対し,後半,イラン・イラク紛争が勃発してからは,前述のとおり短期の市場撹乱対策を中心に消費国間での協力が進められた。しかし,12月のIEA閣僚理事会では単に短期的措置につき合意するだけでなく中長期構造変化達成の観点からも討議が進められ,石炭の利用・生産などの拡大に関する石炭産業諮問委員会(CIAB)報告書を了承したほか,省エネルギー,燃料転換促進のための行動指針を採択した。

(4) わが国はIEAの原加盟国であり,わが国自体極めて脆弱なエネルギー需給構造を有していることから,サミットのみならずIEAの活動には積極的に参加・協力してきている。80年10月21日に開催された第58回理事会では宮崎在OECD代表部大使が4代目の議長に選出されたため,今後わが国はIEAの最高意思決定機関である理事会議長国として会議の取りまとめなど,ますます重要な役割を果たすことが期待されるようになった。

3. 原子力の平和利用

(1) 総論

石油代替エネルギーとして当面最も信頼性の高いものの一つである原子力発電の促進の必要性に対する認識は,2次にわたる石油危機を経て国際的にますます高まっており,特に80年6月に開かれたヴェニス・サミットにおいても原子力発電がエネルギーのより確実な供給のために極めて重要な貢献を行っていることが強調され,「世界のエネルギー需要を満たすためには原子力の役割が増大されるべきである。したがってわれわれは,原子力発電能力を拡大しなければならない。」旨うたわれ,各国首脳の原子力開発促進にかける強い決意が表明された。

わが国の原子力発電規模は80年末現在,総発電容量の約12%に当たる約1,500万kwに達している。

他方かかる原子力開発の促進のためには,原子力の安全性の向上,放射性廃棄物の処理・処分問題の解決などの努力を払うのと並行して,原子力平和利用に不可避的に伴う核拡散の危険をいかに防止するかの問題に効果的に対処する必要がある。74年5月のインドの核実験を契機として,米,加,豪などの原子力資材供給国は核拡散防止のため,諸外国の原子力平和利用に対して厳しい規制(例えば再処理や国外移転にかかわる事前同意)を課す政策をとるに至った。

かかる国際的な動きに対し,わが国は,核拡散防止のための国際的努力には,世界の平和及びわが国自らの安全保障のためにも積極的に協力するが,他方わが国の原子力平和利用に対する不当な制約は排除するとの基本的方針に従って活発な外交活動を行った。特に米国の提唱により原子力平和利用と核拡散防止の両立を図る技術的方策を探求するため77年から開始されたINFCE(International Nuclear Fuel Cycle Evaluation;国際核燃料サイクル評価)は80年2月の最終総会をもって,その2年4ヵ月に及ぶ検討作業を完了したが,わが国は同検討作業に終始積極的に参加し,同作業を成功裏に完了させるのに大きな貢献を行った。(ちなみに,右の最終総会の議長には,わが国の首席代表が選出された。)。

80年には,このINFCEの結果を参考としつつ新しい国際的原子力秩序を求める試みが二国間及び多数国間の場で種々行われた。

(2) 多数国間の原子力協力

INFCEは前述のとおり80年2月にそのすべての作業を終え終了したが,このINFCE作業の過程で提示された問題の幾つかがIAEA(国際原子力機関)の場で引続き検討されている。これら一連のポストINFCEの諸問題の中には,プルトニウムの国際貯蔵のためのスキームに関する検検(IPS;International Plutonium Storage),使用済核燃料の国際管理のためのスキームに関する検討(ISFM;International Spent Fuel Management),及び核燃料などの供給保証に関する検討がある。特に核燃料などの供給保証については,80年6月のIAEA理事会決議により「核燃料などの供給が相互に合意される核拡散防止上の考慮に合致する形で,より予想可能かつ長期にわたり保証される方策を検討する」場として供給保証委員会(CAS;Committee on Assurances of Supply)が設立された。わが国はこれら諸会合に一貫して積極的な貢献を行っている。

このほか80年8,9月には第2回NPT再検討会議が開催されたが(278ページ参照),平和利用分野では,非同盟諸国が供給国の課す核物質などの輸出条件が厳し過ぎるとし,供給国を批判したほか,対開発途上国援助の拡大を要求しことが特徴的であった。

(3) 各国との原子力関係

(イ) 日豪原子力協定改正交渉

現行原子力協定の改正を求める豪との交渉は,INFCEの結果を踏まえ,核燃料の再処理にかかわる供給国側の規制権(事前同意権)問題を中心として3回(80年8月,12月及び81年3月)にわたり非公式協議の形で行われ,双方の意見の調整が図られた。

(ロ) カナダとの関係

78年8月に正式署名済の日加原子力協定改正議定書が,国会承認を経て80年9月2日発効したが,改正後の協定に基づき,81年2月,日加特別技術委員会及び合同作業委員会が開かれ,前者においてはカナダ原産核物質の国内在庫量を示す目録が作成され,後者においては,この目録を今後最新のものに改定していくための方法などが話合われた。

(ハ) 米国との関係

(a) 東海再処理工場の運転期間は,77年の日米交渉により79年9月までとなっていたが,INFCEの期間が延長されたこと,米国で大統領選挙があったことなどの理由により,まず81年4月30日まで,続いて更に同年6月1日まで延長されることとなり,量についても当初の99トンに新たに50トンが追加された。更に同運転期間は,6月1日の口上書交換により81年10月31日まで再延長された。

(b) 米国産使用済燃料のわが国から英・仏への委託再処理のための移転に関する日米原子力協定上の米国の事前同意取付は,80年中については円滑に行われた。なお,日加原子力協定改正議定書が80年9月に発効したことに伴い,米国の事前同意と併せてカナダの事前同意を得ることが必要となった。

(c) このほか,米国は各国が過早な再処理を行うことを避けるため使用済燃料を太平洋の島に暫定貯蔵するとの構想を提唱していたが,80年7月に行われた日米協議の場でわが国は,自国の使用済燃料をかかる貯蔵施設に貯蔵する考えはないが,米国の核不拡散努力に協力するとの見地から同構想のフィージビリティ・スタディ自体には参加するとの意図を正式に表明した。80年11月には,ワシントンにおいて本件に関する第1回日米合同運営委員会が開かれ,作業計画が承認され,81年1月からフィージビリティ・スタディが約2年間の予定で開始された。

(4) 国際原子力機関(IAEA)の活動

(イ) IAEAは,世界の原子力平和利用を促進する目的をもって設置され,原子力の各分野での政府代表者間会議,専門家会議などを年間を通じて多数開催するなど活発な活動を行うほか,核拡散防止のための保障措置活動を行っている。

(ロ) 特に81年の2月理事会で,「原子力発電の30年国際会議」(International Conference on the Three Decades of Nuclear Power)を82年9月にウィーンで開催するとの事務局提案が承認された。これより先,80年12月国連では,ユーゴースラヴィアなど非同盟諸国の提案による「原子力平和利用国際協力促進のための国連会議」(United Nations Conference for the Promotion of International Co-operation in the Peaceful Uses of Nuclear Energy)を83年に開催すること,そのための準備委員会を設置することなどを内容とする決議が採択された。上記82年国際会議を提案する際,事務局は,科学技術面に限ったIAEAの国際会議を開催することは,政治的な面を検討する場としての83年国連会議と調和する上,それに対して適切な役割を果たすものであるとの点を指摘した。わが国は本件会議に関する国連の非公式協議において種々の貢献を行った。

(ハ) 開発途上国のための原子力平和利用として,農業・工業・医療などの分野でのアイソトープ・放射線利用を中心とした技術援助が行われているが,わが国は,IAEAを中心とするアジア・太平洋諸国に対する「地域協力協定」(RCA)の枠組の中で指導的役割を果たしており,80年には,7月に工業利用ワークショップを開催し,10月には,IAEA放射線計測機器補修セミナーを主催した。また,80年9月には,政府派遣の「アジア原子力協力調査団」がフィリピン,タイ,マレイシア,インドネシア,及びバングラデシュの5カ国を訪問した。

4. 科学技術

(1) 二国間の科学技術協力

資源,エネルギー,環境など現代社会の抱える諸問題を解決しつつ,人類福祉の向上を図る上で科学技術の果たす役割は,ますます重要なものとなっており,研究開発の効率化の見地から,科学技術の分野における国際協力が世界的に活発化している。わが国は,現在下記のごとき二国間及び多数国間の科学技術協力を行っている。

(イ) 日米協力

(a) エネルギーの分野における研究開発協力

78年5月の日米首脳会談の際に日本側から提案した代替エネルギー研究開発のための日米協力構想に基づき,79年5月2日,「エネルギー及びこれに関連する分野における研究開発のための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」が締結された。同協定に基づき,核融合,地熱発電などの諸分野での協力が進められている。

(b) 非エネルギー分野における研究開発協力

78年末米国政府からエネルギー以外の分野においても,上記エネルギー分野における協力と類似した形での本格的な日米協力を行うことが提案され,79年9月と80年2月の日米事務レベルの会議を経て,80年5月に,「科学技術における研究開発のための協力に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」が締結された。同協定に基づく当面の協力対象としては,宇宙,DNA組替え,二酸化炭素が気象に与える影響,省エネルギーなどの23テーマが挙げられている。

(ロ) その他各国との協力

わが国は,西独,フランスとの間でも科学技術協力協定を結んでおり(共に74年に締結),80年9月には第5回日仏科学技術混合委員会が,また,10月には第6回目独科学技術合同委員会が開かれ,それぞれ協力活動のレビューなどが行われた。

また,中国(80年5月),豪州(80年11月),インドネシア(81年4月)との間でも科学技術協力協定を締結した。

更に,わが国は,ソ連,東欧の各国との間にも科学技術協力取極を結んでおり,わが国が81年3月現在で各国との間に結んだ科学技術協力協定は,合計13カ国14件となっている。このほか,わが国は上記以外の先進諸国との間でも科学技術面での協力を増大させてきており,開発途上諸国との間においても,いわゆる技術協力の一環として科学技術の分野における協力の必要性が年々増大している。

(2) 多数国間の科学技術協力

79年8月,ウィーンで開催された「開発のための科学技術国連会議」(United Nations Conference on Science and Technology for Development;UNCSTD)は,「開発のための科学技術ウィーン行動計画」を採択した。これを受けて,同年第34回国連総会は,(a)「開発のための科学技術政府間委員会(Intergovemmental Committee on Science and Technology for Development;ICSTD)」の設置,(b)「開発のための科学技術融資システム」(長期的措置及び「暫定基金」)の設置,及び(c)「開発のための科学技術センター」の設置を決議した。ICSTDは,80年中に2回の会合を持ち,その報告は,経済社会理事会を経て第35回国連総会に提出された。このほか,81年2月,インドネシアのメダンにおいて,アジア科学協力連合(Association for Science Co-operation in Asia;ASCA)の第8回本会議が,わが国など9カ国の参加を得て開かれた。またユネスコなどの国連の各専門機関やOECDなどの場においても科学技術の研究開発とその利用,科学技術の発展に伴う諸問題などについての意見や情報の交換,政策面での検討などの形での国際協力が活発に行われており,OECDにおいては81年3月19,20の両日,科学技術大臣会議が開催された。

(3) 宇宙の開発と利用

(イ) 宇宙空間の平和利用は今や人類に不可欠のものとなっており,米・ソを始めとする各国は,宇宙開発を積極的に推進しているが,わが国も通信,放送,気象観測などの分野において実用衛星の打上げを行うなど,活発な活動を行っている。

(ロ) 国連宇宙空間平和利用委員会は,80年においては,直接テレビジョン放送のための人工衛星の利用を律する原則案,人工衛星による地球の遠隔探査(リモート・センシング)に関する問題,第2回国連宇宙会議開催問題,原子力衛星の安全性問題などについて審議を行った。その結果,原子力衛星の安全性問題の検討,第2回国連宇宙会議の準備などにおいて進展が見られた。

第35回国連総会では,宇宙空間平和利用委員会の報告書をレビューするとともに,同委員会に対し上記諸問題の検討の継続を求める宇宙オムニバス決議,第2回国連宇宙会議の準備に関する同会議準備委員会の勧告を承認する決議及び宇宙空間平和利用委員会のメンバー国を現行の47カ国から最大53カ国へ拡大する決議の3決議を採択した。

この結果,第2回宇宙会議は82年8月9日から21日までウィーンにおいて開催されること,宇宙空間平和利用委員会に新たに中国,スペイン,シリア,上ヴォルタ,ウルグァイ及びヴィエトナムの6カ国が加入することなどが決まった。

(4) 南極地域の調査と保全

(イ) 南極条約協議国は,これまで南極地域の環境保全,科学調査のための国際協力を主要問題として会合してきたが,近年の資源有限時代を反映して,最近では鉱物・生物資源問題にも各国の強い関心が示されている。

(ロ) 南極海洋生物資源の保存に関する条約作成については,協議国間で交渉が続けられた結果,80年5月にキャンベラで協議国13カ国並びに東独及び西独が参加して本条約が採択され,9月にわが国を含む右15カ国がこれに署名した。本条約は,鯨,あざらしなど既存の国際協定により規制されているものを除く南極海洋生物資源(主としてオキアミなど)を対象とし,科学的データに基づくそれらの保存と合理的な利用を図るため国際協力を行うことを目的としている。

(ハ) 鉱物資源の探査・開発問題については,80年12月のワシントンにおける南極鉱物資源会議で,将来作成されるべき鉱物資源開発の法的な枠組みにつき種々の角度から検討が加えられたが,特筆すべき進展は見られなかった。本件については,南極環境の保護を確保しつついかに探査・開発の在り方を定めるか,協議国間の南極領土権についての立場の相違をどのように調整するかなどの困難な問題が存在する。

5. エネルギー以外の資源問題

(1) 1980年の主要資源の市況

銅,鉛,すずなどの非鉄金属の価格は,79年には,総体的に高水準で推移したが,80年に入って,銅,アルミなどの急騰があったもののその後反落し,やや弱含みで推移した。

また,小麦,粗粒穀物などの価格は,生産量が異常気象などから地域及び作物により不作,豊作が見られたものの穀類全体では微増となる一方,年初に発動された対ソ穀物禁輸の影響,需要増による在庫率の低下などもあって,高値安定の堅調な動きとなった。

更に,木材,砂糖の価格の引き続く上昇傾向もあり,一次産品の市況は,全般的に年初に急騰し,その後下げたものの年間を通じて見れば79年に比べ一段高い水準で推移した。

(2) 一次産品総合計画(IPC)個別産品交渉の進捗状況

(イ) 79年10月に採択された国際天然ゴム協定が,80年10月に暫定発効するとともに,80年11月に新国際ココア協定が採択された。またすずについては現行の第5次すず協定改定交渉会議が行われ,更にジュートに関しては81年1月に研究開発,消費振興などのいわゆる「その他の措置」を中心とした協定を作成すべく交渉会議が開催された。

(ロ) その他,熱帯木材,硬質繊維などについては,直接的な価格安定化措置の検討は棚上げされ,「その他の措置」を中心とした協定作成の方向で協議が行われた。また,綿花,銅などについても,緩衝在庫制度を必要とするか否かの検討も含め予備的協議が進められた。

(3) 商品機関の現状(わが国が加盟しているもの)

(イ) 商品協定

(a) 国際小麦協定

79年の国連小麦会議の中断後,国際小麦理事会で備蓄在庫の規模,備蓄の運用制度など協定交渉の準備作業が行われているが,いまだ合意に至らず,3月の国際小麦理事会において協定の第6次延長が決定された。

(b) 国際すず協定

第5次国際すず協定の有効期間が81年6月末までとなっていることから,第6次協定作成のための交渉会議が81年3月までに合計3回開催された。しかし,緩衝在庫の規模,輸出統制の実施方法など主要問題について参加国間の合意がいまだ得られていない。このため,第5次協定の有効期間は,82年6月まで1年間延長された。

(c) 国際ココア協定

75年協定が80年3月失効したが,80年11月の国連ココア会議において緩衝在庫制度と,その運用による価格安定機能を主体とする新国際ココア協定が採択された。(なお,新協定は4月現在発効していない。)

(d) 国際コーヒー協定

現行の76年協定発効以来,ブラジルの霜害などの影響もあって,コーヒーの価格は協定の価格水準をかなり上回っていたが,80年の豊作により同年半ば以降コーヒー価格は下落の一途をたどったため,同年10月の国際コーヒー理事会において協定に基づき輸出割当てが発動された。この輸出割当ての発動により非加盟国との取引が制限されることとなっため協定に加盟する国が続いており,協定の効果的な運用が図られつつある。

(e) 国際砂糖協定

78年1月に現行協定が発効して以来,価格の低迷状況の中で輸出割当てが発動されていたが,79年後半から国際価格は急騰し,80年1月には輸出割当ての停止,2月には特別在庫の放出が行われるとともに,4月及び11月の2度にわたり価格帯の引上げが実施された。

このような価格安定化措置などに伴い,価格は11月以降下降し始めた。

また,7月からは特別在庫融資基金に対する拠金の徴収が開始された。

(f) 国際天然ゴム協定

現行協定はIPCの下で4回の交渉会議の結果,79年10月6日採択されたもので,IPCの下で新規に成立した最初の商品協定である。

協定の規定に従い,わが国,米国,マレイシアなど輸出入国24カ国が所要の手続を了して,80年10月23日協定は暫定的に発効した。80年11月に第4回理事会が開催され,事務局長,本部所在地,予算などが決定,承認された。

(ロ) 商品研究会

(a) 国際鉛・亜鉛研究会

80年10月にジュネーヴで総会が開催され,亜鉛の需給バランスが軟化傾向にあるとされる中で,鉛・亜鉛の需給見通しがまとめられたが,今後とも状況を密接に見守ることとされた。

(b) 国際綿花諮問委員会

80年11月にマニラで総会が開催された。また,設立計画中のCDI(国際綿花開発機関―仮称)については,本年も前記総会及びCDIの作業部会などにおいて検討が行われた。

(c) 国際ゴム研究会

80月10月にクアラルンプールで総会を開催し,国際天然ゴム理事会との関係の初歩的討議とゴムの情報統計の整備を行った。

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