第2章 わが外交の基本的課題

1.(1) わが国外交の使命は,自由と民主主義というわが国がよって立つ基本的価値を守るとともに,安全で豊かな国民生活を確保することにある。

わが国は「平和憲法」を有し,あくまでも平和に徹し,軍事大国にならないという基本的立場に立って,平和な国際社会の中にわが国の安定と繁栄を確保することとしている。また,わが国は資源に乏しく,その存立と発展を図るためには諸外国との協調・協力と安定した国際環境を何よりも必要としている。

(2) 他方,今日わが国は経済面を中心に大きく国力を伸長させ,また諸外国との相互依存関係も一段と強まっている結果,わが国の動向は国際関係の各般にわたり実質的な影響を及ぼすに至っている。それゆえに,わが国は,その国際的地位にふさわしい経済的・政治的役割を果たすことを国際社会から求められているのである。この関連で忘れてはならないことは,わが国がかかる期待にこたえ,国際関係の発展と安定に寄与するために努力することは,とりもなおさず世界の平和と安定を何よりも必要としているわが国自身の安全と繁栄を確保するための不可欠の方途であるということである。わが国にとって国際関係は,わが国がその維持,運営に主体的かつ積極的に参画すべきものに変わってきている。

(3) 特に,近年の国際情勢は,政治・軍事・経済の各般にわたって,流動化と不安定化の様相を示しており,このような状況で外交の果たすべき役割は一層重要となっている。

2.(1) 上記の使命を果たさんとするわが国外交は,当面以下の情勢に対処しなければならない。

第1は,ソ連の一貫した軍備増強の結果,米ソ間の軍事バランスが西側にとって好ましくない方向に変化しつつあり,このような軍事力増強とそれを背景としたソ連の第三世界への進出が東西関係を中心とする国際関係の厳しさを増していることである。

第2は,第三世界諸国の国際社会における発言力は着実に増大しつつあるが,これら諸国の政治的・経済的基盤は依然として脆弱であり,これが国内的混乱や地域的紛争をもたらし,国際関係全体を不安定化させていることである。

第3は,世界経済が依然としてエネルギー制約,インフレ,失業,低成長といった諸困難から脱却する見通しになく,これが西側自由主義経済諸国の総合力を低下させるおそれをもたらすとともに,第三世界諸国の経済発展を阻害していることである。

(2) このような認識に立って1970年代の末から1980年にかけての国際情勢をふり返って見たとき,最も注目されるのは,いくつかの重大事件が中東地域を中心として発生したことであり,世界の平和にとって最も緊急な対応が迫られているのは中東であるとの認識が強く抱かれるに至った。

中東地域は,東西関係の観点からすれば,極東地域,欧州地域と並んで重要な戦略上の地位を占めている。ソ連は,かねてより,この地域の戦略的意義を重視し,この地域の一部の国々と友好協力条約を結び,武器供与を行い,経済技術協力を推進するなど,その影響力の拡大に努めてきたところ,79年12月にはソ連軍をアフガニスタンに侵攻せしめ,これが直接の契機となって東西関係は大きく後退した。

他方,79年のイラン革命,在イラン米大使館人質事件,80年のイラン・イラク紛争といった一連の事件は中東地域自体のもつ不安定性に対する危機感を強めた。中東地域には,主要な不安定要因として歴史的な背景をもつアラブ・イスラエル紛争があるが,そのほか,民族的対立,宗教的・宗派的対立,国境紛争など多くの問題が重層的に存在し,更に最近では,石油収入による急激な近代化に起因する種々の政治的・経済的・社会的矛盾が顕在化しつつある状況にあるといえる。

中東地域の流動化に対する不安と懸念は,同地域が世界の主要なエネルギーの供給地である事実と密接に関係していることはもとよりである。今後とも,同地域からの石油の安定的供給の確保が,世界経済が現在直面している諸困難から脱却するための不可欠の前提条件である。

(3) 80年は,このように一段と厳しさを増した国際情勢の中で,米国を始めとする西側諸国において,東西関係を中心とする国際情勢に対する認識及びその対外政策に真剣な見直しが行われた年でもあった。

米国の場合には,レーガン新政権が,ソ連の軍事増強,アフガニスタン問題,ポーランド情勢など厳しい対外的局面に加え,インフレ,失業,低生産性等の国内経済上の諸困難を抱えている状況の下で,「米国の再生」と「強いアメリカ」をスローガンとして掲げて登場した。同政権が特にその対外政策において一貫性,信頼性及び均衡という三つの原則の下で強い対ソ姿勢と同盟国との協議の重視の姿勢を打ち出したことが注目された。

3.(1) わが国は,米国及びEC諸国を始めとする先進民主主義諸国と政治,経済上の基本理念を共有しており,わが国の平和と安定は,先進民主主義社会全体の平和と安定と密接に関係している。わが国が積極的平和外交を展開するに当たっては,これら諸国との連帯と協調が基軸とならなければならないゆえんである。

特に,日米安保体制を基軸とする日米友好協力関係は,戦後一貫してわが国外交の基盤である。今日,日米両国は民主主義と自由という両国が共有する価値の上に立脚し,特別に緊密な総合的な協力関係を築き上げるに至っている。揺るぎない信頼で裏打ちされた,かかる日米関係は,81年5月の鈴木総理大臣訪米の際の日米共同声明においては,「同盟関係」と表現されている。

(2) わが国が今後とも先進民主主義諸国との連帯と協調を強化していく上で重要なことは,まずこれら諸国との間で国際政治・経済情勢の基本認識を一致させ,それに対処する基本戦略について合意を形成することであり,そのためにこれら諸国との間の不断の対話と協議を行っていくことである。この観点から,主要経済問題についての首脳自身による密接な協議の場として定着してきた主要国首脳会議の役割は十分に評価される。

もっとも,わが国が米国を始めとする先進民主主義諸国と共通の基本認識,基本戦略を持つべきであるということは,必ずしもわが国の個々の政策がこれら諸国と同一のものであるべきことを意味するものではない。重要なことは,わが国が,わが国の国力と国情にふさわしい役割を分担し,それを通して先進民主主義社会全体の,ひいては世界全体の平和と安定に貢献することであって,平和憲法を有するわが国が果たし得る役割には,軍事面では大きな制約があり,政治・経済面を中心としたものとなることは当然である。

また,世界の平和と安定を損なうおそれのあるソ連の行動を有効に抑止するためには,先進民主主義諸国が十分協調して適切な対応を図らなければ十分な効果を発揮し得ないことは言うまでもない。例えば,アフガニスタン問題に際して,わが国が先進民主主義社会の一員として,これを容認し得ないとの立場を明確にしつつ,ソ連に対して一貫した厳しい姿勢をとったのは,かかる基本的考えによるものである。

(3) 軍事面については,わが国は米国の防衛努力を,先進民主主義社会の平和と安定に貢献するものとして評価するものである。わが国としては,日米安保体制の一層円滑かつ効果的な運営を確保するとともに,あくまでも平和憲法の下,専守防衛の枠内で,国民のコンセンサスを得つつ,自主的判断に基づいて,自衛力の整備に一層の努力を行っていくことが肝要である。

(4) 他方,軍事力整備による対ソ抑止力の確保と並んで重要なことは,長期的により低いレベルでの東西間の戦力バランスを図ることであろう。その意味で米ソ間のSALTを始めとする軍備管理・軍縮の粘り強い努力が不可欠であり,わが国としても現実の国際関係の中で各国の安全保障を損なうことなく,核軍縮を中心として実現可能な具体的軍縮措置の進展のために一層努力しなければならない。

(5) 隣国ソ連との関係を真の相互理解に基づいて発展させることは,もとよりわが国外交の主要課題の一つである。日ソ関係の安定化はわが国の安全保障にとって不可欠である。日ソ間の最大の懸案である北方領土問題を解決して平和条約を締結することは,わが国の対ソ外交にとっての基本的課題である。

4.(1) アジア地域は,わが国と地理的にも近く歴史的にも密接なかかわりを有しており,わが国がその平和と発展に主要な役割を果たすべき地域である。鈴木総理大臣が,就任後の最初の外国訪問として,81年1月ASEAN諸国を歴訪されたのも,このような基本的認識に基づくものであった。

わが国としては,ASEAN諸国の連帯と強靱性強化への努力を引続き支援するとともに東南アジアの平和と安定に直接のかかわり合いを持っているカンボディア問題の解決のため引続き積極的な外交努力を行っていかなければならない。

また,朝鮮半島における平和と安定の維持はわが国を含む東アジアの平和と安全にとり重要であり,わが国としては韓国との友好協力関係を維持・増進することとし,北朝鮮とは経済・文化などの交流を徐々に積み重ねていくことが適当である。

中国は,国内の近代化を至上目標として掲げ,その結果として対外的に穏健路線,西側諸国との協調路線を維持しているが,これはアジアひいては世界の平和と安定に寄与するものであり,わが国としては,かかる路線の定着化のために引続き協力していくことが適当である。

(2) また,わが国はアジア諸国のみならず広く第三世界諸国全体との間で相互理解と友好協力関係を深め,建設的な南北関係を構築すべく一層の努力を払わなければならない。具体的には国連など多数国間の場を通じての南北対話の促進,経済協力の拡充,貿易・投資の拡大など経済面における協力の推進などは,わが国が積極的に寄与すべき分野である。

更に,わが国としては,第三世界で発生している地域的紛争・対立の解決に資するために,関係国との政治的対話の促進などを通ずる政治的役割を果たすとともに,国連がこれら紛争の鎮静化や再発防止のために果たしている平和維持機能を重視し,その有効な活動のために建設的な役割を果たしていくことが重要である。

(3) 経済協力については,わが国は相互依存の度合いと人道的考慮という二つの要素を基準としてこれを行い,開発途上国の経済・社会開発を支援し,民生の安定,福祉の向上に資することを目的としている。このような経済協力の積極的推進が,南北問題の改善に貢献するとともに,これら諸国の政治的・経済的安定性を促し,ひいては世界全体の平和と安定をもたらすものであると確信している。

従来から重点的に援助を配分してきたASEAN諸国,また,近年,わが国が援助の強化を図っているタイ,パキスタン,トルコといった「紛争周辺国」に見られるように,わが国は,世界の平和と安定の維持にとって重要な地域に対する援助を強化してきているが,かかる援助は,当該国の民生の安定を図ることにより,その政治的・社会的強靱性を強め,そこに紛争が波及したり,新たに発生したりすることを未然に防ぐことを目的として行っているものである。

このような認識の下に,政府は,わが国の政府開発援助(ODA)について,引続きその対GNP比の改善を図るとともに,81年よりの5年間のODA総額をそれまでの過去5年間の総額の倍以上に増加するよう努力するとの新たな中期目標を設定し,今後とも積極的に経済協力を推進していく方針を内外に明らかにした。

5.(1) 自由世界第2の経済力を有するわが国が世界経済の抱える諸困難を克服し,その持続的な成長を達成する上で果たすべき役割は大きい。

世界経済の先行きに対する信認を回復するためには,先進工業諸国を始め各国がそれぞれ構造調整を通じた経済体質の強化に努めるとともに,国際的な協調・協力を通じ,エネルギー面からの制約を克服し,保護貿易主義を防止していかなければならない。自由経済の活力の再生に失敗すれば,それは先進民主主義社会の総合力を著しく低下せしめる結果を招来するであろう。

(2) わが国としては,主要国首脳会議などの場を通じて,世界経済の動向と調和のとれた経済運営の努力を引続き強化し,エネルギー分野においても,短期的な市場撹乱への対応策を整備するとともに,省エネルギー及び代替エネルギーの開発導入を一層推進すべく,IEA等の場における国際協力を一層推進していく必要がある。

また,保護主義的圧力が強まりつつある欧米諸国との通商問題については,わが国は自由・開放経済体制の枠組の中で,わが国の市場の一層の開放努力,相手国の輸出努力への協力,二国間あるいは第三国市場での産業協力といった拡大均衡を目指した国際協力を一層追求しなければならない。

更にわが国は,開発途上国産品に対して大きな市場を提供することによりこれら諸国の経済発展に貢献してきたところであるが,今後とも開発途上国の関心産品に対するわが国市場の一層の開放に引続きできる限り努力することが肝要である。

6. わが国がその存立と繁栄を諸外国との円滑な関係の維持・発展に依存していることにかんがみれば,わが国国民と諸外国の国民の間の相互理解の増進を図っていくことは外交の基本的課題の一つと言える。このような認識の下に,わが国としては,文化交流・広報活動などを通じ,今後ともこの面での努力を引続き積極的に行っていくべきことは言うまでもない。

7. 近年国際情勢が厳しさを加える中で,わが国においても安全保障問題に対する認識が急速に高まり,80年12月には内閣に「総合安全保障関係閣僚会議」が設置された。ここで総合安全保障とは「国際的脅威に起因し,わが国の存立基盤に重大な影響を与え,あるいは与えるおそれのある多種多様な脅威に対し,外交,国防,経済等の諸施策を総合することによって,その発生を未然に防止し,あるいは現に発生した場合にこれに適切に対処することにより,わが国の国家としての存立を維持し,また社会的な大混乱を防止すること」と定義されている。わが国としては,わが国の安全と存立,国民生活の安定と繁栄を確保していくために,今後とも国の総力を結集して,総合安全保障の確保に努めていかなければならない。

すなわち,防衛面での一層の努力とともに,経済面でも,エネルギー,食糧などに関する諸施策が経済性・合理性といった視点と並んで総合的な安全保障の視点から見て整合性のとれたものとして展開されることが重要である。しかし,わが国の総合安全保障政策において最も重要なことは,平素から,わが国を巡る国際環境をできるだけ平和で安定的なものとして維持し,もって危機の発生を未然に防止することにある。これは正に外交の基本的課題であり,わが国が平和外交の積極的展開を図っていかなければならないゆえんである。わが国としては,今後とも諸外国との友好協力関係を強化し,国際社会全体の平和と安定に貢献するための外交努力を一層強化していく必要がある。

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