3. 国際経済の動向

(1) 80年の世界経済は,79年の第2次石油危機発生により,第1次石油危機からの回復過程から困難な調整過程へと再び後退を余儀なくされた。

先進国においては,石油価格上昇(アラビアン・ライトGSP:78年末12.7ドル/バーレル→80年6月32ドル/バーレル)のデフレ効果と引締政策の影響により,前年から景気後退に入っていた欧州諸国に続いて,米国の景気も落ち込みを見せた。インフレ率は,内外の要因により,多くの国において2ケタの高率で推移し,失業,特に若年失業の増大が政治問題化するに至った(80年末EC失業者数約800万人,7.1%)。また,第1次石油ショック後の投資減退及び社会的硬直性等による生産性上昇率の鈍化,財政赤字などの諸困難を抱えたまま,再び経常収支が悪化した。

他方,非産油開発途上国においても,先進国同様諸困難に見舞われたが,なかんずく先進国の景気停滞,交易条件の悪化,経常収支赤字の拡大と債務累積の増大などによりその経済運営は一層困難なものとなった。また,第1次石油危機後,国際資本市場を通じて比較的順調に推移したオイルダラーのリサイクリングが前回ほど順調にいかなくなるのではないかということが懸念された。

(2)このような情勢の中で6月に開催されたヴェニス・サミットではインフレ抑制を最重要の緊急課題としつつ,経済成長と石油消費のリンケージを断ち,経済体質の強化を図るという脱石油のための政策目標を盛り込んだ80年代の総合的戦略に合意した。これに基づき各国は抑制的財政金融政策の維持,エネルギー政策の推進,あるいは,東京ラウンドの成果の実施などの政策努力を行った。

(3)しかしながら,世界貿易の面では石油貿易量の減少,景気停滞を主因としてその伸び率は停滞した。加えて一部先進諸国においては各国経済の諸困難を背景に保護主義的圧力の高まりが見られ,特に,特定セクターにおいて,わが国の輸出自粛を求める動きが表面化した。また,国際金融情勢は一時的な変動は見られたものの,前年に引続き総じて安定的に推移してきたが,レーガン新政権のインフレ抑制政策の結果としての米国の高金利の影響が徐々に顕在化し,81年に入り各国の物価及び雇用への影響及び非産油開発途上国の債務累積問題への影響が懸念されている。

(4)エネルギー分野では,80年前半の国際石油情勢は緩和基調にあったが,9月にイラン・イラク紛争が本格化し,両国からの石油輸出が全面的に停止したため,一時冬場に向けての石油供給不足が懸念され,スポット価格の高騰も見られた。しかしながら一部産油国の増産,景気停滞などに基づく石油消費の低減,IEAを中心とした消費国側の冷静な対応などの結果,81年に入り事態は鎮静化した。

原子力分野では,INFCE(国際核燃料サイクル評価)の作業が2月に終了し,今後は二国間及び多国間の場で引続き協議ないし交渉が行われていくこととなったほか,国連総会では,83年に国連原子力平和利用会議の開催が決定された。

(5)南北問題については,80年は第3次国連開発10年のための国際開発戦略(新IDS)の策定及び国連南北交渉ラウンド(GN)の準備が中心となった。また,2月に公表されたブラント委員会報告に構想を得た南北の首脳によるサミット会議開催の動きも出,6月には一次産品共通基金設立協定が採択されたことも南北対話の成果として注目された。メキシコ及びオーストリアを中心に推進されている南北サミットは11月及び81年3月に外相級の協議が行われ,81年10月メキシコ開催を目途に準備が進められている。

 目次へ