第5節 資源・エネルギー,原子力及び科学

技術問題

1. 石油エネルギー

(1) イラン情勢に端を発する国際石油情勢の悪化の中で,世界の石油需給は1979年に入り急速に逼迫感を強めた。こうした情勢を反映して石油の価格上昇圧力も強まり,世界の石油情勢は73年のいわゆる石油危機以来最も厳しい局面を迎えることとなつた。こうして79年を通じ,世界はこの難局を如何に克服するかという難問と取り組むこととなつた。

(2) 78年12月のOPECアブダビ総会における価格の四半期毎の段階的引上げ決定にもかかわらず,その後2月以降加盟国の中にはイランの輸出停止に伴う需給逼迫を理由に追加的値上げを行う国が生じ,12月総会で決定された上記価格体系は有名無実化してしまつた。こうした中で3月26日,27日開かれたOPEC臨時閣僚会議は途中で臨時総会に切り替えられ,OPEC加盟国の上記独自の価格引上げをほぼ追認した。すなわち4月1日から基準原油価格が約9%(1.2ドル/バーレル)引き上げられるとともに,各国独自のプレミアム付加も認められ,OPECの統一価格体系は事実上崩れることとなつた。

78年12月26日以来,イランの石油輸出は全面的にストップしたが,この間サウディ・アラビア,イラク,クウェイト,ナイジェリアなどが増産に踏み切つた。しかし石油価格の高騰の中で国際的な石油需給の逼迫化基調は続き,石油エネルギー問題はにわかに世界の中心的課題の様相を呈するに至つた。

いわゆる東京サミットは正にこうした中で開かれたが,この東京サミット開催に合わせるように6月26日からジュネーヴで開かれた第54回OPEC総会は,28日,基準原油価格を18ドル/バーレルとしこれに2ドルのマーケット・プレミアムを付すことは認めるが価格上限は23.50ドル/バーレルとする旨の決定を行つた。こうした決定は,近年顕著になつてきた価格問題をめぐるOPEC内の穏健派と強硬派の妥協の産物とみることもでき,いずれにせよOPECとしての統一原油価格の実現は成らなかつた。かくして原油価格はいよいよ20ドル時代に突入し、石油の量的不足感と並び,わが国をはじめとする石油の大消費国はもとより,非産油発展途上国にとつてその受ける経済的・社会的影響は甚大なものとなつた。

(3) 石油需給の逼迫と価格の高騰という困難な状況に直面し,先進消費国は早急な対応を迫られることとなつた。先進消費国側は,(イ)エネルギー問題解決の第一歩は先進消費国側における石油消費・輸入の節減にあること,(ロ)更に中・長期的には石油に代わる代替エネルギーの利用拡大,新エネルギーの研究開発促進が急務であるという共通の認識のもとに,国際エネルギー機関(IEA)などを中心に協力体制を一層強化していくこととなつた(上記(ロ)については後述2.を参照)。

(4) 79年3月1,2日のIEA理事会では加盟国における約5%(200万バーレル/日)の石油需要削減目標に合意したが,イラン情勢の進展に伴う厳しいエネルギー情勢を踏まえ,東京サミットを約1ヵ月後に控えた5月21,22日第3回IEA閣僚理事会が開催された。この閣僚理事会では前記3月の(事務レベル)理事会で合意をみた5%石油需要削減措置が確認されるとともに,80年における同様の需要抑制措置の継続が合意されたほか,更に石炭の利用拡大に関する原則(いわゆる石炭原則)が採択された。

(5) エネルギー問題が最大の関心を集めている中で6月28,29日の両日,東京で第5回主要国首脳会議,いわゆる東京サミットが開かれた。会議の大半はエネルギー問題に費やされたが,その際の基本的理念となつたのは前記(3)(イ)(ロ)であつて,「共通の戦略」として最も緊急な課題とされた。このうち石油消費節減については上記IEAの動きなど,それまでにも先進消費国の努力が傾注されてきたが,サミットではこうした努力をより大胆かつ具体的な数値を示すことによつて一層強化していくことで合意をみた。すなわち,

(イ) ECは既に3月に合意した79年の年間消費量目標5億トン(1日当たり約1,000万バーレル)を再確認し,80年から85年までの年間石油輸入量を78年水準を超えないようにする。

(ロ) 仏,西独,伊,英の85年の石油輸入上限目標はそれぞれ78年実績とする。

(ハ) 加,日本,米国の79年の石油輸入量についてはIEAで誓約した5%節約実現のための79年の調整済輸入水準を実現し,80年もこの水準以下にとどめる。

(ニ) 85年の石油輸入目標としては,日本は1日当たり630万~690万バーレルの間の範囲を超えない水準とするが,これを下まわる努力をする。米国は1日当たり850万バーレルとする。

以上が骨子であるが,各国の経済運営に直接影響しかねない石油の消費量や輸入量を上記の如き具体的数字で約束し合つたことは画期的なことと言えよう。

(6) 東京サミット諸合意の遅滞なき実施を確保するため,9月26日わが国の江崎通産大臣の議長のもとにサミット7カ国のエネルギー担当大臣とEC代表が集まりパリでエネルギー大臣会議が開かれた。この大臣会議においても,厳しいエネルギー情勢を踏まえ,先進消費国が協調して需要抑制措置の徹底を図ること及び代替エネルギーの重要性が確認された。会議では西独,仏,伊,英に加えその他EC全加盟国の85年の国別石油輸入目標が明示され,ここにサミット7カ国をはじめとする85年の国別目標が出そろつた。なおこの会議では,石油需要抑制のほかに,サミットでその設立が合意された国際エネルギー技術グループ(IETG)を発足させるとともに,高価格原油の取引の実態を透明にするための原油の国際取引の1ヵ月毎の登録制が合意され,IEA及びECを通じての登録制度の早期発足が図られることとなつた。

(7) 年央から秋口にかけて,国際石油情勢は年初来のタイトな石油市場がサウディ・アラビアの増産,イランの生産回復などからマクロ的には一応の落着きを取り戻し,上記先進消費国の節約が達成され,産油国の生産動向が大きく変化しなければ79,80年については若干の供給過剰を予想する見方も出てきた程であつたが,需給バランスは不確定要因の上に立脚した極めて脆弱なものと言わざるをえず,果たして11月以来米・イラン関係の緊張が生じるに及び石油をめぐる国際環境は再び緊張の度を加えることとなつた。

(8) こうした中で12月10日第4回IEA閣僚理事会が開催された。同理事会ではサミット国に加えてIEA全加盟国が80年及び85年の国別石油輸入目標が合意され,この結果,85年のIEA全体のグループ石油輸入目標は77年10月の第2回閣僚理事会で合意された2,600万バーレル/日から2,460万バーレル/日に下方修正された。また需給状況の進展に照らして必要と認第5節資源・エネルギー,原子力及び科学技術問題

1. 石油エネルギー

(1) イラン情勢に端を発する国際石油情勢の悪化の中で,世界の石油需給は1979年に入り急速に逼迫感を強めた。こうした情勢を反映して石油の価格上昇圧力も強まり,世界の石油情勢は73年のいわゆる石油危機以来最も厳しい局面を迎えることとなつた。こうして79年を通じ,世界はこの難局を如何に克服するかという難問と取り組むこととなつた。

(2) 78年12月のOPECアブダビ総会における価格の四半期毎の段階的引上げ決定にもかかわらず,その後2月以降加盟国の中にはイランの輸出停止に伴う需給逼迫を理由に追加的値上げを行う国が生じ,12月総会で決定された上記価格体系は有名無実化してしまつた。こうした中で3月26日,27日開かれたOPEC臨時閣僚会議は途中で臨時総会に切り替えられ,OPEC加盟国の上記独自の価格引上げをほぼ追認した。すなわち4月1日から基準原油価格が約9%(1.2ドル/バーレル)引き上げられるとともに,各国独自のプレミアム付加も認められ,OPECの統一価格体系は事実上崩れることとなつた。

78年12月26日以来,イランの石油輸出は全面的にストップしたが,この間サウディ・アラビア,イラク,クウェイト,ナイジェリアなどが増産に踏み切つた。しかし石油価格の高騰の中で国際的な石油需給の逼迫化基調は続き,石油エネルギー問題はにわかに世界の中心的課題の様相を呈するに至つた。

いわゆる東京サミットは正にこうした中で開かれたが,この東京サミット開催に合わせるように6月26日からジュネーヴで開かれた第54回OPEC総会は,28日,基準原油価格を18ドル/バーレルとしこれに2ドルのマーケット・プレミアムを付すことは認めるが価格上限は23.50ドル/バーレルとする旨の決定を行つた。こうした決定は,近年顕著になつてきた価格問題をめぐるOPEC内の穏健派と強硬派の妥協の産物とみることもでき,いずれにせよOPECとしての統一原油価格の実現は成らなかつた。かくして原油価格はいよいよ20ドル時代に突入し、石油の量的不足感と並び,わが国をはじめとする石油の大消費国はもとより,非産油発展途上国にとつてその受ける経済的・社会的影響は甚大なものとなつた。

(3) 石油需給の逼迫と価格の高騰という困難な状況に直面し,先進消費国は早急な対応を迫られることとなつた。先進消費国側は,(イ)エネルギー問題解決の第一歩は先進消費国側における石油消費・輸入の節減にあること,(ロ)更に中・長期的には石油に代わる代替エネルギーの利用拡大,新エネルギーの研究開発促進が急務であるという共通の認識のもとに,国際エネルギー機関(IEA)などを中心に協力体制を一層強化していくこととなつた(上記(ロ)については後述2.を参照)。

(4) 79年3月1,2日のIEA理事会では加盟国における約5%(200万バーレル/日)の石油需要削減目標に合意したが,イラン情勢の進展に伴う厳しいエネルギー情勢を踏まえ,東京サミットを約1ヵ月後に控えた5月21,22日第3回IEA閣僚理事会が開催された。この閣僚理事会では前記3月の(事務レベル)理事会で合意をみた5%石油需要削減措置が確認されるとともに,80年における同様の需要抑制措置の継続が合意されたほか,更に石炭の利用拡大に関する原則(いわゆる石炭原則)が採択された。

(5)エネルギー問題が最大の関心を集めている中で6月28,29日の両日,東京で第5回主要国首脳会議,いわゆる東京サミットが開かれた。会議の大半はエネルギー問題に費やされたが,その際の基本的理念となつたのは前記(3)(イ)(ロ)であつて,「共通の戦略」として最も緊急な課題とされた。このうち石油消費節減については上記IEAの動きなど,それまでにも先進消費国の努力が傾注されてきたが,サミットではこうした努力をより大胆かつ具体的な数値を示すことによつて一層強化していくことで合意をみた。すなわち,

(イ) ECは既に3月に合意した79年の年間消費量目標5億トン(1日当たり約1,000万バーレル)を再確認し,80年から85年までの年間石油輸入量を78年水準を超えないようにする。

(ロ) 仏,西独,伊,英の85年の石油輸入上限目標はそれぞれ78年実績とする。

(ハ) 加,日本,米国の79年の石油輸入量についてはIEAで誓約した5%節約実現のための79年の調整済輸入水準を実現し,80年もこの水準以下にとどめる。

(ニ) 85年の石油輸入目標としては,日本は1日当たり630万~690万バーレルの間の範囲を超えない水準とするが,これを下まわる努力をする。米国は1日当たり850万バーレルとする。

以上が骨子であるが,各国の経済運営に直接影響しかねない石油の消費量や輸入量を上記の如き具体的数字で約束し合つたことは画期的なことと言えよう。

(6) 東京サミット諸合意の遅滞なき実施を確保するため,9月26日わが国の江崎通産大臣の議長のもとにサミット7カ国のエネルギー担当大臣とEC代表が集まりパリでエネルギー大臣会議が開かれた。この大臣会議においても,厳しいエネルギー情勢を踏まえ,先進消費国が協調して需要抑制措置の徹底を図ること及び代替エネルギーの重要性が確認された。会議では西独,仏,伊,英に加えその他EC全加盟国の85年の国別石油輸入目標が明示され,ここにサミット7カ国をはじめとする85年の国別目標が出そろつた。なおこの会議では,石油需要抑制のほかに,サミットでその設立が合意された国際エネルギー技術グループ(IETG)を発足させるとともに,高価格原油の取引の実態を透明にするための原油の国際取引の1ヵ月毎の登録制が合意され,IEA及びECを通じての登録制度の早期発足が図られることとなつた。

(7) 年央から秋口にかけて,国際石油情勢は年初来のタイトな石油市場がサウディ・アラビアの増産,イランの生産回復などからマクロ的には一応の落着きを取り戻し,上記先進消費国の節約が達成され,産油国の生産動向が大きく変化しなければ79,80年については若干の供給過剰を予想する見方も出てきた程であつたが,需給バランスは不確定要因の上に立脚した極めて脆弱なものと言わざるをえず,果たして11月以来米・イラン関係の緊張が生じるに及び石油をめぐる国際環境は再び緊張の度を加えることとなつた。

(8) こうした中で12月10日第4回IEA閣僚理事会が開催された。同理事会ではサミット国に加えてIEA全加盟国が80年及び85年の国別石油輸入目標が合意され,この結果,85年のIEA全体のグループ石油輸入目標は77年10月の第2回閣僚理事会で合意された2,600万バーレル/日から2,460万バーレル/日に下方修正された。また需給状況の進展に照らして必要と認められる場合にはその限度においてIEA加盟国が一致協力して目標値の調整を含む対応策をとることが合意された。

(9) 12月17日から20日までヴェネズェラのカラカスで開かれた第55回OPEC総会では価格については穏健派と強硬派の調整がつかず,結局何らの決定もみず,価格の決定は加盟各国の手に委ねられることとなつた。こうした事態により,国際石油市場の動向にとつて先進消費国側の対応が従来にも増して重要な意味をもつようになり,先進消費国側の合理的かつ適切な対応が何よりも望まれるようになつた。

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