2. わが国とソ連・東欧諸国との関係
(1) ソ 連
(イ) 北方領土問題
(a) 79年1月末,ソ連が国後及び択捉両島に新たな軍事力の配備及び施設の構築を進めている事実が防衛庁により発表された。この事実に基づき,政府は,2月5日,ソ連政府に対し,かかる軍事的措置に抗議し,その速やかなる撤回を求め,領土問題の早期解決を要請する申入れを行つた。
また,国会においても2月,衆参両院の本会議において「北方領土問題の解決促進に関する決議」が採択され,この決議は同2月駐ソ魚本大使よりフィリュービン外務次官を通じ,ソ連政府に伝達された。
その後,9月に至り,国後及び択捉両島に加え,更に色丹島においても新たに軍事力の配備が開始されたとの事実が判明した。政府は,かかる事態を重大に受けとめ,10月2日,再度ソ連政府に対し,このようなソ連側の措置が,自らが強調してやまない日ソ間の善隣友好の精神に逆行し,日本国民に対する非友好的な行為であるとして厳重に抗議し,このような措置の速やかな撤回を強く要求した。
更に80年2月8日には,79年の2度にわたる日本政府の声明を全面的に再確認し,軍備強化の措置を速やかに撤回するよう改めて強く申し入れた。
(b) 79年5月,その開催が78年1月の園田外務大臣訪ソの際に原則的に合意されていた日ソ外務省間の事務レベル協議の第1回会議がフィリュービン外務次官が来日して東京で開催され,アジアを中心とする国際情勢及び日ソ2国間の諸問題について幅広い意見交換が行われた。その際日本側より,日ソ共同宣言という「原点」に立ち戻るべきこと,北方領土返還要求が国民の総意であるとの事実をソ連側が正しく認識すべきことなどを強調した。
(c) 79年9月,北海道の現地関係者その他の強い要望に応え,園田外務大臣は現職の外務大臣として2回目の北方領土の現地視察(根室訪問)を行い,北方領土問題解決に対する政府の不動の姿勢と不退転の決意を改めて内外に強く表明した。
(d) 更に,これを踏まえ同9月,国連総会に出席した園田外務大臣はグロムイコ外相に対し,北方領土問題の解決が1億日本国民の強い願望であり,北方4島の一括返還を実現して平和条約を締結するとの日本政府の立場は将来にわたつても不変不動である旨改めてソ連側に強調した。
(ロ) シベリア開発協力
対ソ経済協力は,シベリア資源開発を中心にこれまで第1次及び第2次極東森林資源開発,パルプ・チップ開発,ボストーチヌイ港建設,南ヤクート原料炭開発,サハリン島大陸棚石油探鉱及びヤクート天然ガス探鉱の7件が対象となり,このうら第1次及び第2次極東森林資源開発とボストーチヌイ港建設の3件は終了し,現在4件が実施中である。
これら7件の協力案件に対する日本側の信用供与額は約15億5,000万ドルに達している。
79年2月には東京で第4回日ソ・ソ日経済委合同幹部会議が開催され,協力の実施状況の検討が行われたほか,実施プロジェクト関連案件(第3次極東森林資源開発,ボストーチヌイ港拡張,極東・サハリン製紙工場改修)の具体化について話し合われたほか,ソ連側より新規大型案件(極東一貫製鉄所建設,ウドカン銅開発,マラジョージノエ・アスベスト開発)が提案された。
更に同9月には第8回日ソ・ソ日経済委合同会議がモスクワにおいて開催され,同じく協力実施状況の検討のほか,前述の実施プロジェクト関連案件及び新規大型案件についての話合いが行われた。
(ハ) 貿易関係
(a) 79年の日ソ貿易は,輸出が78年度水準をやや下回つたが(主として主要輸出品目たる機械・設備,化学品の伸悩み),輸入が大幅に伸び(主に主要輸入品目たる木材の金額ベースによる増加のほか,鉱物燃料,非鉄金属の増加),その結果,貿易規模は日ソ貿易始まつて以来の最高の44億ドルを記録した。
しかし,日ソ貿易がわが国対外貿易総額に占める比率は前年とほぼ同水準の2.1%にとどまつた。
<日ソ貿易>
(b) 日ソ貿易年次協議
76~80年の5年間をカバーする日ソ貿易支払協定に基づき,79年10月にモスクワにおいて貿易年次協議(通算22回目)が開催され,両国間の貿易の実績検討,今後の見通しなどについて意見交換が行われた。
(ニ) 日ソ漁業交渉
(a) 「日ソ」及び「ソ日」両漁業協定暫定協定延長交渉日ソ両国のそれぞれ相手国200海里水域内における漁業につき定めた「日ソ」及び「ソ日」漁業暫定協定が,79年末で失効するに伴い,両暫定協定を更に延長し,80年の日ソ双方の漁獲量を定めるための交渉が11月20日より12月15日までモスクワで行われた。その結果,両暫定協定の有効期間を80年末まで1年間延長する議定書が締結されるとともに,日ソ双方の相手国200海里内での漁獲量につき,日本側は75万トン,ソ連側は65万トンとすることなどが定められた。
(b) 日ソ漁業委員会定例会議
78年4月21日にモスクワで署名された「日ソ漁業協力協定」に基づき,日ソ漁業委員会の第1回定例会議が3月19日より同30日までモスクワで開催され,北西太平洋の漁業資源の検討並びに当該漁業資源の保存及びその合理的利用について協議し,79年度の両国間の漁業協力計画につき検討を行つた。また,同委員会の第2回定例会議が11月15日より同26日までモスクワで開かれ,80年度の日ソ漁業協力計画の作成及び北西太平洋の漁業資源の評価などにつき協議が行なわれた。
(c) 日ソさけ・ます政府間協議
また「日ソ漁業協力協定」に基づき,日本による79年度の海上におけるさけ・ます操業に関する日ソ政府間協議が4月3日より同21日までモスクワで行われた。その結果議定書が締結され,ソ連邦距岸200海里外の北西太平洋における日本の漁獲量を4万2,500トンとし,ソ連に対する漁業協力費として,日本側は32億5,000万円を負担する旨の合意がなされた。
(ホ) 科学技術協力
「日ソ科学技術協力協定」に基づき,79年9月モスクワにおいて第2回日ソ科学技術協力委員会が開催された。同委員会では2回の専門家会議において作成された原子力及び農業の分野における政府間の協力計画案が審議確定された。右協力計画に基づき,原子力分野では高速増殖炉及び核融合の分野で,また農業分野では作物裁培,作物保護などの分野において,専門家の派遣,セミナーの開催,各種情報交換などの具体的な協力が実施されている。
(ヘ) 墓 参
6月,政府は79年度の北方4島,ソ連本土及び樺太への政府ベースの墓参実施につき,ソ連政府に対し申入れを行つた。
これに対し,7月ソ連側は樺太(真岡,本斗,豊原)への墓参を認めること及びそれ以外の諸地点への墓参については同意できない旨回答してきた。
政府は北方4島及びソ連本土への墓参について,人道的見地からこれが実現されるようソ連側の再考を求めたが,ソ連側は上記の回答を最終回答であるとした。
上記の結果,79年度においては8月23日から同31日に樺太墓参のみが実施された。
(ト) 未帰還邦人
政府は,日本への帰国を希望する在ソ 連未帰還邦人に対し帰国指導を行うとともに,機会あるごとにソ連側がこれら未帰還邦人に対し遅滞なく日本への帰国を許可するよう要請してきた。
79年においては,1名が一時帰国した。
<要人往来>
(1)ソ連
(2)東欧
<貿易>