第4節 中南米地域
1. 中南米地域の内外情勢
(1) 政情全般
1979年の中南米政情においては,軍事政権国家における民政移管の動きの進展並びにカリブ・中米情勢の流動化が特筆されよう。
すなわち,中南米地域においては依然として軍部が直接ないしは間接的に政治の実権を掌握している国が多く見られるが,これらの諸国のうち,エクアドルとボリヴィアは79年に民政移管し,また,ペルー,ホンデュラス,ブラジルなどの諸国でも民政移管への具体的スケジュールが進行中である。
他方,中米においては,ニカラグァ及びエル・サルヴァドルにおいてそれぞれ7月及び10月に,従来の独裁的政権に代わる新政権が発足したが,両国政情は依然流動的であり,両国政情の不安定化は周辺諸国にも影響することが懸念されている。また,カリブ海においてはグレナダ,ドミニカ国及びセント・ルシアにおいて相次いで社会主義志向の政権が誕生した。
なお,このような中南米における政治変動の中で,アンデス・グループ諸国(ヴェネズエラ,コロンビア,エクアドル,ペルー及びボリヴィア)が,79年7月のニカラグァ政変の際にソモサ退陣に向けて積極的なイニシアティヴをとり,また中南米の民主化助長のための「平和基金」構想を打ち出す(本構想は10月の米州機構(OAS)第9回総会におけるラ・パス宣言でテーク・ノートされた)など,域内の民主化に対し積極的な行動をとつたことが注目される。
(2) 域内諸国間関係
(イ) 中南米の諸国間では,近年,政府首脳間の相互訪問が従来にも増して活発化している。79年においては,モラーレスペルー大統領のアルゼンティン,ブラジル訪問,フィゲイレードブラジル大統領のヴェネズエラ訪問,ヴィデラアルゼンティン大統領とストロエスネルパラグァイ大統領の相互訪問,グスマンドミニカ共和国大統領とデュヴァリエハイティ大統領の会談,カストロキューバ国家評議会議長のメキシコ訪問などがその主なものとして注目された。
(ロ) 中南米における地域統合の動きとしては,ラテン・アメリカ自由貿易連合(LAFTA),中米共同市場(CACM),カリブ共同体(CARICOM)などは目立つた動きを示さなかつた。他方,アンデス地域統合は,5月のカルタヘナ協定調印10周年を記念してのアンデス諸国首脳会議を契機として,ニカラグァ問題や「平和基金」構想の提案など,従来の経済統合中心から政治的結束へと動き出し,さらにアンデス外相協議会,アンデス仲裁裁判所,アンデス議会の設立など同統合の機構整備の動きや,米国,EC,ブラジル,アルゼンティンなど域外諸国との積極的な関係緊密化の動きが見られた。また,ラテン・アメリカ経済機構(SELA)は,国連貿易開発会議第5回総会(UNCTADV)に向けての中南米グループの調整会議の事務局として機能したのをはじめ,SELA・EC関係の強化に関する決議,ニカラグァ再建のため金融・技術協力を行うニカラグァ再建協力行動委員会の設置(8月)などの活動を継続している。
(ハ) ビーグル海峡問題をめぐるアルゼンティン,チリ両国の対立は,78年末からのローマ法王庁の調停工作により,武力衝突の可能性は一応回避された。また5月には,ドミニカ共和国及びハイティ両国の大統領が40年ぶりに会談し,両国の友好強化をうたつた共同宣言と協力基本協定に調印し,両国の関係緊密化が図られた。
(3) 域外諸国との関係
(イ) 対米関係
中南米地域に大きな影響力と利害を有する米国は,79年2月にはカーター大統領のメキシコ訪問,モンデール副大統領のブラジル(3月),ヴェネズエラ(同月)訪問など,中南米諸国との間で緊密な関係維持に努めており,従来の家父長的関係から対等な関係を目指す傾向にある。メキシコとの間では,9月のロペス・ポルティーリョメキシコ大統領の米国訪問の際に,両国間の懸案事項の一つであつた天然ガス問題が解決された。
また,78年6月米国・パナマ間でパナマ運河新条約批准書の交換が行われたが,79年に入り米国議会における関連法案審議を経て,10月1日新条約が発効した。
米・キューバ関係においては,79年8月,キューバにおけるソ連部隊の存在が明らかになつたとして,カーター大統領はカリブ海監視体制強化の方針を打ち出した。OAS第9回総会において,カリブ海諸国の多くは米国のかかる政策は同地域に東西対立を持ち込むことになるなどの理由から,反発ないし危惧の念を表明した。
米・アンデス・グループとの関係については,米国は同グループ諸国の人権擁護促進および民主主義確立のための積極的な活動を高く評価し,79年11月には,米国とアンデス地域統合との間で直接関係を樹立する了解覚書が締結されるなど,両者の関係緊密化の動きがみられた。
(ロ) 対西欧・カナダ関係
中南米諸国は従来の過度な対米依存関係から脱却し,外交の多角化を推進するとの観点から,西独,仏をはじめとする西欧諸国及びカナダとの関係強化に努力しており,西欧諸国及びカナダも,貿易相手先,海外投資先及び必要資源の安定的供給先として,中南米諸国を重視しつつある。最近の動きとしては,ジスカール・デスタンフランス大統領のメキシコ訪問(79年2月),シュミット西独首相のブラジル,ペルー,ドミニカ共和国訪問(4月),ソアレススペイン首相のブラジル訪問(8月),ロヨパナマ大統領のフランス訪問(6月),トゥルバイコロンビア大統領の西欧諸国歴訪(フランス,英国,スイスなど10カ国及びEC委員会,7月)など,首脳外交の活発化が注目される。また,79年1月のカナダとカリブ共同体(CARICOM)構成国間の貿易技術協力協定締結の提案(7月)などの動きが見られ,科学技術協力,外資導入,技術移転などの諸分野を中心に関係強化の努力が続けられている。
(ハ) 対共産圏関係
79年9月,キューバで非同盟諸国首脳会議が開催されたこともあり,キューバの積極的な外交が注目され,カストロ国家評議会議長の国連総会出席(10月),メキシコ訪問(5月)のほか,ネトアンゴラ大統領(1月),ヤロシェヴィッチポーランド首相(3月),ジフコフブルガリア国家評議会議長(4月)などのキューバ訪問が相次いだ。
ソ連は,キューバとの関係推進を除き,特に目立つた動きを見せていないが,中国は5月の康世恩副総理のブラジル訪問やケリ=チリ経済相の中国訪問(4月)など,中南米諸国との人的交流を進めているほか,12月にはエクアドルとの外交関係を樹立した。
(4) 経済情勢
(イ) 79年の中南米地域のGDP成長は,国連ラ米経済委員会(ECLA)の資料によれば,78年の4.7%に対して6.5%(推定)と大幅な上昇を記録した。これは78年マイナス成長であつたアルゼンティン及びペルーの大幅な回復,メキシコの順調な伸長,チリ,コロンビア及びパラグァイのかなりの成長率の維持などによるものである。
(ロ)中南米経済の大きな問題であるインフレについては,各国ともインフレ抑制を重要課題として努力を傾注したにもかかわらず,地域全体の平均物価上昇率は51%(推定)と78年の41%を大きく上回る結果となつた(ECLA資料)。80年においても,インフレ抑制はブラジル,アルゼンティン,ペルーなど多くの国において,経済面における最重要課題の一つといえよう。
(ハ)79年の中南米地域(ただし,主要23カ国推定)の経常収支は,78年の158億ドルの赤字から更に悪化し,約250億ドルの赤字を計上した(経常収支のうち,貿易収支は8億ドルの黒字,ECLA資料)。国別に見ると,ヴェネズエラとペルーを除く大部分の国で経常収支は悪化しており,ブラジル及びメキシコの赤字は各々78年の70億ドル及び27億ドルから79年には94億ドル及び34億ドルに拡大した。
一方,資本収支は,ブラジルの黒字が大幅に減少したが,アルゼンティン,チリ,コロンビア,メキシコ,ヴェネズエラなどの黒字が拡大し,中南米地域全体としては236億ドルの黒字を記録した(78年は229億ドルの黒字)。この結果,中南米地域の総合収支の黒字は78年の71億ドルから79年には35億ドルに減少した。
(5) 主要国の動向
(イ) メキシコ
ロペス・ポルティーリョ政権は,79年7月政治改革の一環として,新しいより民主的なシステムに基づく下院議員選挙を行い,共産党,労働社会党,民主党が国政に参加するとの新しい面はあつたものの,立憲革命党(PRI)の圧倒的優位には基本的変化はない。同政権は引き続き石油資源の積極的活用を中心とする経済政策を実施しており,インフレ及び社会構造などの問題はあるものの,79年の経済成長率は7.5%(推定)を達成し,着実な成果を挙げている。
(ロ)ニカラグァ
79年7月,1年間に及ぶ内戦を経てソモサ政権が崩壊し,7月20日各界反ソモサ運動指導者5名で構成する国家再建執政委員会が発足した。
同委員会は40年以上にわたるソモサ政権による独裁体制とその旧弊を打破し,内戦によつて疲弊したニカラグァに民主的体制を確立するため,政治,経済,社会,行政機構など各方面での改革を進めているが,産業の荒廃,再建のための資金の欠乏などにより,国民経済水準はソモサ政権時代よりも大幅に後退しており,政府は極めて困難な事態に直面している。政変当時進捗した諸外国の緊急援助も一段落し,新政権はあらたな協力を得るために努力しているが,ニカラグァは80年に入り特にキューバを始めソ連及び東欧圏への傾斜を深めているところがら,今後の動向が注目される。
(ハ) エル・サルヴァドル
78年から79年にかけてロメロ政権は国内治安のコントロールを失い,79年10月15日マハノ及びグティエレス両大佐が率いるクーデターが発生し,両大佐と民間人3名の委員で構成する革命評議会が発足した。評議会はその内閣とともに,80年1月両大佐のほかはキリスト教民主党を中心とする構成にあらためられ,銀行の国有化,主要産品輸出の国営化,農地改革など抜本的な経済社会改革に着手したが,更に急進的な施策を主張する左翼過激派によるテロ及びこれに反対する富裕階層の妨害が続けられており,治安は極度に悪化している。3月には政府批判で知られたロメロ大司教が暗殺されたことから,左右の対立はますます顕在化し,政情不安は極めて深刻な様相を見せている。
(ニ) パナマ
78年8月国会議員選挙が実施され,同年10月召集された国会においてロヨ前文部大臣が大統領に選出され,民主化が達成された。同時にトリホス将軍は6年間保持してきた政府主席のポストを辞任し,国警隊司令官としての地位にとどまつている。外交面では,77年に米国との間に署名されたパナマ運河新条約が,米国内における条約実施のための立法措置を了したため,79年10月1日発効の運びとなつた。
(ホ) エクアドル
76年2月に成立した陸,海,空3軍最高司令官による合議制の軍事政権は2年以内に民政に移管することを国民に約し,78年7月に大統領及び地方議会の議員選挙が,また79年4月には大統領決戦投票及び国会議員選挙が実施された。その結果,大統領には人民勢力集中党のハイメ・ロルドスが選出され,同年8月10日大統領に就任するとともに国会が再開された。しかしながら再開後の国会において,大統領と人民勢力集中党党主であるブカラン国会議長の間で政策のくい違いがみられ,ひいては行政府と立法府の対立を招くこととなつた。このため12月に入り一部閣僚の交代が行われたが,依然として行政府と立法府の関係は円滑さを欠いている。
(ヘ) ヴェネズェラ
79年3月キリスト教社会党(COPEI)のエレラ政権が誕生した。同政権は外交より内政,発展よりも調和を重視するとの政策を打ち出したが,新しい経済開発計画は発表されず,経済面で目立つた動きはなかつた。しかし2年ぶりのOPECの石油値上げの結果,国際収支は大幅に改善された。一方外交面では,アンデス統合への政治的役割の付与の面などで指導力を発揮するとともに,12月にはカラカスでOPEC総会を開催し,非産油LDC諸国援助に力を入れるなど注目された。
(ト) キューバ
79年における砂糖生産は史上第2位の豊作となり,かつ砂糖の価格もやや持ち直したにもかかわらず,生産管理などの問題もあり,同国経済は全体として必要外貨を充足するには至らず,経済的困難から脱し切れなかつた。更に79年より,砂糖,タバコに病害が発生し,今後かなりの減産となるものと見られている。このような中で,9月非同盟首脳会議を開催したが,一方では5月頃より在キューバ・ヴェネズエラ,ペルー両大使館へのキューバ人亡命事件が頻発し注目された。
(チ) ブラジル
79年3月フィゲイレード新政権が発足したところ,同政権はガイゼル前政権の路線を踏襲し政治体制の民主化を一段と進め,政情安定維持の面で成果を挙げた。しかしながら,貿易収支の赤字,対外債務の増大,インフレの昂進など経済情勢は悪化し,政府は79年末に至り緊縮財政,為替の大幅な切下げなどを柱とする一連の新経済政策を打ち出した。
(リ) ペルー
79年7月新憲法が採択されるなど80年7月の民政移管への諸準備が整つた。また78年に最悪の事態に陥つた経済は,79年に入り非鉄金属,石油などの好調な輸出に支えられ,貿易収支,外貨事情が大幅に好転したのをはじめ生産も順調な回復を見せ,成長率は2年ぶりにプラスに転じた。この結果80年分の公的債務繰延べを取り下げたが,インフレ,失業問題には十分な成果が挙がらなかつた。
(ヌ) ボリヴィア
79年7月に民政移管のための大統領選挙が実施されたが,いずれの候補も当選要件の得票率に達せず,ゲバラ・アルセ上院議長が臨時大統領に指名された。しかるに11月,ナトウシュ・ブッシュ陸軍大佐の率いるクーデターが発生した。しかし,国会,労組を中心とする強い抵抗及びアンデス諸国などの圧力によりクーデターは失敗に終わり,国会決議により80年8月までの臨時大統領としてゲイレル下院議長が任命された。
(ル) チ リ
物価(消費者物価上昇率39.9%),失業率(13%台)などに問題を残しているが,経済は全体として回復期より発展期に向かいつつある。治安の回復と経済の建直しを達成したピノチェット現政権は,79年には新労働法の制定などを行つたが,民政移管については具体的進展は見られない。なお,対米関係はレテリエル事件をめぐつて冷却化した状態にある。
(ヲ) アルゼンティン
テロの発生,陸軍タカ派の将軍による小規模の反乱の企図などもあつたが,全体として国内政情は安定裡に推移した。経済でも実質成長率が前年のマイナス4.2%からプラス7~8%(推定)に達した。インフレは依然100%を大きく上回つたが,10月以降沈静化の傾向が見られる。