2. わが国と北米諸国との関係

(1) 米 国

(イ) 日米関係全般

日米関係は,一貫して,わが国外交の基軸であり,米国もまた,わが国との関係をアジア外交の中心として重視している。両国の友好協力関係は,イラン,アフガン問題を始めとして国際情勢が厳しくなる中で一層その重要性を増しつつある。

両国は,政治,安全保障,貿易・経済,科学,文化など幅広い分野で緊密な協力関係を発展させており,79年においても,大平総理大臣の訪米(5月)やカーター大統領の訪日(6月)などを通じて,両国間の相互理解と信頼の一層の強化が図られた。

(ロ) 日米経済関係

(a) 79年初頭,米国内において,前年の165億ドルに上るわが国経常収支の大幅黒字を背景として対日批判の高まりが見られた。特に,安川政府代表の訪米(2月),ブルメンソール財務長官の訪日(3月),オーエン大使の訪日(3月)などを通じて,米側より,わが国経常収支黒字幅の削減,市場開放措置,政府調達(電電公社)問題など個別懸案事項の早期解決などの緊要性が指摘された。かかる中で,牛場政府代表が政府調達問題についての交渉のため,3月に訪米したが解決に至らず,話合いを継続することとなつた。

(b) 4月には園田外務大臣が,総理訪米の準備とともに,政府調達問題を含む当面の日米経済問題について解決の糸口を探るため訪米し,米側閣僚との会談を通じて,経済問題を政治問題化せずに,解決に向けて一層の努力を行うことを確認した。

(c) かかる情勢を背景に,5月,大平総理大臣訪米の際,カーター大統領との会談において,日米経済関係については,まず中期的展望をより明確にし,同展望のもとで,両国が世界経済の発展のために協力していくことに意見の一致をみた。すなわち,わが国は,内需拡大,市場開放などを通じて経常収支の黒字幅の削減に努めること,また,米側は,インフレ率の低下,石油輸入の抑制及び輸出の促進を通じて経常収支の赤字幅の削減に努力することを,両首脳間の「日米共同声明」の中で表明した。また,同声明では,日米両国がエネルギー,科学技術,政府開発援助などの分野で積極的に協力することがうたわれたほか,いわゆる日米賢人グループの創設,日米農産物協議の開催なども決まつた。更に,政府調達問題ほかの個別懸案事項については,右総理訪米の際,できる限り早期に解決すべく話合いを継続することが確認された。

(d) その後6月,ストラウス通商交渉特別代表が来日し,牛場政府代表との間で,政府調達問題の今後の交渉の手順と基本的枠組みにつき合意をみ,更に,わが国の東京ラウンド関税引下げの早期実施,たばこ及びスタンダードについての両国間の討議の開始,並びにわが国の対米石炭輸入奨励といつた事項も盛り込んで「牛場・ストラウス共同発表」が作成された。

(e) その後,上記のような日米間の緊密な意思疎通,わが国経常収支の赤字転化,並びに日米貿易収支不均衡の改善傾向などの諸要因が相まつて,夏から秋にかけて,日米経済関係は比較的平穏に推移した。このような潮流を反映して,10月に発表された日米貿易に関する米国会計検査院レポート(いわゆるベンツェン・レポート)は,日本政府の市場開放努力及び日米貿易収支の改善ぶりに一応の評価を与えた。

(f) また,11月には,日米経済関係諮問グループ(いわゆる賢人グループ)が正式発足し,80年末に予定される日米両首脳への勧告作りに着手した。

(g) 更に,11月には,日米農産物協議及び日米林産物委員会などが開催されたほか,12月にスタンダード活動の一般原則に関する日米共同発表が作成され,また,政府調達問題,たばこ問題などについても日米事務レベル間の協議が鋭意行われた。

(h) かかる中で,日米経済関係上の新たな問題として,わが国の過剰米の輸出をめぐる問題,及びわが国自動車の対米輸出問題が次第に注目されるに至つた。これらについては,日米両政府の意思疎通をはかるため種々話合いが行われたが,最終的決着は翌年に持ち込されることとなつた。

(ハ) 日米漁業関係

79年の日米漁業関係は,77年11月に発効を見た「アメリカ合衆国の地先沖合における漁業に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」のもとで,78年に引き続き基本的には順調に推移した。

79年のわが国に対する米国200海里水域内での最終漁獲割当量は,約121万トンであり,78年の最終漁獲割当量(約125万トン)の約97%であつた。

この間,対日漁獲割当,操業の実施などにつき種々の日米間協議を行つたが,米国においては,自国漁業振興策の一環として,外国に対する漁獲割当を制限すべきであるとの動きも見られるほか,外国に対する米国産水産物の輸入拡大の要求も高まりつつある。

(ニ) 日米安全保障条約

(a) 緊密な協議・協力

日米安保条約は,わが国のみならず,極東の平和と安全の維持に大きく寄与してきている。79年においても,日米安保条約の円滑かつ効果的な運用を図るため,日米間において引き続き緊密な協議及び協力が行われた。

4月初めに園田外務大臣が訪米し,安全保障問題について,ヴァンス国務長官,ブラウン国防長官などと幅広く意見交換を行い,次いで,4月末より5月初めにかけて大平総理大臣が訪米し,カーター大統領と会談した。その共同声明において,両首脳は,日米安保条約を含む日米間の友好協力関係が従来と同様今後ともアジアにおける平和と安定の礎であることを再確認した。特に,その中でカーター大統領は,米国は東アジアにおける現在の米国の軍事力の質を維持し,かつ改善していく旨を述べた。これに対し,大平総理大臣は,米国との安全保障体制を防衛政策の基調としつつ日本の自衛力の質的改善のため今後とも努力する旨述べた。

8月には,山下防衛庁長官が訪米し,その後10月にはブラウン国防長官が来日し,大平総理大臣,園田外務大臣などと会談し,韓国の情勢,ソ連の軍事力増強などにつき意見交換を行つた。

80年1月に,ブラウン長官が中国訪問の帰途再度来日し,大平総理大臣,大来外務大臣及び久保田防衛庁長官と会談し,ソ連の軍事力増強及び極東,中東における情勢などについての意見交換を行うとともに,わが方からは日本の防衛努力との関連で80年度防衛予算につき説明した。

更に,80年3月に大来外務大臣が訪米し,ブラウン国防長官と会談したが,その際ブラウン長官より,ソ連の世界的な軍事力増強,中東における最近の新たな国際情勢の展開にかんがみ,米国は一連の予算削減にもかかわらず国防費だけは年実質5%増額していくことを決定しており,日本も防衛努力を強化してほしいとの期待が表明され,これに対し大来外務大臣は,着実な努力を続けていく考えである旨述べた。

(b) 地位協定の円滑な運用

政府は,日米安保条約・地位協定の目的達成と施設・区域周辺地域の経済的・社会的発展との調和を図るため,在日米軍施設・区域の整理統合を推進してきたが,79年においても施設・区域の全面返還と一部返還が数多く実現した。

また,80年度の在日米軍関連予算は,在日米軍のより円滑な駐留に資するよう前年度に引き続き増額された。

(ホ) 日米原子力問題

78年3月に発効した米国の新核拡散防止法は,米国核物質などの受領国と米国との間の原子力協定を米国の規制権を強化する方向で改正することを求めているものであり,日米原子力協定の改正に関する協議も79年2月に東京で行われた。

77年9月の日米交渉で合意を見た東海再処理施設の運転期間は,INFCEの期間にあわせて2年間,すなわち,79年9月までとなつていたところ,INFCEが延長されたため80年4月末まで延長されることとなつた。

そのほか日米間で原子力平和利用と核不拡散に関する種々の協議が行われ,この面での日米間の意思疎通はますます緊密なものとなつた。

<要人往来>

(2) カナダ

(イ) 日加関係全般

日加関係は近年,政治及び経済両面で結び付きを深め,進展してきたが,79年は両国修交50周年に当たり,交化交流も多%に推進され,相互友好協力の増進にとつて極めて意義ある年であつた。

政治面では,5月に発足したクラーク党首を首相とする進歩保守党政権の対日政策は日本重視という点でトルドー前政権と基本路線を一にし,わが国との一層の関係増進に意欲を見せた。

クラーク首相は野党党首時代の79年1月,訪日したが,引き続き首相就任後の同年6月にも,東京サミット会議出席のため訪日した折,大平総理大臣をはじめ,わが国政府要人と意見交換を行つた。

経済面では,日加経済協力合同委員会第2回会議が79年3月に東京で,また,第2回日加経済人会議が同年5月にトロントでそれぞれ開催された。

今後は,教育,科学技術協力などの分野でも交流を一層拡充強化し,日加関係は全般的に緊密化の道を歩んでいる。

(ロ) 日加経済関係

(a) 79年3月に東京で開催された第2回日加経済協力合同委員会での対話を踏まえ,種々の分野で両国間の経済協力関係に進展が見られた。

両国間の貿易動向は引き続き,わが国の工業製品の輸出,カナダの一次産品輸出という形で相互補完関係にあり,往復貿易額は過去10年間で約5倍の58億ドルに達した。

エネルギー分野では,わが国はアルバータ州のオイルサンド開発のため加側企業などとの共同事業として二つの実験操業に参画し,その成果を収めつつある。石炭貿易に関しても,日加間で安定的な貿易関係が図られてきているが,79年中には,BC州,アルバータ州より石炭ミッションが訪日し,日本側関係者と石炭の新規開発などについて意見交換を行いつつある。

農林業分野においては,わが国は菜種,小麦,大麦,製材などを安定的にカナダから輸入しており,特に7月には78年に続き日加なたね会議が,6月には日加住宅委員会が開かれ,有益な意見交換を行つた。

漁業分野では,78年4月の日加漁業協定に基づき対日割当及び資源保存や技術協力に関する政府間協議が行われた。

(b) 他方,かかる政府レベルでの対話に加え,民間レベルでの交流において,79年5月第2回日加経済人会議がトロントにおいて開催されるなど注目すべき進展があつた。

<要人往来>

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