第2節 大洋州地域
1. 大洋州地域の内外情勢
(1) 豪 州
(イ) 内 政
79年を通して,フレーザー首相の指導力のもとに連立政権の安定性は維持され,国内政局も比較的平穏に推移した。また,各州の動きについては,9月に南オーストラリア州において総選挙が行われ,与党労働党の敗北により自由党政権が成立した。11月には,懸案であつた200海里漁業水域が実施された。
(ロ) 外 交
79年において,豪州の外交政策は,豪州の国益に依拠した重点国主義を踏まえつつ,対米協調,わが国との関係強化,中国及びASEAN諸国との関係の整備及び南太平洋諸国に対する施策に努める一方,ローデシア問題の解決に努力するなど第三世界に係る諸問題に対する積極的な対応が顕著に示された。他方,フレーザー政権は,インドシナ情勢の展開,アフガニスタンに対するソ連軍の進攻などの動きをとらえ,越及びソ連に対し一連の対抗措置をとるなど厳しい姿勢を示した。豪州の南北問題の解決に対する積極的な姿勢は引き続き示され,フレーザー首相自らマニラにおけるUNCTADV(5月)に出席した。
79年には,対米協調の姿勢が顕著に示され,特にイランにおける米大使館員人質事件及びアフガニスタンに対するソ連軍進攻に関する米国の立場を強く支持した。
東南アジア諸国との関係においては,ASEAN各国との関係強化が図られ,フレーザー首相もフィリッピン及びインドネシアを訪問(5月)した。
南太平洋諸国との関係においても,積極的な施策が講じられ,特にパプア・ニューギニアを中心とした経済援助の増大及び貿易関係の整備が図られた。
(ハ) 経 済
(a) 概 説
フレーザー政権は,インフレ抑制を通じての経済体制の基盤を強化し,もつて民間経済の自律的回復を図るとの「インフレ抑制第一」の基本政策を堅持し,かかる観点から財政・金融政策などを通じ総需要抑制の基調を維持した。しかし,国際的石油価格の高騰は豪州経済にも大きな影響を与え,豪州政府の総需要抑制策にもかかわらず,消費者物価は騰勢を強め79年の消費者物価上昇率は2桁に達した。一方,金融市場においては,インフレ抑制の観点から法定準備率の引上げなど引締め基調を強めたことから,79年中を通じて高金利水準で推移した。他方,農業部門での生産の著しい伸び(実質36%増)を背景に,78/79年度の経済成長率(実質GDP)は4.7%増と,ここ数年最大の伸びを示したものの,雇用情勢については実質的にほとんど改善がみられず,失業率は6%前後の水準で推移した。
(b) 主要事項
78年に導入された鉱物資源輸出に関する連邦政府の承認手続の強化を図る政策は,各州政府の反対に逢着し,6月の連邦,各州政府間の協議を経て緩和されることとなつた。
金融制度面においては,1月に金融制度調査会が設置され,銀行法の改正を含めた豪州金融制度の枠組みを見直すべく検討が開始された。
6月,エネルギー政策が発表され,石油消費の節約,新規油田の開発及び代替エネルギーの開発促進につき豪州政府の考えが表明された。
なお,国際収支面では79暦年を通じ一次産品の商品市況高騰を反映し,輸出の大幅な増加をもたらし,その結果,貿易外収支の赤字基調にもかかわらず経常収支では大幅な改善となつた。
(2) ニュー・ジーランド(NZ)
(イ) 内 政
78年11月の総選挙の結果,野党労働党が議席数増の進出を果たしたものの,79年の国内政局は,マルドゥーン首相が率いる国民党政権のもとで安定的に推移した。
(ロ) 外 交
NZの対外関係は,自国の経済的困窮性を克服するとの観点から,貿易,経済関係の密接性を勘案し地域別重点主義を踏まえて処理されてきている。79年においても,西欧市場との貿易関係を再構築するための努力が続けられた。他方,伝統的な対西欧市場は狭隘化の方向に向かつているため,NZは代替市場を求める必要からアジア・太平洋地域との関係の緊密強化を図つてきており,わが国をはじめとして,中国及び韓国に対しても市場確保の観点から関係閣僚が往訪するなど関係強化に努めていた。隣国である豪州との貿易経済関係をより発展させるとの観点より,両国間協議を行うなどの努力が図られた。また,国防政策との関連で南太平洋地域の平和と安全の確保を主眼とし,これまでの同地域島興国との関係強化が維持された。他方,これまで貿易,漁業などを中心に着実に発展してきたソ連との関係においては,12月のソ連軍のアフガニスタン侵攻を契機として,対ソ連漁獲割当ての削減などの強硬措置が講じられた。
(ハ) 経済情勢
NZ政府は,78年11月の総選挙を考慮に入れ導入した景気刺激策の結果,79年に入りインフレ圧力と輸入需要の高まりが再び顕著となつたため,金融引締め政策への転換が図られ,財政面においても抑制措置が講じられた。この結果,79財政年度の実質経済成長率(GDP)は1.5%にとどまつた。雇用情勢の改善も見られず,79年の失業者数は5万人台,失業率も約4%となつている。78年には鎮静化された物価も,景気刺激策を通じ大幅賃上げがなされたこと及び食肉を中心とする輸出価格の好転が国内価格に反映されたことを背景に,79年に入り消費者物価上昇率も15.2%(12月)となつた。
(3) パプア・ニューギニア(PNG)
(イ) 内 政
79年の政局は,7月の非常事態宣言及び関係閣僚の有罪判決(9月)とこれをめぐる行政府と司法府の対立など波乱はあつたものの,ソマレ首相の指導のもとに連立政権(パンダ党,連合党など)は安定的に維持された。しかし,80年1月の内閣改造を契機に連立内閣に分裂が生じ,施政に不満を有していた人民進歩党など野党の動きとも連動して,3月に入りソマレ内閣に対し不信任案が提出され,同案は可決されるに至つた。その結果,チャン人民進歩党党首が新首相に任命された。
(ロ) 外 交
79年においても,PNGは,普遍主義外交を標脅しつつ主要外交努力を対豪協調,対日関係の強化,南太平洋諸国との協力関係の増進と地域協力機関への積極参加及び隣国インドネシアとの親善の維持,発展に向けた。
新たな動きとしては,南太平洋における仏海外領土の民族自決及び独立を唱導するなど同地域での政治的主張を強めるとともに,ソマレ首相のタンザニア訪問及びローデシア選挙監視のための代表団派遣などの対アフリカ外交の展開が示された。
(ハ) 経済情勢
79年におけるPNGの主要経済政策については,2月にエネルギー白書が発表され,同国エネルギー利用の現状分析と今後のエネルギー総合利用戦略策定が行われた。また,国内生産の拡充による食糧自給率を高めるべく食糧輸入制限の方針を発表し,米,キャベツ及び生鮮野菜などの輸入禁止,制限が行われた。6月には,林産業の振興を図る目的の林業政策が発表された。12月には,石油値上げなどに起因する海外よりのインフレ輸入の抑制を図るべく,キナの対外通貨レートが5%切り上げられた。
(4) フィジー
(イ) 内 政
フィジーの内政は,79年においてもフィジー系,インド系など各種グループの融和をめざす国民同盟党及びインド系国民の支持を基盤とする国民連邦党の両党が相拮抗する情勢にあつたが,カミセセ・マラ首相(同盟党党首)の指導力により,大きな政局の変化をみるに至らなかつた。
(ロ) 外 交
79年の対外政策も,英連邦諸国との緊密な関係の維持を基調としつつ,特に豪州,NZとの関係維持に努める一方,国連などの場において積極的役割を果たすとともに南太平洋地域の域内協力に努めた。マラ首相も,英連邦首脳会談(8月)に出席し,また,フィジー軍をローデシアに監視団として,さらにレバノンにも国連軍として派遣するなど国際協力に努めている。
(ハ) 経済情勢
79年の実質経済成長率は5.8%の伸びとなる見込みで,これまで最高の砂糖生産と観光収入の増加を背景に安定成長を遂げた。主要産品の砂糖は78年を32%上回る46万トンの生産となつた。
(5) 南太平洋地域
(イ) 79年7月,英領ギルバート諸島は新国家名をキリバスとして独立した。
(ロ) 79年においても,200海里水域設定の動きがあり,ナウル(9月),クック諸島(10月)が同水域を実施した。
(ハ) 地域機構の動きとして,8月,フォーラム漁業機関が設立され,今後南太平洋水域における漁業資源の保存,管理などにつき域内協力がすすめられることとなつた。