7. 南西アジア諸国

(1) 南西アジア諸国の内外情勢

(イ) 域内関係

79年は各国ともに内政の懸案を抱えていたこともあり,南西アジア域内関係には大きな動きはなく,域内情勢は安定的に推移した。79年末にソ連がアフガニスタンに軍事介入し,また,80年1月にインドでガンジー政権が成立するとともに域内各国の動きは活発化した。1月には,バングラデシュのジアウル・ラーマン大統領,3月にはネパールのビレンドラ国王がインドを訪問し,ガンジー首相と会談した。2月には,インドは印パ関係改善のため,外務次官をパキスタンに派遣し,協議を行つた。

(ロ) 域外諸国との関係

ソ連のアフガニスタン軍事介入後,各国要人は相次いでインド,パキスタン両国を訪問した。

(ハ) インド

(a) 内 政

2年余り続いたジャナタ党デサイ政権は,7月に至り,副首相兼蔵相として閣内第2位の地位にあつたチャラン・シンが,内閣の主導権争い及び宗教色の強い党内ジャン・サン派への反発などから,自派を率いて離党した結果,崩壊した。次いでチャラン・シンは,首相に任命され,組閣を行つたが,右内閣は下院の信任が得られなかつたため,下院が解散され,80年1月に総選挙が行われた。右総選挙においては,コングレス党ガンジー派が予想を上回る大勝を収め,インドの政局は安定した。ガンジー政権は,国内秩序の回復と物価の安定を重要課題としている。

(b) 外 交

ジャナタ党政権は,引き続き近隣諸国との友好関係を維持した。

対中関係は,79年2月ヴァジパイ外相の訪中が両国間の要人往来としては17年ぶりに実現したが,右訪問中に中国は対越進攻を行つたため,同外相は旅程を切り上げて帰国した。インドはヴィエトナムと伝統的友好関係にあるためインドの対中感情は悪化し,印中関係改善の動きは頓座した。

印・ソ関係は引き続き良好であつた。79年3月にはコスイギン首相が訪印し,6月にはデサイ首相が訪ソした。チャラン・シン内閣成立後の9月にはコスイギン首相がボンベイに立ち寄り,ガンジー政権成立後の80年2月にはグロムイコ外相が訪印した。

79年12月に発生したソ連のアフガニスタン軍事介入に対して,ガンジー政権は,外国勢力による干渉はいかなる国によるものであれ反対であるとするとともに,アフガニスタン問題により南西アジア地域に大国の対立が持ら込まれることに反対であるとして,米国のパキスタンヘの軍事援助に反対した。

(c) 経 済

好調を続けてきたインド経済にも,79年に入りかげりが見えはじめた。増税を盛り込んだ新予算,積年の赤字財政,さらには物資不足などにより物価上昇が始まり,インフレは年率20%を超える規模となつた。また,今世紀最大といわれる旱魃に見舞われ,穀物生産は約14万トンの減産が見込まれるに至つている。穀物備蓄2,000万トンにより本年度は切り抜けられるものの,人口の80%が農業に依存するインド経済に農業不振の及ぼす影響は極めて大きい。一方,工業生産も電力,石炭,輸送力の不足,労働争議などにより停滞が著しく,インドの経済成長率は73年についで2度目のマイナス成長を記録することも懸念されている。

(ニ) パキスタン

(a) 内 政

施政3年目を迎えたハック大統領は,79年2月イスラム化諸措置を発表した後,4月,政敵暗殺の罪で死刑判決を受けたブットー前首相の処刑を行つた。次いでハック大統領は,民政移管に向けて総選挙を11月17日に実施する旨発表したが,10月に至り政党各派の総選挙参加態勢が十分整つておらず,安定政権誕生の見込みがないとして総選挙を無期延期し,同時に政党解散,政治活動禁止などの戒厳令強化を行つた。ソ連のアフガニスタン軍事介入により,パキスタン領内には50万を超える難民が流入しており,パキスタン政府にとり大きな負担となつている。

(b) 外 交

パキスタンは,79年3月,CENTOを脱退するとともに,9月に非同盟に加盟し,非同盟主義を外交の基調とした。対米関係は,核開発問題をめぐる対立から米国が4月対パ経済援助を再停止したため,停滞した。対中関係は,1月李先念副首相の訪パ,5月アガ・シャーヒ外務担当大統領顧問の訪中などが行われ,ますます緊密化した。

79年末のソ連のアフガニスタン軍事介入に対処するにあたりパキスタンは米国の軍事援助の申し出を断わる一方,イスラム臨時外相会議を1月に主催し,対ソ非難決議を成立させ,イスラム諸国との連帯強化に成功した。また,同時期に中国および西側諸国の要人が次々に訪パし,対パ支援の姿勢を明らかにした。

(c) 経 済

パキスタン経済は,78/79年度にはGNP成長率6.3%を記録した。これは,農業部門で綿花生産が落ち込んだものの,小麦および米の生産が大幅に回復し,工業部門でも民間投資の停滞にもかかわらず,ある程度生産活動が回復したことによる。貿易収支は,輸出伸長を上回る輸入増勢により赤字幅22億ドルに達し,海外労働者よりの本国送金が15億ドルに上つたにもかかわらず,経常収支赤字幅は11億ドルとなつた。

(ホ) バングラデシュ

(a) 内 政

79年,バングラデシュ政府は平穏裡に民政移管を行なつた。2月に実施された総選挙において,ゼアウル・ラーマン大統領率いるバングラデシュ民族主義者民主党(BNP)は3分の2を上回る圧倒的多数を制し,安定した政権の基盤を確立した。さらに同大統領は4月,議会召集,戒厳令撤廃,内閣改造を行い,ここに75年8月以来,3年8ヵ月ぶりにバングラデシュは民政に復帰した。また,食糧事情が極度に悪化したが,政府は逸早く各国からの援助取付け及び緊急買付けを行い危機を乗り切つた。

(b) 外 交

周辺諸国との関係では,ビルマ,ネパール,スリ・ランカとの協力関係強化の動きがみられたほか,4月には,インドのデサイ首相がバングラデシュを訪問した。ゼアウル・ラーマン大統領は78年同様,活発な訪問外交によりASEAN,中東,西側諸国との関係強化に努めるとともに,非同盟諸国首脳会議では,穏健派としてグループ内の結束維持に努めた。

(c) 経済情勢

78/79年のバングラデシュ経済は,工業部門は順調であつたが(成長率8.70%),農業部門が旱魃の影響を受けて不調であつたため(成長率1.3尾),GDP成長率も4%にとどまつた。貿易収支はジュート(原料),茶,皮革の輸出増が顕著であり,15.3%の増加率を示したが,輸入増が著しく(17.6%),貿易収支赤字も10億ドル余りとなつた。

(ヘ) スリ・ランカ

(a) 内 政

78年に引き続きジャヤワルダナ政権は,議会での圧倒的与党勢力を背景に国内体制の一層の整備に努めた。10月には基幹産業就労者のストライキを禁止する権限を大統領に付与する法律を成立させ,安定した国民生活の確保に配慮したほか,野党第一党の「タミル統一解放戦線」との対話を促進して,独立以来の懸案であるシンハラ・タミル両民族融和問題にも積極的に取り組んだ。

(b) 外 交

「真の非同盟中立」を外交の基本政策とするスリ・ランカ政府は,6月にコロンボで開催された非同盟調整ビューロー閣僚会議において,議長国として非同盟運動の統一を維持するため,積極的な努力を行つた。

また,ジャヤワルダナ政権は,2月デサイインド首相,11月ラーマンバングラデシュ,スハルトインドネシア両大統領,80年2月ビレンドラネパール国王をそれぞれ訪「ス」招待し,79年9月にはジャヤワルダナ大統領がシンガポールを訪問するなど近隣諸国との友好関係増進に努めたほか,プレマダーサ首相が中国を,ハミード外相が中国および北朝鮮をそれぞれ訪問し,これら諸国との友好関係増進にも配慮した。

(c) 経済情勢

79年のスリ・ランカ経済は建設・サービス部門の順調な伸びにもかかわらず,農業生産の不振により経済成長率は6.0%にとどまつた。

開発重視の経済自由化政策と原油価格上昇により物価の騰勢は一段と強まり,79年末の消費者物価は対前年比15%の大幅な上昇率を示した。

(ト) ネパール

(a) 内 政

4月,ブットーパキスタン元首相処刑に対する抗議に端を発した学生デモは,現行国王親政の「政党なきバンチャーヤト民主制度」に対する批判となつて全国的な政治動乱にまで発展した。混乱収拾のためビレンドラ国王は5月24日現行パンチャーヤト制度を一部修正の上維持するか,または政党政治を復活するかを選択する国民投票を実施すると発表した。

ついで6月,国王はビスタ首相を更迭,後任にタパ元首相を任命し言論,集会の自由を復活せしめた。

80年3月に至り,国王は国民投票を5月2日に行なう旨発表した。

(b) 外 交

ビレンドラ国王は,9月ハバナ非同盟首脳会議に出席したほか,その途次及び帰途,中国及びインドを訪問して,両国との親善増進に努めた。また11月黄中国外相のネパール訪問の際「ネパール・中国国境議定書」が調印され,両国間の国境問題は最終的に解決をみた。

(c) 経 済

79年の農業生産は,異常な旱魃のため16%の減収が見込まれ,生活必需品一般の物価上昇も著しく,米の価格は20%以上,灯油は50%以上の値上りを示した。国際収支も輸出の不振,石油製品の高騰によりかなりの赤字が予想されている。

(チ) モルディヴ

(a) 内 政

78年11月成立以来,民主的政治環境の醸成に努めているガユーム政権は,憲法改正のため議会内に起草委員会を設置したほか,経済開発5カ年計画および地方環礁開発計画策定の作業を進めた。

(b)外交

モルディヴのインド洋上に占める戦略的位置と同国近海の豊富な漁業資源をめぐつて諸外国の働きかけが活発化する中で,9月ハバナで開催された非同盟首脳会議にはガユーム大統領自ら出席し,非同盟中立外交を積極的に推進する姿勢を示した。

スリ・ランカとの関係は徐々に改善され,11月コロンボに大使館が再開された。またリビア,サウディ・アラビアなど産油国との関係が増進された。

(c) 経済情勢

主要産業たる漁業の近代化を最重点事項とし,漁業公団を設立し,外国援助などにより漁船の動力化を推進した。また,観光業を国有化し,輸入税による増収を図つた。

(リ) ブータン

(a) 内 政

ブータン政情は安定的に推移したが,国内のチベット人問題が表面化しつつあり,ブータン議会はブータン国籍の取得を拒否するチベット人難民の退去を決議した。

(b) 外 交

ワンチュク国王は,9月のハバナ非同盟首脳会議に出席し,カンボディア代表権問題でインドと異なり,ポル・ポット政権を支持するとの対印独立の姿勢を示したが,その帰途インドを訪問した際,1949年条約に基づく両国の特殊関係再確認が行われた。

(c) 経 済

国王を中心として,自国の伝統及び自然環境の維持を図りつつ,国内経済開発への努力が行われた。

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