(2) わが国とASEAN5カ国及びビルマとの関係

(イ) インドネシア

79年における日・インドネシア関係は引き続き安定的に推移した。6月に実現したスハルト大統領の訪日及びこれに先立つ2月のモフタル外相の訪日はかかる良好な関係を象徴し,かつ更に促進するものであつたと言えよう。2月のモフタル外相の訪日の際には,ヴィエトナムのカンボディア侵攻及びこれに対する中国の制裁行動というインドシナ情勢の急展開を踏まえ,タイミングのよい意見交換が行われ,ASEANと日本との協調行動をはかる上で意義深いものであつた。他方,スハルト大統領の訪日においては,かかる国際問題のほかインドネシアの経済開発に関連する諸プロジェクトに対するわが国の協力問題などについても首脳レベルでの意思疎通がはかられ,日・インドネシア関係の拡大及び充実に大きく貢献した。

このほか,イラン革命の影響でイランからの原油輸入が激減した結果インドネシアはわが国の第2の原油輸入先となるなど,経済面での相互依存関係も更に促進された。かかる状況を踏まえ,日・イ両国財界人の間の意思疎通促進のため,「日本・インドネシア合同経済委員会会議」を設けることが,わが国経団連及び商工会議所とイ側商工会議所との間で合意され,3月にはその第1回会議がジャカルタで開催された。第2回会議は80年7月に東京で開催されることとなつている。更に,日・イ間の官民各層の対話の場である日本・インドネシア・コロキアムは79年9月インドネシアで開催された。

(ロ) マレイシア

わが国とマレイシアの関係は全般的に良好で,79年においても両国間要人の相互訪問,経済・技術協力,文化面での協力を通じて更に親善の度合いが深められつつある。

79年にはマレイシアから7月にムサ・ヒタム教育大臣,11月にマハディール副首相が訪日し,また,わが国からは7月に福田前総理がマレイシアを訪問し,両国間の意思の疎通がはかられた。

両国の貿易問題では,76年以来わが国の入超となつており,79年においても約17億米ドルの入超となつている。

(ハ) フィリピン

79年においては,4月に外務省賓客としてロムロ外相夫妻が訪日,5月には,大平総理大臣がUNCTAD総会出席のため訪比するなど要人の交流により両国関係の一層の緊密化がはかられた。

また,従来日比間の経済問題であつた貿易不均衡問題に大きな改善がみられた。すなわち,同年の両国間の貿易収支は約4,000万ドルの比側赤字にとどまり,貿易不均衡は78年(4億9,000万ドルの比側赤字)に比べ大幅に改善された。また,懸案となつていた日比友好通商航海条約が79年5月署名され,日比租税条約も80年2月に署名の運びとなつた。

(ニ) シンガポール

シンガポールとわが国の関係は,近年,緊密化の一途をたどつているが,79年10月にはリー首相が公賓として訪日,両国政府首脳間の相互理解が一層深められた。また79年中に情報技術訓練所,シンガポール大学日本研究講座設立及び同大学工学部拡充計画に対する協力などの具体的協力案件についての基本的合意が成立した。

両国間の貿易に関しては,引き続きわが国側の大幅輸出超過(約12億570万米ドル)となつているものの,傾向としてはわが国によるシンガポールからの輸入が増大(79年においては対前年比69.5%増)しつつあること,また,わが国からの投資が順調なこともあり,貿易上の不均衡が特に問題として取り上げられることはない。

(ホ) タ イ

日・タイ関係は79年1月のクリアンサック首相訪日,10月のプレム陸軍司令官(国防相兼任)訪日をはじめとする要人の往来が引き続き活発に行われ,わが国の対タイ重視政策とも相まつて経済協力をはじめとする各般の協力が一層強化された。

また,両国間の懸案である貿易不均衡は3月輸入促進ミッション派遣など改善努力により79年末で約5億5,000万ドルの赤字幅に改善(前年は約6億9,000万ドル)し,本問題に対するタイ側の対応もより柔軟な姿勢を示すに至つた。

(ヘ) ビルマ

79年においては,トン・ティン副首相,イエ・ガウン農林大臣が訪日するなど,日緬関係は引き続き着実に進展した。他方,経済協力の分野においては,有償資金協力として精米所建設,セメントエ場拡張などのための円借款269億6,000万円供与の公文が交換されたほか,無償援助として,工業専門学校整備,中央冶金研究所設立などのため64億円の供与が決定された。

<要人往来>

<貿易>

<民間投資>

<経済協力(政府開発援助)>

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