2. 中 国

(1) 中国の内外情勢

(イ) 概 観

中国においては,78年12月に行われた党第11期三中全会が国の近代化を国策の最重点に据えたのに引き続き,80年2月の党第11期五中全会においてプロレタリア文化大革命がほぼ全面的に否定され,同時に「四人組」の残存勢力の排除,党人事の若返りなど「四つの現代化」政策を一層進めるための指導体制が強化された。

外交面では79年1月1日をもつて米国と外交関係を樹立し,人的交流および経済,技術,文化面における交流を一層活発に行つた。また,わが国を含む西側諸国との関係の強化を推進し,より積極的かつ開放的な対外政策を展開した。他方,ソ連との対立関係には基本的な変化はみられなかつた。

経済面では「四つの現代化」政策のもとに,より着実なかつ安定した経済発展を確保する観点より経済政策の全面的な見直しを行い,79年下半期より調整政策を実施に移した。

(ロ) 内 政

(a) 党第11期中央委第3回全体会議(三中全会)後の78年12月の標記会議以降,党中央各部門の新人事及び副総理,部長(大臣)など国家政府の新人事が,いずれも文革で失脚しその後復活した実務に明るい行政幹部を起用する形で行われた。また,三中全会において彭徳懐(元政治局委員,国防部長,58年失脚)らの名誉回復が行われたのに続き,文革中に失脚した幹部の復活ないし物故者の名誉回復が進められ,さらに建党初期の指導者に対する見直しも進められた。

(b) 「民主化」運動

78年11月以降みられた「民主化」,自由,人権を求める動きは,79年に入つて共産党の指導体制自体に疑問を投げかけるものまで出現し,また北京,上海などで「下放青年」などによるデモ,陳情が頻発した。これに対し,中国指導部は陳情デモなどを規制するとともに,共産党指導による社会主義体制堅持の方向を再確認して,「民主化」要求などの行過ぎを取り締まる政策を示した。

(c) 第5期全人大会第2回会議の開催

79年6月より翌月にかけて開催された標記会議の特徴としては,第1に三中全会のラインに沿う現実的かつ建設的な諸政策・人事が打ち出されたこと,「法制と民主」の制度化,整備が具体的に進められたこと(刑法,刑訴法,「中外合資経営企業法」など7法案を審議可決)などがあげられる。

同会議での華国鋒総理の政府活動報告は,政策の重点を現代化建設へ移行するとの三中全会の方針を「偉大な歴史的転換」と評価しつつ経済政策の調整を基軸とする具体的かつ着実な方策を提示し,また,「階級闘争はわが国の主要矛盾でない」,「嵐のような大衆の階級闘争を行う必要もなければ,また行つてはならない」として脱文革,脱イデオロギー傾向を明らかにした。

(d) 党第11期中央委第4回全体会議(四中全会)と葉剣英の建国30周年記念演説中国指導部は9月標記会議を開催し,彭真(元北京市長,政治局員)ら12名を党中央委員に補充選出したほか彭真及び趙紫陽(政治局候補委員兼四川省党委第1書記)両名の政治局委員昇格を決定した。

葉剣英は10月1日,党中央,全人大会常務委,国務院を代表して,建国30周年を記念する演説を行つたが,右演説の中で故毛沢東主席の功績を讃え,毛沢東思想を遵守していくとしながらも,文革のみならず57年の「反右派闘争」以来の政治運動の過程で党中央に誤りがあつたことを初めて公式に認め,「事実に基づいて真理を求める」との方針のもとで政治の安定を計るとの姿勢を一層明らかにした。

(e) 党第11期中央委第5回全体会議(五中全会)の開催

以上のような経緯を踏まえて,中国指導部は80年2月標記会議を開催した。

同会議で第1に注目されるポイントは,文革で失脚した劉少奇元国家主席(69年死去)に一ついて,最大級の評価を与えつつ名誉回復し,またこのことと裏腹の関係にある文革につきこれをほぼ全面的に否定した。このことは,トウ小平副総理の復活(77年7月)以降,特に三中全会以来進められてきた過去の政治運動,歴史的事件の見直しが完了したことを意味するものといえよう。

次に注目されるポイントは,「四人組」と近い存在とされ,これまで批判されながらも中央指導部にとどまつていた注東興,紀登奎,呉徳,陳錫朕の4名が遂に失脚したこと,及び党中央政治局常務委員の2名補選(胡ヨウ邦,趙紫陽)と日常党務を行う党中央書記処の再設が,文革後復活した幹部を中心に党,政府の実務家登用という形で行われたことである。

このことは,「四人組」の残存勢力を排除し,現代化建設を一層進める指導体制を強化することが,今次会議の文革見直し,劉少奇名誉回復と並ぶ大きな眼目であつたことを示している。

これによつて,中国は政治の安定を計りつつ近代化に取り組む体制をますます固めたものとみられる。

(f) 台湾に対する呼びかけ

米中正常化以後,中国は台湾に対する「祖国統一」のための働きかけを盛んに行いはじめた。中国は1月1日に発表された「台湾同胞に告げる書」においては台湾の現状の尊重に言及し,台湾当局との話合い,郵便などの通信関係,航空・運輸関係などの実現を呼びかけたのをはじめ続々と柔軟な対台湾政策を打ち出している。

(ハ) 外 交

(a) 全 般 華国鋒総理は6月の第5期全人大会第2回会議における「政府活動報告」において「覇権主義」と並んで「世界平和の維持」を対外活動の主要目標として初めて前面に掲げた。これは現在の中国の対外路線がソ連に対する対決姿勢と同時に,近代化達成のため日米欧を重視していくことを公に明らかにしたものとして注目された。

(b) 対米関係 米国との間では米中共同コミュニケ(72.2)を基礎に,79年1月1日をもつて外交関係を樹立した。米国はこれと同時に台湾との外交関係を終了させるとともに,米華相互防衛条約を同条約の規定により終了させることを宣言し,台湾駐留の軍事要員を撤退させた。

1月のトウ小平副総理訪米に際し,科学技術協力協定,文化協定,領事関係樹立と総領事館開設に関する協定などが署名され,7月には貿易協定が署名され,両国間の人的交流および経済,技術,文化面における交流は一層活発化の傾向にある。

(C) 対欧関係 中国は,EC,NATOの強化を評価するとともに英,仏,西独をはじめとする西欧各国との関係及びEC委員会との関係強化を図つている。すでに中国は西欧の多くの国と科学技術協力協定,文化協定などを締結しており,79年にはポルトガル,アイルランドと国交を樹立した。また10~11月には華国鋒総理が,仏,独,英,伊4カ国を訪問し,西欧諸国との友好関係の強化が図られた。

東欧との関係では,ルーマニア,ユーゴースラヴィアとの間の友好関係の強化が進められた。

(d) 対ソ関係 中国は上記全人大会「政府活動報告」,国連一般演説などにおいて,なおソ連を激しく非難しつづけてきたが,他方ソ連との国家関係は改善したいとの意向を明らかにしている。4月に中国が中ソ同盟相互援助条約の期限(80.4.10)満了後の不延長をソ連に通告した際にも,同時に,中ソ両国間の懸案を解決し,両国関係を改善することに関する交渉を提案し,同交渉は10月から11月にかけてモスクワで行われた。同交渉は具体的進展がないまま打ち切られ,次回の交渉は北京で行うこととなつた。しかしソ連軍のアフガニスタン侵攻に伴い,中国側は当面交渉再開する環境にないとの態度をとつている。こうした動きの中でも,中国はソ連との国家関係は冷静に維持するとの姿勢を維持していることが看取された。

(e) 対アジア関係

(i)  インドシナ地域との関係では,1月にポル・ポット政権がプノンペンから追われた後,中国は2月,「自衛反撃のため」として対越侵攻を行つたが,3月には越領より撤兵した。中越両国は4月からハノイで外務次官会議を開始したが,みるべき成果をあげないまま同会談は打ち切られ,6月から北京で翌年2月まで第2次外務次官会議が開かれた。しかし,会談には具体的進展は見られなかつた。

(ii)  中国はASEANを積極的に支持し,特にその中立化構想を評価している。現在外交関係がないインドネシア,シンガポールともそれぞれ関係の回復・樹立の実現を期待している。

(iii) 北朝鮮との関係では,78年の華国鋒主席の訪朝以来,引き続き関係の緊密化がはかられている。中国は,「朝鮮人民の祖国自主統一をめざす闘争を支持する」との態度を堅持している。

(f) 対中近東・アフリカ関係

中近東との関係ではイラン,アフガニスタンにおける政変に関し,ソ連の進出に警戒心を高めるべきであるとの態度を強く打ら出している。アフリカに対しては,李先念副総理,陳慕華副総理,黄華外交部長らがこの地域の多くの国を歴訪するなど招待・訪問外交を熱心に継続してきた。

(ニ) 経済情勢

(a) 中国は,着実かつ安定した経済発展を確保する観点より経済政策の全面的な見直しを行うこととなり,79年下半期より調整政策を実施に移した。調整の重点は,蓄積と消費,工業と農業,生産と基本建設及び潜在力発掘と新規建設の比例調整におかれている。

さらに,上記とならんで経済管理体制の改善も進められ,市場メカニズムの活用,地方企業の自主権拡大がはかられた。また,生産へのインセンティブとして物質的インセンティブが大幅に採用された。

(b) 国民所得の伸びは公表されていないが,農業,工業生産の伸びから79年は前年比6%余(78年の前年比12%)と推計される。

(c) 農業生産の伸びは4%を上回つたものと推計され,穀物生産高は3億1,500万トン(前年比3.4%増)となつた。

(d) 工業生産は総生産額で前年比8.1%増と計画をやや上回つた。うち,軽工業・紡織工業は同じく9%増,重工業のそれは7.4%増となつた。

以上にみられるように,生産は計画の8%増を達成したものの,利潤上納計画の未達成,重工業製品の滞貨などの問題点が指摘された。 産業別生産状況についてみると原油1億610万トン(前年比1.9%増),石炭6億2,000万トン(同0.3%増),電力2,789億KWH(同8.7%増),粗鋼3,443万トン(同8.3%増),化学肥料1,075万トン(同23.7%増)などとなつており,エネルギー関係が低調であつたのに対し,鉄鋼,化学工業の伸びが比較的順調であつた。

(e) 大衆の生活水準向上に注意が払われ,79年の全国職員・労働者の年間平均賃金は78年の662元から700元前後に,また,農民の集団からの収入は同じく74元から80元前後に上昇した。

(f) 国内経済の発展が比較的低調であつたのに比べ,対外貿易は78年に続き大きな伸長を示した。すなわち,79年の貿易総額は453億元(292億米ドル)と前年比29.2%増,うち,輸出は212億元(137億米ドル)と26.6%増,輸入は241億元(155億米ドル)と31.6%増となつた。輸出の伸びは重工業製品の輸出の伸長(前年比59%増)に負うところが大きい。他方,輸入では新技術と完成プラントが前年比190%増(23億米ドル)となつたが,消費財の輸入も相当に伸長(前年比40%増)した。輸入の伸長により経常収支は若干の赤字とみられているが,貿易外収入のうら観光収入は4億米ドル(前年比70%増)と報ぜられた。

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