第2章  わが外交の基本的課題

第1章においては,1979年を中心として,国際情勢を概述したが,本章においては,70年代の動きを踏まえて,80年代を展望しつつ,日本外交の基本的課題につき述べることとする。

1.  79年の国際情勢は,政治・経済両面にわたり極めて厳しくかつ不安定な様相を呈した。とりわけ在イラン米大使館占拠・人質事件及びソ連軍によるアフガニスタン侵攻は,性格は異にするが,いずれも基本的な国際秩序に対する重大な脅威であり,わが国を含め世界各国は,かかる事態への対応において困難ながらも国際平和と安定確保のため毅然たる選択を行うことが是非とも必要となつている。これらの問題に対する対応を通じて,わが国は,来たるべき80年代が,世界の平和と繁栄,そしてまた国民1人1人の生活にとり容易ならざるものとなることを改めて実感するとともに,わが国外交に課せられた責任の重大性を広く認識するに至つている。

2. 戦後30余年にわたるわが国外交を振り返れば,日米安全保障体制のもとで自らの安全が直接脅かされるような危機にさらされることもなく,また経済面においても,GATT・IMF体制とそれを支える圧倒的な米国経済という大きな枠組みに支えられ,わが国は,その国力を主として経済建設に振り向け,今日の経済発展及び社会的安定を達成することができた。

しかしながら,いまや70年代の大きな動きにより諸条件は大きく変化してきている。

まず,世界経済,とりわけ先進国経済においてわが国の経済力の飛躍的な発展をはじめとする相対的な変化がみられたことである。このことは,例えば,1960年に日本,西独のGNPがそれぞれ米国の9%,14%であつたものが,79年では43%,32%となつているという事実に端的に示されている。米国は依然として世界第1の経済大国であり,世界経済の運営に最も大きな役割を果たすべきことに何らの変化はないが,わが国が米国及び他の先進国とともに担うべき責任が著しく高まつていることは多言を要しない。

世界経済は,71年のドル・ショック及び73年の石油危機などを契機として,大きな構造的変化を経験し,低成長,インフレ,保護主義,エネルギー,国際金融・通貨などの困難な課題に直面するに至つており,同時に南北問題もまた開発途上国による「新国際経済秩序」の要求など,その問題の深刻さが明らかになつている。このような情勢のもと,主要国首脳会議,あるいは国連貿易開発会議(UNCTAD)の開催など,先進国及び南北間において問題解決のための努力がなされているが,依然としてなすべきことは多いと言わざるを得ない。

他方,世界の政治・軍事面においても大きな変化が生じつつある。ソ連の一貫した軍事力増強の結果,米ソ間の軍事バランスは,総合的に判断すれば,依然として米国が優位を占めていると考えられはするものの,次第に西側にとつて好ましくない傾向を生みつつあると見られる。また,ソ連はこのような軍事力を背景として,アフリカ,中近東地域など第三世界における影響力の拡大に努めており,とりわけ今般のアフガニスタンに対する直接的軍事介入は,ソ連の意図に関し改めて西側世界に強い疑念を惹起させてきている。さらに,最近のインドシナ情勢の不安定化及び既に述べたような中東情勢の流動化をはじめ,世界各地で不安定要因の増大が見られる。このような地域的紛争の頻発は,米ソ間のグローバルな軍事バランスの動向を背景として,単に当該地域のみにとどまらず,あるいはとどめられず,米ソ関係そのものにはね返り,全体として国際政治は流動化の度を強めている。とりわけ中東地域の不安定要因の増大は,同地域の戦略的重要性に加え,中東石油が西側経済の死命を制するだけに,国際政治及び経済両面において深刻な意味を有している。以上のような情勢の推移の中で,米国及び西欧諸国をはじめとする自由主義諸国間の一層の団結及び第三世界の諸国に対する理解と協力の必要性が強く認識されるに至つている。

3. このような世界政治・軍事面及び経済面での大きな変化は,わが国をとりまく国際環境に直接深刻な影響を与えつつあるといつても過言ではないであろう。各国の相互依存関係の進展及び利害関係の複雑化のため,自らが直接の当事者でない出来事についても,その影響を受けるような事態が増加しつつあるとともに,わが国の動向が国際関係に実質的影響を与えるに至つている。換言すれば,もはや国際関係はわが国にとつての与件と考えられるのではなく,わが国が国際社会の有力な一員として作り上げていくべきものに変わつてきたといえよう。わが国は,単に経済面のみならず,広く政治・外交面において,世界の平和と繁栄のため,従来に倍する積極的,建設的な役割を果たさねばならない状況にある。責任ある国際社会の一員として,激動する国際政治・経済情勢に対し,何をなすべきか,何ができるかを自らの問題としてとらえていくことが求められている。

4. わが国外交の使命は,わが国の平和と安全を確保し,自由と民主主義という基本的価値を守るとともに,豊かな国民生活を保障することである。

かかる使命を果たすためには,これまでに述べてきた国際情勢に対する認識を踏まえ,以下の指針に基づいて80年代の日本外交を進めていくべきと考える。

(1) まず,平和に徹し,軍事大国にはならないというわが国の基本的立場を今後とも堅持し,更に一歩進めて世界の平和と安定のために積極的な外交を実施することである。相互依存関係の進んだ今日,いかなる国といえども,世界の平和と安定なくして自国の安全と繁栄はあり得ず,平和と安定は1国だけの価値ではなく国際社会全体の価値であるとの観点から,わが国としても,世界の平和と安定のために,単に経済面のみならず広く政治面において,2国間及び国際連合をはじめとする多国間の場を通じ一層積極的な貢献をしていかなければならない。もとよりこのような積極的な外交を展開するにあたつては日米友好協力関係が基軸となることはいうまでもない。また,わが国の安全保障確保のためには,かかる積極的外交に加え,日米安全保障体制を堅持し,適切な規模の自衛力の整備のため引き続き自主的な努力が必要なことは明らかである。

また,わが国が積極的な外交を推進していく上において,外交問題は今後ますます国内問題とからみ合い,国民的合意のもと,十分な調整を行うことがますます肝要となろう。

(2) わが国の安全と繁栄にとつてアジア・太平洋地域の平和と安定が不可欠である。わが国は,今後とも日米友好協力関係を基軸としつつ,この地域の諸国との友好関係の維持・増進を通じこの地域の平和と安定のため最善を尽くさねばならない。すなわち,ソ連との間においては北方領土問題を解決し平和条約の締結に至るべき適正な関係の確保,中国との間においては日中平和友好条約で築かれた関係の発展,韓国との友好関係の維持・増進,朝鮮半島における緊張の緩和のための国際環境づくり,ASEAN諸国との連帯強化,及びインドシナにおける平和回復のための積極的貢献などの努力は今後さらに強化し,この地域の安定勢力としての役割を果たしていくことが重要な課題である。

(3) さらに,前述した如く,戦後の国際関係の基本的枠組みは重大な挑戦を受けつつあり,わが国はアジア・太平洋地域を超えた世界的視野に立つて80年代を通じ国際社会の平和と安定のため建設的な役割を果たしていく必要があろう。責任ある国際社会の一員として,激動する国際情勢に対し積極的な外交を実施することは,往々にして厳しい選択に直面し,時に犠牲をも覚悟しなければならない。この試練に立ち向かう根底をなすものは,わが国が基本的価値としている自由と民主主義を守るという強い信念であり,この意味で,米国及び西欧諸国をはじめとする自由主義諸国との連帯と協調を更に強化することが必要である。

(4) わが外交の重要な課題の一つは,世界経済運営の主要な担い手の1人として,インフレ,失業,エネルギーなど,世界経済のかかえる諸困難を解決し,安定的かつ持続的な経済発展を達成することに協力することである。かかる問題解決には,国際協調を強化し,短期的な需要管理政策のみならず,生産性の向上,技術革新など,供給面における中・長期的な構造調整政策を市場経済のダイナミズムを生かしつつ進めることがますます重要となつている。

また,貿易面においては,国内サービス部門の国際化を含めわが国市場の一層の開放を進めつつ,東京ラウンドの成果を踏まえ,保護主義の防遏,自由貿易の発展のため一層の努力を傾注していく必要がある。これに関して新興工業諸国が世界貿易において適切な役割を果たし得るようわが国としても協力していくべきである。

エネルギー問題については,先進消費国間での協力を通じ,石油消費節約及び代替エネルギーの研究・開発などを強力に進めるべきことは当然であるが,さらに産油国をはじめ開発途上国をも含めた建設的対話が具体的成果を生むよう,わが国としても全力を尽くすべきであろう。

石油のもつ戦略的性格,原子力平和利用と核不拡散などエネルギー問題の国際政治・経済に与える深刻な影響にかんがみ,特に総合的かつ長期的な取組みが必要である。

(5) 南北問題の解決のため,これまでにも多くの試みがなされてきたが,先進国及び開発途上国双方の努力にもかかわらず,全体としてなお開発途上国は幾多の障害を抱え,南北の格差は是正されるに至つていない。このような経済発展,国づくりに伴う諸困難の解決に協力することは人道的な問題であることはいうまでもないが,かかる開発途上国の経済的不安定は先進国経済に対しても悪影響を及ぼすとともに,さらに開発途上国内の政治・社会面での不安定化をも伴うことにより,国際社会全体にとつて重大な政治的不安定要因を形成するに至つている。加えるに,この問題の解決は短時日になしうるものでなく,南北双方の長期的かつ忍耐強い努力が要請されている。

わが国はその存立と繁栄を開発途上国を含む世界全体の平和と安定に大きく依存しており,南北間の緊張軽減に積極的に貢献し,安定的かつ良好な国際環境の確保に努めることが長期的な安全保障の観点からも必要不可欠である。

わが国は,従来も南北関係改善のための中核的手段の一つとしてのODAの3年倍増など積極的な協力を行つてきているが,世界のGNPの約10%を占める経済大国たるわが国の援助実績は,国際的な基準に照らしてもその経済力にふさわしいレベルに達しているとは言い難く,今後さらにODAの拡充などの努力を一層強化していく必要がある。

さらに,かかる経済協力を含む南北間協力は,開発途上国の自立への強い希望及びこれらの諸国が抱える問題に対する人道的・経済的な考慮を中心としながらも,国際政治及び世界経済の不安定要因の除去,資源エネルギーの確保など広い意味でのわが国安全保障を維持するための外交政策の不可分の一環として,総合的かつ機動的に実施されなければならない。

(6) さらに,各国国民間の相互理解の促進は,世界の平和と繁栄を達成するための環境づくりとして長期的かつ基本的な課題の一つといわなければならない。すでに述べた国際関係における相互依存の進展と利害関係の複雑化は,国家間の摩擦・対立増大の可能性を内包しており,これらは相互の文化的・社会的下情などに対する理解の不足及び認識のギャップに起因する場合が少なくなく,特にこの意味において相互理解の促進が重要である。したがつて,わが国としては,諸外国との文化交流の拡充、対日理解の徹底のため,一層の努力を払つていかなければならない。また,開発途上国の文化・教育面への協力は,文化交流の前提条件を整えるという意味においても特に重要であり,その一層の充実を図る必要がある。

5. 以上の諸課題に積極的に取り組んでいくにあたつては,機動的な外交を展開していくための外交実施体制の拡充・強化が急務と言わねばならない。厳しい80年代において強靱な外交を実施するためには,人員・予算など,外交の足腰をまず強くする必要がある。

もとより外交は,単に政府・外務省のみによつてなされるのではなく,国民1人1人の正しい理解と強い支持に支えられて行われるべきことは多言を要しないところである。換言すれば,国民各自が,内外における多様な活動と交流を通じ,世界の諸情勢に対する認識を深め,その中におけるわが国の責任と役割を自分の問題として真剣に考えることが広い意味での日本外交そのものとも言えよう。

外交実施体制の一層の拡充・強化と国民の幅広い理解と支援という確固たる国内基盤をもつてはじめて,試練の80年代を乗りきる方途が開けるであろう。

 目次へ