第 1 部
総 説
第1章 1979年の世界の主要な動き
1. 概 観
(1) 1979年においては,特にインドシナ,中東などにおける情勢が激動した。また米ソ間においても対立の面が強まつた。他方,中ソ関係には進展がみられず,中国の西側への接近の姿勢が強まつた。この間にあつて西側諸国の間では協力関係強化の努力がなされた。
(2) インドシナにおいては,ヴィエトナム軍のカンボディア武力介入下に,年初に「カンボディア人民共和国」(ヘン・サムリン政権)の樹立が宣言され,中国が対越軍事行動を行い,アジア諸国,特に東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国に多大の影響を与えている。中東においては,イラン革命によるイスラム共和国の樹立と在イラン米国大使館占拠・人質事件による米・イラン関係の急激な悪化は,中東に新たな不安定要因を生み出すとともに,エネルギー情勢にも深刻な結果をもたらした。更に,年末のソ連によるアフガニスタンヘの軍事介入は,ソ連の最近の軍事力増強とその意図に対する西側諸国の疑念を一層高め,東西関係に大きな影響を与えたばかりでなく,非同盟諸国を中心とする第三世界にも衝撃を与えた。また,隣国たる韓国では,過去18年間にわたり韓国の政権を担当してきた朴大統領が殺害される事件が発生し,韓国国内情勢に大きな変動要因がもたらされるとともに,朝鮮半島情勢の動向が改めて関心を集めるに至つた。
(3) 米ソ間では第2次戦略兵器制限条約(SALTII)が署名された。また,中ソ間では中国の中ソ同盟条約の不延長通告に引き続き両国関係改善交渉が開始された。しかし,ソ連によるアフガニスタンヘの軍事介入は,米議会でのSALTII条約批准審議の延期をもたらすなど,米ソ関係は大きく後退した。また,中ソ間の関係改善交渉も同様に中断された。この間にあつて中国は年初に米国との国交正常化を実現し,両国間の要人の往来が活発に行われたほか,華国鋒総理が中国の総理としては初めて仏,西独,英,伊の西欧諸国を公式訪問して引き続き西側諸国への接近を強めた。他方,米,西欧,日本を中心とする西側先進諸国間では,イラン,アフガニスタン問題をめぐつて協調・協力関係強化の必要性が強く認識されるに至つた。また,北大西洋条約機構(NATO)諸国はソ連の長距離戦域核戦力に対応すべく戦域核近代化計画を決定するとともに,戦域核制限交渉を米ソ間で行うとの方針を確認した。