-エネルギー・原子力・資源・食糧・漁業問題-
第5節 エネルギー・原子力・資源・食糧・漁業問題
(1) OPEC諸国は,過去2年間石油価格を凍結したにもかかわらず,その間にインフレによる輸入工業品価格の上昇とドル価値の下落が発生したため,石油収入の実質的購売力を著しく失うとともに,ドル資産の大幅減価という問題に直面した。このような事態に対しOPEC諸国はいらだちを感じていたが,他方,世界経済の全般的低迷状態が続いたため,78年央までは,主要国における石油需要は伸び悩み,OPEC諸国の経常収支の黒字額は減少の一途をたどつてきた。このような経済的状況を背景として,78年6月のOPECジュネーヴ総会までは,サウディ・アラビア,イランなどOPEC内の穏健派による原油価格凍結の努力もあつて,価格は事実上凍結されてきた。
しかしながら,ジュネーヴ総会終了後のコミュニケにおいてOPEC諸国はドル減価問題に対し「深い憂慮の念」を表明し,新たにこの問題を検討するため高級専門委員会の設立を決定するなど原油価格引上げに向けての胎動が始まつた。
(2) ドル価値の防衛は米国にとつても最大の課題の一つであるが,OPECの動向はこれを左右しうること,また米国経済,ひいては世界経済に与える影響がきわめて大きいことから,米国政府はブラウン国防長官,シュレジンジャー エネルギー長官,ブルメンソール財務長官などの閣僚をサウディ・アラビア,アラブ首長国連邦,イラン及びクウェート4ヵ国に派遣し世界のインフレを抑制し,世界経済の安定化を促進するための必要条件として原油価格は凍結されることが望ましく,たとえOPEC諸国が価格を引き上げざるを得ない場合にもそれを小幅に留めるべきであるとの外交努力を行つた。その間,OPEC諸国内においても,ドーハ総会の時のような原油の二重価格制を回避し,OPECの結束の強化を再確認することが必要であるとの認識が高まり,このため原油価格値上げ問題につき穏健派及び強硬派の間で積極的に調整が行われ,原油価格引上げを,2年ぶりに決定すべくアブダビ総会へ向けて着々と準備が進められた。
(3) しかるに,OPEC加盟国中第2位の大産油国イランにおいて78年10月末以来政情の混乱が強まり石油生産が大幅に低下する事態となり,ついに12月26日には輸出が全面的に停止するに至つた。イランは政情不安以前,約490万B/Dの原油を輸出していたが,これはOPEC総輸出量(約2,800万B/D)の約18%という高いウェイトを占めていたことから,78年前半供給過剰気味に推移した原油市場は一挙に需給バランスがくずれ,原油は売手市場となり,スポット価格の高騰を招くことになり油種によつては20ドルをこえるに至つた。このようにしてOPEC内の値上げ強硬派にとり事態は有利に展開することになつた。
(4) かかる市場情況を背景として12月にアブダビにおいて開催された第52回OPEC総会は各四半期毎に価格を段階的に引き上げる方式(79年初5%,最終四半期の78年末価格に対する値上げ率14.5%,年平均10%)を決定した。
(5) 供給面においては,OPEC加盟国中サウディ・アラビア,イラク,クウェート,ナイジェリアなどがイランの石油輸出停止に伴い増産に踏みきつたが,国際的石油需給のタイト化は変わらず,これに加えてアブダビ,カタル,クウェートなどが追加的値上げを行うに至つたため,アブダビ総会において決定したOPEC4段階値上げ方式による第1四半期価格体系は早くも有名無実化するに至りOPEC事務局も2月末これを追認するに至つた。
(6) このような石油の価格高騰化及びイランの石油輸出の停止長期化に伴う国際石油需給のタイト化に対し,消費国側,特に西側先進国は国際エネルギー機関(IEA)を中心として,対応策を迫られた。79年3月1日,2日の両日パリで開催された第38回IEA理事会はイラン情勢の展開に伴う国際石油情勢を討議し,5%の需要抑制を含む次の点につき合意した。
(イ) 79年の石油供給量は需要を200万バーレル/日程度下回る。
(ロ) 事態の一層の悪化を防ぐため協調的行動をとる。
(ハ) 具体的には石油需要を約5%(200万バーレル/日に相当)削減するとの目標に合意した。
(ニ) 備蓄については柔軟な政策をとりつつ適切な備蓄水準を整える。
(7) 上記の合意は,需要抑制,域内増産などの措置を消費国側として協調して行い,世界経済の安定維持に対し消費国側の責任を果たす用意があるとの決意を表明し,もつて産油国側による増産努力に消費国側が応えることを意味した。
(8) 石油需給の逼迫と価格騰勢の強まる中で79年3月26,27日開かれたOPEC臨時閣僚会議は途中で臨時総会に切替えられ,上記(5)の通り同年2月以降メンバー国が独自に価格引上げを行う中で崩れかかつていたOPEC価格体系を各国の値上げ分を認める形でほぼ追認した。即ち4月1日より基準原油価格を現行水準に対して約9%(1.2ドル/バーレル)引き上げるとともに市況に応じ各国が独自にさらにプレミアムを付加することが出来る旨決定した。
(9) なお,78年を通じ特記すべきことは第35回IEA理事会が4月17,18日の両日東京において開催されたことである。通常理事会はIEA本部の所在地たるパリで開催されているが,ヨーロッパ以外の地における開催は東京理事会が最初であつた,わが国は,東京理事会を契機として従来参加ぶりが不十分であつたエネルギー研究開発分野において5協定8プロジェクトに署名するに至り(合計10協定,15プロジェクト)IEAの活動に積極的に協力するところとなつた。また,理事会出席者による省エネルギー製鉄所の見学などを通ずるわが国エネルギー政策,エネルギー事情に対する理解を増進させることが出来た上に,日本国内のIEA並びにエネルギー問題に対する認識の高揚にも大いに役立つた。
77年10月,米国の提唱により,開始されたINFCE作業は,78年中も続行され,8つの作業部会に分かれて,原子力平和利用と核拡散防止の両立をはかる方策を探求するための技術的検討を進めている。
80年2月に予定されているINFCEの終了に向かつて,次第に明らかになつてきていることは,参加国間の若干の見解の相違である。
すなわちある国は,核燃料の需給は将来逼迫する可能性は少なく,濃縮,再処理,プルトニウムの利用については,各国が独自にこれを行う必要はないとしているが他方,少なくとも自国における再処理,プルトニウムの利用などは必要であるとの立場に立つている国が存する。
今後INFCEにおいては,かかる立場の相違の調整が行われていくと考えられるが,わが国としては,核拡散防止の努力に協力しつつ原子力平和利用を促進するとの基本方針に従つて最大限の外交努力を行つている。
78年1月には,わが国外交当局の最大限の努力により日加原子力協定改正交渉が妥結し,1年余にわたつた加産天然ウランの供給停止措置が解除された。本件協定改正議定書は,同年8月のホーナー加通産大臣の訪日の際,園田大臣と同大臣との間で署名された。(79年の通常国会に承認を求めるため提出された)。
加とほぼ同様の原子力協定の改正を求める豪との交渉は,78年8月(東京)及び同年12月(キャンベラ)の2回にわたり行われ,日豪双方の間で充分な意見の交換が行われた。豪は加と異なり,既存契約に基づく豪産ウランの供給停止措置はとつていないが,交渉妥結のための努力が続けられている。
78年3月成立した米国の新・核拡散防止法の成立により,米国は,上記加・豪と同様,わが国,ユーラトムなどとの間の原子力協定の改正を行わねばならないこととなり,これに関する日米協議は,79年2月に東京で行われた。
また,同米国新法の成立により,わが国の使用済燃料の英仏への再処理委託のために必要な米国の同意のとりつけに関して米国議会の関与が強まつたことが注目される。
なお,東海村再処理工場の運転は,77年の日米交渉の結果,79年9月まで認められているので,78年においては同問題に関する本格的な交渉は行われなかつた。
74年のインドの核実験以後,わが国を含む原子力平和利用先進国が数次にわたつてロンドンで核拡散防止のための輸出政策の統一について協議を行つてきたところ,77年9月輸入国が核爆発を行わないことを約束した場合にのみ核物質の輸出を行うことなどを内容とした輸出ガイドラインにつき合意に達していたが,78年1月参加国は,このガイドラインを国際原子力機関(IAEA)を通じて公表した。
このガイドラインの公表と,上記(2)の加産ウラン供給停止措置の解除は,74年のインドの核実験以降の核拡散防止のための規制強化を模索する時代が一応終わつたことを意味するといえよう。
米国の主唱により77年10月,IAEAの主催の下に開催された核物質防護条約検討会議は,78年中においても4月及び9月両度の会期において引き続き検討を進め,わが国を含む各国の努力により条約草案作成に向かつて大きく前進した。
76年6月NPTに加入したわが国は,同条約第3条の定めるところに従い,77年12月IAEAとの間に保障措置協定を締結したところ,右保障措置協定第40条に従い,IAEAと協力して,右協定実施上必要な補助取極の作成に努力を重ねた結果,78年12月1日をもつて右を完了し,ここにわが国は,NPT保障措置体制に完全に移行した。
(イ) 79年4月現在IAEAの加盟国数は110に達している。IAEA憲章に従つて進められる活動の内容は,(a)原子力の平和利用のための国際協力の促進,(b)保障措置及び安全上の基準の設定,適用に関する活動,ということができるが,このためIAEAは,開発途上国に対する技術援助,保障措置の適用,各種専門家会合,シンポジウムの開催などを行つている。
(ロ) 原加盟国の1たるわが国は,創設以来一貫して理事国の地位にあり,上述の諸々の活動においても広汎な貢献を行つてきている。近年においては第3位の分担金大口拠出国としてわが国の地位は益々重きを加えるに至つている。
(ハ) わが国は,78年8月25日,アジア太平洋地域IAEA加盟国間の原子力科学技術,特にアイソトープ,放射線の利用に関する研究開発及び訓練の推進協力を目的とする地域協力協定(RCA)に加入し,原子力分野におけるアジアの先進国として各種プロジェクトに積極的に参加することとなつた。
(ニ) このほか,IAEAの主催するプルトニウム国際管理貯蔵制度に関する専門家会合など各種の会合にわが国は積極的に参加した。
一次産品貿易の安定化は,一次産品の主要輸入国であるわが国経済のみならず,世界経済の安定,特に一次産品貿易に依存することの多い開発途上国の経済的安定にとつても不可欠である。多岐に亘る一次産品の市場安定のためには,個々の産品の特性に応じた適切な施設が講じられることが重要であるとの認識から,わが国はこれまでも2国間及び多数国間での協議,検討に積極的に参加してきている。
(イ) 76年の第4回UNCTAD総会(ナイロビ)で採択された「一次産品総合計画」に従い,一次産品の価格安定と生産・開発促進を目的とし,76年9月より一次産品18品目に関する予備協議と共通基金に関する交渉が行われてきており,77年に引き続き78年においてもかなりの前進がみられた。なお,対象品目の協議日程は,当初予定を1年延長し,79年末まで交渉が行われることとなつている。
(ロ) これまでの予備協議をふまえ,天然ゴムについて78年11月,79年3月に2回に亘つて商品協定締結のための交渉会議が開催されたほか,銅,熱帯木材,ジュート,茶などの品目に関し,予備協議その他の会議で価格安定,研究開発,消費振興などにつきかなり具体的な検討が行われてきている。
(ハ) 共通基金については,78年11月の会議では,南北双方の歩み寄りがみられ,79年3月の交渉会議で漸く共通基金の仕組みの基本的要素について合意文書が採択され,協定採択交渉会議などの日程が合意された。近年の南北問題の最大の懸案の一つであつた共通基金問題が一つの山を越したことになり,今後協定作成の具体的詰めが行われることとなる。
(ニ) 第5回UNCTAD総会(マニラ)の開催を控え,共通基金,天然ゴム交渉などに多くの進展がみられたことは近年の南北対話の大きな成果であり,今後の一次産品問題ひいては南北問題の解決に資すること大であると思料される。
(イ) 78年1月1日から「1977年の国際砂糖協定」が暫定発効しており,わが国は6月に同協定を批准した。ただし,米国の批准が遅れているため,同協定の特別在庫融資基金制度の実施は,理事会決定により79年7月1日まで延期されている。
(ロ) 国際ココア機関における準備作業を踏まえ,79年1月~2月,「1979年の国際ココア協定」作成のための国連ココア会議が開催され,緩衝在庫を中心とする新協定の締結に向けて交渉が行われたが,価格水準,備蓄,規模などにつき各国の見解が分かれたため,本年夏に再開会期が開かれる予定になつている。
(ハ) 既存の商品協定としては,このほかに,小麦,すず,コーヒーなどの商品協定があるが,更に前述のとおり,いくつかの産品について商品協定作成のための話合いが行われている。
78年の穀物生産は,世界各地とも全般的に好天候に恵まれたため,国連食糧農業機構(FAO)事務局の推定によると,小麦4億4,000万トン(前年比14%増),粗粒穀物7億4,500万トン(前年比5%増),米穀3億7,500万トン(前年比1.4%増)となつており,これまでの史上最高記録である76年の14億6,500万トンを更に9,500万トン上回る15億6,000万トン(前年比6.2%増)に達する見込みである。
このような穀物生産の世界的増加,ことに穀物輸入国の生産増加にもかかわらず,一部アジア諸国などにおける不作,需要増加,持越在庫補充などの要因により,78年の世界の穀物貿易量は前年とほぼ同水準(前年比2%減の1億5,900万トン程度)に達するものと見込まれる。
なお,FAO事務局の在庫見通しによれば,78年度持越在庫は,前年比1,100万トン増の1億7,900万トン(但しソ連,中国の分を除く)が見込まれ,これは世界穀物消費量の19%に当たる量である。
食糧需要の大きな部分を海外からの輸入によって賄っているわが国としては,主要穀物の供給安定について重大な関心を有しており,この観点から主要輸出国との緊密な情報交換,穀物備蓄に関する国際フォーラムヘの参加,長期的観点に立つた開発途上国の食糧増産・農業開発のための国際協力の推進などを行つているが,特に穀物(特に小麦)の国際価格及び需給並びに穀物備蓄に関しては次のような国際的検討に積極的に参加している。
(イ) 国連小麦(穀物)会議
78年2月から79年2月にかけて都合3回にわたつて国連小麦(穀物)会議が開催され,小麦及び穀物市場の安定及び食糧の安定保障の見地から穀物備蓄制度の創設を含む新国際小麦(穀物)協定締結交渉が行われたが,備蓄の規模,各国の分担量などについて合意に達することが出来ず,今後引き続き交渉が行われることになつている。(備蓄規模については米国の小麦30百万トンを最大とし,ECの15百万トンが提案されている。)
わが国は備蓄の重要性を認めるとともに,穀物貿易の安定の観点からこの交渉に積極的に参加している。
(ロ) FAO及び世界食糧理事会における検討
第3回世界食糧安全保障委員会(78年4月,ローマ)では世界食糧安全保障状況,世界穀物在庫の適正水準及び国際的に調整された国家穀物在庫などが検討され,また第4回世界食糧理事会(78年6月,メキシコ)では関係各国に対し新国際穀物協定締結促進のための協力,開発途上国の食糧備蓄の創設維持に対する支援及び穀物50万トンの国際緊急備蓄支援など広範囲にわたる協力が要請され,決議「メキシコ宣言」の一部として取上げられた。
1978年においては,77年に引き続き多数の国による200海里水域の設定が行われた結果,同年末にはかかる水域を設定した国はおおむね70カ国となり,漁業に関する限り,200海里水域を設定しうるとの考え方は,第3次海洋法会議の成立を待たずに国際的に確立されたものと判断される。わが国は,このような新しい海洋秩序に対応し,伝統的なわが国遠洋漁業の操業維持を確保するため,多数の沿岸国との間で2国間協定の締結などのための交渉を行うとともに,国際的漁業規制及び条約の改正もしくは新条約作成のための多数国間の交渉に参加した。
(イ) 2国間漁業交渉
77年には,米国,ソ連及び南アとの間で,これらの国の200海里水域内におけるわが国漁業のための2国間協定が締結された。
78年においては,77年については暫定的に操業が認められていたカナダとの間で協定を締結したのを始めとして,同年に相継いで200海里水域を設定した南太平洋諸国との間で交渉を行い,パプア・ニューギニア,ギルバート,ソロモン及びニュー・ジーランドとの間でそれぞれ協定を締結し,またポルトガルとの協定の署名も行つた。また,ソ連との間では,77年の協定が有効期間1年間の暫定的なものであったため,これを1年間延長する旨の議定書を締結した。
その他,オーストラリア,フランス,ガイアナなどとの間でも,入漁のための交渉が行われた。
一方,わが国の200海里漁業水域の設定に伴い,ソ連との間で,同水域内におけるソ連の漁業に関する協定が77年に締結されたが,78年にはこの協定の有効期間が78年に向けて1年間延長された。また,ソ連との間では,両国間の漁業協力と漁業委員会の設置を規定した漁業協力協定及びソ連の200海里水域外でのわが国さけ,ます漁業の78年の操業を規定した議定書が締結された。
(ロ) 多数国間漁業交渉
日,米,加の3国は,米,加がそれぞれ200海里水域を設定したことに伴い,これと不一致を生じた日米加漁業条約を改正することとし,数次にわたり交渉を行つた結果,78年4月同条約改正議定書の署名が行われ,79年2月に批准書の交換が行われた。また,北西大西洋漁業条約は,米加などの200海里水域設定により十分にその機能が果たせなくなつたとの認識から,77年から関係国間でこれに代わる新条約の作成のための作業が行われた結果,10月新条約が作成され,79年1月これが発効した。
更にラ米諸国の200海里水域設定に伴い,熱帯まぐろ条約の改正交渉が行われてきたが,結論は得られなかつた。
一方,南太平洋諸国は,南太平洋の漁業資源を管理する機関の設立のための作業を開始しており,わが国もこの作業にオブザーバーとして参加している。
捕鯨反対運動は欧米諸国を中心に根強い動きをみせており,かかる状況の下で国際捕鯨委員会は,6月の年次会議及び12月の特別会議において,前年に引き続き捕獲枠の大幅削減を決定し,わが捕鯨業にとつて厳しい状況が続いている。なお7月には,捕鯨取締条約の改正のための準備会議も開催された。
他方,海産哺乳動物の保護運動が高まつている中で,壱岐,対馬における漁場保全のためのいるか捕獲の実態が報道され,国際的な非難を浴びたため,対外的にわが国の事情を理解させる努力を行つている。