-アフリカ地域-
第8節 アフリカ地域
1978年には,南部アフリカの情勢が大きな変動をみせ,国際的な注目を集めた。特に,ナミビアにおいてはその平和的独立を目指す国際的調停活動が活発化し,他方,南ローデシアの情勢は当事者間の思惑が入り乱れ,流動的な推移をみせた。
また,「アフリカの角」地域における「オガデン紛争」は,3月にソ連,キューバの支援を得たエティオピア側がオガデン地区よりソマリア兵を駆逐し,大規模な戦闘は終了した。他方,5月にはザイールのシャバ州において紛争が発生し,これを契機としてソ連及びキューバのアフリカ進出に対する国際世論の関心が高まつた。
(イ) エティオピア
エティオピア領オガデン地区を舞台に繰り広げられたソマリアとの武力紛争は,3月には大規模な戦闘が終了した。
他方,エリトリアにおいては,その分離独立を求めるエリトリア解放戦線が政府軍に対する武力闘争を行つてきたが,78年末までには政府軍が重要拠点を奪回した。その後も解放戦線側の抵抗は続いているものの,大きな武力衝突は伝えられていない。
その他,国内各地でテロ活動を行つていた反政府グループも幹部の大量逮捕などにより,その勢力が弱まりメンギスツ体制は強化された。
戦乱などによつて荒廃したエティオピア経済の再建のため,9月に政府は一連の経済開発計画を発表した。
外交面では,メンギスツ臨時軍事行政評議会議長はソ連,東欧,キューバを訪問し,ソ連とは友好協力条約を締結(11月)するなど,ソ連との結びつきを深めたが,他方,経済援助を求め西側諸国へ接近しようとする動きもあるといわれている。
(ロ) ソマリア
ソマリアでは,4月一部将兵によるクーデター未遂事件が発生したが,政府軍に鎮圧された。その後バレ政権は安定を保つている。
(ハ) ケ ニ ア
8月22日,ケニヤッタ大統領が急逝したが,平和的かつ民主的な方法で少数部族出身のモイ副大統領が新大統領に就任し,ケニアがアフリカ諸国の中でも安定した民主国家であることを世界に印象づけた。
新大統領は外交面では多角的な善隣友好の外交を推進しているが,内政面では,失業,インフレ,国際収支の赤字など経済問題の解決が今後の課題である。
(ニ) タンザニア
タンザニアではニエレレ大統領の指導下に新党(単一政党)の成立と新憲法の制定により,ザンジバルと本土との実質的統合への前進が見られた。外交面ではアフリカにおける安定勢力としての地位を固め,特にローデシア問題では大きな影響力を有している。また,10月に発生したタンザニア・ウガンダ間の国境紛争の同国経済発展に及ぼす影響が注目される。
(ホ) ウガンダ
78年前半は,アミン大統領が反アミン派を一応一掃して比較的平穏であつたが,西側諸国は人権抑圧政権としてアミン政権に対する批判を強めた。更に,米国の対ウガンダ貿易停止などにより国内経済は深刻な事態に立ち至つた。また,10月にはウガンダ軍がタンザニア領に侵入し,両国間の国境紛争は収束を見ないまま年を越した(79年1月にはタンザニア軍がウガンダ領に進攻した)。
(ヘ) マダガスカル
マダガスカルでは,第2共和制下の諸機構(人民議会,地方組織など)が始動し,ラチラカ大統領及びその政権に対する支持強化が図られた。しかし,日常必需物資の欠乏,失業者の増大など経済面での困難もあり,5月には学生層による騒動が発生した。
(イ) ザイール
ザイールでは5月に第2次シャバ紛争が起き,銅の生産に大きな影響を与えた。経済困難解消のため,ザイール政府は6月及び11月の国際会合において主要国の協力を求める一方,財政管理を強化すべくIMFの専門家を受け入れ,11月にはザイール貨切り下げなどの措置をとつたが,経済困難は依然大きい。政治面では,シャバ紛争後アンゴラとの関係改善に努め,7月に外交関係を樹立し,その後相互に元首訪問を実施した。また政治犯,国外難民に対する恩赦,国政の民主化措置をとつた。
(ロ) ルワンダ
ハビヤリマナ大統領は政権掌握以来5年を経て,12月に憲法改正の国民投票及び大統領選挙を行い民政移管を実施し,政権の基盤の強化を図つた。
(ハ) ブルンディ
バガザ大統領は10月に内閣改造を行うなど政権の基盤強化を図つた。
(ニ) ガ ボ ン
アフリカ統一機構(OAU)元首会議において,ケレク ベナン大統領が,77年の外人部隊ベナン侵攻事件の背後には,ボンゴ大統領がいると名指しで非難したため,ボンゴ大統領は7月ガボン在住のベナン人(1万人以上いたといわれる)を追放した。ガボンは,石油危機以来急速な経済成長を見せたが,その後インフレの高進,石油生産の伸び悩みもあつて,78年には一挙に緊縮体制に転換した。
(ホ) カメルーン
5月28日の総選挙によりカメルーン国家連合(単一政党)は圧倒的勝利を収め,アヒジョ大統領の下での同国の政治的安定度はより一層たかまつた。
(ヘ) チャード
チャードにおいては,8月,スーダンの仲介により,中央政府のマルーム将軍が大統領に,北部反政府軍のヒセン・ハブレが首相となり連合政府が成立した。しかし,79年2月に至り,首都ンジャメナにおいて,大統領親衛隊とハブレ首相の軍隊とが戦火を交え,その後事態は不安定な推移をみせている。
(イ) ナイジェリア
ナイジェリアでは,79年10月に予定されている民政移管に備え,政党活動禁止の解除,新憲法公布など種々の重要な国内措置が実施された。
外交面では,カーター米大統領,シュミット西独首相などがナイジェリアを訪問するなど,アフリカの大国としての同国の存在を印象づけ,また,オバサンジョ国家主席自身も東欧及びアフリカ諸国を歴訪するなど積極的な外交を推進した。
他方,経済面では,財政収入の8割を占める石油収入の減少を主因として,78年を通じて財政,外貨事情が悪化した。政府は経済の建直しを図るべく,開発プロジェクトの繰延べ,行政費の節減,輸入禁止・制限品目の拡大,為替管理強化,対外銀行借款などを行つた。
(ロ) ガ ー ナ
ガーナでは,7月アチャンポン軍事評議会議長(元首)が辞任し,代わつてアクフォ中将が同議長に就任した。アクフォ新政権は,79年7月に予定されている民政移管の準備を進めるとともに,近隣諸国との関係強化に努めた。他方,経済面では,依然,急速なインフレ,物資不足などが続き,国内産業活動は低迷した。
(ハ) リベリア
リベリアは,トルバート大統領の中国,アフリカ諸国訪問,カーター米大統領のリベリア訪問など積極的な外交活動を展開した。
(ニ) ギニア・ビサオ
ギニア・ビサオでは7月,メンデス首相が死亡,9月にヴィエイラ人民議会議長兼国防大臣がその後任に任命された。
(ホ) セネガル
2月,大統領及び国会議員選挙が行われ,サンゴール大統領が5選され,また,国会議員選挙では与党である社会党が圧勝した。また,サンゴール大統領は引き続き積極的かつ現実的な外交を展開した。
(ヘ) モーリタニア
7月,サレク大佐を長とするクーデターにより,ダッダ大統領が逮捕され,軍事政権が発足した。これに対応して,ポリサリオ戦線は,モーリタニア領内におけるゲリラ行動を一方的に停止した。
(ト) マ リ
トラオレ国家解放軍事委員会(CMLN)議長は,2月にCMLN内での主導権をめぐり従来から対立していた国防・内務大臣など閣僚3名を含む軍・警察の反対派を逮捕するとともに5月には内閣改造を行いその地位を一層固めた。
(チ) ニジェール
クンチェ元首は,77年12月に引き続き,9月,小幅な内閣改造を行い,閣内第2位の地位にあつたイドリッサ・ハルーナを閣外に追放して,更に政権の基盤を強化した。
(リ) ギ ニ ア
ギニア民主党(単一政党)は11月,その党大会で,国名を「ギニア共和国」から,「ギニア革命人民共和国」へ,党名を「民主党」から「ギニア国家党」に変更し,新生ギニアのイメージ作りに努めた。
また,78年には,従来東寄りであったギニアの外交姿勢に大きな変化がみられた。まず,2月の韓国との外交関係樹立に続き,73年以来断交していた隣国の象牙海岸及びセネガルと和解した。更に,セクー・トウーレ大統領は,7月カルツームで開かれたOAU総会に15年振りに出席したほか,12月には仏大統領の初のギニア公式訪問が実現した。
(ヌ) 上ヴォルタ
77年11月制定された第3共和国憲法の規定に基づき,4月に国民議会議員選挙が行われ,5月の大統領選挙ではラミザナ大統領が再選された。7月,国民議会はボルタイック民主同盟のコノンバを新首相に選出し,議会政治が発足した。
(ル) 象牙海岸
1月のジスカールデスタン仏大統領の公式訪問の結果,同国と仏との関係は一層強固なものになつた。
3月には,セネガルとともに,ギニアとの国交を再開した。
他方,国内的には,主要産品たるコーヒー,カカオ相場の下落により,貿易収支黒字の大幅縮小,インフレの進行など従来の高度経済成長に若干のカゲリが生じたものの,ウフェ・ボワニ大統領の下での同国の政治的安定には影響はなかつた。
(イ) 南アフリカ
78年においても,南アフリカの人種差別政策は国連をはじめとする種々の国際的フォーラムにおいて強い非難を受けた。しかし,同政策を堅持するとの南ア政府の基本的立場に変化は見られなかつた。
内政面では,9月フォルスター首相が辞任し,代わつてボータ国防相が新首相に就任した。また,78年後半には,情報省の公金不正使用事件が,南ア政界の大きな問題として表面化した。
(ロ) ローデシア
米英は,77年9月ローデシアの多数支配実現を図るための提案を発表し当事者間の調整を進めた。しかし,スミス首相は3月穏健派黒人3グループとの間で,少数白人の既得権を盛り込んだ多数支配移行を認める「内部解決」につき妥協をみた。これに対し国連安保理は,内部解決を受諾しないとの決議を採択した。また,その後急進派黒人グループ(「愛国戦線」)によるゲリラ活動も活発化した。78年後半においては,急進派ゲリラによるローデシア民間機撃墜事件(9月),ザンビアのローデシア鉄道使用再開(10月),ローデシア軍による急進派ゲリラ基地に対する大規模な攻撃(10月),急進派ゲリラによるローデシア石油基地に対する攻撃(12月)など,事態は流動的に推移した。また,11月から12月にかけて英国は特使を派遣し,全関係者会議開催についての関係者の意向を打診したが大きな成果はみられなかつた。ローデシア問題が平和的に解決されるまでにはなお多くの困難が予想される。
(ハ) ナミビア
西側5カ国(米,英,仏,西独,加)は4月,南アフリカのナミビア統治を終了させるための提案を行い,7月までには南ア及び黒人解放団体SWAPOの両者がこれを受け入れた。これを受けた安保理決議により,8月国連調査団がナミビアに派遣され,国連事務総長よりこの調査に基づく報告書が安保理に提出された。これに対し南アは,9月同報告書は当初の5カ国案より大きく乖離しているとしてその受諾を拒否し,12月にはナミビア独立のための選挙を一方的に挙行した(親南ア政党のみ参加)。他方,安保理は9月末事務総長報告を承認し,国連ナミビア独立支援グループ(UNTAG)の設立を決定する決議を採択,更に11月には南アの一方的選挙を無効とする決議を採択した。その後,南アと上記選挙で選出された指導者は国連監視下の選挙実施に協力する旨明らかにしたため,79年に入り国連と関係者間での話し合いが行われているが幾つかの問題について合意が成立しておらず未だUNTAGの派遣は実現していない。
(ニ) ザンビア
ザンビアの国内政治情勢は安定した推移をみせ,12月の大統領選挙では80%の支持を得てカウンダ大統領が再選されたが,対外的には隣接するローデシアとの緊張が一層高まつた。また銅価の低迷,輸送上の隘路により経済情勢が悪化したため,10月には5年ぶりでローデシア鉄道の利用を再開した。
(ホ) モザンビーク
モザンビークは,銀行,砂糖工場の国有化などを行い,低迷してきた国内経済の回復に努めたが,ローデシアからの頻繁な攻撃の影響もあり,所期の成果を挙げるには至らなかつた。
(ヘ) アンゴラ
アンゴラでは,引き続き国内情勢の安定化は実現せず,南部においては依然として反政府活動が見られた。
また,ネト大統領は12月行政上の理由からナシメント首相及び3副首相を解任するとともに,これらの職を廃止した。
対外関係では,78年7月それまで対立関係にあつたザイールと外交関係を開設したほか,対米関係にも改善が見られた。
わが国は,8月にジブティのカミル首相を外務省賓客として迎え,同国との間に外交関係を設定した。
わが国は,南部アフリカにおける人種差別,植民地支配の犠牲者の救済及び教育・訓練を目的とする国連南部アフリカ関係基金に対し77年に引き続き78年は総額22万ドルの拠出を行つた。また,12月には,ローデシア軍のザンビア領内難民キャンプ攻撃による被害を救済するため,ザンビア赤十字に対し1万ドルの見舞金を供与した。
わが国の対アフリカ経済協力は,2国間政府開発援助についてみれば77年の56.3百万ドル(支出純額ベース)から78年には105.5百万ドルに増加した。そのうち特に無償資金援助については,77年の9.5百万ドルから78年には18.3百万ドルと大きな伸びをみせた。