-わが国の行つた外交努力-
第3章 わが国の行つた外交努力
わが国は,わが国の隣人であるアジア諸国と平和と繁栄をともに築いていくことをアジア外交の基本としている。
1978年のアジアにおいては,インドシナ地域における新たな対立と紛争の生起などの不安定要因がみられたものの,日中平和友好条約の締結,米中国交正常化,中国の積極的かつ開放的な対外姿勢,ASEAN諸国の安定と協力の着実な進展,南西アジア諸国間関係の安定的推移などの安定と繁栄への着実な動きもみられた。
このような情勢を背景に,わが国は,広くアジア諸国との相互理解と連帯の強化に努力するとともに,わが国の経済力と政治・外交努力をもつて,アジアにおける安定傾向の助長と不安定化阻止に努め,もつてアジア全域の平和と繁栄の構築に積極的な貢献を行つた。
(イ) 朝鮮半島における平和と安定の維持は,わが国を含む東アジアの平和と安全にとつて重要であり,この見地よりわが国としては,同地域の緊張が緩和されることを強く希望している。このためには,まず朝鮮半島の南北の両当事者自身が実質的な対話を再開することが肝要であるところ,78年後半にみられた東アジアの国際情勢の新たな展開の中で,南北双方ともこれに対応して自己の国際的立場の強化を図る方途をあらたに探求する必要を感じたものとみられる。79年初頭からみられた南北対話再開の動きもその一つのあらわれと考えられる。
わが国としては,従来より朝鮮半島の緊張緩和のための国際環境づくりに可能な限り貢献することを基本方針として各種外交活動を推進しているが,今後とも更にこのような努力を続ける考えである。
また,同時に朝鮮半島の平和と安定にとつて南北間の均衡が重要であるという現実に十分留意し,かかる均衡の維持についても配慮を行う所存である。
(ロ) 韓国は78年中に大統領選挙,国会議員選挙,内閣改造など国内政治上の大きな行事を経て朴大統領を中心とするいわゆる維新体制第2期を迎えた。他方,韓国が78年には実質経済成長率12.5%,1人当り国民所得1,242ドルを達成し,著しい経済発展をとげていることに伴いわが国との交流もますます拡大するに至つている。このような状況の下でわが国は日韓善隣友好関係を一層強固なものとするよう外交努力を行つてきた。このうち78年中には懸案の日韓大陸棚協定が発効し今後長期にわたり大陸棚エネルギー資源の共同開発に従事していくこととなつたことは特筆に値しよう。日韓両国は歴史的,地理的に密接な関係にあるだけに問題もまた生じやすいという事情があるが,わが国は両国間の交流の幅を一層拡大し相互信頼の増進を図ることを重視しつつ対韓外交を推進している。
(ハ) また,北朝鮮との間においては,経済,文化などの分野における交流を漸次積み重ね,相互理解の増進を図ることに努力している。
(イ) 日中関係は72年9月の国交正常化以来,貿易,航空,海運,漁業及び商標などの実務協定が締結されたことや,貿易額,人的往来の増加などにみられるように順調に発展してきた。78年8月12日には懸案となつていた日中平和友好条約が署名・調印され,同条約はトウ小平副総理訪日の際,10月23日東京において批准書が交換され発効した。
日中平和友好条約は,日中両国の平和友好関係を強固なものにし,発展させることを目的とするものである。これにより,日中関係は,長期にわたる安定した基礎が打ち立てられたといえよう。アジアの主要国たる日中両国の関係が平和的,友好的に安定したものになることは,日中両国にとり重要であるばかりでなく,アジア及び世界の平和と安定にとって大きな意義を持つものである。わが国はこの見地から,日中平和友好条約を基礎として,両国間の平和友好関係を一層確固たるものとするよう努力している。
(ロ) 78年7月から8月にかけて北京において行われた日中平和友好条約交渉の際,日本側はトウ小平副総理の訪日を招請し,同副総理はこれを受けて10月下旬8日間にわたりわが国を公式訪問した。トウ副総理の訪日は,国交正常化後初めての中国の最高指導者の訪日として,日中友好関係を一層強化する上で重要な訪問であつた。更に,79年2月初旬トウ副総理は米国訪問の帰途わが国に立寄り,大平総理大臣と会談し,その際両国総理の相互訪問の実現につき原則的な合意がなされた。
(ハ) 経済関係についてみると,78年の日中貿易は,往復50億米ドル余とこれまでにない規模に達し,政府ベースによる技術協力(鉄道の近代化に対する協力)や民間による開発協力も進められている。
(ニ) 文化交流の面では,79年1月に歌舞伎が訪中したほか,中国からの留学生受入れ計画が進められている。
わが国は,ASEAN諸国が行つている強靱性強化のための自主的努力に積極的に協力するとともに,これら諸国との間に心と心の触れ合う相互信頼関係を確立することをわが国アジア外交の重要な柱としている。また,わが国は,ビルマとの友好協力関係と相互理解を促進するよう努力している。
わが国は,かかる基本方針に従い,ASEAN諸国及びビルマとの関係強化を図るため以下の通り積極的な外交努力を行つた。
まず,6月,タイのパタヤにおいて園田外務大臣とASEAN諸国外相が一堂に会し,初の日・ASEAN外相会談を行い,日・ASEAN間の心と心の触れ合いの具体化に努めた。このほか,わが国とASEAN諸国及びビルマとの間では,園田外務大臣のタイ公式訪問(6月),河本通産大臣(当時)のASEAN諸国訪問(5月及び9月),牛場対外経済担当大臣(当時)のASEAN諸国及びビルマ訪問(7~8月),マハデイール マレイシア副首相(10月),クリアンサック タイ首相の訪日(79年1月)など首脳レベルの交流が活発に行われた。
また国際政治・経済面においては,わが国は,日米首脳会談などの機会に米国などの主要先進諸国にASEANの重要性を認識せしめるべく働きかけを行うとともに,7月開催されたボン・サミットにおいてASEANの関心をふまえ発言を行つた。さらにASEANの関心が強い共通基金,個別商品協定などの一次産品問題についてわが国は積極的な貢献を行つた。
このほか経済協力,文化交流についてもわが国はASEAN諸国及びビルマに対し,特に重点的な配慮を払つた。
なお,わが国が日・ASEAN首脳会談の際打ち出した各種の対ASEAN協力施策については,その実施に積極的に取組んだ結果,既にASEAN工業プロジェクト,ASEAN文化基金など多くの成果が結実し,又はしつつある。
わが国は,ASEAN諸国との協力に重点をおきつつインドシナ諸国との間に相互理解に基づく関係の樹立を図り,もつて東南アジア全域の平和と安定に寄与していくとの考え方に基づき,積極的な対インドシナ外交を展開した。ヴィエトナムに対しては債権債務問題を解決し,新たな経済協力を行うとともに,ファン・ヒエン外務次官(7月)及びグエン・ズイ・チン外相(12月)を招き,インドシナ情勢を中心として意見交換を行い,ヴィエトナムとの対話のパイプの拡大に努めた。また,カンボディア及びラオスに対しては,イエン・サリ民主カンボディア副首相の訪日(6月,10月),佐藤駐中国大使(当時)のカンボディア訪問,カムパイ・ブッパーラオス外相臨時代理の訪日などを通じそれぞれ関係維持を図つた。特にヴィエトナム,カンボディア紛争及び中越関係の悪化については,上記ヴィエトナム,カンボディアの要人訪日及び園田外務大臣の訪中(8月),トウ小平副総理の米国訪問の帰途の本邦立寄り(79年2月)などの機会を捉えて,紛争の平和的解決と各国の自重をそれぞれ強く申し入れた。
カンボディアにおける武力紛争,中越武力衝突に対しては,わが国は,紛争を力で解決せんとするあらゆる試みに反対であるとの基本的立場から,即時停戦,外国軍隊の撤退,話し合いによる解決を呼びかけ,また関係諸大国に対しても慎重な行動方要請した。またわが国はこれらインドシナ情勢悪化を深く憂慮したASEAN諸国による平和のための外交努力を全面的に支持するとともに,インドシナ情勢につき討議を行つた国連安全保障理事会においても上記わが国の考えを強く訴えた。こうしたわが国の平和のための一貫した外交的努力は,ASEAN諸国はじめ多くの諸国から評価された。更に中越武力衝突以降,ソ連の艦船及び軍用機が越の施設を利用したところ,わが国は,アジアに新たな緊張要因をもちこむ可能性があるとして越ソ両国にそれぞれ懸念を表明した。
(イ) 南西アジア地域は,中近東と東南アジアとを結ぶ地理的要衝にあるのみならず,米中ソ3国の利害関係が複雑に錯綜していることもあり,同地域の平和と安定は,単にアジアのみならず世界の平和と安定にも深い係わりあいをもつている。わが国は,南西アジア諸国との間に伝統的に存在する友好協力関係を一層強化することを通じて,この地域の安定と発展にできる限り協力するとの方針に基づいて,種々の外交努力を行つた。
(ロ) これを78年の南西アジア諸国との間の要人について見れば,次の通りである。即ち,4月にはゼアウル・ラーマン バングラデシュ大統領,5月にはビレンドラ ネパール国王がわが国を公式訪問し,わが国とこれら両国との間の友好関係は大きく促進された。また,8月にはヴァジパイ インド外相が第1回日印外相協議出席のため訪日し,園田外務大臣との間で両国関係及び国際情勢について有意義な意見交換を行つた。
モンゴルとの関係は72年の外交関係樹立以来着実に発展してきている。特に経済協力面では77年8月に発効した日本・モンゴル経済協力協定によるカシミヤ・ラクダ毛加工工場プロジェクトが実施に入り,また人的交流の面でも78年7月,モンゴル人民大会議(国会)議長の招へいによりわが国国会議員団がモンゴルを公式訪問した。
インドシナ3国の政変後3年余を経た現在も,インドシナ難民の流出は跡を絶たず,人道的見地から放置し得ない問題であるとともに,アジア・太平洋地域の不安定要因となっている。
わが国は,この問題の解決に貢献するために,既に(イ)国連難民高等弁務官(UNHCR)事務所のインドシナ難民救済計画への財政的支援(ロ)約2,000名の難民の一時上陸受入れ(ハ)一定条件をみたす難民の本邦定住許可などの措置をとってきたが,この問題の重要性に鑑み,更に積極的に対処していくための方策を鋭意検討中である。
(1) 大洋州地域は,豪州,ニュー・ジーランド及びパプアー・ニューギニアに加え,西サモア,ナウル,トンガ,フィジー,ソロモン諸島,トゥヴァルの南太平洋島嶼国及びギルバート諸島,ニュー・ヘブリデスなどの非独立地域から成つている。
(2) 豪州及びニュー・ジーランドは,わが国とともにアジア・太平洋地域に属する先進民主主義国であり,両国の鉱物及び農業資源の対日輸出並びに工業製品の対日輸入という経済的相互補完性,更には両国近海でのわが国漁船の操業などを基礎として,わが国との間に政治的,経済的に密接な関係を維持,発展させてきている。
わが国としては,かかる貿易,経済上の相互依存関係は両国との関係の基軸であるとの認識に立つて,両国との2国間関係の深化及び多様化を進めるとともに,更にアジア・太平洋地域の安定と繁栄のためには両国との協力が基本的に重要であるとの観点から,両国との間に緊密な協調関係を発展させていく方針である。
豪州との関係では,4月,フレーザー首相が訪日し広く国際経済問題についても意見交換が行われ,6月には第5回日豪閣僚委員会がキャンベラで開催され,日豪貿易,経済関係を中心に忌揮のない意見交換が行われた。
ニュー・ジーランドとの間には,同国産酪農品などの対日輸出改善問題の解決に進捗をみるとともに,9月わが国漁船がニュー・ジーランド200海里水域で操業するための漁業協定が締結された。
(3) パプア・ニューギニア,フィジーなどの南太平洋島嶼地域については,7月にソロモン諸島,また10月にトゥヴァルが各々独立し経済社会開発の動きが活発化してきている。
78年には,これら南太平洋島嶼国は200海里水域を次々と実施してきており,漁業資源の開発が進められるとともに,南太平洋フォーラムなどの地域機構を通じ域内協力が更に推進されてきた。
わが国としては,これら新興独立国を含む島嶼国の経済社会開発の自助努力に呼応して経済協力を積極的に行い,友好協力関係を促進するとともに南太平洋地域の安定と繁栄のために応分の協力を行う方針である。
78年には,わが国はこれら島嶼国に対し無償援助,技術協力を中心とする経済協力を進めた。また200海里水域の実施に対応し,パプア・ニューギニア,ギルバート諸島及びソロモン諸島と漁業協定を締結し,わが国漁船のこれら200海里水域における操業を確保すべく努力を行った。
(イ) わが国は米国との間に政治,安全保障,経済,科学技術,文化など幅広い分野にわたつて密接な協力関係を発展させている。日米関係はわが国の平和と繁栄を実現する上で大きな役割を果し,国民生活の中に定着するとともに,アジアひいては世界の平和と安定にも大きく寄与している。このような日米間の友好協力関係を維持,強化することは,単に両国のためのみならず,広く国際社会のためにも重要である。
以上の観点から,わが国政府は,1978年においても福田総理大臣(当時)の訪米をはじめ,各種機会に米国との間で幅広い協力の推進に努め,その結果日米関係は,経済関係上の問題はあつたものの,全体としては安定的に推移した。
他方,米国政府もわが国との緊密な関係を米外交の礎石として重視するとの態度を堅持している。
(ロ) 福田総理大臣(当時)は,カーター大統領の招待により78年4月30日訪米し,5月3日同大統領と会談した。会談では,アジアの問題と世界経済情勢などを中心に日米両国の役割と協力のあり方について意見の交換が行われた。また,両首脳は,21世紀に向けての課題として新エネルギーの開発に両国が共同で取り組むこと,両国間の相互理解を深め友好関係を一層増進するため文化交流を重視することで意見の一致をみた。
このような首脳同士の会談は,日米間の間断なき対話の重要な一環をなすものであり,77年3月の両首脳会談で確認された「世界の中の日米協力」をさらに推進するとの観点から,5月の首脳会談において両国が今後それぞれに,また協力して担うべき役割,すなわち「世界のための日米の役割」について率直かつ建設的な意見交換が行われたことは,日米両国が世界の平和と繁栄のため相携えて協力して行く上で極めて有意義であつた。
日本とカナダは,民主主義と自由経済体制を分かち合う先進民主主義国の一員として,政治,経済のみならず文化,科学技術など多岐にわたる分野で幅広い協力関係にあり,78年においてもこのような協力関係を一層発展させるための努力が政府レベル及び民間レベルにおいて積極的に展開された。
両国政府は,日加両国間の諸懸案及び両国が共通の関心を有する国際問題について緊密に協議を行つている。
77年初頭以来日加間で懸案となつていたのは,日加原子力協定の改訂交渉であつた。
この交渉は,カナダ側が77年1月1日より対日ウラン供給を停止する旨の通報を行つたこともあり,日加両国政府間で鋭意交渉が行われた結果,78年1月東京における第3次の交渉で妥結し,当時訪日中のジェイミソン外相と園田外務大臣との間で改訂議定書の仮署名が行われ,この席でジェイミソン外相はウランの対日供給停止措置の解除を発表した。その後78年8月ホーナー通産相が訪日した際,本改訂議定書が正式に調印された。
(1) 中南米地域は,開発途上国グループの中にあつては相対的に発展レベルが高く,政治的にも比較的安定しており,国際社会における重要性を近年とみに高めつつある。また,わが国にとつては,豊富な資源を背景に経済的相互補完関係のパートナーとして極めて重要な存在となつている。
わが国としては,かかる認識のもとに,わが国と中南米諸国との間に現存する友好協力関係を一層強化し,もつてわが国と中南米諸国双方の発展と繁栄をはかつていくことを対中南米外交の基本としている。より具体的には,政府首脳レベルを含む人的交流の強化,経済・技術協力の弾力的活用,文化,広報活動の強化・拡充など諸般の方策を通じ,わが国と中南米諸国との相互協力の基盤を広げつつ,長期的視点に立つた中南米政策を実施すべく努力している。
(2) かかる基本的考え方に基づき,1978年度においては,皇太子・同妃両殿下がブラジル,パラグァイ両国を公式訪問され,両国官民との友好親善を深められたほか,中南米からは,ロペス・ポルティーリョメ キシコ大統領を国賓として本邦に迎えるなど,要人の相互往来を通ずる相互理解の増進に努めた。
(3) わが国と中南米諸国との経済関係は,概して緊密であるが,同関係は従来メキシコ,ブラジルなどの特定国に集中する傾向があつたところ,わが国としては,中南米諸国全体との幅広い関係を構築すべく,従来上記2カ国ほど関係が密ではなかつた北部アンデス地域に経済使節団を派遣し,また,ホンデュラスから政府経済ミッションを受入れたほか,エクアドル,チリに漁業無償協力を行い,パラグァイ,ボリヴィアに円借款の供与及び食糧増産無償協力を実施するなど,域内のバランス保持にも留意しつつ,対中南米経済関係の強化に努めた。
(1) わが国と西欧諸国とは伝統的友好関係によつて結ばれているが,近年特に日欧関係は先進民主々義国の一員として指導的な役割を果すことが期待されている日米欧3者間の関係の一辺としてますますその重要性を高めてきている。わが国は,かかる日欧関係の強化が単に日欧の安定と繁栄のためのみならず,ひいては世界平和の維持及び世界経済の発展にも資するところ大であるとの認識のもとに,あらゆる分野における日欧関係の促進のために努力を積み重ねてきている。その具体例の一つとしては7月,福田前総理がEC委員会を公式訪問した際に発表した欧州青年日本研修計画があげられる。
(2) 78年においても2国間あるいは多数国間の場を通じて西欧諸国との協力・協調関係の一層の緊密化が行われた。7月には福田総理大臣(当時)がボン・サミット参加のため訪独し,引き続きEC委員会を公式訪問したほか,園田外務大臣の訪英,更には数次にわたる牛場対外経済担当大臣(当時)の訪欧など積極的な対西欧外交が展開された。他方,西欧諸国からもシュミット西独首相はじめ多数の要人の訪日が行われた。
(3) 日・欧(EC)間の通商・経済上の諸問題については,3月の日・EC共同コミュニケ発出後も,2国間あるいはMTN(多角的貿易交渉)をはじめとする多国間交渉の場で数多くの具体的問題の解決への努力が払われ,日・EC間の貿易不均衡についても年間を通じてEC側の対日輸出が好調に推移し,不均衡幅は円ベースでは減少した。
(4) わが国としては国際政治・経済の諸問題の解決に際しては今後とも日米欧の緊密な協力・提携が不可欠であるとの認識のもとになお一層幅広い日欧関係の構築をめざし努力を継続することが肝要である。
(イ) わが国の対ソ外交の基本は,ソ連との間に相互利益の増進を図り,理解と信頼に基づく安定した善隣友好関係を確立することにある。このような日ソ関係の確立は,ひいてはアジアの平和と安定にとつても重要な貢献をなすものである。
(ロ) 近年両国間の関係は,貿易,経済,文化,人的交流などの実務的な諸分野で着実な進展をみせ,78年の対ソ貿易量は往復で約39.4億ドル(前年比17.5%増)に達し,わが国は西側先進諸国の中でも最大の対ソ貿易国の一つとなつている。また,シベリア開発に係る経済協力についても66年以来7件のプロジェクトが実施され,対ソ信用供与総額は約14.7億ドルに達しており,更に新規のプロジェクトも検討段階にある。
(ハ) しかしながら,歯舞諸島,色丹島,国後島,択捉島の「北方4島」のわが国への返還を実現して日ソ平和条約を締結するという重要な課題は,依然未解決のまま最大の懸案として残されている。
78年1月の園田外務大臣の訪ソの際及び同年9月の国連における両国外相会談でこの問題についても話し合いが行われたが,ソ連側は問題の解決促進への姿勢を示さず,むしろ「善隣協力条約」を提案することによつて実質上領土問題を棚上げとする政策を示した。のみならず,ソ連は国後,択捉両島の軍備強化に新たに着手したことが判明したので,政府はかかる事は領土問題の平和的解決の精神に逆行するものとして79年2月対ソ抗議を行い強くソ連政府の反省を促した。わが国は,日ソ間に真に安定的かつ永続的な友好関係を確立するためには,北方領土問題を解決して平和条約を締結することが不可欠であるとの立場で一貫しており,今後ともこの立場に立つてあくまで粘り強く取り組んでゆくものである。
(ニ) 78年8月の日中平和友好条約締結に対し,ソ連は同条約の反覇権条項がソ連に向けられたものであり,反ソ政策をとる中国の外交路線にわが国が組みこまれることになるとの強い懸念を表明した。しかしながら,わが国に対するかかる懸念は元来全く無用のものであり,同条約の締結はわが国の対ソ友好政策と何ら矛盾するものではない。ソ連は日中条約締結により生じた日ソ関係の「悪化」を修復する努力を日本側が実際の行動で示すべきであるとの態度を表明し,この関連で「善隣協力条約」のためのキャンペーンを強化した。またこのためソ連はわが国内各層に対する種々の働きかけを活発化させた。
わが国としてはこれに対し,対ソ友好促進の基本方針に立ち実務的関係を中心とする対ソ関係の増進に従来通り積極的に臨むとともに,日ソ間の政治関係においては,平和条約の締結が何よりも先決であるとの基本的立場を堅持している。
政府としては,このため今後ともあらゆる分野における実務関係を積み重ねていく中で,この日ソ間の最大の懸案の解決に向けて粘り強く対処していく方針である。対ソ外交に最も必要なものは息の長い冷静さである。
この地域にある諸国も,わが国と政治社会体制を異にする国々であるが,わが国は,これら諸国とも経済,文化及び人的交流を通じて友好関係の強化を図ることを基本としている。園田外務大臣は78年11月にハンガリー及びチェッコスロヴァキアを訪問して,先方の外務大臣を中心に政府首脳と意見交換を行い,わが国の対外基本政策,特に8月に署名された日中平和友好条約についてのわが国の立場を明確に説明するなど,相互理解の増進に努めた。また同年2月にはユーゴースラヴィアからシェフエール副首相,3月にはブルガリアからジフコフ国家評議会議長,更に11月にはポーランドからヤロシェヴィッチ首相をそれぞれ招待し,首脳レベルの交流を深めた。
ポーランドとはヤロシェヴィッチ首相来日の機会に通商航海条約,科学技術協力協定及び文化・教育の交流に関する取極が締結されたほか,ブルガリア及びチェッコスロヴァキアともジフコフ ブルガリア国家評議会議長来日の際及び園田大臣のチェッコスロヴァキア訪問の際,それぞれ科学技術協力取極が締結された。
わが国の対東欧貿易は,合計10億6千万ドル(往復)で,前年の11億ドルをやや下回つた。内容的にはチェッコスロヴァキアを除き依然わが国からの大幅な出超であり,貿易インバランスの是正が今後の課題となつている。
(1) 中近東地域は,近年,石油供給源及び輸出市場としてわが国にとつても,また国際政治及び経済にとつても重要な地位を占めるに至つている。また,この地域における重大な紛争の発生は,世界の平和と安定に重大な係り合いを有し,ひいては,わが国の経済発展にも大きな影響を及ぼすものと考えられる。
わが国は,このような認識の下に,中東に公正かつ永続的な平和が早急に達成されることを切望し,そのための国際的努力を支持するとともに,貿易関係の強化,経済技術協力の推進,人的及び文化的交流の促進などを通じて,これら諸国との友好関係の維持増進を図つている。
(2) 中東和平問題は,78年9月キャンプ・デービットにおいて開催された米国,エジプト及びイスラエル間3国首脳会談の結果,「中東和平の枠組」及び「エジプト・イスラエル間平和条約締結のための枠組」の2文書が採択されたことから新たな局面を迎えた。わが国としては,従来より,中東における公正かつ永続的な和平が達成されるためには,安保理決議242の全面的実施及びパレスチナ人の国連憲章に基づく正当な権利の承認及び尊重が必要であるとの立場をとっており,関係諸国の和平努力を支持するとともに,国連などの場を通じてこれに協力している。
(3) 78年には,わが国と中近東諸国との貿易を中心とする経済関係はますます緊密なものとなつた。同地域からの輸入の大宗は石油であり,わが国は石油輸入の約8割を,中近東産油国に依存している。また,中近東地域に対する機械,プラントを中心とするわが国輸出も増加した。その結果,同地域との貿易額は,78年においても,わが国総貿易額の約2割を占め,アジア及び北米地域に次ぐ重要な貿易相手先となつている。更に同地域の多くの諸国は,豊富な石油収入をもとに国内の経済社会開発に取り組んでおり,わが国との経済関係の一層の拡大及び強化が期待される。
また中近東諸国は,経済社会開発,工業化との関連で,わが国など先進工業諸国からの各種経済技術協力を強く期待している。わが国は,これら諸国の経済社会開発に協力することにより同地域全体の政治的安定と民生の向上に資する必要があることなどにかんがみ,従来から経済技術協力の推進拡大に努めてきている。
(4) 更に,わが国は,中近東諸国との人的及び文化的交流の拡大に力を入れている。特に78年1月の園田外務大臣の中東諸国訪問に続き,福田総理大臣(当時)がわが国総理として初めて,イラン,アラブ首長国連邦,カタル及びサウディ・アラビアを公式親善訪問し,中東問題,石油問題,経済技術協力問題,文化交流など諸分野にわたつて,各国指導者と忌憚のない意見交換を行つたが,このような訪問は今後わが国が対中近東外交を更に積極的に展開していく上での重要な第1歩であつた。
(1) 近年アフリカ諸国は国際社会における発言力を増大しつつあり,資源など世界経済における重要性も高まりつつある。また,わが国の国力の増大,情報組織の発達などにより,アフリカ諸国のわが国に対する認識も深まりつつあり,これら諸国の首相,大臣を初めとする要人の訪日が激増するとともに,わが国の経済協力に対する期待も大きくなりつつある。
今後ますます国際的な責任が増大していくわが国としては,このような認識の下に,アフリカ諸国との友好親善・互恵協力関係を強化していきたいと考えている。
(2) 南部アフリカ問題(ナミビア及びローデシアの独立達成と南アフリカの人種差別政策の撤廃)について,アフリカ諸国は共通して深い関心を持ち,その早期解決を求めてきた。わが国は,南部アフリカ地域で行われている人種差別に強く反対し,同地域の諸問題が公正かつ平和裡に解決されるよう可能な範囲で積極的な協力を行うことを基本的立場としてきている。
(3) 78年において,わが国は,河野経団連アフリカ委員会委員長を団長とする政府派遣経済使節団をタンザニア,象牙海岸,ナイジェリア及びセネガルに派遣した。同使節団は各国の指導者と懇談し,経済協力やアフリカの諸問題につき先方と率直な意見交換を行つた。他方,アフリカからは,ガボンのボンゴ大統領,マリのディアラ革命評議会副議長をはじめとする多数の要人が日本を訪問した。
(4) 経済・技術協力の分野において,わが国は,各国の民生の安定及び福利の増進に寄与すべく引き続き協力を強化した。2国間政府開発援助(支出純額ベース)についてみれば,77年の56.3百万ドルから78年には105.5百万ドルに増加しており,また,従来援助実績の殆んどなかつた一部アフリカ諸国に対しては開発協力の対象となる良好な案件の発掘を目的とする実務者レベルのミッションを派遣した。