-エネルギー資源・食糧問題-
第5節 エネルギー資源・食糧問題
(1) 76年半ば以降中だるみに陥った先進主要国経済は,77年に入って米国経済が拡大基調で推移したほかは,全般的に低迷状態が続いたが,かかる状況を反映して,日本及び欧州の石油需要が弱含みで推移したのに対し,米国の石油輸入が急増した。米国の石油輸入は871万バーレル/日,前年比19.4%増に達したが,これは,景気回復に伴う産業活動の活発化に加え,77年初の異常寒波による需要増及び国内石油生産の不振によるものであるが,国内総需要に占める輸入石油の割合は47%に達した。
このような米国の海外石油輸入依存の急増を憂慮したカーター大統領は,省エネルギー並びに石油及び天然ガス価格の上昇などを目的とする国家エネルギー法案を議会に提出したが,石油の大消費国かつ大輸入国である米国のエネルギー政策の帰趨は,今後の世界の石油事情に大きな影響を及ぼすものとして注目される。
(2) 他方供給面では,欧米における年初の異常寒波の影響による石油需要の急増に見合って,OPEC諸国の石油生産は一時増産傾向を示したが,その後は低迷する世界景気及び非OPEC諸国の石油生産増を反映して横這いで推移した。特に77年後半に入ってからは北海石油,メキシコ石油の増産やアラスカ原油の市場参入により,OPEC石油に対する需要は減少し,77年のOPEC諸国の石油生産量は前年比2%増の3,114万バーレル/日にとどまつた。かかる需給の緩和状況の下でサウディ・アラビアは二重価格制現出前の同国の生産上限枠(850万バーレル/日)に生産量を低下させることを決定した。
(3) 原油価格については,76年12月カタールのドーハで開催されたOPEC総会において,サウディ・アラビアとアラブ首長国連邦が石油価格を5%引上げ,他の11カ国は10%引上げた結果,異例の二重価格制が現出した。その後,OPECの分裂を憂慮したヴェネズェラなどの積極的な調停工作により,7月のストックホルム総会を前にしてOPEC諸国間の妥協が成立し,サウディ・アラビアとアラブ首長国連邦が石油価格を7月1日より他の諸国と同一水準まで引上げることにより価格は一本化された。
ついで77年12月のカラカス総会においてイラク,リビアなどの多くの諸国は,ドル価値の下落や先進国からの輸入品価格の高騰により石油の輸出所得が目減りしたことなどを理由として値上げを主張した。これに対し,OPECの二大産油国であるイラン,サウディ・アラビアなどが世界経済の回復の遅れに対する配慮から価格凍結を主張したため,加盟国間で意見の調整がつかず,結局,次回総会で新たな決定をみるまで事実上現行の価格のまま据えおかれることとなった。
このように事実上OPECの石油価格が凍結された背景としては,石油市場が供給過剰にあることが指摘されよう。
また,二重価格問題解決後も懸案となっていた重質油に関する油種間調整問題については,カラカス総会において,アドホック委員会の会合で検討することに合意を見た。右合意に従い78年2月初旬ジュネーヴにおいて重質原油価格に関する会議が開催されたが,クウェイト原油の10セント/バーレルの値下げが承認された以外は具体的な結論をみるに至らなかった。
(4) このような国際石油情勢の中で,77年においてOECD,CIA,エクソン,BPなどより相次いで国際エネルギーの中期,長期需給見通しが発表されたが,いずれも節約強化や代替エネルギー開発の促進がない限り,80年代ないし90年代前半には世界の石油需給が極めて逼迫化することを予測していることが注目された。また,発足以来4年目を迎えた国際エネルギー機関(IEA)は,緊急時における石油の需要抑制及び相互融通スキームを完成し,その活動の重点をエネルギー分野におげる長期協力問題に移してきているが,10月初旬開催された第2回閣僚理事会は,85年におけるIEA加盟諸国全体の輸入石油依存度低減目標を2,600万バーレル/日とすることを決定した。これは80年代にも予想される世界の石油需給逼迫化を控え,先進消費国が協調して輸入石油への依存度を低減することにより,世界のエネルギー情勢を安定化することを目的としたものである。この目標を達成するため,閣僚理事会は,IEA加盟国が各々エネルギー政策を遂行する上でのガイドラインとすべき「12原則」を採択した。すなわち,節約の強化,石油代替エネルギーの開発促進,石炭利用の拡大,原子力の開発促進,新エネルギーの研究開発などの諸原則が今後IEAが毎年各国のエネルギー政策を審査する際の尺度とされることとなった。
また,IEAは,石油に代わる新規・代替エネルギーの開発を重視し,このために各国が協力して研究開発を促進することとした。77年中に風力,地熱,核融合などに関する12協定,16プロジェクトが発足したことにより,合計22協定,30プロジェクトがIEAの共同研究開発事業として進められることとなった。わが国は77年中に太陽冷暖房,石炭技術などに関する3協定,5プロジェクトに加入し,合計5協定,7プロジェクトに参加することになったが,石油に対する依存度が極めて高いわが国としては,エネルギー源の多様化を図るため新規・代替エネルギーの研究開発,特に国際協力を通ずる研究開発により積極的に参加することが期待される。
(イ) 74年のインドの核実験以来,核拡散防止のために原子力平和利用活動に規制を加えんとする動きが国際的に見られてきたが、特にカーター大統領は77年1月の就任以来核拡散に対して強い懸念を表明し,4月7日には,核拡散防止上,再処理及びプルトニウム利用が特に問題であるとして,国内の再処理,高速増殖炉工場建設計画の無期延期及びかかる政策を国際的に実施するための関係国との協議などを中心とする新原子力政策を発表した。
(ロ) この米国の動きのほかに,カナダをはじめとする天然ウラン産出国が自国産核物質に対する規制を強化せんとする動きが,77年には顕著にみられた。
(ハ) 以上の2つの動きに対して,わが国は,西欧輸入国側と同じく,核拡散防止には協力しつつも,原子力平和利用に対する不当な制約は排するとの基本方針をもつてのぞんだ。
(イ) 米国産使用済燃料をわが国において再処理する場合,日米原子力協定第8条C項によれば,同使用済燃料に有効な保障措置が適用され得るとの共同決定を両国で行わなければならないことになっており,7月に運転開始を控えた東海再処理施設が両国間の交渉の焦点となった。
(ロ) 3月の日米首脳会談及び5月のロンドン先進国首脳会談の際,福田総理大臣よりカーター大統領に対し,「米国の核拡散に対する懸念は十分共有するが,そのために原子力の平和利用が不当に阻害されてはならない」というわが国の基本的考え方を説明した。そして実務レヴェルでの累次の交渉及び6月末の東海再処理施設の日米共同調査の結果,両国間で実質的な合意に達し,9月12日ワシントンで共同声明及び共同決定の両文書に署名を行った。
(ハ) 同共同声明及び共同決定によれば,わが国は東海再処理施設において,2年間で99トンまで米国産使用済燃料を再処理できることとなり,また2年後の同施設の運転方法は,国際核燃料サイクル評価(下記(3)参照)の検討結果などを勘案して日米間で改めて協議することとなった。
(イ) INFCE(インフセ)とは,原子力の平和利用と核不拡散とを両立させるための方策を探求せんとして,41カ国及び4国際機関が参加して行つている国際的な評価,検討作業である。
(ロ) このINFCE構想は,4月7日のカーター大統領による新原子力政策(上記(1)参照)で提唱され,その後5月のロンドン先進国首脳会議における討議,6月,7月の専門家による準備会合を経て,10月下旬ワシントンでINFCE設立総会が開催され,2年間にわたる検討作業がスタートした。
(ハ) INFCEは,総会,技術調整委員会,及び8の作業部会よりなるが,わが国は英国とともにINFCEの「かなめ」とも目される第4作業部会(再処理・プルトニウムの取扱い)の共同議長に選出された。
(ニ) INFCEは,技術的側面のみならず,外交的,政治的側面も極めて重要であり,また,INFCEの検討結果は,わが国にとっても,東海再処理施設の今後の運転方法のみならず,わが国の長期的原子力開発計画全般に大きな影響を及ぼすと予想されるので,わが国としても,INFCE対策には万全を期すこととしている。
(イ) カナダは,74年のインドの核実験に使われたプルトニウムが,インドに輸出されたカナダ産原子炉により生じたものであったことに衝撃を受け,わが国をはじめとするカナダ産ウラン輸入国に対し,原子力協定改訂を申し入れていた。しかしわが国,スイス,EC諸国に対しては,関係協定の改訂がカナダの希望するとおりに進んでいないとの理由で,77年1月ウラン輸出停止措置をとるに至った。
(ロ) わが国としては,カナダの規制権強化に関する不当な要求は排除しつつも,このカナダ産ウラン禁輸措置により,わが国の原子力平和利用に支障が生じないよう,77年1月,5月及び78年1月と3次にわたる交渉を行った結果,第3次交渉で日加原子力協定改訂議定書に仮署名するに至り,この仮署名と同時に,カナダは対日ウラン禁輸措置を解除した。
(ハ) 合意の内容は,米国で濃縮された上でわが国に移転されるカナダ産天然ウランについてのカナダの規制権を認めつつも,この規制権の行使については米国を通じてのみ行われることなどである。
76年6月8日の核拡散防止条約(NPT)の批准に伴い,わが国のこのNPT上の義務が守られているかをIAEAが査察するための保障措置協定を締結する必要が生じたところ,IAEAとの交渉の結果,77年3月4日本件協定に署名を行い,第82国会で承認を得た後,77年12月2日に発効させた。
74年のインドの核実験以後,わが国を含む原子力平和利用先進国が数次にわたってロンドンで輸出政策の統一について協議を行ってきたところ,77年9月,輸入国が核爆発などを行わないことを約束した場合にのみ核物質の輸出を行うことなどを内容とした輸出ガイドラインにつき合意に達し,78年1月参加国は,このガイドラインをIAEAに通報した。
わが国原子力発電所の使用済燃料の再処理を委託するための契約がわが国電力業界と英国及びフランス関係公社との間に77年7月仮署名された。(フランスとの間では9月正式署名された。)政府はこの契約締結を支援するとともに,発効に必要な口上書交換などにつき外交努力を行つた。
(イ) 国際原子力機関(IAEA)は,設立以来,77年で20周年を迎えた。この間1AEAは,憲章の目的にのつとり,核拡散の防止及び原子力の平和利用分野において積極的な活動を行つてきたが,その活動には2つの大きな流れが見られる。
1つは,技術援助で,IAEAの設立当初は,医療,農業,工業などの分野に重点が置かれていたが,最近は原子力発電の経済的及び技術的諸問題,特にこの分野の人材養成に重点が置かれている。他の1つは,原子力の安全及び保障措置,核不拡散及びその関連問題であり,最近はその重要性が高まっている。
(ロ) 石油危機以来,先進国はもちろんのこと開発途上国の原子力発電開発に対する関心も急速に高まつているが,かかる状況を背景として,「原子力発電及びその核燃料サイクルに関する国際会議」が20周年記念行事の一環としてIAEA主催により5月ザルツブルグにおいて開催された。本件会議には約2,000名の原子力関係者が参加し,積極的に情報交換を行ったが,極めて時宜を得た会議であり,多大の成果をおさめた。
(ハ) IAEAにおいても技術移転問題を中心として南北問題が徐々に大きな問題となりつつあるが,設立以来指定理事国として活躍してきた南アフリカがその地位をエジプトに譲ったこと,及び最近の理事会議席拡大に対する開発途上国側の強い要求はその顕著な事例であり,かかる開発途上国側の動きは今後の理事会及びIAEA全体の円滑な運営に大きな問題を提起することとなろう。
(ニ) わが国は,創設以来,原加盟国として,また指定理事国として,積極的にIAEA及び理事会の活動に寄与しているが(財政面でもわが国は,加盟国中第3位の大口拠出国である),かかるわが国の活動は極めて高い評価を受けている。
一次産品問題は現下の南北問題のうち最も重要な問題の一つとなっている。
これは開発途上国がその輸出所得の大部分を一次産品に依存している状況の下で,一次産品の多くについて大幅な価格の変動,合成品との競合による長期的な需要の低落傾向などが存在し,安定的な輸出所得の確保が大きな問題となっていることを理由とするものである。
また,一次産品に関しては,わが国が原材料の多くを輸入に依存していることにもかんがみ,その価格及び貿易の安定化はわが国にとっても重要な関心事となっている。
(イ) 76年5月の第4回UNCTAD総会(於:ナイロビ)において,開発途上国側は一次産品問題の包括的な解決を求めて「一次産品総合プログラム」の採択を先進国側に迫り,先進国側も南北間の決定的な対立を回避ぜんとの配慮を払った結果,最終的に「一次産品総合プログラム」の実施に関する決議が採択されるに至つた。
(ロ) 本件決議においては,「一次産品総合プログラム」の下で一次産品の価格及び貿易の安定化と輸出所得の改善を包括的にとりあげるとの考えの下に,対象品目を18品目(コーヒー,銅,ゴム,茶,すず,砂糖,綿花,ココア,ジュート,硬質繊維,バナナ,食肉,ボーキサイト,燐鉱石,マンガン,鉄鉱石,植物油,熱帯木材)に絞り,これら品目につき予備的検討を行い,78年末までに商品協定の締結など必要な措置についての交渉を終了すること,及び共通基金設立をめざして77年3月までに交渉会議を開始することが決められている。
(ハ) 上記のタイム・テーブルに基づき,個別品目については,77年末までに銅,ジュート,硬質繊維,ゴム,熱帯木材など10品目の予備協議が行われたが,ゴムなどの一部の品目を除き,更に検討を重ねる必要があるため,当初の予定は延期されることになつた。
(ニ) 一方,共通基金についても,76年以降3回の予備協議を行つたほか,77年3月及び11月の2回にわたり交渉会議が開かれたが,共通基金の具体的態様をめぐり先進国側と開発途上国側との間で意見が対立し,交渉は中断されるに至った(交渉の再開時期については現在のところ未定となつている)。
(ホ) 今後,本件一次産品問題については,共通基金及び個別産品問題に対し開発途上国側が早急に具体策の実施を迫っていることもあり,これらの交渉の成否いかんが南北問題全般の成り行きにも大きな影響を与えるものと思われる。
(イ) 77年に開催された国連砂糖会議の結果,懸案の「1977年の国連砂糖協定」がようやく合意され,10月に採択された。協定は78年始めから発効している。
この協定の成立により,73年以来激しい変動に見舞われていた国際砂糖貿易の安定化が図られることが期待されている。
(ロ) 国際小麦貿易の安定化を図るため「1978年の小麦協定」を作成するための予備協議が77年も進められ,78年春に開催される予定の小麦協定交渉会議に向けて協定案作りが行われた。
(ハ) 既存の商品協定としては,このほかに,すず,コーヒー,ココアの各協定があるが,更に前述のとおり,いくつかの産品について商品協定作成のための話合いが行われている。
77年の世界穀物生産について見ると,FAO事務局は,小麦3億8,500万トンで前年比3,300万トン減(8%減),粗粒穀物7億1,100万トンで前年比700万トン増(1.1%増),米穀2億4,200万トンで前年比800万トン(3.4%増)の数字を出しており,この生産水準は史上最高を記録した76年度を1,800万トン(1.3%減)下まわるものの史上第2番目の豊作である。
世界の穀物需要は,飼料需要増を中心に増大するものと見込まれるが,多くの場合,需要増加分は自国産穀物の増産によって賄われるため,世界の貿易量は前年比6%増にとどまるものとみられる。また,FAO事務局の在庫見通しによれば,77年度持越在庫は,前年比1,600万トン増が見込まれる(ちなみにソ連,中国を除く期末在庫は1億7,400万トンになるとみられ,これは,世界穀物消費量の19%にあたる)。
食糧需要の大きな部分を海外からの輸入によって賄っているわが国としては,主要穀物の供給安定について重大な関心を有しており,この観点から穀物備蓄に関する次のような国際的検討に積極的に参加している。
(イ) FAOにおける検討
74年末にFAOで採択された「世界食糧安全保障のための国際的申し合わせ」の実施状況をフォローする場として食糧安全保障委員会が設置され,77年第2回会合では世界食糧安全保障状況と世界穀物在庫の適正水準などを検討した。
(ロ) 世界食糧理事会における検討
食糧問題の総合調整機関として設立された本理事会では,関係各国に対し,新国際穀物協定締結促進のための協力,開発途上国の食糧備蓄の創設,維持に対する支援及び穀物56万トンの国際緊急備蓄の支援など広範囲にわたる協力が要請され,決議「マニラ・コミュニケ」の一部として取り上げられた。
(ハ) 国際小麦理事会における検討
世界の食糧安全保障の観点から米国が提案した3,000万トン(小麦2,500万トン,米500万トン)の国際備蓄協定をめぐつて各国間で意見交換が続けられていたが,78年2月から国際備蓄を含む新国際小麦協定を締結するための交渉が行われる。わが国は,備蓄の重要性を認めるとともに穀物貿易の安定の観点から価格メカニズムと関連づけられることが望ましいとの立場をとっている。
(ニ) MTNにおける検討
穀物貿易の価格・市場の安定化問題と関連して備蓄問題の検討が続けられている。