-アジア地域-

5. インドシナ地域

 

(1) インドシナ地域の内外情勢

(イ) ヴィエトナム

(a) 内   政

77年においては,76年12月の第4回党大会で決められた統一後の内外基本路線に従つて,76~80年の経済5カ年計画に基づき,農業生産強化を基盤とする国民生活の向上,南部の社会主義改造などを主要課題としつつ新国家の経済的,社会的基礎づくりが進められた。

内政面では,6月に農業相,11月に建設,機械・冶金,商業および海産物の各経済関係大臣の更迭が行われ,党中央が経済政策の遂行状況に深い配慮を払つていることをうかがわせたほかは・政府指導部における異動は伝えられず,国内政治は安定した推移を示した。

(b) 外   交

77年はヴィエトナムが党・政府の最高指導者を先頭に多彩な外交を展開した年であり,9月には国連加盟も実現した。

社会主義諸国との間では,レ・ズアン党書記長を団長とする党・政府代表団のソ連訪問(10~11月),中国訪問(11月),また,ホーネッカー東独・党書記長のハノイ訪問(12月)とウィエトナム・東独間の友好協力条約の締結などの動きがあつたが,他方,政治体制を異にする国とも独立・主権の相互尊重,平等,互恵を基礎として正常な関係を樹立し拡大するとの立場から自由主義諸国との間にも活発な外交を展開した。

ファム・ヴァン・ドン首相はフランスを30年ぶりに訪問(4月)するとともに,北欧諸国(フィンランド,デンマーク,ノールウェー)を訪問(5~6月),ヴィエトナムの積極的な対西欧接近の姿勢を示した。

他方,対アジア外交はファン・ヒエン外務次官の南西アジア6カ国訪問(2月),ついでグエン・ズイ・チン外相のインド訪問(4月)などをもつて始められが,特に注目されたのは,積極的な対ASEAN外交の展開であつた。

ヴィエトナムは機構としてのASEANを認める立場をとつてはいないものの,これら諸国との2国間関係の拡大を図るとの姿勢を示し,76年統一直後,ファン・ヒエン外務次官が東南アジア諸国を歴訪したが,77年には,11月,まず,グエン・チャン対外貿易次官のマレイシア,フィリピン,インドネシア訪問が行われ,そのあとを受けて12月から78年1月にかけてグエン・ズイ・チン外相のシンガポールを除くASEAN諸国訪問となつた。同訪問においては,各国との間に2国間関係の緊密化に関するコミュニケが発出され,また,マレイシア,フィリピン,タイとの間に貿易あるいは経済技術協力などに関する実務協定の締結を見るなどASEAN諸国との関係改善を大きく前進させ注目された。

特に,冷却化していたタイとの関係が10月のタイ政変後タイ新政権の対インドシナ積極姿勢もあり,大きな進展を示した。

インドシナ諸国とは,ラオスについてはレ・ズアン書記長,ファン・ヴァン・ドン首相の率いる党政府代表団が同国を訪問(7月)し,友好協力条約などの締結をみ,両国関係は一層の緊密化を加えた。

一方,カンボディアについては,これまで同国との国境紛争が取りざたされていたが,12月末,カンボディアがヴィエトナムを侵略者として非難するとともにヴィエトナムとの外交関係の一時断絶を声明し,国境紛争の存在が顕在化した。

一方,米国との間では3月,ウッドコック全米自動車労組委員長を団長とする使節団のハノイ訪問を契機として両国政府間に,5月,6月,12月と3次にわたる国交正常化の交渉が行われた。

(c) 経済情勢

77年は第4回党大会の決定を全国的規模で実施する最初の年であつた。77年は,特に,農業生産の増強,これに伴う国民生活の向上が課題とされたが,冷害,かんばつ,台風など自然災害が続いたこともあつて米作は不振を伝えられ,6~7月に開かれた第2同党中央委員会においては厳しい現状批判が行われるとともに農業生産向上のための諸措置が決議された。

12月の国会報告でレ・タイン・ギ副首相は「過去2年間で経済は一定の進歩をとげたものの,5カ年計画の目標に比べると成果は低い」として諸欠陥の克服を呼びかけるとともに,78年度は5ヵ年計画を達成する上で特別に重要な年であることを強調し,78年には食糧1,600万~1,650万トンの生産確保をはじめ諸分野における目標数字を掲げ達成を呼びかけた。

(ロ) ラオス

(a) 内   政

75年12月にラオス人民民主共和国が発足して以来,同政府は国家機関の強化,社会主義経済の建設,社会・文化の再建を3大目標として社会主義国家の建設を推進してきた。77年においても,2月に開催された最高人民代表議会においてカイソン首相は政治報告を発表して,行政組織の強化,治安・国防の増強,生活条件の改善,食糧の自給,教育・文化・医療の向上,幹部の養成などが当面の政府の基本目標である旨明らかにし,76年に引き続きあらゆる分野にわたつて社会主義体制の定着化が進められてきた。その結果,新体制の行政機構は次第に整備され,政治教育セミナーなどを通じるイデオロギー教育も徐々に国民の間に浸透しつつあるものとみられる。しかしながら,経済面では雨期に全国的なかんばつに見舞われたため,農業を中心とする経済活動は停滞し,諸外国に食糧援助を要請するなど,当面の目標である食糧自給体制を確立するには程遠い状況が明らかにされたほか,治安面でも,シエンクワン州近郊のメオ族の反乱や旧右派軍の根拠地であるラオス南部において,なお反政府活動が伝えられ,更に,食糧不足の深刻化に伴つて首都においても治安悪化の兆しがみられた。

また,文化・社会面では,旧政府時代の植民地主義的社会文化を一掃する運動として,大衆教育や共同労働奉仕が盛んに行われているが,新体制になじめず,メコン河を渡つてタイに逃亡する者が依然としてあとを絶たず,タイにいるラオス難民の数は8万人前後に達するなどラオスは着実に社会主義への道を歩みつつもなお多くの解決すべき問題があることを示しているものといえよう。

(b) 外   交

77年5月,カイソン首相を団長とするラオス党・政府代表団が東独を訪問し,その帰路モスクワに立寄りブレジネフ書記長らと会見したほか,6月,北朝鮮及び中国を訪問し,金日成首相,華国鋒首相らと会見した。さらに7月には,レ・ズアン書記長,ファン・ヴァン・ドン首相を団長とするヴィエトナム党・政府代表団がラオスを公式訪問し,ラオス・ヴィエトナム友好協力条約,国境画定協定,援助借款供与協定(78~80年)などが締結された。こうした外交活動を通じラオスのソ連及びヴィエトナムとの関係が一層緊密化したことが注目された。

(c) 経済情勢

新政府は社会主義経済の建設を3大方針の1つとしており,前記カイソン首相の政治報告においても,物資の流通網拡大,農・林・工業の発展,国営企業,交通網の整備,輸出の増大などを掲げている。77年度は,大衆動員による農地開墾,かんがい掘削,農業協同組合や集団農場の設置などに成果がみられたが,雨期に全国的なかんばつに見舞われた結果,78年度は大幅な米不足が予想されるに至つた。工業生力は国営化企業,国家との合弁企業の下で漸次回復しつつあるが,相変わらず激しいインフレ(推定年率180%)に悩まされており,テクノクラートの国外逃亡,投資可能資金の不足,不十分なインフラストラクチャーなどの理由でいまだ生産力は低い。

(ハ) カンボディア

(a) 内   政

76年,民主カンボディアの新体制が発足して以来3年目を迎えたが,カンボディアの内情については情報が極めて限られており依然として不明な部分が多い。その中にあつて77年9月にはカンボディア共産党の存在が,ポル・ポット同党中央委員会書記兼首相の中国訪問に際して初めて公表され,ポル・ポット書記を頂点とする党指導部の概要が部分的に明らかにされた。これまで新政権を指導しているのは「革命機関」であるとされてきたが,今般これが共産党であることが確認されたわけであり,また,ポル・ポット党書記のカンボディア共産党創立17周年記念に際しての演説で,党の基本的方針及びカンボディアの現状が明らかにされた。右によれば,党はあらゆる分野における社会主義的集団体制を強化することを当面の目標とし,協同組合組織を全国的規模に拡大し,経済,社会,文化,教育の母体とすることを掲げており,現在すでに全国各地の協同組合化が進展し,地方公共団体としての段階に達していること,そこにおいては,貨幣経済は存在せず全人民は公共扶助制度の下に集団生活を営んでいることが明らかにされている。更に国家再建のため,農業を基盤とし,これを振興することにより農業の近代化を図ることにより漸次農業国から工業国に脱皮していくとの方針を明らかにし,農業については貯水問題の解決に当面最大の努力を集中し,すでに280億立方メートルの貯水,25万ヘクタールの水田のかんがいに成功し,国民の食糧問題の解決に成功したことを明らかにしている。しかしながら同演説においても反革命分子やスパイグループが同国内部に存在していることが明らかにされており,同国内政はなお新体制移行に伴う過渡期にあつて多くの問題に直面しているものと見られ,ヴィエトナムとの国境紛争の内政面への影響が注目される。

(b) 外   交

プノンペンに大使館を設置している国は,中国,北朝鮮,ラオス,アルバニア,ユーゴースラヴィア,ルーマニア,キューバ及びエジプトの8カ国(注)であり,カンボディアが大使を派遣している国は,中国,北朝鮮,及びラオスの3カ国(注)にすぎない。

イエン・サリ外務担当副首相は,77年3月にビルマ,スリランカ,シンガポール,マレイシア及びパキスタンの近隣5カ国(主として非同盟諸国)を親善訪問し,これら諸国との友好関係の強化に努めた。

また,77年9月~10月にかけて,ポル・ポット党書記兼首相を団長とするカンボディア党・政府代表団が中国及び北朝鮮を公式友好訪問し,これら両国,とりわけ中国との緊密な関係が改めて確認された。

他方,カンボディアは,憲法でもうたつているごとく,非同盟・中立政策の堅持に腐心しており,ビルマ外相(8月~9月),ビルマ大統領(11月)及びマレイシア外相(12月)の公式親善訪問を受けるなど近隣の非同盟諸国との関係強化に努める一方,ラオス大統領(12月)の公式訪問を受け,隣国ラオスとの友好関係増進にも気を配つている。

しかし,ヴィエトナムとの間では,国境紛争が激化した結果,12月31日,同国を激しく非難する声明を発表するとともに,同国との外交関係を同日付で一時断絶した。

他方,タイとの間にも国境紛争が頻発しているが,ウパディット・タイ外相のカンボディア公式訪問(78年1月30日~2月2日)により,大使の早期交換を含む友好関係の促進,国境紛争回避への努力,国境貿易再開などの関係改善への努力が図られている。

(c) 経済情勢

前述のとおり現政権の経済政策は農業中心であり特に米の増産を至上目標にして全国各地において集団労働によりかんがい施設の建設が行われてきた模様であり,カンボディア政府はその結果77年においては食糧の自給体制が確保され,余剰米が輸出されるに至つたこと,更に塩及びゴムの生産についても計画目標を達成したと発表しているが同国経済の実態についてはなお不明な点が多い。なお,77年には軽工業の復興を計るため,わが国を含む西側諸国からの機械類や原材料の輸入が小規模ながら復活した。

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(2) わが国とインドシナ諸国との関係

ヴィニトナムとの関係では,9月の第32回国連総会において,鳩山外務大臣とグエン・ズイ・チン外相との間で初めて大臣レベルの会談が行われた。また,一般の人事交流も着実に増加しており,月平均70名ほどの旅行者が商用でハノイを訪問している。

<貿 易>

<経済協力(政府開発援助)>

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,カンボディアは77年12月31日付をもつて国境紛争との関係でヴィエトナムとの間の外交関係を一時断絶した。