-アジア地域-

2. 朝鮮半島

 

(1) 朝鮮半島の情勢

(イ) 南北朝鮮関係

(a) 南北対話の中断

70年代の初めに開始された南北対話は,その後北朝鮮側により一方的に中断され,実質的な対話は行われないまま今日に至つている。

77年中も,南北離散家族捜しを目的として開始された赤十字会談については,本会議再開のための実務レベルの会議が5回(第21回~25回)開催されたものの何等の進展もみられず,また72年7月の南北共同声明により設置され統一問題などを扱う南北調節委員会に関しては,委員会の運営を正常化させることが付託事項とされている副委員長会議すら開催されるに至らなかつた。

韓国側は,南北対話の即時再開を求めるとの立場であり,77年1月,年頭記者会見において朴大統領は,北朝鮮側が対話の場所にこだわるならば(北朝鮮はソウルは会談する雰囲気にないとして拒否している)板門店又は合意する第3の場所での開催にも応じる旨を明らかにするなど,折に触れて北朝鮮に対し対話再開を呼びかけてきている。

これに対し,北朝鮮側は,対話再開の前提として韓国からの外国軍隊の撤退,韓国の反共政策の撤廃などを主張しており,韓国側の呼びかけに応じる気配は一切みせていない。

(b) 軍事的緊張の存続

朝鮮半島の軍事情勢は77年に入つてから概して落着いた雰囲気であつた。7月14日,東海岸,軍事境界線の北方に誤つて進入した米軍ヘリコプターが北朝鮮軍砲火により撃墜される事件が発生したが,双方ともに冷静に事件処理に当たり,大事に至らず終えんした。この他,北朝鮮兵による軍事境界線越境,銃撃事件(5月3日),北朝鮮による海上軍事境界線の発表(8月1日),韓国軍軍属の軽飛行機による越北事件(10月12日),韓国陸軍中佐等のら致事件(10月20日)などが発生した。なお7月25・26日第10回米韓安保協議会が開催され,在韓米地上軍撤退について大枠の合意がなされ共同声明の発表となり,撤退の態様の概要が明らかになつた。これに対して北朝鮮は,撤退に伴う補完措置という口実のもとに対韓軍事援助を増大し韓国軍の戦力増強を図ろうとするものであり,これは朝鮮での緊張と軍事的対じ状況の激化をもたらすものであると反発した。

(ロ) 韓国の情勢

(a) 内   政

(i) 政情の安定

米国のカーター政権の登場に伴う在韓米地上軍撤退の決定といわゆる朴東宣事件による対米関係の悪化は,国民に不安を与える要素となつたものの,政府の国民総和政策(5月の朴大統領と野党党首との会見,7月の「米地上軍撤退反対決議案」など3議案の国会採択など)や自主国防体制確立キャンペーン展開などの政策がとられたほか,経済の好調に支えられて,10月に若干の反政府学生運動がみられたものの,国内政情は安定のまま推移した。

(ii) 大統領緊急措置違反者の釈放

米国においては,韓国政府の人権政策に対する批判が高まつていたが,韓国政府は,経済成長と内政の安定に自信を深め77年においては国内引締の政策を緩和し,「時局に関する対政府建議案」が国会で満場一致で採択されたことを契機にして,7月17日大統領緊急措置第9号違反で服役中の者のうち,「改悛の情」を示した14名を刑の執行停止措置により釈放した。その後,8月15日に17名が,12月25日に11名が,12月31日に5名が,各々釈放されたほか,12月19日「民主救国宣言」事件の服役者金大中は病気治療のため病院に移送された。このように数次にわたる釈放措置によりいわゆる「民主救国宣言」事件関係者は金大中を除き全員釈放された。

(iii) 内閣改造

朴大統領は12月20日新設の動力資源部の長官を任命するとともに国防部長官を含む6閣僚を更迭した。

(b) 外   交

韓国は,韓・米安保体制の堅持,日本など自由陣営の友好国との関係強化,及び北朝鮮との外交競争で優位に立つことを基本政策としている。

(i) 在韓米地上軍の撤退を選挙公約としたカーター氏の大統領就任に伴い,5月にブラウン米国統合参謀本部議長とハビブ米国務次官が訪韓したのをはじめ,両国間に協議が重ねられたが,7月に開催された第10回米韓安保協議会において,在韓米地上軍撤退の態様などの大枠が次のように合意された。この合意によれば, (あ)在韓米地上軍は4~5年にわたり,段階的に撤退し,第1段階として78年末までに6,000名を撤退させる,(い)在韓米空軍は増強され,米海軍は引き続き同地域にとどまる,(う)在韓米地上軍の撤退は,韓国の安全に対する米国のコミットメントの変更を意味しないとするとともに,韓国軍の軍事的補完措置をとるほか,外交的にも米国は韓国の参加なしに朝鮮半島の将来について北朝鮮といかなる交渉もしないことなどが確認された。

他方,いわゆる朴東宣事件を捜査してきた米司法当局は,8月朴東宣を起訴し,韓国側に対しその身柄の引渡しを要求したが,韓国側はこれを拒否し,両国政府は長期間の交渉を行つた末,朴東宣の尋問及び渡米証言の問題につき合意にたつし,12月31日,両国政府により共同声明が発表された。また,この間この事件の独自の調査を進めていた米議会は在韓米地上軍撤退に伴う8億ドルの装備の韓国軍に対する無償移管を求める法案の審議棚上げ及び韓国の対米議会工作に関する倫理委員会調査に韓国政府の全面的協力を求める決議の下院本会議での満場一致の採択(10月31日)などの措置をとり強硬な態度を示した。特に年末に発表された両国政府間の合意は,朴東宣の米議会での証言を求めるとの米議会側の要請に応えたものとなつていなかつたことに強い反発を示したため,進展が注目されていたが,78年に入り,結局米議会における証言も実現されることとなつた。

(ii) 北朝鮮との外交競争においては,韓国は北朝鮮が非同盟コロンボ会議以降外交的に後退したことに乗じ,経済協力を背景に開発途上国,非同盟諸国に対する積極外交を展開し,77年はおもに北朝鮮単独修交国のスーダン,スリ・ランカをはじめ5カ国と新たに外交関係を樹立するなど着実な成果を収めた(77年末現在101カ国と外交関係設定に合意している)。

共産圏諸国との関係では,理念と体制を異にする国に対しても互恵平等の原則に基づいて互いに門戸を開放するとの政策を引き続き促進したが,韓国大使が共産圏諸国で開催された国際会議(ブルガリアでの列国議会同盟(IPU)総会,ルーマニアの赤十字総会,ソ連のユネスコ政府環境教育会議)に出席したほか,インドネシア駐在大使が東独大使館主催の国祭日レセプションに招待されるなどの成果がみられたにとどまつた。

(c) 経   済

77年の韓国経済の実質経済成長率は,先進諸国における景気の中だるみにより,76年の15.5%に比し約5%低下したが,なお当初の計画目標を若干上回る10.3%を記録した。産業別の成長をみると,鉱工業部門が76年の25.4%から11.2%へ,農林水産業部門が76年の8.9%から3.1%へ,それぞれ低下した反面,社会間接資本及びその他のサービス部門は76年の11.3%から13%へと成長率を高めた。

国際収支面では,韓国の経常収支はオイル・ショックの影響もあつて,74年,75年にそれぞれ約20億ドルの大幅な赤字を示していたが,76年には,約3億ドルの小幅赤字に回復し,77年には,初めて黒字を記録するまでに至つた。

これには,77年に100億ドルを突破した輸出の伸張及び海外における建設活動の活発化による貿易外収支の黒字転換が大きく寄与した。なお,外貨保有高は43億ドルとなり,前年に比べ約13億ドルも増加した。

物価に関しては,こうした海外部門での通貨増発圧力により,インフレが懸念されたが,卸売物価上昇率は,10.1%,消費者物価上昇率は,11.0%と76年に引き続き,当国としては,比較的落着いた趨勢を示した。

(ハ) 北朝鮮の情勢

(a) 内   政

北朝鮮は,72年に社会主義憲法を制定し,あらゆる国家権力を金日成主席のもとに集中させ,金日成体制の確立,強化をはかつている。また,70年11月以来,三大革命(思想,技術,文化)運動を強力に展開し,金日成思想,いわゆる「主体思想」による全国一色化をはかつている。また最近の北朝鮮における世代交替の一般的傾向の中で73年はじめ組織された「三大革命小組」が北朝鮮政権体制の核心として成長しつつあり,同小組の総指揮をつとめる金正一(金日成の実子)が金日成の後継者として既に決定されているとの見方が一般化している。

77年中は,11月に最高人民会議代議員選挙が施行され,その結果に基づき,12月に第6期第1回最高人民会議が開催された。同会議において,国家主席に金日成を再選し,副主席に朴成哲を加え,また国務院総理に李鍾玉を選出し,政府首脳部の陣容を再編成するとともに78年度より始まる第2次経済7カ年計画を採択した。

(b) 外   交

(i) 北朝鮮の外交の基調は,「反帝,反植民地主義」,「内政不干渉」,「自主路線」を柱としており,共産圏諸国以外の第3国との関係については,自主,独立,平等の原則が尊重されれば,自由主義諸国を含む,あらゆる国と国交関係を樹立するとしている。

北朝鮮は76年8月のコロンボ非同盟首脳会議において,予期した成果をあげられなかつたことから,77年に入り一時中断していた訪問招待外交を再開し,失墜した国際的威信と信用の回復に努めた。

すなわち,77年には,朴成哲総理,許淡副総理兼外交部長,孔鎮泰副総理兼対外経済事業部長,鄭準基副総理,呉振宇人民武力部長などをアフリカ,中近東,アジア諸国に派遣する一方これら地域から多数の政府首脳を北朝鮮に招待した。

(ii) なお北朝鮮は外交関係設定の努力を推進しているが,頭打ちとなつており,77年末現在の外交関係樹立合意国は,昨年と同じ91カ国である(そのうち51カ国は韓国とも外交関係樹立に合意している)。

(iii) 米国との関係に関しては,北朝鮮は,74年3月以降,米国に対し,直接平和条約を締結することを呼び掛けてきたが,77年に入り,カーター政権が発足するとパキスタン,ガボン,ユーゴなどを通じ,対米直接接触を模索した。しかし,米国は,韓国の参加なしには北朝鮮との話合いには応じられないとの態度を明らかにしており,何らの進展もみられなかつた。

(iv) 中・ソ関係においては,北朝鮮は,中・ソいずれの一方にも深く傾斜しないような姿勢をとつており,両国との関係においては,基本的に大きな変化はみられない。

(c) 経済情勢

(i) 金日成主席は,77年の新年の辞において,「一部経済部門で緊張が生じ,かなりの面で経済建設が支障を受けている」と経済困難をはじめて正式に認め,76年に引き続き,77年も「緩衝の年」とすることを明らかにし,77年度の重点施策として,鉱業部門の先行,輸送力の増強,機械工業の強化,既存設備のフル稼動,冷害克服などをあげた。

(ii) 78年より始まる第2次経済7カ年計画の概要は,李鍾玉新総理の報告によると次のとおりである。

1) 第2次7カ年計画の基本課題は,「人民経済の主体化,近代化,科学化を促し,社会主義経済の土台をさらに強化し,人民生活を一段と高める」ことにあり,自力更生を旨とする。

2) 期間中,工業生産は,2.2倍,そのうち生産手段生産は2.2倍,消費財生産は2.1倍にする。

3) 産業部門別,生産目標は,次のとおりであるが,これは,74年2月に発表された「10大経済目標」に比して低いものとなつている。

(iii) 対外債務問題

北朝鮮は,73年以来,西側諸国から近代技術・装備の大幅な導入をはじめたが,石油危機の影響を受けたこともあり,対西欧諸国貿易は,毎年大幅な赤字となり,北朝鮮は現在,約24億ドルに達する対外債務を抱えていると言われ,延滞利子の支払いも円滑に行われていない。

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(2) わが国と韓国との関係

(イ) 概   観

日韓関係に関しては,77年中に,日韓大陸棚協定の国会承認(6月),第9回日韓定期閣僚会議の開催(9月)などの進展があつた。

日韓大陸棚協定は署名後既に3年余を経過しており,韓国側よりたびたび早期批准の要請を受けていたものである。貴重なわが国独自のエネルギー資源を確保するため,同協定関連特別措置法の早期成立が期待されている。

また,2年ぶりに開催された閣僚会議は,両国の関係閣僚が一堂に会し,幅広く,且つ忌憚のない意見交換が行われたことにより日韓両国間の相互理解の増進と善隣友好協力関係の強化に有益であつたと考えられる。

その他諸分野における77年中の実績は次のとおり。

(ロ) 通商関係

第14回日韓貿易会議が,78年1月東京で開かれ,現在の両国間の貿易の現状と拡大均衡のための諸措置が討議された。また生糸及び絹製品貿易に関しては,2国間の秩序ある貿易を確保するために,77年2月東京で専門家レベルの協議を行つた後,3月ソウル,4月東京と引き続いて協議を重ねた結果,5月ソウルにおいて,両国政府間の了解が成立した。

(ハ) 漁業問題

韓国は,77年12月末に領海法を公布し,78年4月末日までに領海12海里が施行されることとなり,日韓漁業も領海12海里時代を迎えることとなつた。

北海道沿岸漁場における韓国漁船の操業問題は,韓国漁船が北洋漁場を締め出されたこともあつて,同漁場へ進出していることから,大きな問題となつており,政府レベル及び民間レベルで円満解決の方途が探られている。

(ニ) 竹島問題

わが国政府は,韓国による竹島不法占拠に対し,従来繰り返し抗議してきており77年10月にも,同年8月に行われた海上保安庁巡視船の調査結果に基づき,竹島における韓国側各種建造物の設置及び官憲の滞在につき抗議するとともに,これらの撤去を求める旨の口上書を発出した。

<要人往来>

<貿 易>

<民間投資>

<経済協力(政府開発援助)>

なお,わが国の一般プラントなどに対する民間輸出信用供与の実績は,77年末現在で累計約18億ドル(輸出承認ベース)となつている。

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(3) わが国と北朝鮮との関係

(イ) 北朝鮮の200海里経済水域設定

北朝鮮は77年8月1日から200海里経済水域を実施し,また同日,軍事境界線の設定を発表した(わが国は,軍事境界線は,国際法上認められないとの立場である)。こうした北朝鮮の動きに対応して77年9月,わが国日朝漁業協議会と北朝鮮側当事者との間に77年10月1日から78年6月30日までの間,「暫定操業水域」内でのわが国零細漁業者の漁撈活動が保証される旨の暫定的合意が成立した。

(ロ) 人的交流

(a) 77年中の邦人の北朝鮮への渡航は,年間旅券発給数に依れば408名で,75年の615名,76年の587名に比し減少している。また渡航目的別には,商用が約90%を占めている。

(b) また,同期間中の北朝鮮からの入国者数は124名で,75年の84名,76年の94名より多少増加している。

(c) 在日朝鮮人の再入国は,従来の北朝鮮への里帰りから,スポーツ,学術,文化,商用,教育,祝典を目的とするものなどに範囲が広まつている。

<貿 易>

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