-各国との関係の増進-
第3章 わが国の行つた外交努力
第1節 各国との関係の増進
アジア地域は,わが国が隣人として平和と繁栄を分かち合うべき地域である。わが国は,このような認識に立つて,アジア諸国との善隣友好関係の維持・強化と相互理解の増進に努めるとともに,その経済開発に協力と援助を行うことにより,地域の安定と繁栄に寄与することを基本政策としている。特に福田総理は,8月,東南アジア諸国を訪問し,それを終える
に当たって,マニラで演説を行つた。福田総理大臣は,この演説の中で,東南アジア地域に対するわが国の基本姿勢に関し,(イ)平和に徹し軍事大国にならない,(ロ)各国との間に心と心のふれ合う相互信頼関係を築きあげる,及び,(ハ)ASEANに積極的に協力する一方インドシナ諸国とも相互理解に基づいて関係の醸成を図り,もつて東南アジア全域にわたる平和と繁栄の構築に寄与する,との3つの原則を明らかにした。
(イ) 朝鮮半島における平和と安定の維持は,わが国及び東アジア全体の安全のために重要であるが,同半島には依然として対立と緊張が見られる。
わが国としては,朝鮮半島に一日も早く緊張の緩和がもたらされることを希望しており,このためには,南北双方の当事者が相互不信を克服し,72年の南北共同声明の精神に基づき,実質的な対話を再開することが肝要であると考えている。
また,わが国は,在韓米地上軍の撤退問題に関しては,朝鮮半島の平和と安定を損わないような形で取り進められることが重要であるとの考え方をとつている。
(ロ) このように平和共存が実現するに至つていない朝鮮半島の現状にかんがみ,わが国としては,韓国との友好協力関係の維持発展を基本としている。77年においては,6月に日韓大陸棚協定の批准についてわが国会の承認が得られ,9月には2年ぶりに日韓定期閣僚会議が開かれるなどの進展がみられた。
また,北朝鮮との間には,貿易,人物,文化などの分野における交流を漸次積み重ね,何よりもまず相互理解の増進を図ることとしている。
日中関係は72年9月に発出された日中共同声明により国交正常化が実現して以来,77年9月で5周年を迎えたが,この間両国の関係は,5つの実務協定(貿易,航空,海運,漁業,商標)が締結されるなど,全般的に着実に進展してきた。わが国は,日中両国が友好関係を維持することは,アジアの平和と安定を確保するうえで重要な意義があるとの見地から,日中共同声明を基礎として,両国間の友好関係を一層確固たるものとするよう努力している。
(a) 実務協定などの面では,日中間の商標保護に関する「日中商標協定」が,9月29日の日中国交正常化5周年を記念して北京で署名されたほか,同月には,日中の気象情報交換に関する「日中気象回線設立に関する業務取極」が同じく北京で署名された。
(b) 日中平和友好条約締結問題については,国連に出席した鳩山外務大臣(当時)が,9月29日,国交正常化5周年祝賀晩餐会において黄華外交部長と意見交換を行つたほか,78年2月14日には,佐藤在中国大使と韓念龍外務次官との会談が北京で行われた。
(c) 経済関係では,77年の両国間の貿易総額は34.8億ドルに達し,前年比14.8%増となつた。また,78年2月には今後8年間にわたる民間の長期貿易取極が署名され,同期間中往復200億ドル前後の貿易が行われることとなつた。
(d) 文化人事交流の面では,国交正常化後初めて外務省招待により中国報道代表団の来日が実現した。
モンゴルとの関係は,72年の外交関係樹立以来,着実に発展しており,77年8月には,懸案の日本・モンゴル経済協力協定が発効した。
わが国は,ASEAN5カ国及びビルマが,各々自国の政治・経済・社会の基盤を強化するために払つている努力を支持し,経済技術協力の一層の推進に努めるとともに,これら諸国との幅広い対話及び交流を通じて,安定的な相互の信頼関係を築き上げることに努めている。
この意味で77年にわが国が行つた外交努力のうち特記すべきことは,8月のクアラ・ルンプールにおける日本・ASEAN首脳会談の実現と,それに続く福田総理大臣による6カ国歴訪であつた。これら一連の訪問外交により,わが国は,機構としてのASEANに対する積極的な支持を確認するとともに,ASEAN各国及びビルマとの「心と心のふれ合い」を基盤とする相互信頼関係の構築に努めることを強調し,これら諸国の共感を得た。
このほか,77年には,わが国が行つた各国首脳に対する招待外交の面でも顕著な成果がみられた。まず4月にフィリピンのマルコス大統領夫妻が,国賓として10年振りに再度わが国を訪問した。続いて5月にはシンガポールのリー・クァン・ユー首相夫妻,9月にはタイのターニソ首相(当時)夫妻,及びマレイシアのフセイン・オン首相夫妻が,それぞれわが国を公式訪問し,2国間の友好関係を一層強化するとともに,経済協力の促進などにつき具体的な成果を挙げた。
わが国は,以上のような首脳外交のほか,あらゆるレベルにおいて,これらの国々との間の人的交流・文化交流などの充実強化に努めた。
わが国は,前記マニラ・スピーチ第3原則の考え方に基づき,最近のインドシナ諸国とASEAN諸国との間の関係改善の兆しを見守りつつ,インドシナ戦争後新体制の下で国家再建に努めているインドシナ3国に対し大要以下のような外交努力を行つた。
ヴィエトナムに対しては,旧南ヴィエトナム政権がわが国に対し負つていた債務の承継問題を解決することが今後のヴィエトナムとの経済協力関係を築いていく上での前提であるとの立場から,この問題の円満解決のための努力が続けられた。
ラオスについても,75年12月に発足した新体制との間に,従来より存在してきた伝統的友好関係を引き続き維持発展させていく方針である。
カンボディアについては,76年8月2日外交関係を回復したのに引き続き,在北京の双方の大使館を通じ,両国間の外交上の接触を行つた。
(イ) 南西アジア地域は,中近東と東アジアとを結ぶ地理的要衝にあるのみならず,米中ソ3国の利害関係が複雑に錯綜していることもあり,同地域の平和と安定は,単にアジアのみならず世界の平和と安定にも深い係りあいをもつている。わが国は,同じアジアの1員である南西アジア諸国との間に伝統的に存在する友好協力関係を一層強化し,もつてこの地域の安定と発展にできる限り協力するとの方針に基づいて,種々の外交努力を行つた。
(ロ) 鳩山外務大臣(当時)は,7月にバングラデシュ,インド,ネパールの3国を公式訪問した。わが国外務大臣の南西アジア諸国公式訪問は,インドについては7年ぶり,バングラデシュ及びネパールについては初めてであつた。今次訪問は,経済技術協力などを通じて伝統的に友好的なわが国と南西アジア諸国との関係を一層増進するとともに,わが国の対アジア外交の幅を広げる意味からも大きな意義があつた。
(ハ) なお,9月に発生した日本航空機ハイジャック事件に関連しわが国政府の謝意を伝達するため,10月下旬に早川崇衆議院議員が特派大使としてバングラデシュを訪問した。
(1) 大洋州地域中,豪州及びニュー・ジーランドは,わが国とともにアジア・太平洋地域に属する先進民主主義国であり,両国の鉱物及び農業資源の対日輸出並びに工業製品の対日輸入という経済的相互補完性,更には両国近海での本邦漁船の操業などを基礎として,わが国との間に政治的,経済的に密接な関係を維持,発展させてきている。
わが国としては,かかる相互依存関係は両国との関係の基軸であるとの認識に立つて,両国との2国間関係の深化及び多様化を進めるとともに,広くアジア・太平洋地域の安定と繁栄のためには先進民主主義国たる両国との協力が基本的に重要であるとの観点から,両国との間に緊密な協調関係を築いていく方針である。
他方,パプア・ニューギニア,フィジーなどの南太平洋島嶼地域については,ソロモン諸島(英国領)などが独立に向かつているのを始めとして,経済社会開発の動きが近年とみに活発化してきており,更に,最近の国際海洋秩序の動きに伴い,これらの島嶼諸国・地域は,南太平洋フォーラムなどの地域協力機構を通じ漁業資源の開発を進めるなど,開発に関する地域協力も推進されている。
わが国としては,これら諸国・地域の経済社会開発の自助努力に呼応して経済協力を拡大し,友好協力関係を促進していく方針である。
(2) 8月クアラ・ルンプールで福田総理大臣と豪州のフレーザー首相及びニュー・ジーランドのマルドウーン首相との間に首脳会談が行われ,豪州との間には相互依存関係が確認されるとともに,砂糖,牛肉などを巡る摩擦の解決のため努力が払われた。また,ニュー・ジーランドとの間には,同国産品の対日市場アクセス問題及び漁業問題につき忌憚のない意見交換が行われた。
12月,パプア・ニューギニアのソマレ首相がわが国を公式訪問し,わが国は,同国の経済社会開発計画に対し積極的に協力することを約した。
(イ) 日米両国は,ともに自由と民主主義を基本的理念とする先進民主主義国として,政治,経済,安全保障,科学技術,医学,教育,文化など広範な分野にわたつて緊密な協力関係を築いてきており,また,ますます相互依存の度合いを深めつつある国際社会にあつて,世界的諸問題の解決のため「世界の中の日米協力」を推進している。米国とのこのような友好関係を維持・発展させることは,わが国外交の基軸を成すものである。
他方,米国も,マンスフィールド新駐日大使が,「両国が,現在ほど多くの共通の目標を分かち合い,また,かくも共通の国際的挑戦に当面したことはかつてなかつた。カーター大統領は,日米間に最大限に緊密な関係を維持することが,米国の外交政策の基本であり,また,世界的諸問題の解決に不可欠とみなしている。」旨述べたように(77年6月7日東京着任時の声明),わが国との関係を極めて重要視している。
77年においても,わが国政府は,福田総理大臣訪米を始めとして日米両国間の対話を促進するとともに,日米経済協議,日米原子力交渉など政府首脳レベルの会議,更には実務者レベルの協議を通じて諸懸案の解決を図り,友好協力関係の一層の増進に努めた。
(ロ) 福田総理大臣は,77年3月訪米し,21,22の両日,カーター大統領と会談した。両首脳は,「世界の中の日米協力」を中心テーマとして,世界経済が直面する諸問題,アジア・太平洋地域の平和と繁栄,原子力平和利用,2国間貿易,核拡散防止などの諸問題について忌憚なく話し合い,国際社会が当面する諸問題に対処する上で,両国の提携関係を一層強化していくことを確認し合つた。
日本とカナダは,民主主義と自由経済体制を分かち合う先進民主主義国の一員として,政治,経済のみならず文化,科学技術など多岐にわたる分野で幅広い協力関係にあり,77年においても,このような協力関係を一層発展させるための努力が政府レベル及び民間レベルにおいて積極的になされた。
両国政府は,日加両国間の諸懸案及び両国が共通の関心を有する国際問題について緊密に協議を行つており,77年6月には鳩山外務大臣(当時)が訪加し,ジェイミソン外相と会談した。また,78年1月にはジェイミソン外相が訪日し,園田外務大臣と卒直な意見の交換を行い,また,この際,懸案となつていた原子力協力協定の改訂交渉が実質的に妥結し,77年初めより実施されていた対日ウラン禁輸が解除されることとなつた。
経済面では,76年10月に署名された日加経済協力大綱に基づき,77年6月ヴァンクーヴァーにおいて日加経済協力合同委員会第1回会合が開催されたのをはじめ,76年にわが国より経済使節団が訪加したことを契機として日加両国経済人の定期協議の場を設けることにつき合意がみられ,その具体化が進められるなど活発な経済交流が展開された。
(1) わが国は,伝統的に友好協力関係にある中南米諸国との関係を維持し,かつ一層発展させることを対中南米外交の基本としている。
(2) 近年,中南米諸国は,一般的に政治的な安定を保っており,豊富な資源を有効に活用しつつ,経済社会開発及び教育文化水準の向上を積極的に推進している。右に伴い,国際社会における地位と役割は,向上しかつ増大しつつある。わが国としては,相互の自主性を尊重しつつ,中南米諸国のわが国に対する期待に可能な限りこたえるべく,資源開発,経済協力など諸般の分野にわたり協力を推進することに努めている。
(3) 上記のような基本的考え方に基づいて,77年においてわが国は,鳩山外務大臣(当時)が,国連総会出席に際し,中南米諸国の外相との会談を行い,国際情勢,わが国と中南米との関係などについて意見を交換し,相互理解を深めたのを始め,諸般の外交努力を行つた。
また,わが国と中南米地域との経済関係は,一般的に緊密であるが,従来,右関係は,ブラジル,メキシコなど特定の諸国に集中する傾向があつた。わが国としては,中南米諸国全体との幅広い関係を展開するべく,従来関係が比較的緊密ではなかつたエクアドル,パナマ,チリなどの諸国より,政府経済ミッションを受け入れ,わが方官民関係者との間で,活発な意見交換を行つた。
(1) わが国と西欧諸国との関係は,今や単なる伝統的な友好関係を越えて,自由主義世界において指導的な役割を期待されている日米欧3者間関係の一辺として極めて重要である。世界経済の円滑な発展の確保ひいては世界の平和と安定の維持のためには,日米欧3者間の緊密な協力・協調関係が不可欠であり,この点,従来,日米ないし米欧関係に比し若干不十分のきらいがあつた日欧関係は,「世界における日欧関係」として今後一層拡大,強化を図る必要がある。
かかる基本的な認識に基づき,77年においては,EC委員会を通じ(10月のジェンキンスEC委員長訪日,12月及び78年1月の牛場対外経済担当大臣のEC訪問など),あるいは各国との2国間ベースにおいて,更には各種の国際的なフォーラムにおいて(5月のロソドソ主要国首脳会議など),西欧諸国との協力・協調関係の一層の緊密化に努めるとともに,日欧間において当面最大の懸案となつている貿易問題の円満解決のための外交努力を行つた。
(2) 76年後半においてEC域内の経済情勢を背景として顕在化した日欧間の貿易・通商上の諸問題,なかんずく貿易不均衡問題に対するEC側不満については,双方が具体的問題に則して協議を重ねた結果,日欧問題を政治的に取り上げようとするEC側の空気は,一応和らいだという経緯がある。
しかしながら,77年においても貿易不均衡は拡大し続けたため,EC側の懸念は再び増大するに至り,EC側の要請に基づき,日・EC間で集中的な協議が行われている。
(3) 日欧関係安定化のためには,通商分野での摩擦防止と同時に,日欧関係全体をより広くかつ深い基盤の上に置く努力が大切である。このため日欧間のパイプを一層太くし,政治,経済,文化各面での一層強固なかつ幅広い協力関係の上に立つた相互理解の促進を図つていくことが肝要であろう。
ソ連は,わが国と政治理念及び社会体制を異にする国であるが,同時にわが国にとつて重要な隣国である。したがつて,わが国の対ソ外交の基本は,ソ連との間に相互理解と信頼に基づく安定した善隣友好関係を確立することである。そしてこのような日ソ関係の確立は,日ソ両国国民の利益にこたえるのみならず,東アジアひいては世界の平和と安定にとつても重要な貢献をなすものである。
わが国は,このような基本的立場に立つて日ソ関係の増進に努めてきており,近年両国間の関係は,貿易,経済,文化,人的交流などの諸分野において着実に進展してきている。例えば,わが国の77年の対ソ貿易量は,往復で約33.6億ドルと西側先進諸国の中でも最大の対ソ貿易国の一つとなつている。またシベリア開発に係る経済協力についても,66年以来7件のプロジェクトが実施に移され,わが国がシベリア開発協力に関連してソ連に供与した信用供与総額は約14.7億ドルにも及んでいる。
以上のように日ソ関係は,実務面において順調に発展しているが,他方において歯舞群島,色丹島,国後島及び択捉島の北方4島のわが国への返還を実現して日ソ平和条約を締結するという重要な問題は,最大の懸案として依然残つている。
わが国は,日ソ間に真に安定的かつ永続的な友好関係を確立するためには,北方領土問題を解決して平和条約を締結することが不可欠であるとの立場に立ち,従来からこの問題の解決に努力してきた。78年1月には,園田外務大臣がソ連を訪問し,グロムイコ外相との間で平和条約締結のための継続交渉が行われ,また園田外務大臣がコスイギン首相と会見した際にも,この問題について話し合いが行われた。
また77年は,ソ連の200海里宣言に伴つて行われた日ソ漁業交渉を通じて領土問題が強い脚光を浴びることとなり,北方領土返還に対する日本国民の強い支持があらためて確認されたという点で意義深い年であつた。すなわち,ソ連は,76年12月10日,最高会議幹部会令により200海里漁業水域を設定し,更に77年2月24日付の連邦大臣会議決定により適用水域を含む実施規則(3月1日実施)を公布した。適用水域の中にわが国固有の領土である北方4島の周辺水域が含まれていたことから,わが国は,同25日官房長官談話により,かかるソ連の一方的措置は認められない旨直ちに抗議した。
ソ連の200海里漁業水域内におけるわが国漁船の操業をめぐる日ソ漁業暫定協定交渉は,3月15日よりモスクワで行われたが,ソ連が北方4島周辺水域を含んだソ連200海里漁業水域をわが方が受け入れることを迫り,交渉は難航し,ようやく5月27日に協定は署名されるに至つた。この間,わが国漁船がソ連の200海里水域内で長期にわたり操業停止を余儀なくされたが,わが国北方領土に対する全国民及び国会での超党派支持という強力な支援を得て,結局,本件交渉は,領土問題に関するわが方の立場をいささかも損わない形で妥結した。その後わが国の200海里水域内におけるソ連の漁業の手続及び条件を定めた「ソ日漁業暫定協定」が締結され(8月),また,両協定の有効期間は当初の77年末から更に1年間延長することが合意された(12月)。日ソ漁業を長期的かつ安定的な基礎の上におくための日ソ長期漁業協力協定締結交渉は,78年に持ち越されることとなつた。
わが国は,経済,文化及び人的交流の促進を通じて友好関係の強化を図ることを対東欧外交の基本としており,77年においても幅広い交流によつて国民相互間の理解の増進が図られた。
東独との間には科学技術協力取極及び文化交流取極が締結された。
わが国の対東欧貿易は,75年,76年と減少を重ねたが,77年は約11億ドル(往復。76年は約8億6千万ドル)と増加に転じた。内容的にはほぼ全ての国についてわが国からの大幅な出超となつており,この貿易インバランス是正が大きな問題となつている。
(1) 中近東地域は,近年,重要な石油供給源及び輸出市場としてわが国にとつても,また国際政治及び経済全般にとつても大きな影響力を及ぼすに至つている。また,この地域における重大な紛争の発生は,世界の平和と安定に重大な係り合いを有し,ひいては,わが国の経済発展に大きな影響を及ぼすものと考えられる。
わが国は,このような認識の下に,中東に公正かつ永続的な平和が早急に達成されることを切望し,そのための国際的努力を支持するとともに,経済貿易関係の強化,経済技術協力の推進,人的及び文化的交流の促進を通じて,これら諸国との友好関係の維持増進を図つている。78年1月に,園田外務大臣がわが国の外務大臣として初めて中東諸国を歴訪したことはこの点において画期的な意義をもつものであつた。
(2) 中東和平問題は,77年11月のサダト大統領のイスラエル訪問が契機となり,エジプトとイスラエルとの間に直接対話の道が開かれ,新たな局面を迎えるに至つている。わが国としては,従来より,中東における公正かつ永続的な和平が達成されるためには,安保理決議242の全面的実施及びパレスチナ人の国連憲章に基づく正当な権利の尊重が必要であるとの立場をとつており,関係諸国の和平努力を支持するとともに,国連などの場を通じてこれに協力している。
(3) 77年には,わが国と中近東諸国との貿易を中心とする経済関係はますます緊密なものとなつた。同地域からの輸入の大宗は石油であり,わが国石油輸入の約8割が,中近東産油国により占められている。また,中近東地域に対する機械,プラントを中心とするわが国輸出も増加した。その結果,同地域との貿易額は,77年においても,わが国総貿易額の約20%を占め,北米地域と並ぶ重要な貿易相手先となつている。更に同地域の多くの諸国は,豊富な石油収入を基に国内の経済社会開発に取り組んでおり,わが国との経済関係の一層の拡大及び深化が期待される。
また中近東諸国は,経済社会開発,工業化との関連で,わが国など先進工業諸国からの各種経済技術協力を強く期待している。わが国は,エネルギーの安定供給の見地からみた同地域の重要性及びわが国としてもこれら諸国の経済社会開発に協力することにより同地域全体の政治的安定のために資する必要があることなどにかんがみ,従来から経済技術協力の推進拡大に努めてきている。特に経済協力においては,77年に,エジプト,チュニジア,スーダン,イラク,ジョルダン,及びイエメンの6カ国に対する総額579億円の円借款が行われた。
(4) 更に,わが国は,中近東諸国との人的及び文化的交流の拡大に力を入れている。特に78年1月,園田外務大臣が,わが国外務大臣として初めてクウェイト,アラブ首長国連邦,サウディ・アラビアを公式親善訪問し,またイランにも立ち寄り,中東問題,石油問題,経済技術協力問題,航空協定,文化交流など各般にわたつて,各国指導者と忌憚のない意見交換を行つたが,このことは,今後わが国が対中近東外交を積極的に展開していく上での重要な第1歩であつた。
(1) わが国は,アフリカ諸国との友好親善,互恵協力関係の増進に努め,アフリカ諸国が国造りに邁進している現状にかんがみ,わが国としては経済・技術協力を中心としてアフリカ諸国の民生の安定及び福利の増進に寄与するように努めている。77年においては,それまでに培つたわが国とアフリカ諸国との多面的な関係を,更に具体的な協力関係に高めるべく外交を推進した。
(2) 南部アフリカ問題はアフリカ諸国が共通かつ最大の願望として追求している問題であるが,わが国は,従来から一貫して深い理解と同情とをもつて同問題の公正な解決のために可能な範囲内で,できる限りの協力を行うことを基本的立場としてきている。
(3) アフリカ諸国に対する経済・技術協力については,各国の国家建設の努力に対し側面から協力するとの立場から,わが国は,引き続き協力を強化した。