-在外邦人に対する保護,援助および啓蒙-
第5節 在外邦人に対する保護,援助および啓蒙
海外に進出する邦人が増加するに伴い,生活の困窮,事故,疾病などにより,在外公館へ援助を求めてくる者もふえている。
(1) 生活困窮者
中南米移住者のなかには,働き手である家長の死亡,疾病などのために,その家族が生活に困窮するケースがあり,日本政府は,これらの生活困窮者に対して生活費や医療費を交付するなどの援助をしている。また,困窮状態から立直る見込みがなく帰国を希望する者が,その帰国費用を負担することが困難な場合には,政府はこれらの者に旅費を貸し付けて,帰国を援助している。(73年度には26件105人に対して帰国を援助した)。また,韓国には,韓国人と結婚した日本婦人で極度に生活に困窮している人が少なくない。政府は,これらの人々に対して,現地における生活費,医療費などを援助しているほか,帰国を希望する人に対しては帰国援助を推進しており,73年度には,85世帯257人が帰国した。
(2) 精神異常者
外国滞在中や旅行中に,環境の変化や言葉の問題から,ノイローゼなどの精神障害をきたしたり,あるいは精神病をわずらう邦人が近年急増している。これらの精神異常者に対しては,できるだけ早急に帰国させて本邦の医療機関で治療を受けさせることが望ましいが,このような人を安全に帰国させるために,専門医,家族などのしかるべき付添人が必要な場合が多い。在外公館では,このような場合,家族,医療機関,航空会杜などの関係者と密接に連絡をとつて,本人が安全かつすみやかに帰国できるよう便宜をはかつている。73年に,専門医や家族などに付添われて帰国した精神異常者は19人を数えている。このほか,在外公館が,援助を求めて来た邦人に対して相談にのり,生活指導にあたるような例も多い。
(1)国外における邦人の犯罪
73年に,邦人が外国において犯罪容疑で逮捕されたり,取調べを受けた件数は,54件62人に達している。主な事例は次のとおりである。
(イ)麻薬・覚せい剤犯罪
近年,邦人旅行者が麻薬の吸飲,販売などの廉で外国の警察に逮捕される例が目立つている。これらの旅行者は大半が20代前半の青年であり,旅行先で知りあつた邦人同士やヒッピー族らとともに,大麻やLSDを吸飲したり密売するなどして逮捕される例が多い。73年には,麻薬・覚せい剤犯罪で9人の邦人が各国で逮捕されそれぞれ罰金刑や有期刑に処せられている。
(ロ)殺傷事件その他の犯罪
邦人による殺傷事件その他の犯罪もかなり発生し,73年には59件67人が逮捕,あるいは取調べを受けた旨報告されている。
殺傷事件では邦人漁船員同士の事件が最も多く,73年度には14件発生し,うち3件は,被疑者の身柄引取りのために海上保安官が現地へ赴いた。そのほか,邦人船員が上陸地で各種トラブルを起す例も依然跡を絶たない。また,このほか,邦人による殺人事件(2件),韓国その他で密輸により関税法違反や韓国の文化財保護法違反にとわれた事件(13件)などが含まれ,単なる不品行ではなく滞在国の法規に触れる悪質な事件が増える傾向にあり,在外邦人のあり方,生活態度などに反省を促している。なお,関税法違反事件の場合にはかなり高額の罰金や追徴金が課されている。
(2)在外邦人の交通事故・航空機事故その他の事故
海外渡航者の増加に伴い,交通事故で死傷する在外邦人もふえており,73年には死者26人,負傷者22人を数えている。これらの事故原因としては,右側通行々どの道路交通規則の相違,高速道路運転の不慣れ,気象状況の急変などがあげられている。
また,フランス,ヴィエトナム,米国,ブラジルにおける航空機事故によつて邦人8人が死亡し,3人が負傷した。これらの航空機事故に際して,在外公館などにて,遺体の収容,確認,負傷者の救助などが迅速に行なわれるよう関係当局と交渉手配を行なうとともに,現地を訪れる家族の世話などの援助を行なつた。このほか,邦人の不慮の事故も多い。ニューオルリンズ,アルゼンティンでは,邦人が,街頭や下宿先などで殺害される事件が発生している。
(3)ハイジャック
従来,国際線のハイジャック事件で多数の邦人が捲き込まれた例はなかつたが,73年には,多数の邦人が塔乗する国際線旅客機がアラブ・ゲリラ に乗つ取られる事件が2度も発生した。
まず7月20日には,パリ発北回り東京行き日航機がオランダ・アムステルダム空港を離陸直後邦人1名を含む4名のアラブ・ゲリラによつて乗つ取られ,21日ドバイに着陸した後,23日リビアのベンガジ空港で犯人等により爆破された。同機には,乗客123名および,乗員22名総計145名(内大半は邦人)が塔乗していたが,乗つ取り直前に発生した火薬類の爆発により犯人側と目される女性1名が死亡し,乗員1名が負傷した他は全員無事に救助された。
11月26日には,アムステルダム発南回り東京行きオランダ航空機がベイルート空港離陸後,3名のアラブ・ゲリラに乗つ取られた。同機にはスチュワーデスを含む177名の邦人が塔乗していたため,政府は総合対策本部を設けた上,外務省の対策室が中心となつて情報収集および現地国政府との連絡に当たつた。犯人等は中東各地を点々とした後26日,マルタで一部の乗員を除き全ての塔乗者を降ろし,28日ドバイで投降した。
(4)山岳遭難
スイス,ネパール,アルゼンティン,アラスカなどの山岳における遭難事故は,73年には14件におよび,死者行方不明20人,負傷者2人を数えている。遺体や行方不明者の捜索は,現地の救助機関によつて行なわれ,家族などが後日捜索費用を負担するが,捜索が長期かつ大規模に及ぶ場合にはきわめて多額な負担となつている。
特にネパールについては,毎年のように,山岳遭難が生じているほか,最近邦人トレッカー(主として徒歩による山地旅行者)がふえ,現地を訪れるトレッカーの半数近くを邦人が占めるとともに,事故件数も他国を上回つている。中には明かに無計画かつ無謀による事故も多く,現地大使館および外務省はトレッカーに対する啓蒙に努めている。
海外に渡航する邦人数が増加するとともに海外において戦乱や大地震など緊急事態が生じた場合に邦人が捲き込まれる例も多くなつてきている。73年10月6日に中東戦争が勃発した際にもイスラエルおよび周辺諸国(エジプト,シリア,レバノン,ジョルダン)には,約1,000名を数える邦人が在留していた。戦争の推移とともにこれら在留邦人の生命,身体,財産の安全確保も予断を許さない情勢となり,加えて開戦直後よりカイロ,ダマスカス,ロッド(テル・アヴィヴ)の空港が閉鎖され,国外脱出が必要となつた場合における邦人の輸送手段の確保が困難となることが予見された。各関係在外公館では,平常から講じておいた緊急事態対策および外務省からの訓令などにそつて保護措置をとり,当時シリア・ラタキア港停泊中の山城丸が被弾した事件を除き,10月22日に停戦が成立するまでの間,在留邦人には何らの事故の発生をみることがなく,一応事態の鎮静をみた。特に,戦火の最も激しかったシリアには,当時33名の在留邦人がいたが,戦火の拡大とともに,大使館の勧告に基づき,大使館員を除くほとんどの邦人がベイルートに一時避難した。
またエジプトには,当時213名の在留邦人と49名の旅行者がいた。これら旅行者は旅先で全く予期せぬ事態に遭遇したため,相当の興奮が見られ,またいずれ滞在費にも窮することが予想される状況にあつた。現地公館は,これら邦人旅行者自身の強い希望もあり,国外脱出の具体的方法について検討を始めたが,結局陸路リビアのベンガジヘ脱出することを決め,邦人旅行者中希望者34名をバスでペンガジヘ誘導した。
73年における観光目的の一般旅券発行数は130万余に及んだが,海外において邦人観光客数が増加するに伴い,各種のトラブル数も増加しており,また一部には邦人観光客の行き過ぎた言動が現地でひんしゆくを買う事例も出ている。
在外公館はこれら邦人海外旅行者に対し,必要に応じ保護や援助を行つた他,外務省から「楽しい海外旅行のために」と題するパンフレットを配布し,啓蒙に努めた。
(1)無銭旅行者等
海外渡航が自由化された結果,渡航者数は年ごとに増加,とりわけ青年男女の海外渡航がふえている。なかには,はつきりした目的も外国についての知識も持たずに,安易な気持ちで海外に旅立つ者も多い。無銭旅行者,帰国旅費のあてのない片道切符の者,無鉄砲無計画な旅行者などが目立つて多くなつている。これは各国共通の現象のようであり,ヒッチハイクで旅行してまわり,行く先々で労働許可を受けずに就労して生活費や旅費を稼いでいる者も多い。その挙句,生活に困窮して麻薬の運び屋になつたり,売買をしたりした青年の例や,不規則,不節制な生活のために病いに倒れた旅行者の例なども報告されている。
外国人の不法就労や不法滞在については,各国は厳しく取締つており,比較的取締りの緩やかだつた北欧諸国でも,これらの者に対して強制退去を含む強い取締りを行なつている。邦人の青年旅行者で,不法就労や不法滞在で国外追放された例も数件報告されている。このほか,乞食同然の身なりや不品行から周囲のひんしゆくをかう事例も依然多い。また,海外旅行中,数力月にわたつて家族との音信を断ち,家族の方から安否について問い合わせてくる例も跡を絶たない。各在外公館では,これら旅行者に対し適宜指導,啓蒙を図るとともに無一文になり,旅行の継続ないし帰国が困難になつた旅行者に対しては,家族からの送金をあつせんしたり,やむをえない事情があるときは旅費を貸与するなど,帰国を援助している。
(2)団体旅行者
貧乏旅行を楽しむ青年男女にまつわる各種のトラブルが報告されている。一方で,邦人旅行者の大半を占める団体旅行者についても,一部には行き過ぎた行動がみられるためわが国の海外への経済的進出とあいまつてアジア諸国等で対日感情にまで影響を及ぼし始めている。
欧米諸国では,「肩からカメラをさげ,いつぱいに買い込んだ免税ウィスキーの袋をさげ,規律正しく小旗をふる引率者のあとを追つていく日本の海外旅行者」という若干揶揄した見方がされているものの,観光収入の増加という観点から邦人旅行者の増加を観迎する傾向もあり,対日感情に悪影響を及ぼすには至つていない。
他方,アジア諸国では,太平洋戦争の傷跡が末だ残存しているところに近年わが国の経済的進出が急速に増大し,同じアジア人であるための反発ともあいまつて,反日感情が既に芽ばえている。加えて邦人旅行者,特に団体旅行者の中には,夜の観光を専らにし,行き過ぎた行動をとる者が多く,対日感情に対する悪影響は無視できないものがある。特に,韓国へは地理的に近いこともあり,73年には49万人余という多数の邦人が訪れたが,その9割までが男性であり,大半の観光客はキーセン・パーティ等夜の観光を目的としたものであつたため,韓国の宗教団体等から強い抗議が行われる等対日感情に好ましくない影響が出ている。
外国に長期間滞在する邦人にとつて,保健衛生管理は基本的な問題である。政府は,69年度から3カ年にわたる実態調査の結果に基づき,在外邦人の健康維持をはかるため,医師団の派遣を計画し,72年度からこれを実施した。医師団は,邦人からの健康相談に応ずることを主な目的とし,原則として医師2人看護婦1人で編成されたチームが数力国を巡回するものとし,73年度には,アフリカ,中近東,アジア,中南米のいわゆる不健康地域および東欧地域に,14チームの巡回医師団を派遣した。実施後未だ日も浅いが,また各国法制上の制約等から活動内容には不充分な点も多いにもかかわらず,巡回医師団は専門的見地から邦人の健康相談にあたり,健康の維持管理について適切な助言をするなどの効果をあげ,在外邦人からも多くの謝意が寄せられている。
本節1,に記した長期滞在邦人約11万名のうち小学校,中学校学令期にある子女の数は,およそ1万1千名と推定されている。
これら在外子女に対し,日本国民としての組織的な教育の機会を与えるため,各地域に日本人学校(全日制)や補習学校が設けられている。日本人学校は,本邦の小学校,中学校に準じた教育を行なう学校で,73年度現在33校が設置されており,主としてアジア,中近東,アフリカ,中南米地域に所在している。 補習学校は,現地の学校に通学する在外邦人子女に対し,国語,算数,社会等日本の教科について週1~2回,2~3時間程度の補習教育を行なうもので,73年度現在おもなもので40校あり,主として欧州,北米地域に設けられている。
外務省では,在外邦人が後顧の憂なく在留諸活動に専念することができるよう,これら海外における邦人子女の教育に対し必要な援助を行なうこととし,文部省および文化庁とも協力しつつ,これらの施設に対し,教員の派遣,校舎借料の負担,教科書,教材の配布などを行なつている。
なお,民間では,財団法人海外子女教育振興財団が,在外子女教育の振興に関し,政府の施策に協力し,あるいはこれを補完するため,日本人学校に対する援助事業など各種の事業を行なつている。また同財団では72年4月から国庫の補助も得て,全日制日本人学校通学児童生徒を除く小学校課程の在外邦人子女を対象に国語,算数の2教科について通信教育を開始し,受講者 は73年12月現在3,300名を数えている。
(1)日本人学校
日本人学校は,73年度には3校(パリ,ラス・パルマス,ラゴス)が新設され,これにより,総数は,33校となつた。学校の所在地,児童生徒数および教員数は,「日本人学校一覧」に示すとおりである。日本人学校は,小学部を中心として,地域によつては中学部を併設し,それぞれ本邦の小学校,中学校の教育課程とほぼ同様の教育課程により教育を行なつている。
日本人学校の教員は,本邦から派遣する政府派遣教員(国立大学附属学校教諭および都道府県公立学校教諭)と現地在留邦人のなかの教員有資格者より採用する現地採用講師からなつている。現在派遣教員数については,73年度には47名の増員を図つたほか新設3校へ11名,また台北,高雄に対しては交流協会から17名を派遣しており,これにより,総数は228名となつた。派遣教員の待遇については従来から改善に努めているが,73年度には従来に比し滞在費の平均単価の15%アップを図つた。
(2)補習学校
補習学校は,73年度におもなもので40校が開設されている。学校の所在地,児童生徒数および講師数は,「補習学校一覧」に示すとおりである。補習学校の講師には,現地在留邦人のなかから教員有資格者が委嘱されており,その数は73年度現在250人程度である。外務省では,これらの講師に支給される謝金に対し,その半額を補助しており,73年度は80人分について補助した。