第6節 中 南 米 地 域
(1) 軍事政権の抬頭
従来経済的自立と過度な対米依存の脱脚を求めて多様;多角的な動きを示して来た中南米地域において,近年多<の国々で軍部が政治の実権を握る傾向が顕著になつている。特に南米大陸では,72年エクアドル,ボリヴィアのクーデターに続き,73年には,ウルグァイ軍部が事実上政治権力を掌握し,ついで南米中最もよい議会民主々義の伝統を持つたチリでクーデターによる軍事政権が生れた。アルゼンティンにおいては7年間継続した軍事政権が退陣し,18年振りにペロンの政権復帰が実現したが同政権の特異な性格を考慮すれば,既に軍事政権の下にあるブラジル,ペルーに加え軍事政権は今や南米の支配的政治形態となつた感がある。こうした中南米諸国における軍事政権の抬頭は,いずれも人口増加とその過度な都市集中,遅々として進まない農地改革,極端な所得の不平等といつた国内開発上の諸問題を合憲的議会政治の枠内で有効に対処できず,軍部の強権介入を招いたものと思われる。しかし,同じ軍事政権であつても,ペルーの軍事政権は極めて民族主義的であり,独自の国家杜会主義的改革をおし進めている。一方,ブラジルでは,軍部がテクノクラートに経済運営を委ね,大幅な外資導入による持続的高度成長を達成し,一応の安定化を築いているなど,その行き方は多様である。いずれにせよこれら軍事政権支配が中南米諸国の主要な政治形態として当分は継続することは間違いないと思われるが,今後国内開発の推進と民主的議会政治への復帰にどのように取組んでいくか注目される。
(2) 米国との新しい対話の開始
73年10月キッシンジャー米国務長官はキューバを除く中南米諸国に対し米州機構その他の西半球の同盟のあり方を検討するため「新しい対話」を呼びかけた。中南米諸国もこれに応じた結果,メキシコ市で74年2月21日から3日間にわたり米国および中南米諸国24カ国が参加して米州外相会議が開催され,トラテロルコ宣言(注)を採択した。会議は米国と中南米諸国との間の経済開発問題および米州組織の改革等に関し幅広く,自由に協議されたと伝えられ大きな具体的成果はなかつたものの,中南米諸国に対し依然として圧倒的な政治・経済上の影響力をもつ米国との間でこうした対話が開始され,今後も対話を継続する旨の合意がなされた意義は大きい。また米国は会議に先立つて73年パナマ安保理以来中南米諸国の一致した非難の的となつてきたパナマ運河問題につき,74年2月7日運河条約改訂交渉に関する原則宣言に署名した。さらに2月19日にはペルーとの間に米系企 業の国有化補償問題を解決したことも,米国中南米双方にとつて「対話」の大きな成果であつた。近年,低調に終始してきた米国の対中南米外交におけるこうした変化は,世界的な資源・エネルギー問題の深刻化に伴い,豊富な資源を持つ中南米地域を再評価する必要が生じたこと,および中南米諸国が近年欧州,日本等米州域外先進国との結びつきを強め,一部諸国(注1)では第三世界の一員として,ますます他地域の発展途上国と共同歩調をとりつつあることなどによるものと思われる。
なお,こうした米国の対中南米外交への積極姿勢とは対照的に73年9月のチリにおけるアジェンデ杜会主義政権の崩壊はソ連の対中南米外交に深刻な打撃を与えたものとみられ今後どのような巻き返しをはかるか注目されよう。
(3) 個別的動向
(イ) キューバをめぐる動き
73年4月第3回米州機構総会において,キューバに対する門戸開放とも見られる「イデオロギー複数性」を認めた宣言(注2)を採択した。また5月にはアルゼンティンがキューバとの外交関係再開に踏み切り,キューバと外交関係をもつ中南米諸国は7カ国(注3)となつた。
また,2月に米国,カナダ,6月にメキシコ,7月にヴェネズエラがそれぞれキューバとの間でハイジャック防止協定を締結した。
このような動きは,一般にキューバをめぐる緊張緩和の兆と受止められている。ただし,米国政府は,同協定の締結は全般的対キューバ政策の変更を意味しない旨表明した。他方9月にはチリ・クーデターによるチリ・キューバ国交断絶があり域内緊張緩和に波紋を投げかけた。
(ロ) 前進するアンデス統合
アンデス統合は,もともとラテンアメリカ自由貿易連合(LAFTA)の構成国である6カ国(注1)がブラジル,メキシコ,アルゼンティンという域内大国と同等の発言権ひいては自由化の利益を受けることを目的として,69年に結成され中南米における他の統合運動(注2)がいずれも創設当初の目的を実施できず停滞している中にあつて,当初ヴェネズエラが参加しなかつたものの,域内関税の撤廃,対外共通関税の設定のため具体策を次々と実施し,開発金融機関としてアンデス公杜を設置するなど域内開発に努めている。さらに最近では,野心的な域内共同の工業部門別開発計画の実施に取組んでおり,発展途上国の統合運動として注 目されている。73年12月には懸案のヴェネズエラの加盟が実現し,ブラ ジル,メキシコに次ぐ経済ブロックとなり,その地位は一層強化された。
(ハ) チリのクーデター
70年11月議会主義の枠内での杜会主義実現を標膀して選挙により成立したアジェンデ政権は,急進的な諸政策を行政権限で強行しようとし,このため国内政治,経済が混乱の極に陥つていた。73年9月11日陸海空3軍および国家警察のクーデターにより同政権は崩壊し,ピノチェット陸軍大将を議長とする軍事評議会が政権を掌握した。新政権はわが国を含め大多数の国々の承認を受けたがソ連東欧諸国(ルーマニアを除く),キューバ,北ヴィエトナム,北朝鮮などの諸国とは外交関係を断絶することとなつた。一部西欧諸国特に北欧諸国およびイタリアなどでも反発を示す世論が強く,イタリアは政権承認に至つていない。新政権は治安の回復に努め,強力なインフレ対策を実施するとともに,行過ぎた統制政策を是正するなど自由経済への転換を計りつつあるが,同政権は,国内治安および経済が平常に回復するまでは政権を維持する意図を明らかにしており,相当長期にわたつて政権を担当することが予期される。
(ニ) アルゼンティンの動き
73年3月の総選挙の結果,7年に及んだ軍事政権に終止符が打たれペロニスタ解放戦線のカンポラ大統領が就任した。カンポラは労使間で合意された「杜会協約」に基づく新経済政策を打出すとともに,キューバ,東独,北朝鮮等と外交関係を樹立するなど新政策を開始したが,ペロニスタ党内部の左右対立が激化し,7月突如として辞任した。9月再度大統領選挙の結果ペロンが18年ぶりに政権を獲得し,前政権の外交経済政策を踏襲しつつ,12億ドルの対キューバ借款の供与,中国との通商協定締結等社会主義諸国との提携を強化している。また内政面では,インフレの鎮静化に努めながら意欲的な経済開発3カ年計画(74年開始)を 実施しているが,ペロン自身78才の高令であり,その健康状態はペロニスタ党内部の左右対立の行方,および軍部の動向とともに政局の焦点として注目されよう。
(ホ) バハマ連邦およびグレナダの独立
73年7月10日,カリブ海の英国植民地バハマ諸島が英連邦の一員として独立し,バハマ連邦(The Commonwealth of the Bahamas)(注1)となつた。わが国は同年7月27日に同国を承認した。
さらに,74年2月7日にはカリブ海ウィンドワード諸島のグレナダ島(注2)が英連邦の一員として独立,わが国は同日付で同国を承認した。
わが国の中南米諸国との関係は,両者の間に従来困難な政治問題が存在せず,またブラジルを中心に80万人におよぶ日系人社会の存在もあり,順調に発展して来た。特に経済関係では,わが国の経済発展に伴い,わが国にとつて同地域の食料工業原料が必要不可欠なものとなり,一方,中南米諸国も国内開発の進展に伴い,わが国からの重化学工業製品を多量に輸入していることから,安定した拡大傾向を示している。近年中南米諸国が経済的自立を求めて過度な対米依存から脱脚しようとして日本,西欧等に接近する傾向を見せていることも日本と中南米との関係緊密化を助長する要因となつている。73年には世界的に資源・エネルギー問題が深刻化したことから,中南米に対する関心はさらに高まり,資源開発を目的とした民間ベースの大型プロジェクトヘの参加が相ついで決定されるなど両者の関係は経済関係を中心に引き続き順調に発展している。
(1) 貿易および民間投資の動向
(イ) 対中南米貿易の動向
(a) 73年度のわが国と中南米諸国との貿易は,輸出が27億6,100万ドルで前年を39.5%上回り,総輸出額に占めるウェイトは7.5%(前年は6.9%)となつた。これに対し輸入は19億5,500万ドルで前年を37.9%上回り,総輸入額に占めるウェイトは5.1%(前年は6.O%)となつた。その結果,73年度の対中南米貿易収支は8億ドル以上の大幅黒字となり,71年以来3年連続わが国の出超となつた。
(b) 73年のわが国の対中南米国別貿易動向は特定国に一層偏重する傾向をみせている。すなわち対中南米輸出の国別構成比はブラジル(22.2%),パナマ(22.O%),アルゼンティン(9.O%),ヴェネズエラ(7.0%),メキシコ(6.9%),ペルー(5.1%)の順となつており,以上6カ国に対するわが国の輸出合計は対中南米輸出総額の72.2%(前年度は67.6%)にも達する。輸入の国別構成比はブラジル(23.2 %),メキシコ,(14.1%),チリ(13.7%),ペルー(12.0%),キューバ(9.4%),アルゼンティン(8.7%)の順となつており,以上6カ国からの輸入合計は対中南米輸入総額の81.0%(前年度は73.3%)と輸出入ともに前年シェアを上回る傾向にある。
(c) 商品別貿易動向は,輸出面では鉄鋼,船舶等を中心に重化学工業品が順調に伸び,輸出総額の9割近くを占めたのに対して,軽工業品の輸出は中南米の工業化による輸入代替を反映して減少傾向にある。輸入面では,わが国の中南米資源に対する需要は引続き旺盛で,依然として食料および工業用原料が輸入総額の大部分を占めている。
(ロ) 対中南米直接民間投資の動向
(a) 中南米地域に対する直接民問投資実績は,73年12月末の許可累計額で16億1,800万ドルと同時点のわが国の海外投資総額95億6,700万ドル(許可累計)の16.9%に達し,許可累計では前年同期(72年12月末)より89.7%の増加となつた。
(b) 国別動向としては,相変らずブラジル一国で対中南米投資額の半分以上を独占しているが,国別投資許可累計で上位3カ国(ブラジル,ペルー,メキシコ)の合計額の対中南米総額シェアは,73年3月末に比し10%程度低下しており,従来の特定国べの投資偏重傾向は若干薄められた。
(c) 業種別動向は製造業中,化学,鉄・非鉄,機械,電機および輸送機械を中心とした重化学工業部門のウェイトが高いのが特徴的である。
(2) 経済技術協力関係
わが国は中南米諸国に対して日本輸出入銀行,海外経済協力基金の資金利用による延払輸出,円借款の供与,輸出信用枠(クレジット・ライン)の供与,国際金融機関との協調融資,全米開発銀行および中米経済統合銀行への融資などによつて資金協力を行つている。また技術協力では専門家の派遣,研修員の受け入れ訓練センターの設置などを行つている。73年度の主要な実績は以下の通りである。
(イ) 経済協力
(a) 中南米に対する円借款については,わが国は73年9月コスタ・リカ政府との間で同国のプンタレナス港建設計画のため43億円までの借款を供与する書簡を交換した。
(b) 全米開発銀行(IDB)は地域開発銀行としては最大の資金規模であり,世銀に次ぐ有力な開発金融機関であるが,73年3月にわが国市中銀行による30億円のIDB債の購入を行つた。さらに同年11月には50億円の輸銀第5次貸付を行つた。
(c) わが国は輸銀を通じ中米経済統合銀行(CABEI)に対して,73年中に中米マイクロウェーブ通信網建設プロジェクトに1億3,500万円および同プロジェクトの追加分として2億6,500万円の借款を供与した。
(ロ) 技術協力
技術協力に関しては,73年中に中南米に派遣した専門家(調査団を含む)は120名,受け入れた研修員は311名,青年協力隊の派遣は4名であつた。
(ハ) 対チリ債務救済
チリの外貨危機を緩和するため,日本を含む12カ国の主要債権国は,72年パリで債権国会議を開き,債務救済を決めた。73年1月チリが73年,74年に弁済期のくる債務の繰延を要請したのに基き,73年2度にわたり協議したが,結論が出ないまま同国に政変が発生した。新政権も同じ意向を表明したため74年2月および3月に協議を行い,その結果73年1月から74年12月までに弁済期のくる商業債権および政府借款の債務繰延を行なうことになつた。この合意に基づき今後わが国とチリの間で救済条件の細目を定める交渉が予定されている。
(3) 定期協議
(イ) 第4回日伯経済合同委員会
両国の一般経済情勢のほか,両国間の貿易経済協力等に関し,両政府間で意見交換を行うことを目的とする日伯経済合同委員会第4回会合は73年9月17,18の両日東京で開催された。日本側代表大口外務省中南米審議官,伯側代表ムルティニョ外務省アジア局長等が出席した。この会議では,伯側の提起した対日輸出関心品目,日本側が提起したブラジルからの一次産品の安定供給などの貿易問題,伯側の提起した経済技術協力に関する諸要請など双方に関心のある経済問題全般について幅広い自由な意見交換をした。
(ロ) 日墨経済合同委員会第五回会議
日墨経済合同委員会第五回会議は73年5月18,19の両日東京で開催された。外務省鶴見外務審議官を団長とするわが国代表団と,ゴンサレス・ソーサ外務次官を団長とするメキシコ側代表団との間で,相互に自国の経済情勢の説明,両国間の貿易,経済協力関係などの問題について意見を交換した後,次回会議をメキシコ市で開催することが合意された。
(4) その他
(イ) 日伯漁業交渉
ブラジル政府が70年3月大統領令により200カイリ領海法を制定,翌71年,領海内漁業規制法を施行した結果,アマゾン河口沖合などにおけるわが国のエビ漁業を中心とする漁業活動は大きな制約を受けることになつた。わが国はこれら水域での日本漁船の操業実績確保のため,72年にブラジル政府に対し漁業協定締結のための交渉を申入れた。73年同国がようやくこの申入れに応じ,同年8月6日から16日までブラジリアで交渉が行われた。わが方は両国の領海に関する国際法上の立場を損うことなく,操業実績を確保することを基本目標として折衝したが,双方の立場の相違から妥結に至らず74年に再度交渉するととに合意して交渉は中断された。
(ロ) 日墨航空協定の発効
72年3月エチェベリーア・メキシコ大統領が国賓として訪日した際,東京で署名された日墨航空協定は,わが方が72年6月国会の承認を得,メキシコ側も同年10月に必要な国内手続を終えたので,73年2月23日メキシコ市で墨側ラバサ外相と日本側加藤大使との間で協定承認を確認する公文の交換が行なわれ協定は同日発効した。
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(注) 同宣言は米州諸国間の「新しい対話」の重要性を確認した上で,民間外国投資,多国籍企業,米州組織の再編成等の諸問題についての検討を今後継続し強化することを謳うとともに,この会議の席上米国が示した中南米地域の総合的発展のための提案を記し,更にトラテロルコ精神が米州諸国間の新しい関係の探求を鼓吹し,今後の話し合いの成果に対する希望が強められたことを述べて終つている。 戻る
(注1) (イ) メキシコが発展途上地域全体の地位向上をめざして提唱した経済権利義務憲章,(ロ) ガイアナ・ジャマイカが積極的に参加して域外国とともに設立したボーキサイト生産国機構,および(ハ) ブラジル,アルゼンティン,ペルー等の200カイリ領海国が,海洋法問題に関し,域外発展途上国と協同歩調をとらんと努力していること等がその例である。 戻る
(注2) 政治,経済,杜会の諸局面での米国への従属からの脱却を基本理念としつつ62年以来米州機構から事実上追放されているキューバの復帰をも念頭に置いて採択された。なおこの宣言の原案はキューバの復帰を図るためにイデオロギーの複数制と米州組織とが両立することを認めていたが,結局米州機構のキューバ制裁決議との抵触を避けるようトーンダウンされた形で採択された。 戻る
(注3) メキシコ,ジャマイカ,バルバドス,トリニダッド・トバゴ,ガイアナ,アルゼンティン,ペルー,の7カ国。 戻る
(注1) エクアドル,ペルー,ボリヴィア,チリ,コロンビア,ヴェネズエラ 戻る
(注2) 前記LAFTAのほか中米共同市場,カリブ海自由貿易連合等がある。 戻る
(注1) 同国は3千余りの島からなり総面積1万3,935平方キロ,人口17万5,000人,首府はニュープロビデンス島ナッソー(Nassau)である。 戻る
(注2) グレナダ(Grenada)は面積344平方キロ,人口10万5,000人,首府はセイント・ジョージズ(St.George's)である。 戻る