-アフリカ地域-
第4節 アフリカ地域
エティオピアの情勢は,北部エリトリア地方の反政府ゲリラ活動や隣国ソマリアとの国境問題を抱えながらも,73年を通じて平静を保つた。しかし,同年前半には,過去20年で最悪といわれる干ばつで大きな被害を受け,さらに年末の石油危機の影響が加わり,急激な物価騰貴と失業増大を招いた。このため都市労働者の不満が拡大し,74年2月には待遇改善と政治的改革を求めて軍隊が反政府行動をとりハブテ・ウオルド内閣は総辞職,新たにエンダルカチョウ内閣が発足した。皇帝および新内閣は軍部等の要求を受けて憲法改正を中心とする内政改革を公約したが,これにより同国は困難の中にも近代化への糸口を見出したものと期待されている。上記の干ばつでエティオピアは農作物と家畜に甚大な被害を受け,被災者の数はきわめて多数にのぼるものとみられる。同国政府は各国政府,国際機関および各国民間団体の援助協力のもとに干ばつ被害の救済と復旧に努力しているが,わが国も74年3月エティオピア政府に対して2億7千万円の援助を供与した。わが国とエティオピアとの経済・技術協力関係は両国間の伝統的友好関係に基づき緊密であり,現在46人の青年協力隊員がエティオピアの各地で経済杜会の発展のため活躍中である。また,72年9月に合意された円借款の供与についても,その後手続的問題が解決され,実施段階に入つたので,両国間の経済交流は一段と促進されることになろう。
ソマリアではシアド・バレ軍事政権のもとに杜会主義国家の建設が進められている。対外的には,ソ連との関係をさらに深める一方,中国との経済協力にも注目すべきものがある。隣国エティオピアとケニアとの間には国境問題を抱えており,特にエティオピアとの対立は,74年5月のアデイス・アベバにおけるOAU元首会議で,ソマリアが国境問題を提起したため大きくクローズアップされた。国内では,既に主要産業の国有化を完了し,目下自力更生のスローガンのもとに大衆を動員して,農業振興を中心とする各種開発プロジェクトを実施している。
ケニアでは73年12月,独立10周年を迎え,ケニヤッタ大統領を中心とする指導体制は依然として確固としている。わが国とケニアとの関係では,片貿易問題が依然として解消していないが,この是正のため,わが国官民が払つ努力と誠意がケニア国政府にも理解されつつあり,非難攻撃の対象となたる度合いは減少してきている。ケニア・マルゼン・ティー会杜(合弁)は73年1月から本格的生産を開始し,年間約600トンのせん茶をわが国に輸出している。この輸入開発事業は片貿易是正策の例として好評を博している。また,わが国は73年1月ケニアに対する第2次円借款としてモンバサ空港拡張計画に総額40億8,600万円を供与し,ケニアの観光開発を通じて貿易外収支改善に役立つことが期待される。
タンザニアではニエレレ大統領が,依然として卓越した指導力を発揮して,タンザニアナイゼイション,地方開発を当面の政策課題の中核に据えている。また73年10月には,地方開発の見地から首都を港湾都市のダルエスサラームから中央部のドドマ市に移すことを決定した。わが国とタンザニアとの関係では,技術協力の分野において従来通り数多くの専門家,協力隊を派遣しており,その活躍ぶりが好評のためもあつて,最近タンザニア政府部内でわが国からの経済協力に対する期待感が強くなりつつある。わが国は,これに応えてタンザニアが開発途上国であることを考慮し,73年から74初めにかけて無償協力を中心とする経済協力を実施した。まず,ムソマ地域地形図(5万分の1地図)を73年から3カ年計画,総経費341百万円で作成することにし,現地測量等の作業を開始した。次に,南岸道路建設計画のうち,ルフィジ河架橋の実施設計費165百万円をグラントで供与することを決定した。
ウガンダでは,アミン大統領が引続き軍事政権の強化を図つているが,政情は未だ流動的な状況を続けている。わが国とウガンダとの関係では,アジア人追放後,ウガンダに専門家が不足していることもあつてアミン大統領自身,わが国に対し技術協力を求める期待が強く,さらに,対日関係の増大を希望して73年12月には在日ウガンダ大使館(実館)を開設した。現行円借款については残額約3.5億円があるため73年7月協定の有効期限を3カ年延長した。
ザンビアのカウンダ大統領は,72年2月以来UNIP(統一国民独立党)による一党民主制を目指して準備を進めてきたが,73年8月新憲法が公布され,一党民主制が名実共に完成,第二共和制が誕生した。わが国はザンビアから毎年多額の銅を輸入し,わが国はザンビアの重要な輸出相手国となつている。また,経済技術協力の面でも,ザンビア第2次国家開発計画実施のため,主として国有鉄道拡張計画およびラジオ,テレビ網拡充計画に対し92億4,000万円の円借款を供与することとなり73年1月ルサカにおいて書簡交換 が行われた。その後南ローデシアとの国境閉鎖に伴なう緊急援助要請のため73年4月チョーナ大統領特別補佐官が来日,政府関係者と話し合つた結果,さきの円借款の中から大型トラック・トレーラー150台の購入資金として21億7,000万円の振替使用を認めることとなつた。
マダガスカルは,フランスとの技術協力,文化等に関する協力協定の改訂を行なう一方,フラン圏からの離脱をはかり,あらゆる国との友好増進をめざす自主独立外交を進めている。わが国は,マダガスカルの要請によつて,73年5月,ナモロナ河電源開発および首都タナナリブとディエゴ,スワレス間マイクロウエーブの建設のため,合計42億円の円借款を供与するとの書簡を交換した。また4月には台風により同国の水田が被害を受けたためKR援助とし1,600トン(9,240万円相当)の日本米を贈与した。ラチラカ外相は,7月外務省賓客として来日し,日本とマダガスカル両国の経済協力等について話し合いを行なつた。その際のマダガスカル側の要望に従つて,73年中に,わが国から政府または民間業界の調査団を派遣,畜産振興,南部総合開発計画上の道路整備,空港整備ならびに,セメントエ場建設等についての調査を行つた。
モーリシアスでは,73年12月,これまで連合政府の一つの柱だったデュバル外相が罷面されるに至り,政情に新しい要因が生じた。これより先,わが国との関係ではラングーラム首相が73年8月政府賓客として来日し,大平外務大臣,愛知大蔵大臣(当時)等わが国の閣僚と会談,その親日度を一段と強めた。
ザィールではモブツ大統領の指導体制が強化されつつあり対外的にはアラブ諸国との友好関係を深める反面,国内的には経済を政治に優先させ,農業,運輸,教育部門の開発を重点とした施策を積極的に進めている。
ザイールは,植民地色を払拭した真の経済的独立をめざし73年1月商業活動のザイール化,ついで11月,農畜産業,地下資源開発等のザイール化を定め,現在これらを実施に移そうとしている。
わが国は,71年モブツ大統領来日の際の両国共同声明に基づいて交渉を進めていたバナナ・マタディ間の鉄道および橋梁建設計画に対し,11月344億9,600万円の円借款を供与するとの書簡を交換した。この円借款はこれまで わが国がアフリカ諸国に供与した資金協力としては最大のものである。またこの鉄道建設実施のため,わが国から鉄道専門家3名を派遣した。またザイール放送センター建設のための調査団派遣の要請に対して,10月調査団を現地に派遣した。さらに74年1月トランス・アフリカン・ハイウェイ建設の基礎調査のための専門家チームを派遣している。
ザイールのヌグーザMPR(革命国民運動)党政治局員兼外務大臣(現在は政治局長)およびエングル公共土木大臣(現在は内務大臣)は,11月外務省賓客として来日し,田中総理に表敬したほか,大平大臣,金丸建設大臣とそれぞれ会談した。
ガボンでは,トランス・ガボン鉄道の建設工事につき,73年7月ガボン側からわが国の参加協力要請があり,第1期分の工事に協力する方向で検討中である。またガボンによる対日GATT第35条援用について,わが方は,かねてからこれを撤回するよう求めていたところガボンは11月正式にこれを撤回した。 コンゴー人民共和国のマヌマフング商務大臣は,73年6月非公式にわが国を訪問し,コンゴーとわが国との経済貿易関係の増大について話し合いを行つた。また,その際わが国と貿易取極を締結したいとの希望を表明,現在交渉を進めている。また,かねてわが国から,コンゴー政府による対日GATT第35条の採用撤回を求めていたのに対し,コンゴー側は8月正式にこれを撤回した。
中央アフリカ共和国は68年6月以来東京に大使館(実館)を開設しており,わが国は在ザイール大使館が兼轄していたが,74年1月25日わが国も中央アフリカに大使館を開設した。
ルワンダでは,73年7月ジュヴェナル・ハビヤリマナ少将により無血クーデターが成功し,カイバンダ大統領は失脚,軍人で構成される国家平和統一委員会が成立した。新政府は,全領域の秩序と平和の維持に成功しておりわが国は,8月在ザイール大使を通じて,従来どおりの関係を維持する旨口頭で通告した。
ナイジェリアは原油輸出の好調を基礎に経済開発を積極的に推進している。また外交面でも,その動きは活発で,73年5月のOAU(アフリカ統一機構)第10回元首会議においてゴウオン主席が議長(1年間)に選出されたことは,ナイジェリアのアフリカにおける比重の大きさを示すものであり,今後その影響力は益々増大するものと見られる。
わが国企業とナイジェリア国営石油公杜との合弁による石油会社は73年1年間で同杜が採鉱権,採掘権を有する6鉱区(沖合)で4度試掘に成功した。
開発意欲にあふれるナイジェリアは,さらに,その後同国の国鉄近代化を計画し,それに必要な客車購入のためにわが国に対し新規借款を求めてきた。これに対しわが国は,同国の将来性を勘案し総額62億円の第3次円借款を供与することを決定し,74年3月30日ナイジェリア政府との間で交換公文の署名を行つた。
72年日・ナ間に合意されたナイジェリアおよびイフエ両大学医学部に対する医療協力は,73年7月の第1回機材供与および同11,12月の専門家派遣を皮切りに実施に移された。
永年の問題であつた片貿易(わが国の大幅な出超)は,71年以来始まつたナイジェリア原油の輸入がその後も順調に伸長を続けたため,是正されつつあつたが,73年に至り日ナ貿易のバランスはわが国の入超に転じた。この傾向は今後定着するものと予想される。
ガーナでは,アチャンポン議長の率いる国家救済評議会(NRC)政権が72年2月対外債務の支払いを部分的に拒否する声明を発表した。以来対ガーナ債権問題は宙に浮いた形となつていたが,73年12月および74年3月にガーナ側と債権国側との間で対ガーナ債権問題の処理に関して交渉が行われ,74年3月両者の間で基本的な合意に達した。NRC政権は経済的自立を達成するためself-relianceを標傍し,農業,資源開発に力を入れている。特に,ボーキサイト開発に積極的に取り組む姿勢を示しており,わが国の業界も72年 1月ボーキサイト開発のため国際コンソーシアムに参加,ガーナのボーキサイト開発に協力している。
象牙海岸ではウフエ・ボワニ大統領の指導体制が確立し安定した政権のもとに国内建設が進められ,西アフリカ随一の経済成長率を誇るに至つている。また同国の鉄鉱石開発についての国際コンソーシアムにわが国の業界も参加し開発会杜の設立が検討されている。
リベリアでは就任後3年目を迎えたトルバート大統領がその後若干の閣僚を更迭し,地位を強化した。一部不穏な事件や政府批判の動きもみられたが,いづれも偶発的なものに終り,内政は安定を保つた。対外面では,米国との友好関係は変らないが,さらに共産圏諸国との交流拡大に努めており,また,アフリカ統一機構や国連の場での積極的活動が注目される。リベリアは世界最大の船舶保有国であり,わが国とは海運を通じ深い関係にあり,わが国海運企業でリベリアに進出したものも多い。73年初頭,わが国大使館が開設されたことを契機にリベリアの対日関心と期待が深まりつつあるが,現在わが国企業参加のもとにリベリアの鉄鉱石の開発計画が検討されており,これが実現すれば両国の経済交流は大いに拡大しよう。
ギニアについては,72年12月,ギニアが在京大使館(実館)を開設したのに伴い,73年におけるギニア側のわが国官民に対するアプローチが活発化した。73年4月,鉄鉱石開発のためのミフエルギー・ニンバ杜設立に伴う基本協定調印の為,イスマエル・トーレ大蔵大臣が訪日し,わが国政府関係者と懇談し,日本に協力を要請した。日本からは松岡松平議員を団長とする経済調査団がギニアを訪問し,セクトーレ・ギニア大統領ほか要人と会談した。
モーリタニアとは,数年来日本トロール業界が同国政府と民間漁業契約により操業を続けて来たが,72年7月,モーリタニアが一方的に領海幅を30マイルに拡大したため,73年4月の契約は従来の12マイルまでの契約改訂の外,新たに12マイル~30マイル間の水域について新規契約を結んだ。
上・ヴオルタとは,外務省中堅指導者招へい計画による72年末のウエドラオゴ鉱山局長の訪日が契機となり,同国タンバオ地区マンガン鉱床開発の為,わが国より73年11月民間ベースの調査団が派遣された。
ニジェールのアコカン地区のウラン鉱開発につき,ニジェール政府,フランス原子力庁,日本側海外ウランの三者による合弁会杜が設立される予定である。 西アフリカのマリ,セネガル,モーリタニア3国で構成しているセネガル河開発機構(OMVS)の閣僚会議議長(マリのケイタ工業開発大臣)およびアマール事務局長が10月上旬来日し,二階堂官房長官を表敬し,同機構のプロジェクトに対する日本の協力につきわが国政府関係者と懇談した。
南アフリカでは,その人種差別政策(アパルトヘイト政策)の矛盾が益々表面化してきており,黒人労働者によるストライキがひん発するとともに政府と学生,教会等進歩勢力との対立も深刻化している。
南アフリカのアパルトヘイト政策に対するブラック・アフリカ諸国等の非難攻撃は近年さらに強まつてきており,昨年国連の場においても,アパルトヘイト処罪条約等反アパルトヘイト活動強化に関する数多くの決議が採択されたが,同国政府は内外の反対を無視して人種差別政策を推進している。また,アラブ諸国は73年11月南アフリカに対する石油の禁輸を決定した。
わが国は従来より一貫してあらゆる形態の人種差別政策に反対してきており,国連等の場において,終始,南アフリカのアパルトヘイト政策に反対の立場を表明している。この見地から,わが国はアパルトヘイト撤廃のための諸決議案には原則として賛成してきており,また国連安全保障理事会の決議に従つて南アフリカ向け武器輸出を禁止しているほか,直接投資,経済協力,技術協力等も行なつていない。従つて両国間の経済関係は通常貿易の枠内にとどまつている。
南ローデシアについては,72年5月ピアース委員会報告により71年11月の英・ロ交渉で合意された南ローデシア独立問題の解決提案が南ローデシア住民全体にとつて受け入れられないことが明らかになり,南ローデシア独立問題に関する解決が中断した。英国政府としてはスミス政権がアフリカ人との間で本問題解決のため何らかの合意に達し,その合意案が英国に提示された場合はこれを受入れるとの立場でスミス政権とアフリカ人の大多数を代表するANC(アフリカ民族評議会)との間の話合いを期待している。昨年7月以降両者間で数次秘密会談が行なわれたと伝えられているが,その成行が注目される。
国連安保理決議に基づく対南ローデシア経済制裁は引続き行われており,わが国は同決議を誠実に履行し人道上必要とされる物資などの例外品を除き南ローデシアとの輸出入を禁止している。
ポルトガル施政地域では,ギニア・ビサオにおいてPAIGC(ギニア・カポヴェルデアフリカ独立党)が73年9月24日に「ギニア・ビサオ共和国」の独立を宣言した。現在までにその独立を承認しているのは,73カ国であり,73年11月国連専門機関の一つであるFAOへの加盟が認められた。
モザンビクにおいては,64年以来タンザニアのダレサラムに本拠を置くFRELIMO(モザンビク解放戦線)を主体に反ポルトガル・ゲリラ戦が展開されている。
わが国はポルトガルの植民地政策に強く反対するとの基本的立場に基づき,国連安保理決議に従い武器輸出を禁止している他,投資,経済協力,技術協力も行なつていない。従つて,わが国とポルトガル施政地域の経済関係については,南アフリカと同様に通常の貿易の枠内にとどまつている。
なお,わが国は南部アフリカにおける人種差別,植民地支配に反対する立場から国連の「南部アフリカ教育訓練計画」,「南ア信託基金」および「ナミビア基金」に対し,73年は各々8万ドル,1万ドル,1万ドル,合計10万ドルの拠出を行つた。