6.南西アジア
(イ) 73年の南西アジア地域情勢は,71年末の印・パ戦争およびバングラデシュ独立がもたらしたいわゆる「戦後処理の諸問題」が解決に向つたことを中心に緊張緩和の動きをみせた。
71年末バングラデシュの独立の際インド・バングラデシュ側に捕えられた9万余のパキスタン兵士,民間人等いわゆる「捕虜」の処遇問題は,印パ関係およびパキスタン・バングラデシュ関係の正常化を妨げる大きな要因となつていたが,粁余曲折を経て73年8月,印パにパキスタン人「捕虜」(ただし,195名の「戦犯容疑者」は除く),在パキスタン・バングラデシュ人,および在バングラデシュ・パキスタン人3者の相互送還を骨子とする合意(デリー協定,バングラデシュも同意)が成立し,この結果3国関係をめぐる雰囲気は大いに改善された。他方パキ スタンは,バングラデシュ独立以来「捕虜」問題が最終的に解決するまではバングラデシュを承認しないとの態度をとつてきたが,74年2月,パキスタンにおける第2回回教国首脳会議開催を機に同国承認に踏みきり,両国関係正常化の道が開かれた。しかし,印パ関係では,正常化のための具体的な措置という面ではほとんど進展がみられず,外交関係の再開には至らなかつた。
(ロ) 他方,73年における南西アジア諸国経済は,やや立ち直りをみせたパキスタン経済を除いては,いづれも天候不順による農業生産の不振に災いされて停滞を続け,各国で社会的不穏事態が続発する傾向がみられた。
(イ) 内 外 情 勢
(a) 政治・経済の状況
(i) 73年のインド国内では,各地で与党コングクレス党の派閥抗争,宗教対立,労働争議等に起因する政治的混乱の続出が目立つた。多くの州のコングレス党政権内で,内部対立に起因する混乱が相次いで生じ,このためオリッサ,アンドラ・プラデシュ,ウッタル・プラデシュ等諸州でコングレス党政権が崩壊,大統領直轄令が施行された。他方,西ベンガル,ビハール,グジャラート等の諸州でもコングレス党内閣の交替や一部改造等の混乱が見られた。このようなコングレス党内の混乱に乗じ,西ベンガル,パンジャブ州等一部州で左翼野党勢力の動きが活発化した。さらに,経済清勢の全般的な悪化に伴い,生活難からくる国民の不満の高まりが見られ,全国各地にデモ,ストライキ,暴動等不穏事態が続発した。
(ii) こうした情勢を反映して,連邦議会議員および州議会議員の補欠選挙,市議会選挙でコングレス党が敗北する例が相次ぎ,同党の全般的な退潮傾向が目立つた。
(iii) 経済面では,73年前半の天候不順に災され,前年に引続き停滞を示した。72年に引き続き73年前半にも起つた早ばつは,食糧穀物生産の大幅な減産および備蓄の枯渇をもたらすとともに,各地に深刻な電力不足や食糧の優先輸送による工業用原材料輸送の遅滞を現出し,世界的な工業原材料の高騰と相まつて,鉱工業生産も大きな打撃を受けた。以上の結果,食糧を始め諸物価が騰貴し,国民生活は圧迫を受けた。これに対し政府は,経済統制の強化,公共部門の拡大に努め,小麦卸売業の公営化,石炭鉱山の国有化,外資系石油企業の接収,外国為替規制法改正等により,財閥系および外資系企業の規制をさらに強化した。
(b) 対 外 関 係
73年におけるインドの外交努力は,主として71年末の印パ戦争のもたらした戦後処理問題の解決と対米関係の改善に向けられた。
まずパキスタンに対しては,約9万人余のパキスタン人「捕虜」の処遇問題につきパキスタンとの間で交渉を重ねた結果,73年8月,デリー協定が成立し,これに基きインド,パキスタン,バングラデシュ3国間に(i)在インド・パキスタン人「捕虜」,(ii)在バングラデシュ・パキスタン人,(iii)在パキスタン・バングラデシュ人の相互送還が行なわれることとなつた。戦後処理問題の解決には大きな前進がみられたものの,両国関係の正常化措置については,殆んど進展がみられず,外交関係はいまだ断絶されたままとなつている。他方インドは,対パ戦争を経て冷却化した米国との関係改善に努力した。この結果,これまで空席であつた印米双方の大使の着任,3月米国による封印パ武器禁輸政策の緩和,12月 PL480 見返りルピー資金処理問題の解決等,両国関係には改善がみられた。またインドはかねてから冷却している中国との関係を改善するため意を用いたことがうかがわれたが,さほどの進衰はみられなかつた。他方,ソ連との関係は引続き緊密に推移し,特に11月下旬のブレジネフ・ソ連書記長の インド公式訪問により,71年の印ソ平和友好協力条約に基づく両国の協力関係はさらに強化されたとみられる。
(ロ) わが国との関係
73年1月スワラン・シン外務大臣が,わが国政府の公賓として来日し,また,5月には東京で第8回目印事務レベル定期協議が開催された。
(a) 貿 易 関 係
73年における日印貿易総額は,9億1,363万ドル,その内,わが方の輸出3億3,873万ドル(対前年比41%増),輸入5億7,490万ドル(対前年比41%増)で,引続き2億3,717万ドルのわが国の入超となつた。わが国の封印主要輸出品目は機械機器,化学品,金属(その大部分が鉄鋼)などであり,主要輸入品目は鉄鋼石,えび,綿花,鉱石などである。
(b) 経済・技術協力関係
わが国は73年度にはインドに対し,第13次円借款として商品援助約70億円,プロジェクト援助約110億円の供与を約束するとともに約150億円の円借款廣務繰延べを行なつた。この結果,58年第1次円借款以来現在までのインドに対する円借款供与累計総額(コミットメント・べース)は約2,979億円(うち債務繰延べ額595億円)となつた。
また,技術協力面においては農業部門に重点を置き,4カ所の農業普及センターおよびダンダカラニア・パルラコート地区農業開発計画に対する協力を通じ,引続き近代稲作技術の普及につとめた。
さらに,わが国は73年中に海外技術協力事業団を通じ専門家24名を派遣し,68名の研修員を受入れた。
(イ) 内 外 情 勢
(a) 政治・経済の状況
(i) 73年においてブット政権は新憲法の制定を中心に引続き国内体制の整備に努めた。
議院内閣制を骨子とする新憲法は4月に制定され,8月14日に発効,これに伴いブット大統領が首相に就任した。
(ii) 他方,73年2月バルチスタン,北西辺境両州では部族民の反乱が発生したが,ブット政権は治安維持を理由に両州における野党系政権を放逐し,与党系の内閣を樹立した。しかし,その後もバルチスタン州では反乱分子の活動が続き,政府は5月に軍隊を同州に派遣して,鎮圧に努めたが,まだ十分な成果を挙げていないといわれる。 また,3月には軍部内の反主流派将校など数十名による反政府クーデター計画が発覚するなど,不穏な動きがみられたが,大事には至らなかつた。
(iii) 経済面では,72/73年度中(72年7月~73年6月)のパキスタンの国民総生産は実質6.5%の成長をとげ,1人当り国民所得は69/70年度の水準まで回復し,これまでの停送状態からの立ち直りを示した。これは主として農業生産が順調であつたことおよび綿花と綿製品を中心とする輸出が好調であつたことによる。
他方,8月には百年振りといわれる大洪水に見舞われたが,生産活動自体はそれほど大きな損害を受けなかつたとみられている。しかし輸出の急増による国内需給の逼迫,財政赤字,洪水の影響等により,諸物価の上昇は著しく,経済を撹乱する要因となつた。
これに対し,政府は73年後半以降,インフレの抑制を主眼として米の輸出,自動車・冷蔵庫の輸入,綿花の輸出などを国営に移し,74年1月からは銀行,海運業および石油製品販売業を国有化するなど,国家統制措置を強化した。
(b) 対 外 関 係
73年中,パキスタンは戦後処理問題の解決に努めるとともに,活発な外交活動を通じ自国の国際的地位の向上をはかつた。
(i) インドとの関係では,8月のデリー協定締結により,パキスタン人「捕虜」9万余名の釈放および本国送還の約束をとりつけた。他方,バングラデシュに対しては,従来「捕虜」問題の最終的解決をみるまではバングラデシュを承認しないとの立場をとつてきたが,74年2月パキスタンにおける第2回回教国首脳会議の開催を機に,バングラデシュの承認に踏み切つた。
(ii) またアラブ諸国との関係強化に力を入れ,その努力が実り,74年2月パキスタンで上記の回教国首脳会議が開かれた。同会議はパキスタンの国際的地位の向上に少なからず役立つたとみられている。
しかしながら,イラクとの関係では,2月在パ・イラク大使館からソ連製武器が押収される事件が起こり,またアフガニスタンとの関係はパクトニスタン問題をめぐりかなり緊張する面をみせた。
(iii) 米国との関係は9月のブット首相の訪米などにより強化がはかられた。また中国との関係では,1月テイッカ・カーン陸軍参謀長,2月ブット大統領夫人の訪中,6月姫外務大臣の訪パなど要人 の来往訪が相次ぎ,両国関係は引き続き緊密に推移した。ソ連との関係では懸案となつていたソ連の援助によるカラチ製鉄所の起工式が73年末行なわれるに至り,両国関係改善の兆がみられた。
(ロ) わが国との関係
73年2月,三笠宮殿下がモヘンジョダロ遺跡保存シンポジウムに参加するためパキスタンを訪問され,11月にはイスラマバードで第3回日・バ事務レベル協議が開催された。
(a) 貿 易 関 係
73年におけるわが国の対パキスタン貿易は,わが国の輸出9,004万ドル(対前年比41.9%増),輸入1億5,011万ドル(対前年比36.0%増)であり,2年連続してわが国の大幅入超となつた。パキスタンからの輸入は綿花と綿製品が約8割を占めている。近年特に綿糸の輸入の伸びが大きいが,73年中にパキスタンは4度にわたり綿糸布に対する輸出税を引き上げた。
(b) 経済・技術協力関係
(i) わが国は73年8月パキスタンの洪水被災者の救済のため1億円相当の援助物資を贈与し,また10月にはパキスタンおよびバングラデシュ難民の相互送還を援助するため米貨100万ドルを国連に拠出した。
(ii) 12月,わが国は約63.8億円の円借款債務繰り延べを行なうとともに第11次円借款の供与について協議を開始した。
(iii) 技術協力面では,わが国は前年に引き続き,電気通信センターに4名の専門家を派遣しているほか,73年中にイスラマバードの水道改善,カラチ新港の建設計画調査等20名の専門家を派遣した。また同年中にわが国は研修員37名を受け入れた。
(イ) 内 外 情 勢
(a) 政治・経済の状況
(i) 72年末制定された新憲法に基づき,73年3月バングラデシュ初の総選挙が行われ,ラーマン首相に率いられるアワミ連盟が圧倒的な勝利を収めた。他方,野党側は議会内では大きな勢力となりえず,議会外でハルタル(ストライキ)等を中心に反政府大衆運動を試みたが,いずれも大きな効果をあげることはできなかつた。これに対し政府および与党側は憲法を改正し,国内の治安悪化に際しても非常事態宣言を布告しうる権隈を大統領に付与し,また議会に予防拘禁法制定の権隈を与えるなど治安維持強化の姿勢を示した。
(ii) 経済面では,戦乱により危機に立つだ経済の復興と今後の発展の基礎を築くことを目標として,7月1日から経済開発5カ年計画の初年度計画が実施に移された。しかし,もともと食糧の自給がかなわないところへ,72年に引き続く天候不順により73年前半までの農業生産は不振を極めた。このため,食糧輸入必要量は,3百万トンに達したと云われ,また唯一の外貨獲得源であるジュート生産も低調であり,外貨事情はさらに逼迫した。工業は電力不足,労働不安,経営管理面の不備,原材料の不足等により生産が伸びなやみ,バングラデシュ経済は全体として,独立前の水準まで達しなかつたとみられている。
(b) 対 外 関 係
(i) バングラデシュを承認する国は73年にも増え,74年2月にはパキスタンも承認し,承認国の合計は120を越えた(74年3月現在)。ただし,中国はまだバングラデシュを承認していない。またバングラデシュは国連専門機関やECAFE等多くの国際機関への加盟が認められたが国連に対しては72年秋中国の拒否権発動により加盟がはばまれたこともあり,73年には加盟申請を行なわなかつた。
(ii) バングラデシュは,外交政策の基本方針として非同盟主義を掲げており,ラーマン首相は,7月にユーゴースラヴィアを公式訪問し,また9月にアルジェで開催された非同盟諸国会議に出席した。さらにラーマン首相は,7月英連邦首脳会議,74年2月回教国首脳会議に出席し,フセイン外務大臣は,インドネシア等東南アジア5カ国を訪問するなど,幅広い外交努力を行なつた。
(ロ) わが国との関係
バングラデシュから8月にサマド農業大臣が来日し,また10月18日から24日までラーマン首相(フセイン外務大臣随行)は,わが国を公式訪問した。一方,わが国は,74年1月永野日本商工会議所会頭を団長とする政府経済使節団をバングラデシュに派遣した。
(a) 貿 易 関 係
73年におけるわが国の対バングラデシュ貿易は,輸出6,960万ドル,輸入1,217万ドルで,72年に比べ,輸出で57.7%,輸入で91.5%とそれぞれ大幅に増加した。
(b) 経済・技術協力関係
わが国は,バングラデシュに対し,73年に日本米12,500トンの無償援助を行なつたほか,日本米9万トンの延払輸出を行ない(6月に契約),さらに90億円の円借款(商品援助)をこれまでわが国が外国に認めた中で最も緩和された条件で供与することを約束した(74年3月)。
技術協力面では,ジャムナ河架橋調査団,ラジオ・テレビ放送網計画調査団(2月),漁業協力調査団(4月)を派遣したほか,染色なつせん専門家1名,農業協力専門家3名および海外青年協力隊員8名を派遣した。また海外技術協力事業団を通じ,73年中に45名の研修員を受け入れた。
(イ) 内 外 情 勢
(a) 政治・経済の状況
(i) 73年においてバンダラナイケ連立政権は,家屋所有制限法や出版統制法を成立させ,資本税賦課を実施するとともに,同国最大の新聞社を接収するなど同政権の唱える「杜会民主々義国家」としての体制整備に努力した。しかし,連立の与党内にあつて現政権の諸政策を手ぬるいとする共産党(ソ連派)の一部議員の非協力的態度や与党中最大の党である自由党内で左右両派の確執が依然として伝えられるなど政権内部の不統一がみられた。一方,73年中2回実施された国会議員補欠選挙において与党候補がいずれも大差で落選するなど与党勢力の退潮ぶりが注目された。
また,北・東部に多く在住するタミル人の一部は,シンハラ人優先の現行憲法に反対し,分離独立を要求して対政府不服従運動を展開するなど国内の一部に不穏な動きがみられた。
(ii) 73年のスリ・ランカ経済は前年に続き停滞した。天候不順と肥料不足に起因する主要輸出農産物(紅茶,ココナツ)と米の減産は,外貨収入の減少と食糧不足をもたらし,72年に始まつた経済開発5カ年計画も所期の成果をあげえなかつた。さらに,国際的な石油,食糧,消費財の価格高騰は,これらの輸入に大きく依存する同国の経済開発にとつて大きな障害となつている。
このような困難に対処するため政府は10月,米の無償配給量を半減するとともに主要食糧に対する政府補助の削減,ガソリン税の大幅引上げ等を実施したほか,米をはじめとする食糧の増産運動を開始した。
(b) 対 外 関 係
73年中,国際舞台でのスリ・ランカの活動ぶりが目立つた。UNCTAD事務局長および第三次海洋法会議々長にそれぞれ選出されたのをはじめ,9月,アルジェで開催された非同盟諸国首脳会議では次回首脳会議(76年)の開催地をコロンボとすることに成功するなどの成果をあげた。
他方,2国間関係では,バンダラナイケ首相が4月に同国を訪問したガンジー・インド首相との間でタミル人送還問題,経済協力問題について話し合いを行ない,隣国インドとの関係増進に努めた。また5月には,中国から代表を迎えて同国が寄贈した国際会議場の落成式をコロンボで盛大に挙行するなど中国との関係強化をはかつた。
(ロ) わが国との関係
(a) 貿 易 関 係
わが国の対スリ・ランカ貿易は,73年はじめて入超に転じた。これは貴石の輸入激増により輸入総額が36.7百万ドル(前年比61.0%増)とのびたのに対し,機械,肥料,繊維品を中心とする輸出総額が26百万ドル(前年比9.2%増)にとどまつたことによる。主な輸入品目は貴石のほか,紅茶,天然ゴムであつた。
(b) 経済・技術協力関係
わが国は第8次円借款として35億円を供与することを約束した(7月)ほか,154百万円のKR食糧援助(9月)および訓練用漁船購入費として95百万円の贈与(10月)を行つた。
技術協力関係では,海外技術協力事業団を通じ,水産高等専門学校設立のための実施調査団を派遣した(4月)。また,デワフワ村落開発計画協定に基づき6名の専門家が引続き派遣されている。さらに73年中に新たに67名の研修員を受入れ,21名の専門家を派遣した。
(イ) 政 情
9月,任期満了に伴う大統領選挙が実施され,ナーシル大統領が再選された。対外関係では,スリ・ランカとの間で経済関係の摩擦により必ずしもしつくりしない面がみられた。
(ロ) わが国との関係
73年のわが国との貿易はわが国による輸入の増大(110.7万ドル,前年の65倍)により激増した(輸出は12.6万ドル,前年の4.2倍)。
主要輸出品は,繊維品,ラジオ,主要輸入品は魚介類であつた。
技術協力関係では,前年に引続き洋裁関係研修員5名がわが国に滞在しているほか,研修員1名(自動車整備)を新たに受入れた。
(イ) 内 外 情 勢
(a) 政治・経済の状況
(i) 72年,ビレンドラ国王の即位を機にして発生した,旧ネパール・コングレス党指導者を中心とする体制批判の動きは,政府の強硬措置で一時的に鎮静化したが,73年にはこれら反政府分子による破壊活動が東部のインドとの国境地帯で活発化したほか,上記分子に関連あるともいわれるネパール国内航空ハイジャック事件(6月),政府総合庁舎の焼失(7月)等不穏事態が続発した。このため7月ビスタ内閣は総辞職し,代つてリザール内閣が成立した。
またビレンドラ国王は地方開発を促進するために先帝マヘンドラ国王により開始された「帰郷国民運動」を復活するとともに,全国各県に国民運動推進本部を設置するなどによりパンチャーヤット体制(ネパール式議会)の基盤強化をはかつた。
(ii) 73年のネパール経済は,国民総生産の6割を占める農業生産が,年後半になつて天候に恵まれ,若干の増産が見込まれているものの,71年から73年前半までの天候不順による生産不振の影響が大きく,引続き停滞した。さらにインドからの輸入価格の上昇の影響を受けて国内消費者物価が著しく騰貴し,経済困難が増加した。このため4年目を迎えた第4次経済開発5カ年計画は,大幅な後退を余儀なくされた。大幅な赤字を出したインドとの収支を除いた国際収支は順調に推移し,外貨準備も若干ながら増加した。
(b) 対 外 関 係
ビレンドラ国王は,ネパールの伝統的外交方針である非同盟中立政策を推進することに意欲的な姿勢を示し,9月にアルジエで行なわれた非同盟諸国首脳会議に自ら出席した。インドとの関係では紆余曲折はあつたが,2月のガンジー首相のネパール訪問および10月の国王訪印等により友好関係が進展した。中国との関係では,12月の国王訪中,中国の経済援助の増大,スポーツ・文化交流等を通して友好関係の維持強化がはかられた。
(ロ) わが国との関係
(a) 貿 易 関 係
ネパールの対外貿易のほとんどは対印貿易で占められているが,近年同国政府は貿易先の多角化に努めており,わが国との貿易も漸増傾向にある。73年のわが国の対ネパール貿易は輸出959万ドル,輸入294.4万ドルで,わが国の大幅出超となつている。主要輸出品は織物,鉄鋼,化学工業製品,乗用自動車で,主要輸入品は,じや香,黄麻,牛黄である。
(b) 技術協力関係
わが国から鉱工業プロジェクト選定確認調査団(6月)を派遣したほか,海外技術協力事業団を通じ,医療協力実施調査団(10月),電力開発調査団(11月)を派遣した。さらに73年中に和紙・農業関係専門家24名,協力隊員14名を派遣し,24名の研修員を受入れた。またわが国は東部ジャナカプール県における農業開発に協力するため農業技術協力を行つている。
(イ) 政 情
ブータンはジグメ・シンゲ・ワンチュク国王の下に,引続きインドから経済・技術援助を得つつ,インフラストラクチヤー整備に重点を置く第3次5カ年計画の実施を推進している。対外関係では,インドとの間に47年の条約に基く特殊関係を維持しており,今のところインド,バングラデシュ以外の国とは外交関係を樹立しないとの立場をとつている。
(ロ) わが国との関係
73年には,74年6月に予定されている国王戴冠式のために,わが国より乗用車8台をブータン王室および政府に寄贈した。
またわが国は,海外技術協力事業団を通じ,農業園芸専門家1名を派遣し,農業開発に協力したほか13名の研修員を受入れた。