5.その他の東南アジア

 

(1) フ ィ リ ピ ン

(イ) 政治・経済情勢

(a) マルコス大統領が,72年9月22日フィリピン全土に戒厳令を布告して以来推進している,社会正義実現を目指す「新社会」の建設は,治安の改善,農地改革,汚職追放等の重要施策の面で順調な進展を示し,特に治安の改善には顕著なものがある。このような事情を背景に,73年7月実施された国民投票では,投票数の約91.9%がマルコス政権を支持し,73年以降も,同大統領が政権を担当して「新社会」建設にあたるよう要望した。

(b) 71年6月1日開始された改憲会議により,72年11月採択された新憲法草案は,73年1月市民集会に付され,圧倒的多数の国民の承認を得た後,マルコス大統領により,73年1月17日,発効が宣言された。

その後,国民の一部から新憲法発効を否認する訴訟が最高裁判所に 提起されたが,最高裁はこれを却下し,「本判決によつて新憲法の有効性に対する司法上の障壁は一切除かれた」と判示した。

新旧憲法の主要な相違点は,従来の大統領制を議院内閣制に変え,また,議会の構成を二院制から一院制に変更した点である。なお,マルコス大統領は,新憲法の経過規定により,当分の間新・旧憲法上の大統領と新憲法上の総理大臣の権限を兼任することとなつた。

(c) ミンダナオのコタバト,サンボアンガおよびスルーの各州で,73年2月頃から,ミンダナオの回教徒居住地域の独立を策する回教徒反政府分子と政府軍との間に衝突事件が頻発した。

政府は,軍による討伐を進める一方,社会経済開発計画の推進等による民生安定に力を注ぎ,同年4月末頃には事態は一応鎮静化した。ところが,回教諸国は,事態を重視し,73年8月,リビア,サウディ・アラビアおよびソマリア3国の外相ならびに駐エジプト・セネガル大使で構成された実情調査団をフィリピンに派遣した。その報告書は未だ公表されていないが一応比政府の回教徒対策を評価したものと伝えられている。

(d) 外交面では,対共産圏外交の面で活発な動きが見られた。72年のユーゴースラヴィアおよびルーマニアとの外交関係樹立につづき,73年の9月から11月にかけて,東独,ポーランド,ハンガリー,チェコスロヴァキア・モンゴルおよびブルガリアとの外交関係が樹立された。

また,73年3月には,中国医療使節団およびソ連観光団,5月には,ユーゴースラヴィアの通商使節団,9月には,ソ連経済石油探査合同使節団が,それぞれフィリピンを訪問した。しかし,中国およびソ連との国交は未だ実現されていない。

対米関係については,懸案の基地協定およびラウレル・ラングレー協定の改訂交渉にも特に目立つた動きはなく,総じて大きな変化は見られなかつた。

(e) 73年におけるフィリピン経済は,災害に見舞われることもなく,実質GNP成長率は,10%と,前年の4.1%に比し著しい成長を示し,貿易収支は275.5百万ドルの黒字(前年42.6百万ドルの赤字)を示し,同年12月末外貨準備高は,835百万ドル(前年末282百万ドル)と史上最高を記録した。

(ロ) わが国との関係

日比両国の関係は貿易,経済協力,投資等の経済関係を中心に逐年緊密化の度合を加えつつある。

わが国戦没者遺族の多年の念願であつた慰霊碑が,フィリピン政府の積極的な協力により,ルソン島のガリラヤに建設され,除幕式が73年3月28日,岸信介フィリピン協会会長(元総理),マルコス大統領ほか日比両国要人等の参加の下に行なわれた。

また,60年12月9日署名調印された日比友好通商航海条約は,比例の菓然たる対日警戒心や条約そのものに対する誤解,複雑な問題上の動き等から長く棚上げされていたが,73年12月マルコス大統領は,対日関係改善の見地から条約批准に踏切り,12月27日,マニラで批准書交換が行われ,1カ月後の74年1月27日発効の運びとなつた。

これら一連の事例は,両国の多年にわたる友好関係増進の努力の結果であり,近年とみに緊密化している両国の友好関係を象徴するものと云えよう。

(a) 経 済 関 係

(i) 日比両国の経済関係は,両国が地理的に近接していること,および両国経済が相互補完関係にあることから,貿易関係を中心に進展しており,73年の日本の対比輸出は6億2,026万ドル(対前年比135.6%),輸入は8億2,025万ドル(同174.4%)と前年に比べ著しく伸びた。また,日本は,70年以降,米国をしのぎ,北国第1の貿易取引国となつている。わが国の輸出は,プラント類等の機械機器,金属・化学製品,繊維品などで,輸入は木材,銅,鉄鉱石であるが,最近ではバナナの輸入(わが国の総輸入の47.5%を占めている)の急増が注目される。

(ii) わが国の対比投資は,現在約40社が合弁の形で進出しており,直接投資の総額は,73年9月末現在,9,618万ドルで,ASEAN諸国中最も低い水準となつている。投資分野は,商業,鉱業,金属業等である。

(b) 経済・技術協力関係

(i) わが国は,56年締結された賠償協定(総額5億5,000万ドル,20年支払い)に基づき,引続き機械類,輸送用機器等の贈与を行ない,73年末までに4億7,665万ドルを履行した(履行率86.7%)。

(ii) 73年9月,わが国は,北国の食糧不足解決に協力するため,日本米約7.6万トンを延払輸出により提供した。

(iii) 73年11月,106億円の商品借款供与を合意し,現在実施中である。また,同年12月,17百万ドルのプロジェクト借款を供与した。

(iv) 73年6月,わが国の市中銀行団(外国為替銀行14行より成る)は,フィリピン中央銀行に対し総額50百万ドルのスタンドバイ・クレデイット(期間1年)を供与した。これは70,71,72年に続き,4度目のものである。

(v) 技術協力面では,73年末までに,研修員1,386名の受け入れ,専門家411名の派遣を行ない,また青年海外協力隊員265名を派遣した。このほか,センター協力協定に基づき,家内小規模工業技術開発センターおよびパイロット農場に対する技術協力を行なつた。

(2) マレイシア

(イ) 政治・経済情勢

(a) 72年,ますますその政治的安定度を増してきたラザク政権は,本年当初の野党との連立政権発足をきつかけとしてさらに政治的地歩を固めたものとみられる。

一方,73年8月,ラザク首相に次ぐ実力者であつたイスマイル副首相が急死し,これがラザク首相に少なからず打撃を与えたが,その後,8月13日の内閣改造で,閣僚の中から,穏健派といわれているフセイン・オン教育相が副首相に起用された。この起用は,政界や,一般国民各層にも歓迎されているところから,一時懸念されたラザク内閣の安定度についても,変わりないものといえよう。73年のマレイシ ア経済は,主要産品である天然ゴムの高価格に支えられ,名目成長率20.4と史上最高の成長を達成した。また,国内の原油生産量は,現在1目当り99,000バーレルで,国内消費の1目当り84,000バーレルを若干上回つているに過ぎないが,最近沿岸数カ所で新たに油田,天然ガス田が発見されており,将来石油関連産業の発展が期待されている。一方,マレイシア政府は,年末に71年から開始された第2次5カ年計画の中間レビューを発表したが,同報告によれば,過去3年間にGNPは年平均実質6.9%の割合で増加し,同計画の目標6.8%を上まわつており,計画は順調に進展している。なお,通貨の動きについては,67年以来実施されてきたシンガポールとの通貨の等価交換協定が73年5月破棄されたほか,世界的な通貨の不安定を反映し,マレイシア・ドルも同年6月に変動相場制に移行した。シンガポールとの関係では,65年のシンガポールの独立以後も,両国は,単一の経済圏を形成してきたが,マレイシア政府は,通貨の等価交換協定の破棄の他,両国の共同運営の天然ゴム取引所および株式市場を分離する措置をとつた。これらは,両国が互に経済的独立性を確立させるためとつた一連の措置であると言えよう。

(b) 外交面では,マレイシアは,引き続きASEANによる協力関係を重視し,非同盟,中立主義を基調としつつ,自国をめぐる周辺地域の平和と安定の確保を目標としている。具体的な動きとしては,ヴィェトナム和平成立を受けて,ASEAN外相会議をクアラ・ルンプールで主催した(2月15日)他,非同盟,中立主義の立場から,ASPACからの脱退(3月12日)に引き続き,北ヴィェトナム(3月30日),東独(4月4日),北朝鮮(6月30日)と,それぞれ外交関係を樹立した。中国との関係については,71年以来非公式レベルの接触が続けられているが,73年6月から,ニュー・ヨークで,外交関係樹立交渉が行われている。

73年中は,近隣諸国を中心に友好諸国との首脳外交も活発に行わ れ,米国のアグニュー副大統領(2月),インドのギリ大統領(2月),ユーゴースラヴィアのビジェディク首相(3月),ビルマのネ・ウイン首相(6月),ニュー・ジーランドのカーク首相(12月)およびオーストラリアのウィットラム首相(74年1月)がそれぞれマレイシアを訪問した。また,ラザク首相は,タイ(5月),インドネシア(5月)およびシンガポール(11月)をそれぞれ訪問,タノム首相,スハルト大統領,リー首相等と会談した。

(ロ) わが国との関係

わが国とマレイシアは,従来から友好関係にあり,73年も,両国間の人事往来が頻繁に行われ,両国関係は一層緊密さを深めた。7月には,ラザク首相が,70年の首相就任以来2度目の訪日,他方,田中総理大臣は,マレイシア政府の招待により,74年1月マレイシアを公式訪問した。また,第7回総理府「青年の船」は,マレイシアを親善訪問し(11月),日・マ両国の青少年間の友好親善関係の促進に寄与した。

(a) 貿 易 関 係

73年のわが国の対マ貿易は,輸出448百万米ドル,輸入776百万米ドルで,前年度に比べ輸出70%,輸入96%の大幅増加を示した。

わが国の輸出品は,機械類,電気機器,輸送用機器,鉄鋼,化学品等であり,輸入品は,木材,すず,鉄鋼石,天然ゴム等の一次産品である。なお,マレイシア側の統計によれば(但し西マレイシアのみ),73年1~10月の対外貿易において,わが国は輸入相手国としては,第1位,輸出相手国としては,シンガポール,米国に次いで第3位であるが,貿易取引国としては依然として第1位を占めている。

(b) 経済・技術協力関係

(i) 72年3月29日署名された交換公文で360億円の第2次円借款は,第2次マレイシア計画に含まれている各種プロジェクトに順調に消化されており,74年1月田中総理がマレイシアを訪問した際に第3次円借款として,さらに360億円が供与されることになつた。

(ii) わが国は,マレイシアに対する技術援助として,73年末までに,研修員733名の受入れ,専門家277名の派遣および青年海外協力隊員245名の派遣を行つている。また,70年に署名された稲作機械化協力協定は,マレイシア側の要請により,有効期間がさらに2年間延長され,75年まで協力を継続することになつた。新規の技術協力としては,73年12月,船舶機関士養成計画に関する技術協力協定が署名され,船舶機関士養成のため,今後4年間にわたり,わが国は機材供与,専門家派遣および研修員の受入れの面で協力することとなつた。

(iii) わが国の民間企業は,マレイシア政府機関,現地企業等と提携し,資本・技術等を提供しており,73年9月現在,約152件約124百万米ドルに達している。その分野は,鉱業,農業,漁業等の開発関係のほか,製造業,サービス業等多岐にわたつている。

(3) シンガポール

(イ) 政治・経済情勢

(a) シンガポールは,リー首相の率いる人民行動党政府の強力な指導のもとに,引き続き経済の発展と国民意識の高揚を優先施策として,その基盤を着実に強化しつつある。73年5月,マレイシアが,シンガポールとの通貨の等価交換協定を破棄した結果,6月に,両国間の通貨相互流通が停止された。これも両国が,65年の分離をさらに定着させ,経済的にも真の自立体制の確立を指向している現れとみられる。

(b) 外交面では,特にASEANおよび大洋州諸国との交流に活発な動きがみられた。リー首相は,73年1月にタイ,5月にインドネシア,74年1月にフィリピンの各国をそれぞれ公式訪問し,他方マレイシアのラザク首相が,73年11月にシンポガールを公式訪問した。さらに73年12月,ニュー・ジーランドのカーク首相,74年2月に豪州のウィットラム首相がシンガポールをそれぞれ公式訪問した。

安全保障については,引き続き英連邦5カ国防衛取極に依存している。しかし同取極の下に設置されたANZUK軍からの豪州地上軍撤退が決定していることもあり,ニュー・ジーランドは,ANZUK軍とは別個に,独立の部隊をシンガポールに駐留させることになつた。

(c) 73年の国民総生産は推定で39億5,716万米ドルと,前年比22.7%(名目)の伸びを示した。一人当りの国民総生産は1,811米ドルと推定される。

シンガポール経済は,世界的な食糧不足,石油供給削減とそれに伴う工業用原材料の需給逼迫,さらに国際通貨調整等の影響を受け,全般的にインフレ傾向を示しており,これ迄の高度成長は,その速度が鈍らざるを得ないものと思われる。

(ロ) わが国との関係

73年のわが国とシンガポールの関係は,友好裡に推移してきた。同年5月に,リー首相が非公式にわが国を訪問し,74年1月には,田中総理がASEAN諸国歴訪の一環として,シンガポールを公式訪問した。

なお,74年1月31日,2人の日本人を含む4人の外国人がシンガポールの精油所内の石油タンクを爆破し,シンガポール人を人質にし船内にたてこもるという不幸な事件が発生した。しかし,本事件の解決のための両政府の協力を通じ,両国間の相互理解が増進された面も存する。

(a) 貿 易 関 係

73年の日本の対シンガポール貿易は,輸出9億2,987万米ドル,輸入2億2,300万米ドルと,依然としてわが国の大幅出超であつたが,前年に比べて,輸出が32.5%増に対し,輸入は84.4%増を示した。

わが国の主要輸出品目は,繊維製品,鉄鋼製品,機械等で,輸入は,石油製品,生ゴム,事務用機器等である。

(b) 経済・技術協力関係

(i) 73年2月に,90億円の円借款供与が合意され,セノコ火力発電所建設および送配電システム拡張にあてられることになつた。

(ii) 技術協力については,73年12月末まで,研修員408名の受入れ,専門家138名の派遣等を行なつた。

(iii) わが国の民間企業が,シンガポールの経済発展に貢献している事例は多く,73年9月末までの投資許可件数は,203件,直接投資額は1億2,661万米ドルに達している。投資分野は,繊維,化学,造船,電機,機械,合板等の製造業,建設業,サービス業等,各種の分野に及んでいる。

(4) インドネシア

(イ) 政治・経済の情勢

(a) スハルト政権は,発足以来,旧政権時代の政治優先政策により崩壊に頻していた国内経済の建て直しに全力を傾け,成果を挙げてきた。また,これと併行して,国軍の再編成,職能グループの育成強化,政党の簡素化等の措置により,政治的基盤を確立し,71年の総選挙で圧倒的勝利を博した。このような成果を背景として,スハルト大統領は,73年3月,国民協議会総会で,インドネシア共和国史上3代目の大統領に再選された。

(b) 73年中の経済成長率は,前年比6.9パーセントの伸びを記録したが,他方国内物価上昇率は27パーセントに達し,庶民生活に深刻な影響を与えた。こうした情勢の中で,8月,西部ジャワ・バンドンで,暴動事件が発生し,9月には,婚姻法案に反対する回教徒学生等が国会に乱入するという事件が発生した。さらに,10月頃から,外国援助反対,対目批判,政府批判等をスローガンとする少数学生グループによるデモがジャカルタ市内の各所で断続的に発生し始め,74年1月,田中総理大臣の訪問の際,これら学生等の行動が,中・高校生等を含む一般民衆に対し群衆心理的影響を与え,暴動事件に発展した。

(c) インドネシア政府は,事態収拾のため,暴動事件関係者に対する厳重な追求を行なうかたわら,大統領補佐官制度の廃止,民族企業の保護・育成に重点を置いた外資政策綱領の決定等を含む一連の政治・経済的措置を矢継ぎ早やに打ち出した。  

(ロ) わが国との関係

(a) 政 治 関 係

わが国とインドネシアとの間の政治関係は,従来より極めて順調に推移して来ており,74年1月の田中総理大臣の訪問にあたつては,両国首脳の間で,この点があらためて再確認されるとともに,今後さらに両国関係を緊密化するため,相互に協力することが合意された。

(b) 経 済 関 係

(i) 73年の貿易総額は31億1,600万ドル(対イ輸出9億30万ドル,対イ輸入22億1,300万ドル)で72年比,66%増となつている。この貿易総額の急増は,輸出入双方における数量の増加も一因であるが主に貿易産品価格の急騰,特に,石油価格の高騰に起因している。貿易品目としては,輸入面では,石油,木材等の資源が主体となつており,輸出面では,わが国の対インドネシア経済協力を通ずる機械金属品等が中心となつている。

(ii) 67年に外資導入法が制定されて以来,わが国の対インドネシア民間投資はきわめて活発となり,73年10月現在で,投資金額5億ドル,投資件数135件(インドネシア政府認可べース)に達している。投資分野としては,繊維,林業,製造業,水産,鉄鋼等がある。

(iii) インドネシアには,わが国から約140社の商社,メーカー,銀行等が進出しているが,57年の工業省,商業省共同省令ならびに70年の商業省令および71年の規則にもとづき,外国企業には商業活動が原則として認められず,販売促進等の活動のみが許される建前となつている。他方,これら一連の省令,規則等の解釈,運営等の面が必ずしも明確でないため,わが国進出企業の駐在員事務所の法的ステータスは不安定となつている。

(c) 経済・技術協力関係

(i) わが国は66年以来インドネシア経済の安定と復興のため,他の欧米諸国とも協力して対インドネシア援助国会議(IGGI Inter Govemmenta1 Group on Indonesia)を通じ積極的な経済援助・技術援助を行ない,同国の政治および経済の安定に協力している。

米国とならんでインドネシアに対する最大の援助国となつているわが国の経済援助は,69年に発足した同国の経済開発5カ年計画の実施に大きな貢献を果しており,これらを通じわが国とインドネシアとの関係はますます緊密化しつつある。

(ii) 73年度援助として,同年7月,わが国は,商品援助170億円,プロジェクト援助103億円の両借款と,KR食糧援助(贈与)800万ドルの供与を約束するとともに,日本米購入のために101億3,200万円の信用供与を行なう旨約束した。このほか,69年度以降4年間に意図表明を行つていた信用供与のうちから,合計204億7,600万円のプロジェクト援助の供与を具体化することとした。

(iii) わが国は,73年末迄に技術協力として,2,145名の研修員を受け入れるとともに,1,084名の専門家を派遣,医療器具,地質調査器具などの機材を供与し,資源開発,農業開発,家族計画,医療協力等のための調査団を派遣した。なお,現在わが国がインドネシア政府との取極にもとづいて行なつている技術協力には,西部ジャワ食糧増産計画,西部ジャワのタジュム・パイロット計画,南スマトラ・ランポン州にこおげる農業開発計画などがある。

(5) ビ ル マ

(イ) 政治・経済情勢

(a) 73年におけるビルマの政治は,民政移管を目指して大きく進展し,74年3月には12年ぶりに民政が復活した。2年間にわたる民意の聴取に基づいて起草された新憲法草案は,73年12月の国民投票で,有権者の圧倒的多数(90%強)の支持を受けて採択され,この結果,74年1月4日からビルマの国名は,従来の「ビルマ連邦」から,「ビルマ連邦社会主義共和国」に変更された。ビルマは,東南アジア諸国中,社会主義国に属さない国としてはじめて,社会主義型の憲法を採択したわけである。

引続き,74年1月から2月にかけて,1院制国会である「人民議会」の総選挙が行われたが,3月2日に召集された人民議会に,革命委員会が国家権力を返還した。このようにしてビルマでは,12年に及ぶ軍政に終止符が打たれ,民政が復活した。

なお,共産党,少数民族反乱軍は,相変らず各地で小規模な範囲で反政府武力抗争を続けているが,その活動に目立つた点はない。ただし,タイで,反ネ・ウイン政府活動に従事していたウ・ヌ元首相が73年7月タイを離れ,米国に赴いたことは,ネ・ウイン政権の強化の一材料として注目される。

(b) ビルマ政府は,73年1月発表したヴィエトナム停戦に関する声明で,従来の自閉的中立政策からの転換を示唆する態度を打出したが,同年4月には,アジア開発銀行に加盟するとともに,10月東京で開催された第8回東南アジア開発閣僚会議にも初めて参加するなど,地域協力に対する積極的姿勢を具体化している。

(c) 73年に,ビルマ経済はいつそう困難の度を深めた。基幹産業である農業が,天候異変などの理由により,対前年比6%の減産と不振をきわめ,他方鉱工業生産も微増にとどまつた。このため,国内総生産は2.2%増と近年にない低成長率を記録し,1人当り国民所得は1.0%の減少となつた。このような困難に直面した政府は,73年10月,政府買上げ米価を大幅に引上げて,農民の生産意欲の向上を図るとともに,輸出および内需用米を確保するため,米の強制供出制度を導入した。74年の米作は好調で,米の輸出が回復する見込みであり,その後の国際米価の急騰状況もあり,74年のビルマ経済,特に国際収支はか なり改善されるものとみられている。

(ロ) わが国との関係

73年には,ネ・ウィン革命委員会議長が,4月から5月にかけ約2週間わが国を非公式訪問し,田中総理と会談したほか4月に,宮沢喜一衆議院議員を団長とする文化使節団が,また11月には国際交流基金派遣の宝塚歌劇団がそれぞれビルマを訪問するなど,両国交流は活発であつた。

(a) 貿 易 関 係

73年にわが国の対ビルマー次産品輸入が急増したため,二次産品価格の急騰とあいまち56年以来はじめて両国貿易がほぼ均衡するにいたつた。同年のわが国の輸出は5,641万ドル,輸入は5,284万ドルである。ビルマの全貿易に占める対目貿易の割合は,輸出入とも第1位である。わが国の輸出は,機械,金属が中心で,輸入は豆類,木材,鉱物が大部分である。

(b) 経済・技術協力関係

(i) わが国は63年締結したビルマとの経済・技術協力協定に基づき,65年から12年間にわたつて総額1億4,000万ドルにのぼる生産物または役務をビルマに供与することとなつており,これまで,トラック,乗用車,農業機械などの製造ブラントに対する協力を行つている。73年末現在の支払済額は,1億151万ドルで,履行率は72.5%である。

(ii) 72年8月,ビルマの重工業開発を目的とする201億6,000万円の円借款供与が合意され,73年6月から,実施された。

(iii) 73年2月,海底油田開発を目的とする30億8,000万円の円借款(アン・タイド)の供与が合意され,同年4月から実施された。

(iv) 73年7月,46億2,000万円の商品援助円借款供与が合意され,同年9月から実施された。

(v) 73年7月,精油所建設を目的とする70億円の円借款供与が合意された。

(vi) 技術協力の分野では,54年から73年末までの間に,石油,医療,科学関係の機材供与のほか,わが国から合計162名の専門家を派遣するとともに,ビルマ側から鉱工業,農水産関係の研修員360名を受入れた。

 

 

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