-資源・エネルギー問題-
第1章 国 際 経 済 関 係
73年の世界の石油・エネルギー情勢は何人も予想し得なかつたほどの波乱に満ちたものであつた。また,鉄・銅・ニッケル等の鉱産品価格も異常な程に高騰した。資源問題がこれほどまでに世間の注目を浴び,世界的な大問題となつたことはかつてなかつた。資源とくに石油・エネルギー資源について見れば,73年はまさに激動の年であつたと言えるであろう。
エネルギー危機到来の可能性とそれに伴う不安感は既に前年あたりから米国において問題とされていたところである。世界的なエネルギー需要の大幅な伸び,米国の国内エネルギーおよび石油の供給力停滞等の要因により世界の石油市場は明らかに買手市場から売手市場に転換した。OPEC(石油輸出国機構)加盟産油国による数次にわたる原油公示価格の大幅な引上げ,産油国直販原油を入手せんがための異常なまでの殺到,それに伴う入札価格のせり上げ等は,売手市場への転換を示すものであり,世界の石油輸入消費国にとつて,来るべき将来が容易なものでないことを暗示した。米国のニクソン大統領が第2次ニネルギー教書を発表し,「エネルギーの挑戦」に全力をもつて立ち向い,「これを克服することは米国民に課せられた国民的課題である」と強く訴えたのは,このような情勢下においてである。
他方,米ドル減価を理由とする原油公示価格の引き上げ攻勢に加え,サウディ・アラビアおよびアブ・ダビ等OPEC加盟の一部産油国は,72年末締 結されたリアド協定に基づき,国際石油会社の現地操業会社に対する事業参加を実現した。イラクのIPC(イラク石油会社)国有化に対する10年末の補償問題の解決,リビアによる米国系オクシデンタル社をはじめ西側大手石油会社7社の在リビア資産51%の接収等産油国側の激しい攻勢の前に国際石油会社の地位は低下した。また,石油消費国の多くは適確な対策を施す術もなく,ただ事態の推移を静観するほかないのが実情であつた。追いうちをかけるように全世界に衝撃を与えたのが第4次中東戦争勃発に伴うOAPEC(アラブ石油輸出国機構)による一連の石油武器化戦術である。アラブ諸国は対イスラエル戦争を有利に導くため石油を政治的武器として利用し,原油の生産削減,対米・蘭禁輸および英仏等特定「友好国」を除く諸国への供給削減を実施したのである。このような情勢の激変により石油輸入消費国は先進工業国・発展途上国たるとを問わず,石油不足が各国経済に深刻な影響を与え,国民生活を破滅に導く危険性さえあることを予見し,一種のパニック状態を現出した。産油国直販原油の暴騰現象はこの間の事情を物語つている。世界は石油・エネルギー危機の到来に恐れおののいたのである。これはわが国の場合においても例外ではなかつた。
わが国は11月22日の官房長官談話に象徴される中東外交の積極化,引き続く三木特使の中東諸国訪問の成果として年末に至りOAPECにより「友好国」と認定され,対日供給削限撤廃の決定を受けることになつた。この結果,わが国は当面の深刻な石油不足の状態だけは回避し得るとの見通しを得たのである。OAPECがわが国等一部友好諸国に対する供給制限を緩和したとはいえ,原油公示価格が中東戦争勃発当時の約4倍に引上げられた結果,問題は「量」から「価格」へと新たな展開を見せることとなつた。これはエ ネルギー高コスト時代の到来を意味し,石油輸入諸国の国際収支,物価,スタグフレーション,失業,産業構造問題,さらに新しい国際的な問題としては「オイル・ダラー」問題等困難な諸問題があいついで起きることが予想されている。資源問題は他の経済的諸問題と密接不可分の関係にあり,また,国際政治問題とも深く関連している。わが国の資源外交は,このような観点から,世界の政治,経済情勢を適確に判断しつつ慎重かつ積極的に推進することが今後一層必要となろう。
(1) 国際石油情勢
第四次中東戦争を契機とするアラブの石油戦略の展開は,石油の供給制限および価格の急騰となつて国際政治経済の各方面に大きな影響を与えた。しかもその影響は長期に及ぶものとみられ,国際石油市場に大きな構造変化をもたらしつつある。
(イ) OAPECによる石油供給制限 73年10月17日,第四次中東戦争の戦局が次第にエスカレートする中で,OAPECはクウェイトで緊急石油大臣会議を開催,石油を政治的武器として利用するため,石油の供給制隈に踏み切ることを決定した。その決定内容は,
(a) 10月から,9月における原油生産実績の5%を下回らない原油生産削減。
(b) 11月以降も,イスラエルが67年戦争で占領した全占領地より撤退パレスチナ人民の正当な権利の回復まで前月比の5%を下回らない比率の生産削減。ただし以上の(a)(b)は友好国には適用しないまた米国等には厳しい措置を勧告するというものであつた。
アラブ産油国による石油供給制限措置は,67年の「六日戦争」の際にも行われたが,当時は国際石油会社(メージャーズ)の力も強く,世界のエネルギー需要に占める石油の位置づけも今回のような重要性がなかつたことなどから失敗に終つた経過がある。
ところが,今回においては,これらの情勢が変化したうえ,アラブ産油国の結束もきわめて堅かつた。サウディ・アラビアは即日,10%の生産削減を決定し,イスラエルを支援する米国に対しては全面禁輸に踏み切つた。リビア,アルジェリア,クウェイトなどもそれにならい,この時点では,約580万B/Dの生産削減量に達している。
この間,中東戦争については,米国・ソ連二大国の調停工作が進み,10月22日,国連安保理事会で停戦決議が採択され,イスラエル,エジプト,シリアともにそれを受諾したが,石油供給制限措置は依然として続行された。
アラブ産油国は,それまで各国まちまちに供給制限措置を講じていた が,11月4日,クウェイトで石油大臣会議を開催し,対米,対蘭禁輸分を含め,産油量を一律25%カットとして足並みを揃えるとともに,12月にはさらに5%の追加カットを予告した。これによつて,アラブ産油国の総則滅量は約470万B/D~と若干緩和されることになつたとみられるが,この程度の緩和ではまだ国際的な石油需給に影響するほどのものではなかつた。
このなかで,産油国から友好国と見なされていた英・仏も,メージャーズによる原油配分政策の展開によって,必要とする原油の十分な確保は難かしいともみられた。
アラブ産油国による供給制限の影響は,11月に入り一段と厳しさを増し,西独,蘭などの西欧諸国,日本はもちろん,米国においても石油不足が明らかとなつた。
11月6日,EC 9カ国は外相会議を開催,現在イスラエルが占領して いるアラブ領土からの撤退を求める国連安保理決議242を支持することを中心とする共同声明を採択し,イスラエルの譲歩を要請した。ECのこのような動きに対しアラブ産油国は11月18日,ウィーンで緊急石油大臣会議を開催,ECの声明を好意的姿勢と受けとめ,25%の一般的生産削減は続行しながらも,蘭を除くEC諸国(ただし英・仏はすでに友好国)に対しては12月に予定している5%の追加カットを免除することを決定した。このような情勢の中にあつて,11月22日,わが国も中東問題に関する官房長官談話を発表した。それは国連安保理決議242を支持する従来からのわが国対中東外交を踏まえ,
(イ) 武力による領土の獲得および占領の許されないこと。
(ロ) 67年戦争の全占領事からのイスラエル兵力の撤退。
(ハ) 域内のすべての国の領土の保全に対する尊重とそのための保障措置の必要。
(ニ) 国連憲章に基づくパレスチナ人の正当な権利尊重。
の四原則を骨子とするもので,中東における永続的な平和の達成を期待するものであつた。
わが国は以上の声明に示されるわが国中東政策に対するアラブ諸国の理解を求め,これら諸国との友好関係の強化をはかるため中東地域に三木特使を派遣した。特使は12月9日から・サウディ・アラビア・クウエイト,エジプト等を訪問,わが国とこれら訪問国との友好協力関係を強め,後に述べる石油供給制減緩和の結果をもたらした。なお,三木特使に次いで,わが国は年が明けてからアルジェリア・リビア等三木特使が訪問できなかつたアラブ8カ国に,小坂特使を派遣し,これら諸国との相互理解を深めた。
国際的な注目をあつめていた中東和平会議は,開催日の延期などの曲折を経て,12月21日,ジュネーヴで開催され,中東問題の解決へ一歩前進がみられた。
この情勢をみて,12月25日,アラブ産油国はクウェイトで会議を開催し,日本,ベルギーに対し「削減措置の全面的適用を除外される特別待遇を与える」ことを決定するとともに,一律25%カットを15%カットに緩和すると発表した。
アラブ産油国のこの緩和決定は石油の量的不足から経済的に大きな打撃を受けつつあつた先進工業国にとっては大変な朗報であつた。産油国がこの決定を行なつた背景には,アラブ産油国の石油生産削減が国際経済社会に与えたインパクトが予想以上に深刻で,開発途上国はもちろん産油国自身をも巻き込みながら,急速に広がる形勢にあつたことがあげられよう。またこの決定は,原油価格の大幅引上げに対する国際世論の反発をそらすことを考慮したものとする見方もあつた。
この段階におけるアラブ産油国の総削減量は約290万B/Dと推定されている。
74年に入つても,アラブ産油国の石油供給制限は続けられた。この中で,昨年末開始されたジュネーヴ和平交渉を経て,1月17日,スエズ地域におけるエジプト,イスラエル両軍の引き離し協定が結ばれた。これによつて,アラブ産油国による対米禁輸の解除が予想された。
アラブ産油国は3月に入り,13日,トリポリで対米禁輸解除を中心とする会議を開催したが,決定にいたらず,次いで17・18の両日,ウィーン会議を開催,結局サウディ・アラビア,クウェイトなど大勢としては対米禁輸解除を決定した。しかし,リビア,シリア,イラク(会議欠席)は強硬路線のまま対米禁輸解除に同意しなかつた。アルジェリアは一応条件付きで解除を認めた。
これによつて,昨年10月以降のアラブ産油国による石油供給制限措置は次第に落ち着く傾向を見せつつある。この対米禁輸解除によつて,サウディァラビァ一国だけでも約100万B/Dの増産が見込まれており,7ヶ国を合計すると約250万B/Dの増産になると推定されている。この結果,アラブ産油国による石油供給量は,ほぼ,昨年9月水準(2,050万 B/D)に回復するとみられる。
(ロ) OPECによる原油価格引上げ
OAPECによる石油供給制限の下で,産油国はOPECを中心に原油価格の再度にわたる急激な引上げを行なつた。石油の量的不足下で,その対応に大わらわであつた世界各国は,原油価格の急騰による新たな衝撃を受けることになつた。
73年1月には,アラビアン・ライトで1バーレル当たり2.59ドルであつた原油公示価格が,そのわずか1年後には11・651ドルヘと約4.5倍に急騰した。これによつて市場価格も湾岸FOBで,1バーレル約2ドルから約8.30ドルになつている。
(a) 原油公示価格70%の引上げ
9月15・16の両日,OPECはウィーンで臨時総会を開催し,71年2月OPECとメージャーズとの間で締結されたテヘラン協定の改訂交 渉を行なうことを決議した。テヘラン協定見直しの必要性については既にとり上げられていたところであるが,その時期が予想以上に早く到来した。テヘラン協定の有効期間は71年から75年12月までであるから,なお2年間以上を残してその再検討を迫られたわげである。
9月27日に発表された決議内容では,テヘラン協定の価格決定方式は最近の世界的なインフレの実情などからみて適切ではなくなつたと指摘している。この決定に従つて,10月8日,ウィーンでOPEC湾岸6カ国とメージャーズとの価格交渉が始まつたが,産油国の主張とメージャーズ提案との間には大きな隔りがあり話し合いは平行線に終つた。折しも中東戦争が起き,事態は原油価格問題ではなくなりつつあつた。両者の話し合いは2週間の猶予期間をおいて再開される予定であつたが,10月16日,OPEC湾岸6カ国はクウェイトで石油大臣会議を開催し,現行公示価格の70%アップを中心とする決議を一方的に発表した。これによつて原油公示価格はアラビアン・ライト原油で1バーレル3.01ドルが5.12ドルヘ上昇した。この価格引上げのもつ最大の意味は,それまで産油国と石油会社との交渉によつて決められてきた原油価格が,産油国により一方的に決定されたことである。
この大幅な原油価格引上げは,石油供給制限措置と重なり,黙過された。これとともに,DD原油価格の異常ともいえる高騰化がみられた。すなわち,11月に行なわれたチュニジアのDD原油価格は12.64ドルという驚異的価格で,史上初の10ドル台原油を現出させた。次いで12月14日のイランDD原油は17ドル台となり,12月末のリビア,ナイジェリアDD原油はついに20ドル台に達した。
(b) 原油公示価格130%の再引上げ 12月22,23日の両日,テヘランでOPEC湾岸6カ国の閣僚会議が開かれ,中東原油の公示価格の基準となつているアラビアン・ライト原油について10月決定の5.12ドルから11.651ドルヘ2倍以上に引上げる決定を行ない,その実施を74年1月1日とした。
これによつて,国際石油問題はその焦点が量から価格へと移行し た。産油国によるこのような原油価格の急激な引上げは,国際経済社 会に著しい悪影響を与えることになる懸念がもたれた。
この中で,年が明けた1月7日から9日,OPEC12カ国はジュネー ヴで会合,価格引上げ問題について全体としての調整を行ない,基準となつているアラビアンライト原油公示価格11.651ドルを改めて確認するとともに,この水準を74年第1四半期も据え置くことを決定,この間に新原油公示価格について検討することとした。ところがその後OPEC加盟国内においても,価格水準について意見の喰い違いがみられるにいたつている。サウディ・アラビアは,あまりに急激な価格引上げが国際経済社会に強い悪影響をもたらしつつある点を懸念し,価格を引下げる方向で検討する必要があるという考えを明らかにした。しかし,イランをはじめアルジェリアなどはサウディ・アラビアの価格引下げの動きには反対の意向を明らかにしていた。この情勢の中で,3月16・17の両日,OPECはウィーンにおいて石油大臣会議を開催し価格問題を検討したが結局は現行の原油価格を4~6月の3カ月間据置くという決定を行なつた。会議の議長をつとめたアムゼガール・イラン蔵相は,今回の据置き決定は産油国の「工業国に対する好意によるもの」とし,最近の工業国における加速的インフレが抑制されなければ原油価格も押えることはできないと述べている。
(c) 産油国の事業参加・国有化
OAPEC,OPECの特徴的な動きに加えて注目されるのは,リビア,イラク等産油国による事業参加,国有化の著しい進展である。すなわち73年5月にはリビア政府が,米国の「親イスラエル」政策に反対するという理由で,米国系のインディペンデント,B・ハント社のリビアにおける資産の完全国有化を一方的に決定した。次いで8月半ば,リビア政府は同じく米国系インディペンデント,オクシデンタル社および米国の3インディペンデントとメージャーのシェルにより構成されるオアシス・グループとの間で,「話し合い」による51%事業参加を発表した。このようなリビア政府の動きに対して,サウディ・アラビア等湾岸産油国への影響をおそれ,ニクソン,テキサコ等リビアに資産をもつメージャーズは強く反発した。
ところが,9月1日,リビア政府は立法措置により,抵抗するメージャーズのリビアにおける資産の51%国有化を実施している。
一方,イラクは10月に入つてから,アラブ・イスラエル紛争の背景のもとに,イラク第2位の産油会社 BPC のエクソン・モービル持分23.75%,次いでオランダ系ロイヤル・ダッチ・シェル持分14.25%,合計38%を接収し,12月にはポルトガルの持分も接収した。
このようなリビア,イラクの動きによつて,サウディ・アラビア,クウェイト等も72年12月にメージャーズとの間でまとめた漸進的事業参加を指向する「リヤド協定」改訂の気運となり,11月に入るとサウディ・アラビアは,世界最大の産油会社アラムコに対する事業参加べースの見直しを始めた。クウェイト政府も一挙に60%の事業参加を要求し,BP,ガルフ等メージャーズとの交渉に入つている。クウェイト政府の60%事業参加交渉は74年1月末には一応協定の署名にまでもちこまれた。
以上のような事業参加,国有化の急進展は,DD原油増大,二国間取引の積極化などにつながり,長期的にはメージャーズの機能の変化をもたらすことにもなろう。
73年は中東戦争を契機として,国際石油情勢の画期的転換の年となつた。産油国のメージャーズに対する優位性が確立するとともに,石油の量,価格の条件は1年前と様相を一変した。このような石油情勢の激変によつて,国際経済社会は物価上昇の加速化,急増するオイルダラーの国際通貨問題への影響,産油国を除く各国国際収支の圧迫,なかでも開発途上国経済への深刻な打撃など多くのインパクトを与えられることとなつた。
(2) 消費国の動向
OAPECによる石油供給制限の影響は,11月に入るとともに西欧,日本は勿論,石油自給率の高い米国においても現われ始めた。それとともに石油消費規制措置を検討し,11月下旬から12月初めにかけて,蘭・西独等相次いで日曜ドライブ禁止,自動車速度制限等の実施に踏み切り,国によつてはその後の情勢次第で配給制まで検討する動きがみられた。しかし,12月下旬,前述のようにOAPECの石油供給制限は次第に緩和の兆候がみられ,74年初頭より各国とも消費規制を緩める方向にある。
ところが,原油の価格高騰は問題として後に残ることとなつた。先進工業国はいずれも物価上昇の加速化,国際収支問題,通貨問題への影響等々の検討にせまられることとなつた。
12月12日,キッシンジャー米国務長官は,主要なエネルギー消費国が協力して以上の如き産油国の動きに対応していく必要があるとの認識から「エネルギー行動グループ」の設立を提案した。これに対して,産油国は消費国が連合して産油国に対抗する動きの現われとして警戒する見方もみられた。一方欧州・日本等消費国も,産油国と対立摩擦をおこすような方法では国際石油エネルギー問題の解決にはならないという考えであつた。
このような情勢の中で,74年1月9日,ニクソン大統領は欧州諸国,日本等の首脳に対し,ワシントン・エネルギー会議開催を提案し,2月11日 から13日の3日間にわたり,ワシントンにおいて,ワシントン・エネルギー会議が開催される運びとなつた。本会議では,本会議後のフォローアップのための機構たる「調整グループ」設置二国間取引などに関して,米国と仏との鋭い対立がみられたが,結局17項目に及ぶコミュニケを採択して終了した。しかし,仏はコミュニケ中の「調整グルーブ」設置等に関して はその承認を拒否している。その後「調整グループ」は仏の参加がないまま,今回の石油危機発生後の具体的検討課題を取り上げ,OECD,IMF等と緊密な連係をはかりつつ,ワシントン,ブラッセルにおいてすでに数回の会合を行なつている。
消費国側の上記のような動向に対して,74年1月30日,アルジェリア・ブーメディエンヌ大統領は,ワルトハイム国連事務総長に対し,単にエネルギー問題というアプローチではなく,原材料および開発問題という視点から国連の特別総会の開催を要請し,4月9日からニュー・ヨークで約3週間にわたる「国連資源特別総会」が開催されることとなつた。
(イ) 価 格 動 向
73年前半から,世界経済の好況とインフレ,投機的仮需要,さらには通貨変動等の要因が重なり,鉱物資源は全般的な需給逼迫と価格高騰を示し,この傾向は一次産品全般に及んだ。
その後,秋口にかけて,先進工業国経済の鈍化から,価格急騰はやや鎮静化したものの,石油問題の発生後は,「資源」が見直され,輸出国の強気もあって高値が続いている。
ほとんどの鉱物資源はこの1年間に倍程度の値上りをみせ,特に銅,鉛,亜鉛,錫,金はいずれも2~3倍,鉄,石炭(原料炭),銀も倍近い高騰を示している。
今後の動向については極めて見通し難であるが,鉱物資源に対する先進工業国の輸入需要の減退,ストックパイルの放出等により,需給は全般的にやや緩和し,価格は弱含みになると考えられるが,経済は沈滞してもインフレは抑制されず,またOPEC,OAPEC等の動きに刺激され,鉱物資源保有国においても類似の生産国機構設立の気運も高まっており,大幅な値下りの可能性は薄いといえよう。
(ロ) 資源保有国の動向
63年の第17回国連総会で決議された「天然資源恒久主権」は資源保有国の政治的独立から経済的独立を推進し,その後の資源ナショナリズムの過程では2つの流れがみられた。ひとつは単一国による外国資本活動の制限であり,これは,高税率賦課,加工度向上要求,インフラ投資の要請,利潤の本国送金の制限,再投資の義務付け,休眠鉱区の没収等により漸次既存資本の国有化を目指すものである。このような傾向はアフリカ,中南米諸国において顕著である。さらには多数国による共同歩調があり,これには,(a)生産国あるいは輸出国機構の設立,(b)消費国をも含めた商品協定締結等がある。
(a) については68年のCIPEC(銅輸出国政府間協議会)設立があり,72年にはチリ,ペルー,ザイール,ザンビアに加えてボツワナ,ウガンダの参加もあり,石油のOPEC OAPECとともにその動向が注目されている。この1年は銅価が高水準を保つているため,CIPECは表立つた動きを見せていないが,昨年末からOPECと連携を深め,現在,共同声明を検討中とも言われている。加盟国のうち,チリは昨年アジェンデ社会主義政権が軍部クーデターにより崩壊しており,今後CIPECにおけるチリの動向が注目されよう。ペルーでは本年1月,従来からの懸 案であつた,セロデパスコ社の接収を実施した。これは従前のような休眠鉱区の接収と異なり,稼行中の大企業の接収であり,今後の補償問題も含めて重大な関心が寄せられている。またザンビアでは昨年9月国営販売会杜が設立され,それまでのAACグループ,AMAXグループとの販売およびマネージメント契約を廃棄するという措置がとられ,新たな 紛糾を呼ぶとみられている。ザィールのモブツ大統領は昨年11月ザィー ル経済におけるザィール支配強化策を発表したが,その中には,銅鉱山の50%シェアーの国有化,現地製錬の義務化等が含まれており,国有化への第一歩を示すものと考えられている。
銅以外の鉱物資源産出国の動向としては,ボーキサイト生産国機構(IBA)の設立が挙げられる。
これは73年11月ユーゴースラヴィアのベオグラードで開催された第1回ボーキサイト生産国会議が端緒となり,続く74年3月ギニアのコナクリで開催された第2回ボーキサイト生産国会議により発足したもので,参加国はジャマイカ,ガイアナ,スリナム,ギニア,オーストラリア,ユーゴースラヴィア,シェラレオーネの7カ国で主要ボーキサイト生産国を網羅している。その目的は,「消費国の利益に留意しつつ,加盟国に経済開発のための正当な利潤を確保すること」であり,輸出禁止,価格引上げ等を含まない穏健な機構とされており,その影響力についてもボーキサイト資源の特殊性から,代替性,国際アルミ資本の制約等があり,極めて重大な事態との見方はとられていない。
またこの外ではウラン鉱,水銀鉱,硫黄,マンガン鉱等の資源分野で生産国間会議が持たれている。
このように鉱物資源保有国は,石油戦略に刺激を受け,今後も類似の生産国会議を開催し,国際資源カルテルを形成してゆく傾向にあり,資源ナショナリズムが新な段階に至つたものと言えよう。
(b) については,国際錫協定(現行の第4次協定は76年6月30目まで有効)に基づいて設立されている国際錫理事会が錫の需給および価格安定に努力している。しかし,ここ1年の高値推移により,価格安定の効果については疑問が持たれている。
錫以外の鉱物資源については,現在,国際商品協定は締結されていないが,鉛・亜鉛では国際鉛・亜鉛研究会,タングステン,マンガン,燐ではUNCTADの小委員会が貿易の自由化,価格政策等の検討を主目的としてそれぞれ設置されており,消費国,生産国を含めたメンバーで構成されている。