-各国との関係の増進-
第6節 各国との関係の増進
71年から72年にかけて,アジアをとりまく情勢は「対決から対話」へ向 つて大きく転換した。73年には,ヴィエトナム停戦協定が成立し,またラオス和平協定実施に関する議定書が署名される等,対話への雰囲気はさらに促進された。
しかし,その後,インドシナにおける平和の定着は思うように進まず,アジアをめぐる大国関係は依然流動的である。またアジア地域自体においてはまだ随所に幾多の不安定要因が存在している。わが国としてはこのようなアジアの内外情勢に留意しながら,平和と安定がこの地域で定着することを念願して体制の異る国を含め,アジア諸国およびアジアに影響力をもつ世界の各国との間に積極的な関係を積み重ねる努力を行つて来た(たとえば,73年9月には北越と外交関係設定)。またアジア諸国の多くが発展途上の過程にあり,経済,社会基盤が脆弱であることが潜在的不安定要因となつているので,これら諸国の自主性を尊重しながら,その国造りに側面から貢献するため,経済協力の質・量の改善にもつとめて来た。
他方,わが国の急速な経済的プレゼンスの巨大化,進出企業のあり方,邦人のビヘイビア等をめぐりアジア地域の一部においては対日批判が強まりつつある。この問題は,国民性の相異,現地国における内政上の問題等を含む複雑な要因や背景が絡み合つているが,わが国としては正当な批判に対しては謙虚に耳を傾け正すべきは正さなければならない。そのさい問題の性質を考慮しながら相手国政府とも相協力しつつ,長期的視野に立つて冷静な態度で忍耐強く対処して行く必要がある。
日韓関係は65年の国交正常化後おおむね,順調に推移してきた。
例えば貿易は,65年当時往復約2.2億ドルであつたが,73年は約30億ドルに達し(韓国はわが国にとつて5番目の貿易相手国)わが国からの投資も近年著るしく活発化している。このような民間べースの経済交流は,両国経済の発展に資するものであるが,そのほか,わが国は韓国の均衡ある経済成長と国民福祉の向上を目的とする政府べースの経済協力を行い,相当の成果をあげている。
経済面での交流に加えて日韓間では,政府レベルでは定例の閣僚会議,貿易会議,漁業共同委員会等の場での意見交換および民間レベルでのスポーツ,学術等の交流を通じて,両国間の相互理解と友好善隣関係を増進してきた。
しかし,このように緊密度を加えている日韓関係においても,問題がない訳ではない。73年8月,韓国の前大統領候補である金大中氏の誘かい事件が発生し,国民の大きな関心を呼んだことは記憶に新しい。この事件について,政府は,内外の納得のゆく解決をはかり,金大中氏の人権問題を重視するとの立場で対処し,11月,外交問題としては一応の結着をみた。この事件を契機として日韓関係のあり方について様々な角度から論議が行われたことは注目を要しよう。その中には,事実認識に欠ける論議も見受けられたが,いずれにせよ,12月の日韓閣僚会議で確認されたとおり,日韓間には国民同士の相互理解が必ずしも十分でなく,これをさらに深めることが今後の大きな課題となつている。
わが国は北朝鮮とは国交がなく,国交を開くことは現在のところ考えていない。わが国が北朝鮮に対する政策を急速に転換することは微妙な南北両鮮間の関係に相当の影響を及ぼすと考えねばならず,わが国としては,南北関係の今後の推移と社会主義諸国が今後韓国との交流を開始するかどうか等の国際情勢を慎重に見守つて行く必要がある。しかし,北朝鮮との間の文化,スポーツ,経済等の分野における交流は近年相当拡大しており(73年の往復貿易は約1.7億ドル),このような交流は今後とも積み上げてゆく方針である。
(イ) 外交基盤の充実
72年9月の日中国交正常化を受けて新しい対中国外交を展開するにあたり,わが国はまず,日中間の外交チャンネルを開設することから着手した。日中共同声明の第4項には,双方はそれぞれ相手国の首都に大使館を設置しできる限り速やかに大使を交換することを表明しているが,わが国はこの方針に沿い,1月11日に在北京大使館を開設,3月末には小川駐中国大使を北京へ派遣した。
その後も,大使館の機能強化につとめ,12月現在,わが方在北京大使館の館員数は大使以下総勢30名を超えるに至つている。
(ロ) 各種実務協定の締結促進
わが国は国交正常化以来,日中間の人的,物的交流と各種実務関係の基礎をなすものとして,貿易,海運,航空,漁業等の実務協定の締結促進に全力を注いで来た。第一にそのトップを切つて貿易協定が74年1月 5日,北京で大平外務大臣と姫外交部長との間で署名された。これにより,日中間の貿易は長期的,安定的基礎の上に運営されることになつた。
日中航空協定については,3月および4月の2回にわたり,日本政府代表団が訪中し中国側と予備交渉を行ない,その後は在北京大使館を通じて中国政府と話し合いを行なつて来た。74年1月の大平外務大臣訪中に際しても中国首脳と航空協定に関する協議を行なつた。
漁業協定および海運協定のうち,後者については日中間で案文の骨子が交換され,また漁業協定との関連では,6月下旬,北京において日中漁業専門家会議が開催され,東海,黄海の資源状況等につき,日中間で,協定交渉の前段階ともいうべき話し合いが行なわれた。
(ハ) 各種交流の促進
日中両国の友好関係を促進するためには,相互理解を深めることが不可欠との認識に立ち,わが国は政府,民間を問わず各種分野での人の交流,物の交流,種々の催し物の開催を積極的に進めて来た。今後も,できるかぎり広範囲にわたつて両国間の交流を活発に推進し,双方の理解を深めることを通じ,日中関係の一層の発展に努めて行く方針である。
73年中のわが国のインドシナ地域に対する外交活動のなかで,特筆すべきものとして以下のものをあげることができよう。
(イ) 北ヴィエトナムとの外交関係設定
わが国は,73年9月21日,ヴィエトナム民主共和国(北ヴィエトナム)との間に外交関係を設定した。今後両国間関係を発展させることにより,インドシナ地域の平和と安定に寄与することを期待しており,そのためにも双方がそれぞれの首都に大使館を開設することが望ましいと考えている。わが国は所要の国内措置を終了しているが,北越政府より大使館々員の受け入れにつき回答がないため,74年3月末現在,まだ実館設置に至つていない。(在ラオス日本国大使館が現在北ヴィエトナムを兼轄している。)
(ロ) インドシナ緊急援助
わが国は,かねてからインドシナ和平実現の際には,この地域の戦後復興と開発のため応分の援助を行うとの意向を内外に表明してきたが,73年1月27日,同2月21日にそれぞれヴィエトナムおよびラオスの和平協定が成立したことに伴い,73年度補正予算(73年12月14日成立)で合計108億円のインドシナ緊急無償援助予算を計上し,これを具体化することとなつた。74年3月末,南ヴィエトナムに50億円,ラオスに8億円の緊急無償援助を供与するための具体的取極が締結されている(南ヴィエトナムについてはこれとは別に74年3月末,約82億円の商品援助借款が供与された。)
(ハ) 国際赤十字を通じての人道援助
インドシナ地域における難民・戦争被災者等に対する救援活動の効果的実施を目的とする国際赤十字のインドシナ救援グルーブ(I.O.G.)に対し,わが国は73年3月,10月にそれぞれ5億円の現金拠出を行つた。IOGは人道的立場からインドシナ地域全体を対象に救援活動を行なつている。
わが国と南西アジア各国との関係は,これまで経済および経済・技術協力関係の進展を基礎に良好裡に推移している。
わが国は,この地域の安定と発展を希望し,このためにできるかぎりの協力を行つている。他方,南西アジア地域内の諸国間関係はインド・パキスタン間の対立関係を中心に複雑なものがあるが,わが国としては,この地域のいづれの国とも友好関係を維持増進することを望んでいる。
73年において,わが国は上記の考え方に基き,南西アジア諸国との友好親善関係の増進をはかるため主として次のような外交努力を行つた。
(イ) インドとの関係では,73年1月,わが国はスワラン・シン・インド外務大臣を公賓として迎え,同外務大臣との間で日印両国関係増進のための方策を話し合つた。続いて5月,東京で第8回日印事務レベル定期協議が開催された。また,わが国は73年度においてインドに対し,約70億円の商品援助および約110億円のブロジエクト援助供与を約束するとともに,約150億円の円借款債務繰延べを行つた。
(ロ) パキスタンとの関係では,73年11月,イスラマバードで第3回日・パ事務レベル協議が開催された。また8月パキスタンに発生した洪水による災害救済のために,日本赤十字杜を通じて1億円相当の救援物資を贈与した。さらに12月,約64億円の円借款債務の繰り延べを行うとともに第11次円借款の供与についての協議を開始した。
(ハ) バングラデシュとの関係では,73年10月,ラーマン・バングラデシュ首相を公賓として迎え,同首相との間で今後の両国関係促進の方策について話し合つた。続いて74年1月,永野重雄日本商工会議所会頭を団長とする政府経済使節団をバングラデシュに派遣した。また,73年度においてバングラデシュに対し日本米9万トン(約52億円)を延払輸出するとともに,90億円の円借款(商品援助)をこれまでわが国が認めた中で最も緩和された条件で供与することを約束した。
(ニ) さらに73年8月,捕虜等の相互送還に関するデリー協定が印・パ間(バングラデシュも合意)に成立したことを歓迎するとともに,同協定に基くパキスタンおよびバングラデシュの難民の相互送還を援助するため,米貨百万ドルを国連難民高等弁務官に拠出した。
(ホ) スリ・ランカとの関係では第8次円借款として35億円の供与を約束するとともに,1億5千4百万円のKR食糧援助および訓練用漁船購入費として9千5百万円の贈与を行つた。
大洋州地域は,先進国家(豪州およびニュー・ジーランド)と開発途上の島嶼国家(フィジー,西サモア,トンガ,ナウル)の諸国家から成つているが,わが国としては同地域が広くアジア・太平洋地域の一部としてわが国にとつて,経済,政治その他の分野で重要な地位を占めるとの認識の下に,幅広い友好協力関係の促進に努めている。
73年は,豪州およびニュー・ジーランドの労働党政権発足後最初の年であつたが,これら両国のアジア重視政策が積極的に展開されたこともあり,わが国との関係が一層強化された。
5月に皇太子・同妃両殿下が豪州およびニュー・ジーランド両国を訪問され,わが国とこれら両国との友好親善関係が促進された。10月にはウイットラム豪州首相が公賓として来日し,わが国首脳と会談したほか,同首相に随行した4閣僚の参加を得て,第2回閣僚委員会が東京で開催された。なお,ウイットラム首相と田中総理との会談の結果,日豪両国関係の基本原則を確立するための包括的条約を締結する交渉の開始が合意された。
73年には,4島嶼国家のうち,西サモアおよびトンガについて,駐ニュー・ジーランド大使をこれら両国大使(兼轄)として任命し,この結果,わが国は大洋州地域の全ての独立国に大使館(兼館を含む)を設置することになつた。
大洋州地域で今後注目すべきものとして,73年12月1日に豪州の施政下で自治を達成したパプア・ニューギニアの動向が挙げられる。パプア・ニューギニアは早ければ74年12月にも独立することが予想されるが,わが国の経済協力およびわが国との関係強化に期待を寄せており,わが国としても73年2月,ソマレ首席大臣を招待するなど同地域との友好協力関係の促進に努めている。
73年10月における第四次中東戦争は世界に大きな波紋を投げ,わが国と中近東地域との関係にも種々の影響を与えた。第四次中東戦争の原因は,67年 の第三次中東戦争後,6年以上の日月が経過し,この間,国連安保理決議242の採択,ヤーリング特使の調停活動,四大国外相会議,ロジャーズ提案等和平に対する種々の試みがなされたにもかかわらず,紛争それ自体になんらの解決がはかられなかつたことにあるといえよう。
わが国は,67年の第三次中東戦争ののち同年10月の安保理議長国として安保理決議242の成立に尽力し,71年以降は西欧諸国にさきがけてパレスチナ人の平等と自決権を認める決議案を毎年の国連総会で積極的に支持する等,中東紛争の公正,垣久的,かつ速やかな解決を切望してきた。第四次中東戦争の勃発に際しては,累次の政府声明等により一日も早い戦火の収拾を望むと ともに中東紛争に対するわが国政府の立場を明確に内外に表明した。特に11月22日の官房長官談話では,従来安保理決議242の解釈が国際的に一定していなかつたことがその全面的実施の障害となつてきた事実にもかんがみ,安保理決議242に対するわが国の解釈をも含め,中東紛争解決のために守られるべき原則として
(イ) 武力による領土の獲得および占領の許されざること
(ロ) 67年戦争の全占領地からのイスラエル兵力の撤退
(ハ) 域内のすべての国の領土の保全と安全が尊重されねばならず,このた めの保障措置がとられるべきこと
(ニ) 中東における公正,かつ,永続的平和実現にあたつてパレスチナ人に 国連憲章に基づく正当な権利が承認され,尊重されること
の4つをあきらかにした。
このように中東紛争に対するわが国の態度を再確認するとともに12月には政府特使として三木副総理を,74年1月から2月にかけては特派大使として小坂元外相を,中近東16カ国に派遣した。両特使派遣の目的は中東紛争に対するわが国の立場を各国首脳に説明して理解をうるとともに各国の事情をも十分に聴取し,中東紛争解決に貢献する道を探究すること,これら諸国とわが国との友好親善関係を長期的観点から確保することにあつた。
このように中東における平和の到来を望む国際社会の一員としての務めをはたす一方,現実に中東和平に大きな影響力を及ぼす立場にある米国,ソ連,国連に対して,和平への積極的努力を強く訴えてきた。三木特使は中東8カ国訪問からの帰国直後,米国と国連を訪問して重ねて和平への調停努力を要望した。
三木,小坂両特使の中東諸国訪問と前後して,これら諸国とわが国とのハイレベルでの要人の往来もさらに活発化し,12月には,アラブ首脳会議の決定を受けてハッダーム・シリア外相,パチャチ・アブダビ内閣国務相(アラブ首長国連邦外相代理として)が,74年1月にはOAPEC使節団としてアブデッサラム・アルジェリア工業エネルギー相,ヤマニ・サウディ・アラビア石油鉱物資源相が,同2月にはハテム・エジプト副首相がそれぞれ訪日し,わが国首脳と意見を交換した。以上のような人事交流とともに文化面における交流,経済技術面における協力も着実に進展している。74年には従来の15公館に加えてアラブ首長国連邦,ジョルダン王国の双方にわが国の大使館が開設されることとなつており,また73年以降東京にカタル,モロッコ,スーダン,アラブ首長国連邦,ジョルダンの各大使館が設置された。
中東諸国とわが国との間の外交関係も中東地域に対する世界的な注目の増大とともに今後ますます強化されてゆく方向にある。
他方,目をアフリカ(サハラ以南)に転ずると国際社会においてアフリカが果している役割の飛躍的増大が注目される。各種の国際会議の場,あるいは資源問題等をめぐり,最近のアフリカ諸国の活動ぶりは目をみはるものがあり,これにともないわが国国民のアフリカに対する関心も一段と強まつている。また,わが国の国際的地位上昇および経済力の充実とともに,アフリカ諸国のわが国に対する期待感も著しく高まつており,このような情勢を背景にしてわが国は対アフリカ外交を一段と強化し,わが国とアフリカ諸国との関係も全体として急速に拡大,増進した。
アフリカの政治問題の中で最も重要なものの一つは人種差別,植民地主義をめぐるいわゆる南部アフリカ問題であるが,わが国はこの問題に対していかなる人種差別,植民地主義にも反対するとの基本的立場を明確に打出し,国連等の場でこの立場を表明するとともに,各種の関連国連決議の趣旨に従い必要な措置をとることに努力している。
経済,社会開発は現在アフリカ諸国が直面している最大の問題であり,緊急に解決を迫られている問題の一つである。わが国はこの点を十分理解し,対アフリカ経済協力の強化に努めてきた。この結果わが国とアフリカ諸国との経済協力関係は一段と増進し,73年から74年はじめにかけて合計約600億円に上る円借款供与がアフリカ諸国との間に取決められた。また干ばつに悩むサハラおよびエティオピアの住民の救済の為に人道的見地から緊急援助が供与された。
貿易も急速に拡大したが,わが国経済とアフリカ経済の相互補充性,依存性は広く認識されているところであり,貿易の一層の拡大が期待されている。
アフリカ諸国との関係の増進のためには外交チャネルの拡大,強化が極めて効果的であり,わが国は73年1月リベリアに,74年1月中央アフリカに大使館(実館)を設置した。一方,73年12月にはウガンダが東京に大使館(実館)を開設した。
人的交流による相互理解もアフリカ諸国との関係強化のために不可欠であり,73年にはアフリカの指導者の訪日が相次いだ。モーリシァスのラングーラム首相の他,マダガスカルのラチラカ外相,ザイールのヌグーザ外相,リベリアのトルバート蔵相等多数の閣僚級人物が来日し,わが国に対する認識を深めた。
(イ) 日米関係全般
政治,経済,貿易,文化,科学等あらゆる分野にわたり,他のいかなる国との関係にもまして緊密な日米関係を維持増進することは,わが国の外交の基軸となつている。
沖縄返還,日米貿易収支不均衡問題等の解決により,現在日米間に大きな懸案はなく,今や両国関係は,単に二国間の案件を処理するにとどまらず,「世界の中の日米関係」との見地に立つて,エネルギー・資源問題,新国際ラウンド,国際通貨問題,対開発途上国協力等の広範な国際間題に関し,両国の共通の課題および役割を探究していくという成熟した関係に発展してきている。日米関係が新しい発展段階に入つたことは73年夏の総理訪米の際に,両国の首脳間で確認されている。
また,日,米,欧等先進工業民主主義諸国間の盟邦関係の今後5年ないし10年間の指針を共通原則の宣言の形で明らかにしようという,いわゆるキッシンジャー構想に関して,わが国は,共通の価値観,政治理念,社会体制を有し,かつ,政治,経済等の分野で共通の問題を抱えている日,米,欧諸国の今後の協力を考慮し,本件構想に関し,米国および欧州と緊密な協議を行なつてきている。両国とも国際秩序の安定という共通目標をもつているがこの目標を達成するためには時には各々異なる道を選択することがあり得るとの理解が両国間にできている。このような理解に立つて72年9月には日中国交正常化が達成されまた中東紛争についても,73年11月のキッシンジャー国務長官の訪日の際の話合い等を通じ両国は中東和平の早期実現という共通目標をもちつつも,両国のおかれた立場の相異から各々異るアプローチをとり得るとの認識をもつている。今後ともわが国は,両国間の対話の広がりと深まりを背景にして,「世界の中の日米関係」を益々充実したものとして行くことが重要である。
(ロ) 日米経済関係の概要
(a) 73年の日米経済関係において生じた基調の変化の第一は,日米間貿易収支不均衡の大幅な改善であろう。
米国側41億ドル(米側センサス・べ一ス)の赤字であつた72年の日米貿易の不均衡は,73年において大幅な改善を示し,年間で米側13.3億ドルの赤字に縮少した。これは72年に比べ27.8億ドルの改善である。
わが国は,73年対米貿易において13億ドル余の出超を記録したが,米国のグローバルな貿易収支自体が73年において急速に改善したこともあり(72年は64億ドルの赤字であつたが,73年に17.6億ドルの黒字),米国における対日不満,批判等は徐々に弱まつていつた。
(b) 資本取引の面では,72年から73年の前半にかけて,(イ)わが国の外貨準備の急増,(ロ)円の切上げとフロートによる円の在米資産購買力の増大,(ハ)わが国の賃金水準の上昇に伴なう日米間の賃金格差の縮小等の理由から対米投資が急速に増大した。すなわち,72年末における対米直接投資許可額累計は約11億ドルであつたが,73年末では約19億ドルに達した。また,内容的にも従来の対米投資の主体は,商業,保険業が大半を占めていたが,73年には,製造業の分野への投資も増加の傾向を示した。
(c) 73年前半の最大の懸案は,世界的な原材料,食料の需給逼迫を背景として,米国内で輸出規制の動きが顕在化したことである(米国による大豆等の農産品の輸出規制,米政府の要請にもとづく木材および鉄くずの日本側による対米輸入規制)。この結果,重要原材料,食料の多くを米国からの輸入に依存しているわが国としては,これら物資の安定供給確保問題が大きな課題となつた。この問題は,日米貿易経済合同委員会等の意見交換の場でも討議され,日米両国が協力して対日安定供給確保に努力することで合意した。
(d) 73年は,日米双方において,日米の経済関係を世界経済との関連でとらえる必要があるとの明確な意識が生まれた年でもあつた。新しい多角的貿易交渉の開始や国際通貨制度改革協議に際しての日米両国の協力努力はその一例である。
(e) 第4次中東戦争を契機とする石油危機は,日米経済関係にも種々の影響を与えることが予想されているが,それがどのような形であるかは,74年に持ち越された。
(イ) 日加関係全般
日加両国間の関係は近年経済,貿易の分野を中心に緊密の度合を深めており,両国の関係は極めて友好裡に推移している。特にカナダの国内においても外交の多極化を進めるにあたって,わが国をはじめとするアジア,太平洋地域との関係増進を重視する気運が高まつており,今後, 日加両国は,経済,貿易にかぎらず幅広い交流を図ることが必要である。 このような認識のもとに,日加両国は,多岐にわたる分野での協力関 係拡大の可能性に真剣に取組もうとしており,今後,日加閣僚委員会等 の交流の場を通じて,多大の成果が上げられて行くことが期待される。
(ロ) 日加経済関係の概要
73年の日加経済関係は,貿易関係を中心に概ね順調に発展し,日加間の貿易額は往復で30億ドルに達した。カナダはわが国にとつて4番目に大きな貿易相手国としての地位を占める一方,日加間の貿易拡大にともない,73年中にわが国は英国を抜いてカナダにとつて米国に次ぐ第2番目の貿易相手国となつた。
また,日加間の交流緊密化の努力は73年中も活発に続けられ,オンタリオ,マニトバ,アルバータ州等の関係者が訪日し,11月には,前年のギレスピー科学技術大臣以下の訪日科学技術使節団の訪日に続いて,さらに日加間の科学技術協力のあり方について協議するための事務レベル代表団がカナダを訪問した。
また,近年,日本からカナダの製造業部門への直接投資や旅行者も増加しつつあり,両国間の交流がさらに幅広く,また活発に進められることが期待される。
わが国と中南米諸国との関係は,従来貿易・経済関係を中心に良好に発展してきたが,近年わが国の経済発展に伴い中南米諸国のわが国に対する関心と期待が一層高まつている。これを裏付けるものとして,本地域より73年中コロンビアのロドリゴ・ジョレンテ大蔵大臣,メキシコ訪日議員団,ニル・サルバドルのボルゴノボ外務大臣,ブラジルのモラエス商工大臣のほか数多くの閣僚および使節団が来日し,わが国政財界要人と両国間の経済協力問題を中心に幅広く意見交換した。
一方,わが国にとつても,中南米諸国はわが国との政治的関係が極めて良好な上に約80万人に及ぶ邦人および日系人社会が存在すること,工業原材料,食料などの安定した供給国として,貿易および投資相手国としてますます重要性を増しており,73年にも数多くのミッションがわが国から同地域を訪問した。特に同年には世界的に資源エネルギー問題が深刻化したのに伴い,わが国にとり多くの未開発資源を有する中南米の重要性は一段と高まり,ブラジルを中心に資源の共同開発を目的とした民間べースの大型プロジェクトヘの参加が相ついで具体化した。また,中南米に対するわが 国民間投資も前年に引き続き,ブラジル,メキシコ,ペルーを中心に大幅に伸長し,その累積総額は73年現在16億ドルに達している。
政府レベルでは73年,わが国はブラジルおよびメキシコとの間で各々経済問題に関する意見交換を目的とする定期協議を行い,ブラジルの200カイリ領海法制定に伴い,ブラジル沖合の漁場よりしめ出されたわが国漁船の操業を確保するためブラジル政府と漁業協定締結交渉を行う等の外交努力を行つた。さらにわが国は経済技術協力分野でも,73年9月コスタリカに対し同国カルデラ港建設のため43億円の円借款を供与したほか,輸出入銀行を通じ,同年中に中米経済統合銀行に対し,中米マイクロウェーヴ通信網建設のため4億円の借款を供与した。技術協力に関し73年中に,120名の専門家派遣,311名の研修員受入等を実施した。またわが国はチリ政府が73年1月自国の外貨危機を理由に債権国に対し債務救済を要請したのに伴いパリで行われた債権国会議に参加し,他の債権国とともにチリに対し第二次債務救済を行うことに合意した。
なお,今後わが国と中南米諸国との関係緊密化は経済を軸に一層進展するものとみられる。73年1年間でブラジルに対する進出企業数がそれまでの約100件から300件以上に急増した例もあり,わが国の民間投資が集中しているブラジル,メキシコ,ペルー等を中心として経済面に偏りがちなわが国と中南米諸国との関係を極力幅広いものにする努力が必要であり,企業進出等民間の経済進出が相手国に与える影響に十分配慮していくとともに,政府ベースの経済・技術協力を一層強化し,発展途上にある中南米の実情に即した文化交流を一段と促進することが望まれる。
-日欧関係の現状と問題点-
1973年は,田中総理大臣のフランス,イギリス,ドイツ連邦共和国訪問(9月26日~10月7日),大平外務大臣の訪欧(4月26日~5月6日),アンドレオッティ・イタリア首相の訪日(4月23日~27日)等わが国と西欧諸国の間で政府首脳レベルの交流が活発に行なわれた。このほか,経済,科学・技術,文化交流をはじめとして幅広い分野で具体的協力関係が促進されるなどわが国の対西欧外交にとつて画期的な年であつた。
このようにわが国と西欧諸国の間の関係が緊密化してきた背景には,種々の要因が挙げられるが,第一には近年日欧双方の経済力が飛躍的に増大し,これに伴ない政治面においても,その国際的な重要性が認識されてきたこと,その結果国際政治・経済の分野で双方の利害が密接に関連するようになつたことが挙げられる。第二には,わが国と西欧諸国は先進工業国として資源,環境問題をはじめ数多くの共通の課題に直面しており,両者の間の協力,協調の可能性が増大しつつあることが挙げられる。また,通貨,通商,資源,開発途上国援助をめぐる多数国間協議の場においても日欧間の緊密な意思疎通と意見調整が極めて重要になつて来ている。
このようにわが国と西欧諸国は種々の共通の利害をもち,また両者の間には広汎かつ具体的な協力の可能性が存在している。このため日欧双方において従来からの伝統的な友好関係に甘んぜず,さらに多様化,複雑化する国際社会の要請に適合した新たなパートナーシップを確立する必要性が高まつてきている。73年に展開された広汎な日欧間の交流は,このような協力関係強化への双方の意志を反映するものであり,またわが国にとつても,その外交基盤を拡大する上で大きく貢献したと言えよう。
しかしながら,日欧関係の現状は未だ必ずしも十分に満足すべきものではなく,今後とも多くの問題を解決していくことが要請されている。その中の主要なものを挙げれば第一に,経済関係の一層の緊密化がある。日欧間の経済交流は貿易面においても,資本面においても双方の経済力に比べ必ずしも十分なものとは云えず,さらに拡大の余地があると思われる。また,多くの西 欧諸国の対日貿易赤字,わが国の一部特定産品の対欧輸出の急増,欧州企業が対日進出にあたつて直面する種々の障害等は,日欧経済交流促進を阻む要因にもなり得ると見られている。従つて,これらの問題を円満に解決し,日欧経済関係を拡大均衡の形で発展させていくことが望まれる訳である。また,科学技術協力,エネルギーに関する協力,第三国における開発協力等幅広い分野での協力関係を推進し,具体的な協力関係を深めていくことは,単にわが国と西欧のみの利益にとどまらず,国際社会の繁栄と安定にも貢献するものと考えられる。
第二には政治面での日欧間の対話の強化である。今後紆余曲折が予想されるとは云え,欧州共同体が今や政治統合を日指しつつあること,米国とともに日本と西欧は自由世界の重要なメンバーであること,また中東,アフリカ,アジア等の安定と繁栄について日欧双方が少なからぬ貢献をなし得ると思われることにも鑑み,日欧間の政治面での対話の強化が望まれている。
第三には文化交流の促進である。日欧間の政治,経済面の協力関係は,相手国の文化,国民性,伝統等に対する深い理解を前提とするものであり,文化交流の一層の拡充は不可欠であると云えよう。田中総理大臣訪欧の際,訪問三カ国に寄附された日本研究基金はこのような日欧間の文化交流に少なからず貢献するものと期待される。
(イ) わが国とソ連との関係は,56年の外交関係再開以来,政治,経済,文化,人的交流等多方面において発展してきている。特に,経済の分野では,73年の日ソ間の貿易額が往復で15億6,200万ドル(通関統計)に達したこと(日本は,西独,米国と並びソ連の対西側貿易で最大のパートナーである)が示すように,順調に発展している。経済協力の面では,既に実施に移されたシベリア開発プロジェクト(極東森林資源開発等3件)に加えて,天然ガス,石油,原料炭等に関する大規模なプロジェクトについて日ソ当事者間で話合いが行われており,これらが双方に満足のいく形で成功裡に実現すれば,日ソ経済に長期的展望を開くことになる。
しかしながら,日ソ間には,北方領土問題を解決して平和条約を締結するという最大の懸案が未解決のまま残こされており,また,北方領土周辺水域における本邦漁船の安全操業確保の問題,北方領土,樺太およびソ連本土への墓参の問題,第二次大戦以来の未帰還邦人の帰国実現の問題等が懸案として存在している。
(ロ) 10月に行われた田中総理大臣の訪ソは,北方領土問題を始めとする日ソ間のこれら諸懸案の解決につき,ソ連最高首脳との間で卒直な話合いを行い,真の日ソ善隣友好関係樹立の基礎を築くとの目的で行われたものであつた。
総理訪ソの際とり上げられた日ソ間諸懸案のうち,北方領土問題については前記第1節3で記述したとおりであるが,その他の諸懸案についてのソ側との交渉結果は次のとおりである。
(a) 漁 業 問 題
さけ・ます等の年間漁獲量の決定につき毎年日ソ間で厳しい交渉が行われるのは好ましくないとの見地から,総理大臣から,「さけ・ます等の年間漁獲量を複数年にわたつて決定する問題を含め北洋漁業の長期安定化の必要性」を強調した。その結果,日ソ共同声明に述べられているとおり,この問題につき主管大臣間の協議を行うことが合意された。
(b) 安全操業問題
総理大臣から,北方水域において「拿捕」という不幸な事態が発生するのを防ぐため,平和条約締結までの間の暫定措置として人道的見地からこの問題の解決につきソ側の善処を強く求めた。その結果,問題解決のため交渉を継続することが合意された。
(c) 墓参,未帰還邦人問題
総理大臣から,北方領土,樺太およびソ連本土への墓参の実現および未帰還邦人の帰国実現につき,人道的見地からソ側の善処を求めた。ソ側は,然るべき注意をもつて検討する旨を約束,日ソ共同声明に明記された。
(d) 経済協力問題
日ソ間の大規模な経済協力案件として,日ソ当事者間でチュメニ石油,ヤクート天然ガス,南ヤクート原料炭,サハリン大陸棚石油・天然ガス探鉱および第二次極東森林資源の5つのプロジェクトにつき話合いが行われているとの現状をふまえて,日ソ首脳会談で,(i)両国間の経済協力を互恵平等の原則に基づいて可能な限り広い分野で行うことが望ましい,(ii)特にシベリア天然資源の共同開発,貿易,運輸,農業,漁業等の分野における協力を促進する,(iii)このような経済協力の実施にあたつては,両国がそれぞれ政府の権限の範囲内で,日ソ当事者間(日本は民間)の契約の締結およびその契約の円滑,適時の実施を促進する,(iv)契約の実施に関連して政府間協議が行われるべきである,(v)特にシベリア開発に関する日ソ間の経済協力が第三国の参加を排除しない ― の諸点で意見の一致をみた。
(e) 諸協定の署名
総理訪ソに際して,次の諸協定が調印された。
(i) 「渡り鳥及び絶滅のおそれのある鳥類並びにその生息環境の保護に関する条約」
この条約は,両国間を渡る渡り鳥(287種)の捕獲等の禁止,絶滅のおそれのある鳥類の輸出入規制およびこれら鳥類とその生息環境の保護に関する協力と情報の交換を主な内容とするものである。
(ii) 「科学技術協力に関する協定」
この協定は,科学者・技術者の交換,会議・シンポジウムの開催,科学技術情報の交換,共同研究の実施および本協定実施のための日ソ科学技術協力委員会の設置を内容とするものである。
(iii) 「学者及び研究者の交換に関する取極」,「公の刊行物の交換に 関する取極」および「政府広報資料の配布に関する取極」
これらの取極は,いずれも72年1月に結ばれた日ソ間の文化交流に関する取極の実施の円滑化をはかるための細目を定めたものである。
(ハ) 田中総理大臣訪ソの際に達成された諸合意は,前述のとおり,今後の日ソ関係の発展にとつて極めて意義深いものであり,これら諸合意をいかにして実施に移すかという問題が今後の日ソ間の重要外交課題となつた。
10月19日から27日にかけて行われた桜内農林大臣の訪ソは,総理訪ソの際の合意にもとづく最初の日ソ交渉であつた。桜内農林大臣は,イシコフ漁業相との間で,安全操業問題,北洋漁業の長期安定化の問題について交渉し,その結果,安全操業間題については最終的合意をみず,交渉を継続することとなつたが,北洋漁業の長期安定化の問題については,さけ・ますの当該年の漁獲量を決定する際に翌年の想定漁獲量も決定すること,およびカニとツブに関し2年間の期間を対象とする取決めを結ぶことにつき原則的合意に達した。具体的内容は別途専門家間の協議により決定されることとなつた。
なお,ソロメンツェフ・ロシア共和国大臣会議議長(ソ連邦共産党中央委員会政治局員候補)は,大シベリア博の開会式に出席のため,12月20日から29日まで来日し,大平外務大臣および二階堂官房長官と会談したが,その際,日ソ首脳会談の合意事項を誠実に実現してゆくのが,日ソ双方の責務であることについて意見の一致をみた。
わが国は,東欧諸国と政治,経済,社会体制を異にしているが,外交の基盤を拡大し,多角的な国際関係を促進させるとの基本的な立場に立つて,これら諸国との友好関係の維持促進に努めている。
一方,東欧諸国も最近わが国の急速な経済発展に対する認識を強め,欧州における東西間の「緊張緩和」の進展に伴なつて,わが国との貿易・経済関係の緊密化に積極的な姿勢を示している。これを反映しわが国と東欧諸国との貿易も年々増加の一途をたどり,73年には貿易額は,5億6千万ドルに達した。(前年比約50%増)
またわが国とこれら諸国との人的交流も年々活発化し,殊に,大平外相が,わが国の外務大臣として初めて,ユーゴースラヴィアを訪問(4月29 日~5月1日)したことは,特記すべき出来事である。他方,東欧諸国からは,ぺーテル・ハンガリー外相(4月6日~11日)フニョウペク・チェ ッコスロヴァキア外相(11月15日~21日)が,わが政府の招待で来日し,わが国とこれら諸国との友好関係増進に大きな役割をはたした。(ペーテル外相来日の際文化交流促進に関する書簡が交換された。)
わが国は,72年12月の東西両独間基本条約の調印等の情勢の進展にかんがみ,73年5月15日,ドイツ民主共和国との間に,外交関係を樹立した。同年10月に両国は,ベルリンと東京にそれぞれ大使館を開設した。
地理的遠隔や,体制の差にかかわらず,前記の通り,わが国と東欧諸国との間で,相互に関心が増大しており,特に経済関係を中心として,さら に関係が発展する可能性があると見られる。しかも,一方では,東欧にお ける急速な工業化および消費生活の充実,ならびにそれに伴なう旺盛な技術および資金需要,他方では,わが国の産業構造転換の必要性を反映して,従来の単なる商品交易から,合弁事業を含む,産業協力という,一段と高度な経済関係に移行する兆が見られる。このような緊密な経済関係の進展は,東西の政治情勢の成り行きによつて左右される一方,それ自体東西間の相互依存の大きな要素となり得ると考えられる。