-国際文化交流の現状-

 

第2節 国際文化交流の現状

 

1. 国際交流基金の発足

 

第68国会で成立した国際交流基金法に基づき,1972年10月2日に財団法人国際文化振興会を吸収して,同日,国際交流基金が発足した。同基金は,外務大臣の監督を受け,当初の政府出資100億円(1972年度50億円,1973年度50億円)および民間出資の運用益ならびに政府補助金および民間寄付金をもって,人物交流,日本研究援助,日本語普及,国際的文化行事,日本文化紹介各種資料の作成,文化交流実施のための調査研究などの業務を開始した。

初代理事長には,前文化庁長官今日出海氏が就任し,役員総数5名,職員数は本部47名,在外8名の陣容である。

本部は,総務部,人物交流部,日本研究部,事業部,資料部および企画室の5部1室から成り,各部にはそれぞれ2課が置かれている。在外の在ローマ,在ケルン両文化会館の事業と,ニュー・ヨーク,ロンドンおよびブエノス・アイレスの3駐在員事務所も,KBSから基金に引き継がれた。本部事務所は,東京都千代田区霞が関3-7-10大東ビル内に置かれている。

1973会計年度には,政府は,法定の100億円の残額50億円を出資した上,さらに50億円を増資して,資本金総額は150億円となる予定である。

なお,この政府出資は両三年中には,とりあえず300億円とすることが期待されている。

 

2. 文化協定に基づく文化混合委員会等の開催

 

 (1) 日仏文化混合委員会の開催

日仏文化協定に基づく日仏文化混合委員会が6月14,15日パリで開催され,これまでの両国間の文化交流実績と今後の交流計画について協議した。議題の主なものはフランスにおける日本語の普及,わが国におけるフランス語の普及,留学生,学位,資格の同等性,学者・文化人の交流,青少年交流,科学交流,芸術交流等であった。

 (2) 日独文化混合委員会

日独文化協定に基づく日独文化混合委員会が,7月3,4の両日東京において開催された。同委員会においては,両国間の文化交流問題一般,奨学生を含む人物交流の拡大,芸術・スポーツ交流,学術・科学協力,文化会館の問題等が話し合われた。

 (3) (イ) 第6回日米文化教育会議

1961年6月の池田,ケネディ共同宣言にもとづく日米文化教育会議の第6回会議は,1972年6月21日から24日まで,ワシントンおよびニュー・ヨークにおいて開催された。

会議は,「増大する相互理解の危機に対処した対話の展開」をテーマとし,「日米関係の重要性にかんがみ,相互理解をより強固な基盤の上に築くこと,および,両国間に有する文化上およびコミュニケーションのギャップを埋めることの必要を痛感し,そのためのもっとも有効な方法として各種の広汎な交流事業を行なうことを再確認するとともに,テレビ,報道,語学教育,日本研究,米国研究,通訳および翻訳問題,留学生カウンセリング,美術品貸与について,それぞれの分科会で討議し,その結果,30余項目にのぼる具体的な勧告を採択した(最終コミュニケは,資料編参照

 (ロ) (i)日米放送界合同会議

前述の第6回日米文化教育会議の勧告に基づく具体的プロジェクトのひとつとして,1972年11月,米放送界首脳の視察団一行29名が来日し,15日より23日まで,東京,関西等のわが国放送機関を観察するとともに,15日と24日の2回にわたって合同会議を開催した。日本側は放送界首脳等約70名が出席,(i)両放送界首脳の相互訪問,(ii)姉妹局関係の拡大,(iii)番組フェスティヴァルの相互開催,(iv)マガジン番組の定期的交換等に関し14の勧告を採択した。

 (ii) 第1回米放送番組フェスティバル

前述の合同会議の結果,第1回フェスティバルが3月21日より30日まで,ニュー・ヨークおよびワシントンで開催され,NHK,民放各社,放送番組センターより合計68番組が出品され,関係者約30名が出席した。

 

3. 発展途上国との文化・教育協力

 

 (1) 第二次東南アジア文化使節団

経済面をはじめとするわが国の国力充実および発展途上諸国よりのわが国に対する文化・教育協力の要請の増大に伴い,わが国の発展途上諸国に対する文化交流政策ないしは文化・教育協力のあり方について根本的な再検討が迫られている。

このような認識と要請の下に,政府は1971年度に,初の文化使節団として田中栄一衆議院議員を団長とする「東南アジア文化使節団」を,フィリピン,タイ,マレイシア,シンガポール,インドネシアの5カ国に派遣し,新しい文化・教育協力の可能性につき調査,研究を行なったが,1972年度においては,ビルマ,ヴィェトナム,インドネシア,ホンコンの各国(地)に宮沢喜一衆議院議員を団長とする第二次の「東南アジア文化使節団」を17日間にわたって派遣した。同使節団は3月25日東京を出発し,4月10日帰国した。(同使節団報告書は資料編参照)

 (2) アジア教育調査団の派遣

アジア諸国の文化・教育事情を調査し,将来の文化・教育協力に関する基本的方針策定の基礎資料を整備するため外務・文部両省派遣によりイランおよびビルマにそれぞれ次のとおり教育調査団が派遣された。

  イラン班 1972年11月26日~12月9日

       団長  奥田真丈文部省大臣官房審議官

  ビルマ班 1973年 2月11日~23日

       団長  久保田キヌ成蹊大学教授

 (3) アジア太平洋地域文化社会センター

1968年10月ソウルに設置された本センター(わが国のほか豪州,台湾,韓国,マレイシア,ニュー・ジーランド,フィリピン,タイ,ヴィエトナムが加盟)は,現在第5事業年度に入っているが,1972年4月以降1973年3月までの間に,域内社会開発のための知識人会議(5月,於台北),博物館会議(11月,於東京)等の開催,域内の学者,ジャーナリスト,教育者,芸術研究家等の域内自由研究旅行に対するフェローシップの供与等の事業を行なった。なお,前年度からの継続事業として,域内文学作品アンソロジーの刊行,域内都市開発問題文献・研究者リストの刊行等の事業も進行中である。

 (4) 東南アジア文相機構(SEAMEO)への協力

1968年に発足した六機構(加盟国は,インドネシア,タイ,ラオス,カンボディア,ヴィエトナム,フィリピン,シンガポール,マレイシアの8カ国)は,現在,理数教育センター(RECSAM,在マレイシア,ペナン),英語教育センター(RELC,在シンガポール),農業教育・研究センター(SEARCA,在フィリピン,ロス・バニョス),熱帯生物学センター(BIOTROP,在インドネシア,ボゴール),教育工学教育革新センター(INNOTECH,在シンガポール。いずれサイゴンに移転の予定)の各センターと,熱帯医学公衆衛生計画(TROPMED,バンコックの中央調整理事会のほか,各国にそれぞれ特定の研究テーマを分担するナショナルセンターがある)の6プロジェクトを有している。これらのセンターおよびプロジェクトは,各分野での教育・研究開発,教育者,研究者の養成,訓練をその主たる業務としており,所要経費の半分を米国政府の援助に依存している。同機構に対しては米国以外の各国も資金的,人的援助を与えている。

わが国は,六機構の要請に応じ,1970年から専門家の派遣等の援助を行なっている。1973年3月までの実績は,専門家派遣(短期15名,長期3名),拠出金支出(1万米ドル)である。

 (5) 二国間文化教育協力

開発途上国の文化・教育水準の向上を目指すための二国間協力は,1971年度にタンザニア向け文盲撲滅用教科書5万冊の寄贈,東南アジア向け小学校用理科スライド等教材の無償供与が行なわれたことを嚆矢とし,まだ途についたばかりの分野であるが,同諸国よりの要請も多く,今後一層進展すべき分野と思われる。

1972年度における主な文化・教育協力(文化財保存に対する協力も含む)は次のとおり。

(イ) ボロブードゥール遺跡復旧への協力

インドネシアが誇る世界的文化遺産であるボロブドゥール(8~9世紀頃に建設され,ヒンズー・ジャワ文化に属する石造の仏教建築物)の復興用資金推定額775万米ドルの一部として,政府は,6年間計60万ドルの拠出を計画し,その初年度分10万ドルをユネスコに設けられた信託基金に払い込んだ。

(ロ) タイ国バンチェン出土土器の年代測定

1972年タイ国は,同年タイ東北のバンチェン村で出土した土器片の熱螢光測定法による年代測定についてわが国の協力を求めてきたので,外務省は,この要請に基づき,奈良教育大学の市川米太教授にこの作業を依頼し,現在その結果のとりまとめが行なわれている。タイ国関係者の観測によれば,測定の結果いかんによっては東北タイに人類最古の農耕文化の存在が立証される可能性があるとされている。

(ハ) ラオスヘの体操器具寄贈

1972年11月ラオスの首都ヴィエンチャンで催されたラオスの国民的行事タートルアン大祭に際して,わが国は鉄棒,跳馬などの体操器具を寄贈した。

(ニ) 理科図鑑の寄贈

東南アジア各国の児童向け理科図鑑(インドネシア語等現地語版)を作成,供与すべく準備中である。

(ホ) 日本・インドネシア共同セミナーの開催

1971年派遣の東南アジア文化使節団(3.(1)参照)がジャカルタ訪問の際,インドネシア側関係者よりなされた示唆に基づき企画されたもので,両国の学者そのほか関係者の発意により,「国づくりと近代化ならびに文化交流に関する日本・インドネシア共同セミナー」と題する両国共同セミナーが,1973年3月26日から29日までジャカルタで開催された。

同セミナーは,第1部,「国づくりと近代化」とのテーマによる学術討議(3月26日~28日),第2部,「両国間文化交流の促進」に関する協議(3月28,29日)の2部構成とし,第1部には日本側より尾高邦雄名誉教授(社会学),市村真一教授(経済学),永積昭助教授(歴史学),犬丸直氏(国際交流基金常務理事)等の6氏が,インドネシア側よりは,スジャトモコ前駐米大使,リー・テック=チェン国立文化研究所長,ハルシャ・バクティアール国立社会経済研究所長,ロシハン・アンワール記者の学者,文化人10数名が参加し,第2部には両国これら関係者の約半数が継続参加したほか,日本側よりは前記東南アジア文化使節団が,インドネシア側よりハルジャソマントリ高等教育,マントラ文化総局等の教育文化省の各局長,スジョトBAPPENAS副議長等が出席した。

なお,このセミナーに対しては外務省と経済団体連合会(インドネシア委員会)および国際交流基金が共同して資金援助を行なつた。

 

4.文化交流事業

 

 (1) 日本紹介のための公演,展示会,在外公館企画の催し物

(イ) ミュンヘン・オリンピック芸術祭参加

ミュンヘン・オリンピック組織委員会は,6月15日から9月30日まで「世界の文化と現代の芸術」と題する芸術祭を開催し,近代西欧文化における,非西欧文化の影響をテーマとして,各種の催し,展示が行なわれたが,外務省は,歌舞伎,能および劇団「天井桟敷」の派遣ならびに日本古美術(近世における禅林美術,衣裳工芸品51点),日本楽器および茶室の展示を行なった。

(ロ) アジア日本文化週間

1972年11月24日より12月9日まで,インドネシアおよびフィリピンの東南アジア2カ国においてアジア日本文化週間が開催され,結城人形劇の公演(国際交流基金に対する補助金事業),小林武史ヴァイオリン・リサイタル(於タイ,インドネシア,シンガポール)およびアマティ室内合奏団(於フィリピン)の演奏,教育展およびグラフィック・デザイン展,児童画展をもってする展示会,劇・文化映画会,ならびに現地側学生による日本語弁論コンテスト(於フィリピン)が行なわれ好評であつた。

(ハ) KBS補助事業

財団法人国際文化振興会(KBS)補助による対外事業として第36回ヴェニス・ビェンナーレヘの参加,出品,第27回国際ぶどう祭国際伝統祭(フランス,ディジョン市)参加,早稲田大学グリークラブ米国公演,日本音楽集団欧州公演,第4回ユース・オーケストラ国際フェスティバルヘの参加(東京ユース・シンフォニー),新作能パリ公演への助成,国内面では,国際民族芸能祭,ブラック・アフリカ芸術展,国際コミュニケーション学会への助成等を行なった。

(ニ) 国際交流基金補助事業

9月30日KBSが解散し,10月2日国際交流基金が発足したが,基金補助事業として,第8回東京国際版画ビエンナーレ,第8回アマチュア映画コンクールを開催し,多大の成果を挙げた外,ヴェニス・ビエンナーレに出品した日本演劇史展をローマ日本文化会館で行ない非常な好評を博した。

(ホ) その他本省企画の巡回展示会

米国巡回日本陶芸展,北欧巡回日本現代工芸展,日本伝統陶磁展,東欧巡回日本カラー写真展,ポーランド巡回日本現代版画展,巧芸画による近代日本画展,米国におけるポスターニッポン展,丹下健三作品展,韓国における高松塚古墳展等を実施した。

(ヘ) 在外公館主催の文化事業

各在外公館は前記の文化事業の現地実施を行なうほか,自ら講演会,音楽会,展示会等の催し物を開いたり,各地における文化的行事に参加し,日本紹介に努力している。1972年度においては,各地域を通じて生け花(19回),日本週間(8回),講演会(17回),音楽会(11回),図書展(8回),茶道(5回),人形展(4回),日本紹介展(7回),カラー写真展(3回),折り紙展(3回)その他各種の展示会が行なわれ,また現地側の各種の催しに参加し,協力した。

 (2) 映画およびテレビによる日本紹介

映画およびテレビは,人類の共通言語たる映像を通じ,国境の壁を越えて広く世界にわが国の文化を紹介して国際理解の増進をはかる上でもっとも有効な手段であり,1972年度において外務省は次の事業を行なった。

(イ) 在外公館主催映画会

1972年においては,305回の在外公館主催劇・文化映画会を開催した。そのうちとくに好評を博した劇映画は,「忍ぶ川」,「砥園祭」,「大根と人参」,「智恵子抄」,「恋の季節」で,文化映画は,「京都の川」,「石の文化」,「舶来メダカとボウフラ」,「結晶をつくる」,「マグニチュード7.9」,「振動の世界」であった(劇映画購入22本,文化映画購入75本)。

(ロ) 日ソ映画祭

1960年6月,日ソ両国政府の合意に基づき相互に映画祭が毎年1回開催されることになったが,この企画により映画芸術を通じて,日ソ両国の友好親善と相互理解を深めるとともにわが国の国情・文化を紹介する上に非常な効果をあげている。また1972年1月27日の日ソ交換公文においてもこの映画祭を今後とも実施することが定められている。

1972年度は,レニングラード(9月11,12日),オデッサ(9月20,21日),エレバン(9月26,27日)の3都市で開催され,劇映画は,「女たちの庭」,「智恵子抄」,文化映画は,「京都の川」,「かぐや姫」を上映し大好評を博した(またわが国より女優香山美子を文化使節として派遣した)。また,これと対応して10月に東京,大阪,北九州の3都市でソ連映画祭が開催された。

(ハ) 国際映画祭

54の各種国際映画祭より各在外公館等を通じ劇映画或は文化映画作品参加の招へいを受け(これを地域別にみると東南アジア1,欧州37,中近東・アフリカ5,北米6,南米5となっている),これに対しわが方よりは第25回カンヌ国際映画祭を始め24の国際映画祭に参加した。

このうち6作品が入賞し,とくに第26回国際科学映画祭(10月,マドリッド)に参加した「舶来メダカとボウフラ」(桜映画社製作)および第3回カナダ国際アマチュア映画祭(11月,トロント)に参加した「雪山の猿」(大河内正敏氏製作)はそれぞれグランプリを受賞した。

(ニ) テレビ番組放映

「キラキラ星変奏曲」,「汐騒の町―能登の御陣乗大鼓」,「富士は日本一の山」,「織る」,「紙」,「きもの」,「食器」,「市は生きている」,「日本ざる」(いずれも,カラー,16ミリ,30分)の文化・教育番組をシカゴ,オタワ,シドニーの各都市,タイ,インドネシア,フィリピン,シンガポール,ヴィエトナム,インドの各国で放映した。

なお,放映を終った各フィルムは,文化・教育映画として随時利用されることとなっている。

 (3) 図書出版物による日本紹介

(イ) 図書寄贈と図書展

外務省は,第1回東南アジア文化使節団派遣のフォロー・アップとして46年に引き続きフィリピン,タイ,マレイシア,シンガポールおよびインドネシアにある15の大学に対しわが国の歴史,地理,政治,経済,社会等に関する英文図書計1,199冊を寄贈したほか,諸外国の大学,図書館,文化団体等に対し3,160冊の各種図書を寄贈した。また諸外国で開催された国際図書展への参加(8回),日本図書展の開催(4回)に協力した。

(ロ) 日本文学の現地語版作成助成

川端康成著「雪国」を1972年前半にインドネシア語訳の上,現地紙に連載したが,右を現地出版杜が同年後半に単行本として出版の計画を立てたので,買上げの形で右出版に対し援助を行なった(印刷部数5,O00部)。

また,現在タイの週刊誌が川端作品「山の音」の翻訳連載を企画中であるので,その翻訳費を援助することとなっている。

(ハ) 調書「国際文化交流の現状と展望」の作成

国際文化交流の重要性についての認識は最近とみに高まり,そのため国際交流基金が設立されるなどその実施体制の整備,事業の拡大が行なわれつつあるが,これまで,わが国の対外文化事業の実績,現状および将来の施策について総合的にまとめた報告書は存在しなかったため,今後の国際文化交流のあり方を検討する上での参考に供する意味を含め,今回わが国最初の試みとして調書「国際文化交流の現状と展望」(外務省文化事業部編,380頁)が1972年7月に公表された。なお同書は1973年1月大蔵省印刷局より市販された。

 (4) 日本文化会館の運営

(イ) 在ローマ日本文化会館の運営

1962年に開館した本文化会館は,日本語講座,講演会,座談会,映画会等の開催,図書館の運営および出版等の文化活動を行なってきたが,国際交流基金発足とともに,従来KBSが行なってきた事業を同基金が引き継いでいる。

(ロ) 在ケルン日本文化会館の運営

本会館は,ローマよりも遅れて1969年に開館し,上記とほぼ同様の活動を行なってきた。

 

5. 教育学術交流事業

 

 (1) 国際学友会による事業

財団法人国際学友会は,昭和10年創立され,外国人留学生に対し宿舎を提供するとともに,日本語学校を運営し日本語等を指導するほか大学進学のあっせんを行なっている。

宿舎の収容能力は東京本部154名,関西支部(大阪)60名,京都支部48名および仙台支部(72年6月完成)49名の合計311名であり,年間を通じ殆んど満室の状況である。

日本語学校は,東京本部および関西支部において運営されており,学生定員は前者200名,後者60名であるが,1972年度においては,これら日本語学校において409名の留学生に対し,日本語をはじめ,数学,理科,社会などの基礎学科を教授し,これら課程の修了者に対し進学をあっせんした。

 (2) パリ大学都市日本館

パリ大学都市日本館は,パリ大学で学ぶ日本人留学生,外国人留学生およびフランス人学生のための学寮であり,館長は,日本館に居住する学生および大学都市内の各館に居住する日本人留学生の補導に任じている。

また,日本館内には,日本関係の図書を収集して日本研究に便宜を与えている。

外務省は,館長を推せんし派遣しているほか,同館建物の内部修理および若干の備品費などに対し,援助を行なっている。

 (3) 外国人留学生等の来日

海外において,わが国に留学を希望する外国人は著しく増加しているところ,昭和47年度にわが国の国費留学生制度(文部省主管)により採用した外国人留学生の実績は298名である。(国別実績は資料編)

また,科学技術庁では,1972年度には,外国人研究者6名(米2,仏1,スイス1,豪1,大韓民国1)を招へいしている。

 (4) 日米教育交換計画(フルブライト計画)

1972年度における本計画に基づく両国間学生,教授,研究員の交換実績は,来日米国人26名(客員講師10名,研究員7名,教員5名,大学院学生4名)および渡米日本人36名(講師および研究員9名,大学院学生27名)である。

 (5) 日本人学生の海外留学

1972年度において,外国政府または準政府機関の奨学金を受けて海外へ出発した者の数は,389名(インド3名,タイ2名,イスラエル2名,トルコ3名,オーストリア4名,デンマーク2名,フィンランド4名,フランス129名,ドイツ35名,ギリシア3名,ハンガリー2名,アイルランド1名,イタリア15名,カナダ9名,オランダ4名,スペイン10名,スウェーデン1名,スイス3名,イギリス16名,オーストラリア2名,チェッコスロヴァキア3名,メキシコ100名,アメリカ36名)である。

 (6) 日本研究講座寄贈

外務省は,東南アジア諸国における日本研究を助成するため1965年以来,原則として教授1名および講師2名よりなる日本研究講座を逐次8大学(タイのタマサート大学およびチュラロンコーン大学,フィリピンのアテネオ大学,香港の中文大学,マレイシアのマラヤ大学,インドネシア大学,インドのデリー大学,およびシンガポールの南洋大学)に寄贈してきたが,1972年10月特殊法人国際交流基金の発足に伴い,これら日本研究講座に関する業務は,同基金の事業として移譲された。

 (7) 日本語普及事業

外務省では昭和47年度上半期まで下記事業を従来より引き続き実施したが,特殊法人国際交流基金の発足とともにこれら事業も国際交流基金に移管された。

(i)  日本語講師の派遣

(ii) 海外現地日本語講師の謝金援助

(iii) 現地日本語講師の本邦招へい

(iv) 日本語教材の寄贈

 (8) 米国・カナダ11大学連合日本研究センターへの資金援助

昭和47年度において,外務省は,米国,カナダの11の有力大学が東京に設置している日本語訓練センター「の運営に対する資金援助を行なった。

 (9) 日本文化研究国際会議に対する援助

日本ペン・クラブ主催の下に1972年11月18日から8日間京都で開催の本件会議には内外の学者550名が参加し日本の文化の諸分野につき活発な討議が行なわれた。

外務省は全世界における日本研究の学者,研究者が初めて一堂に会する本件国際会議の意義を認め,ペン・クラブの「海外における日本研究家リスト」作成事業に協力するなど当初から積極的援助を図ったほか,会議開催に当っては東南アジア各国からの出席者10名の航空賃を負担するなどの支援を行なった。

 (10) 日ソ学者研究員の交流

1965年以降,わが国はソ連との間に,政府間取決めにより,相互主義に基づく学者,研究員の交流を行なっているが,1972年度には日本側より長期派遣研究員3名,短期派遣学者3名,ソ連側より長期派遣研究員5名の交換を行った。

 

6. 人物交流事業

 (1) 文化人の海外派遣

わが国の芸術,学術,思想,スポーツ等を紹介し,国際親善を促進するため前年に引き続いて文化人,学者,生け花および柔道師範,体操選手等合計31名の派遣を行なった。

 (2) 外国の文化人等招へい

外国の文化人,学者をわが国に招へいして,親しくわが国の事情を認識させ,わが国関係者と意見交換の機会を与えることを目的として,1972年度は社会科学,人文科学,自然科学の分野にわたって11カ国より13人を招へいした。

なお,1972年度下半期以後は,国際交流基金においても,同様の文化人等招へい事業を開始し,1973年度よりは,本事業は基金事業として一本化された。

 (3) 第1回アジア中学・高校教員招へい事業

アジア諸国において中学・高校の教育に当っている教員および教育関係者をわが国に招へいし,教育を中心としたわが国の実情を視察する機会を与えることにより対日理解の促進と相互理解の増進を図ることを目的として,第1回アジア中学・高校教員招へい事業を文部省の協力の下に下記要領にて実施した。

1 対象国および招へい人数

タイ,インドネシア,フィリピン,シンガポール,マレイシア,ヴィエトナムおよびビルマの7カ国より各15名,計105名

2 期 間

(i)10月20日~11月2日

(タイ,ビルマ)

(ii)11月7日~11月20日

(シンガポール,ヴィエトナム,インドネシア)

(iii) 1月11日~11月24日

(マレイシア,フィリピン)

 (4) 青少年交流

外務省では従来より日本語普及事業をすすめてきた地域を対象にさらにこれらの地域における日本語学習,日本研究の奨励,対日理解の促進を図るため,「海外日本語講師ならびに日本語講座成績優秀者の短期招へい」計画の実施を決定し,昭和48年2月22日より3月19日までの間,アジア,中南米,中近東,大洋州および北米の各地域より68名を日本に招へいした。

そのほか総理府,地方自治体および世界青少年交流協会等民間べースでの対外青少年交流事業に対し,便宜供与を行なった。

 (9) スポーツ団体,登山隊および学術調査隊に対する便宜供与

外務省は,昭和47年度も,わが国から派遣される各種スポーツ団体(アジア・太平洋,欧州,北米,中南米およびアフリカ向け等22団体),登山隊(アジア,中近東,北米,中南米向け等23隊)および学術調査隊(アジア,中近東,欧州,北米,中南米およびアフリカ向け等32隊)に対する便宜供与を行なった。

 

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