-海外移住の動向- |
近年のわが国の海外移住をめぐる内外の情勢には,顕著な動きがあり,このため,海外移住は量質両面において大きな変化をみせている。
まず,移住者送出数の面からみると,1958年の1万5,306名を頂点として急減し,64年以降は年間ほぼ4,000名台にとどまっている。とくに,中南米向け移住者数の減少は著しく,最盛期の10分の1以下に減少している。しかし,最近は,ようやく,この下降傾向も停り,渡航費支給対象移住者は,69年の597名を最低数として,70年に629名,71年に674名,72年には763名に達し,僅かながら増の方向を示している。形態別にみると,従来の家族ぐるみの農業移住は徐々に減少し,単身青年による技術移住の割合が増加している。また,従来海外移住事業団が扱った中南米向け移住者は全て移住船により渡航していたが,この移住船も,73年2月14日横浜出港の「にっぽん丸」(旧「あるぜんちな丸」)の就航をもって廃止となり,以後の海外移住は,航空機によって行なわれることとなった。
1971年9月17日,海外移住審議会は,内閣総理大臣に対し,「今後の海外移住政策のあり方」について,答申を行ない,新しい海外移住行政の方向を下した。
外務省は,この答申の趣旨を尊重し,できる限り,これを移住行政の上に、反映させる考えであり,72年度には,主として,次の諸点に関する施策を進めた。
(1) わが国民の海外発展としての海外移住
海外移住は,自己の発意と責任の下に,海外において自己の能力を一層発揮しようとする者に,新たな可能性を与えると云う意味において,個人の幸福追求の一手段であるといえるが,他方,移住したわが国民がわが国の経済,社会,科学,文化等の諸分野における発達を背景として,移住先国の発展に寄与することにより,右が国際協力の一翼をなすとともに,国際社会におけるわが国の声価の向上に資することになるものと考えられる。かかる観点から,海外移住も従来型のものよりさらに一歩を進め,広くわが国民の海外発展という広い視野からこれを捉えることとなった。
具体的には,国際性豊かな国民を育成することにより,国民を正しい海外発展への道に導びくのみならず,優れた移住者を送り出すことともなるという認識の下に,その啓発に当っては,従来の如く,移住という狭い概念に捉われることなく,広く,海外知識の普及と云う観点から,これを実施し,国民の国際性の向上を図るための諸事業に力を注いだ。また,この事業の推進に当っては,地域住民に対して大きな影響力を有する都道府県の役割を重視し,その自主的活動を奨励するとともに,国からもその活動に対し,積極的に参加した。
(2) 現地援護の強化
戦後の移住者の中には,いまだ自立安定の域に達し得ない者もいるひで,移住者の自立心を損わぬよう配慮しつつ,現地における各種の適応力および創造力を培うために必要な指導,援助を積極的に推進した。その際,相手国の地域開発に寄与するという観点から,DAC統計に計上されるべき経済技術協力的要素を含んだ援護事業の充実を図った。また将来現地社会において指導的役割を果し得るような日系人や移住者子弟の育成を図るとともに,今後,わが国の経済技術協力が日系人の多く居住する地域に対しても拡大する際,日系人を活用することにより,その成果を一層高めるために日系人や移住者子弟の能力の開発に資する「本邦における諸研修制度」の充実に努めた。
(3) 海外移住事業団の事業体制の整備
海外においては,既移住者に対する援護の強化を図り,国内においては,すぐれた移住者を送出するとの観点からその事業体制の整備に着手した。
(1) 新規移住者の概要
1972年度において,渡航費の支給を受けて中南米へ移住した者の数は,763名であって,71年度に比して89名増であった。最近における移住者の減少は,とくに,農業移住において著しく,移住再開直後,および60年前後の戦後移住最盛期においては,農業移住者の比率は98%以上を占めていたが,最近においては53%を下回り,工業技術移住者,その他近親呼寄せによる移住者がその比率を高めている。72年度における中南米向け移住の特徴としては,次の諸点があげられる。
(i) 中南米向け移住者数は,69年度を最低として,増加傾向にあつたが,5年ぶりに7,O00名台に達した。とくに,ボリヴィア向け移住者は急増し,4年ぶりに20名台に達した。
(ii) 家族単位の移住は減少し,単身青年による移住の割合が増加した。
(iii) 移住者の学歴は,年々高まる傾向にあり,72年度においては,家族移住者の構成員たる幼児,学童を含む総数に対し,高卒以上の学歴を有する者が約63%以上を占めている。
(iv) 移住者の携行資金量は,1972年5月より12月迄に送出した移住者64家族および単身移住者274名について調査した結果,100万円以上携行している者は,家族で26%,単身者で3.8%を占めており,一般的に携行資金量は増えてきている。
(2) 既移住者援護のための受入国との交渉
(イ) ブラジル国営入植地における邦人移住老に対する地権の交付について
北部ブラジルおよび中部ブラジルの国営開拓地へ入植した日本人移住者で, 既に15年余りを経過したにもかかわらず,いまだ地権の交付を受けていない者がいるところ, 従来より在ブラジル大使館を通じて, その早期処理を要請してきたが,72年11月に行なわれた第10回日伯移住混合委員会において, 前回同様正式議題としてこれを提案し, 討議の結果,連邦経営の移住地9地区の地権についてはできる限り72~73年中に交付すべき旨確認され,また州および連邦政府直轄領経営の移住地については,それぞれ,州および直轄領に対する地権交付促進勧告が採択された。
(ロ) ボリヴィアの沖縄第3移住地への現地人の侵入排除について
1970年来,相継いで起っていた沖縄第3移住地への現地人の侵入は,移住事業団現地支部の農事裁判所への提訴によっても仲々排除できなかった。しかるに,71年の政変によって,左翼政権が倒れて以来,次第に社会秩序がとり戻されてきたので,72年8月,わが方大使館は,ボ側外務省に対し本件解決方を要請した。この結果,農務農民省は,本件農事裁判について,ほぼ全面的にわが方側の要請を容れた最終判決を下した。
(ハ) パラグァイの入植地分譲税の免除
パラグァイ政府は1969年,突如として,植地分譲に当り,1ヘクタールあたり100グアラニー(約1ドル)の税を賦課することを,農村福祉院決議の形で決定した。これに対し,わが方大使館は,移住事業団とともに,その免除方をパ国政府に要請していたところ,72年11月,同じく農村福祉院の決議によって,本税を免除されることとなった。
(ニ) ドミニカにおける邦人移住者の地権取得について
ドミニカの国営移住地に入植した日本人移住者は,移住後10年余りを経過しているが,地権をなかなか取得できなかったところ,数年前からのわが方大使館を通じて速やかに地権を交付されるよう,ドミニカ政府と折衝を続けて来た結果,72年5月,ハラバコア地区の国有地分について,地権交付が実現した。
これによって,国有地については,全部地権問題は解決を見たが,もと民有地でドミニカ政府による買収手続の済んでいない土地の地権がまだ交付されていないので,右地権交付方折衝中である。
(3) 既移住者への援護の強化
1952年度以降,72年3月末までの中南米への渡航費支給移住者の総数は,約62,500名に上っているが,まだ定着,安定の域に達していない者も少なくない。このような移住者を積極的に援護するという方針のもとに,外務省は海外移住事業団を通じ,1972年度においても,次のとおり,従来からの事業を拡充した。
(イ) 融資援護体制の強化
移住者の定着,安定を促進するための海外移住事業団の融資事業についてみると,1971年度末までの融資累計額は約64億円,融資残高は約18億8,000万円に達したが,72年度は,さらに,新規貸付8億円を計上しており,年度内回収予定額2億7,000万円を差引いても,同年度末における融資残高は,約5億3,000万円増加し,約24億1,000万円に達する見込みである。
このうち,ブラジルにおける貸付残高は,約8億6,000万円であり,その大部分が,農業者向け貸付である。このほか技術移住者を対象とした小工業貸付を実施しており,72年度の計画では,全体の約5%を占めている。
ブラジル以外の地域を対象とした貸付,およびそのほかの直接貸付の合計残高は,約15億5,000万円で,このうち,農業貸付額は,13億円であり,その他は,農工企業融資,渡航前融資等である。
また,71年度より,不振移住者援護対策の一環として,更生資金特別貸付を実施しており,この融資の72年度末貸付残高は,ブラジルにおいては,約1,500万円,ブラジル以外の地域においては,約1,000万円となる見込みである。
なお,ブラジルにおける融資残高は,72年度末約12億9,000万円となる見込みである。
(ロ) 医療衛生対策
72年度には,ブラジル国第2トメアス移住地に,救急車(更新)を購入配置し,またパラグァイ国アルトパラナ移住地に,看護婦宿舎を新営した。さらに,ブラジル国およびパラグァイ国に,特約医を増員した。
(ハ) 教育対策
72年度においては,ボリヴィア国サンファン移住地および,沖縄第2移住地に,スクールバス各1台を配置し,その他パラグァイ国イグアス移住地に,教員宿舎を新営,さらに,パラグァイ国アルトパラナ移住地,ボリヴィア国沖縄第2移住地に小学校を新営した。
(ニ) 生活改善対策
72年度においては,パラグァイ国アルトパラナ移住地の公民館新営費に対し,3分の2の補助を行なった。また,ブラジル国レシーフェおよび,ポルトアレグレ両移住地に,生活改善指導巡回車各1台を配置した。
(ホ) 治安対策
72年度においては,ボリヴィア国沖縄第1,第2,第3の各移住地に,治安用オートバイ(更新)を購入配置し,また沖縄第1移住地,パラグァイ国イグアス移住地に,治安事務所を新営した。
(ヘ) 電化対策
72年度には,第6年次の事業として,アルゼンティン国ガルアペー移住地の電化に対し,2分の1の補助を行なった。
(ト) 飲料水対策
72年度には,ブラジル国エフィゼニオ・サーレス植民地に,井戸2基を設置した。
(チ) 沖縄移住地総合対策
72年度において,ボリヴィア国沖縄移住地における打込井戸設置に対する補助を行なった。すなわち,第1移住地に13基,第2に19基,第3に4基,計36基である。さらに道路補修として,沖縄第1移住地に50.4km排水路工事4.7km,橋梁工事4カ所暗渠工事48カ所の工事を行なった。
(リ) 営農指導
大規模移住地には,事業団直営試験農場を設け,営農に関する試験と展示を行なうとともに,移住者営農普及指導に当っているが,72年度は,試験農場の試験器材を整備して,移住地の動植物防疫対策の試験と指導を,とくに重点的に行なった。
(ヌ) 営農の機械化
最近の南米における経済的変動に伴う農業労働者の減少と,生計費指数の上昇に基づく労賃の高騰は,労働力の確保と経営規模の拡大を著しく困難ならしめているところ,奥地移住地における従来の人力を中心とした農法は,これを根本的に改善する必要に迫られている。
このため,事業団は,奥地移住地の農業機械化を推進させているが,72年度は,南部パラグァイでは,第4年次分として,ブルドーザーおよびヘビープラウを各2台,中部パラグァイでは,第3年次分として,トラクター1式とトレーラートラック各1台を,移住者に無償貸与した。
(ル) アンデス移住地対策
アルゼンティン国アンデス山系の畑地かんがい農業地域にあるアンデス移住地に対し,土壌塩分の処理とかんがい用水不足の解決を図るため,72年度は,地区内全域に配水用ヒューム管の敷設を行なった。
(ヲ) グァタパラ移住地対策
グァタパラ移住地の整備第2年度に当り,低地を利用するため,地区外からの導水路0.7km,地区内の幹・支線用水路,計3.6kmの掘さくを行ない,また丘地利用のための大型深井戸2基を整備した。
(ワ) パラグァイ農業総合試験場
パラグァイ国に移住して農業に従事している約1千家族の邦人移住者の営農を振興する目的をもって,各種の試験研究,および移住者子弟の研修を行なうため,72年度から,イグアス-移住地内に,農業総合試験場を開設することとなった。
しかし,72年度は,まだ,建設時期に当り,本都関係建物7棟960m2と蚕糸試験関係建物2棟420m2の建設,ならびに桑園10ヘクタールの伐開植栽を行なった。
(カ) 畜産試験農場
70年に,ボリヴィア国の沖縄第2移住地に開設したヌエバ・エスペランサ畜産試験農場に対し,牧場の整備,種牛の購入のほか,人工授精装置を設置し,移住者の家畜改良に役立つ人工授精体制を整えた。
(ヨ) 雇用移住者の独立用地購入
アルゼンティン国ブエノス・アイレス市近郊の花卉栽培者に雇用されている青年移住者を独立させるため,同市近郊のセラージャ地区に,30ヘクタールの独立用地を購入して,11戸の自作農を創設した。
(4) 移住地現地調査
1972年度には,外務省は各省の協力を得て,次の事項の調査を行なった。
(イ) イタプア製油商工会社に関する調査
海外移住事業団および経済協力基金を主要出資者とする,在パラグァイ国イタプア製油商工会社は,その製品たる桐油の市況の悪化に伴い,原料供給者である移住者との関係が問題になってきたこともあり,その運営の現状および改善方法の調査のため調査員を派遣した。
(ロ) 生活環境調査
移住地における婦人の役割の重要性に着目し,ブラジル,パラグァイ,アルゼンティン,ボリヴィア,ペルーの主要移住地において,移住地の主婦の生活環境に関する調査を行なった。
(ハ) 企業・技術移住調査
今後の企業者移住・技術移住の進め方について研究するため,ブラジルにおける邦人技術移住者の生活状況,および独立して企業を経営するに至った者について,その経緯および企業経営に当って直面している問題点等を調査するとともに,ブラジルに対する企業者移住推進上の問題点を探るため小企業の経営に関する実態調査を行なった。
(ニ) 移住先国の金融制度調査
数年来,営農規模の拡大,機械化ならびに小工業自営者が増大するのにともない,移住者の現地金融機関からの借入が急速に増えてきたところ,移住先国の金融の態様,融資条件,担保の取り方等の実態を調査するとともに,移住者がこれら金融を活用する上での問題点を調査した。
(5) 移住者子弟の教育および研修
(イ) 国庫補助県費留学生事業
都道府県(以下「県」という)は,1959年頃より,県独自の事業として,県出身の移住者(主としてブラジル,アルゼンティン在住)の子弟を,県内の大学,その他教育機関において,概して1年間勉学せしめる,所謂県費留学生事業を実施している。72年4月現在における受け入れ累積合計は,40県,74名に達している。なお,この数は,今後とも漸増するものと予想されるところ,外務省としては県側の強い要望もあり,本事業の形態,内容の統一化,ならびに留学生の待遇向上を図る見地から,71年度より,とりあえず10県,10名につき,旅費,学費,生活費,国内研修旅費につき国庫補助(半額)を支給している。
(ロ) 海外移住事業団の技術研修生受け入れ事業
海外移住事業団は,1971年度から,移住者子弟をして,その属する地域社会の発展に積極的に貢献せしめるため,これを本邦に招き,最新の技術および知識を修得せしめる研修制度を設けた。
その研修期間は1年半である。なお,72年度の研修生は,サンパウロ支部管内から2名,ベレン,レシフェ,リオ,ポルト・アレグレ,パラグァイ,ボリヴィアおよびドミニカの各支部管内から,それぞれ1名,計9名で,現在全国各地の大学,試験場等で各専門分野に分れ,研修中である。
(ハ) 日本海外移住家族会連合会の研修生受け入れ事業
日本海外移住家族会連合会では,移住者子弟中,地域社会発展のため貢献する中堅的人材を養成する目的をもって,1971年度より「移住者家族子弟研修制度」を発足せしめた。
その研修期間は2年である。72年度には,ブラジル4名,ドミニカ,パラグアイおよびボリヴィァより各2名,計10名を受け入れた。
(1) カナダヘの移住
カナダ政府の統計によれば,1971年における日本人移住者数は,815名であり,前年の785名を若干上回った。1971年も,近年のカナダ移住者の漸増傾向が続いたといえる。
移住者の中には,一定の技術,技能を有する者が多い。
カナダ移住は,あらかじめ就職先を決定することなく渡航し,到着後求職を行なうオープンプレスメント方式によることが多いので,語学力が就職の際の重要な要素となっている。このため,海外移住事業団では,希望者に語学力補完を主な目的とする渡航前訓練を行なっているが,71年度に訓練を受けた者の数は134名であった。
(2) 米国への移住
米国への移住者数は近年3千~4千名の規模で推移している。移住者の大部分は,米国市民や,永住者の近親者や配偶者等である。一部に,就学を目的として移住する者もいるが,その多くは技術者で,滞米中に,資格変更により,移住する者もある。
(3) 豪州への移住
豪州への移住者は,年間40~50名程度である。
豪政府は,1966年以降,欧州人以外の移住者についても,一定の資格を有する者の入国は認める政策をとっているが,その後もわが国からの同国への移住者には目立った変化はみられない。
(4) 派遣農業研修生
1966年以来,日米両国政府の後援により,年間200名をこえない農業研修生が農業研修生派米協会により米国に派遣され,2年間の研修を受けている。米国側では4H財団が受入機関となっている。