-国連における経済関係-

 

第4節 国連における経済関係

 

1.国連総会第二委員会

 

第27回国連総会における経済関係議題は9月25日から12月11日まで開催された同総会第二委員会で審議され,その結果に基づき国連工業開発機関,国連訓練調査研修所,開発事業活動,人間環境会議報告,国際大学設立問題等(主要問題については該当箇所参照)に関するほか,下記の主要問題について決議が採択された。

 (1) 経 社 理 報 告

天然資源の開発の分野では,(i)国家の恒久主権に対する権利が国家管轄権内の海底,底土およびその上部水域におよぶこと,(ii)第25回総会決議2625(XXV)「国家間の友好関係と協力に関する国際法の諸原則宣言」を再確認し,国が自国領土およびその沿岸水域に関する管轄権の構造または主権的権利の行使を行なう場合他国がこれに対し直接間接に威圧的措置をとることは前記決議に対する違反であることなどを内容とする決議3016(XXVII)が採択された。この決議の案文はアイスランドがチリ,ケニアなどの開発途上国と協議して提案したものであるが,わが方はタイ,クメール,シンガポール,リベリア,米,英,加などとともに表決に棄権した。

開発途上国内の貧困問題については,不平等な所得配分の是正,貧困階層の生活水準の向上と雇用の促進をはかるために国際的協力が必要である旨を強調する決議(3018(XXVII))がフィリピン,パキスタン,モロッコなどの提案により採択され,わが方はこれに賛成投票した。この提案は大衆貧困問題に対して主として開発途上国政府が取組む必要を訴えた世銀総裁および開発計画委員会(CDP)の報告に応えたものである。

 (2) 第3回UUCTAD報告

第3回UNCTADで採択された諸決議中第27回国連総会で実質的な決定を行なうことが要請されていたのは,定期船同盟コード作成作業の手続きであった。本件のイニシアチヴを取った開発途上国側はサンチャゴにおける強硬な立場を変えなかったため,西側グループとの協議が重ねられたにもかかわらず決議案は細部の修正に止まり,西側諸国のほぼ一致した棄権ないし分割投票による反対を押し切って採択された。その結果,1973年中に定期船同盟コードに関する国際協定を採択するための国連事務総長主催全権会議を開催することおよびその起草グループを設立することが決定された。

 

2. 経済社会理事会

 

わが国は,1971年には本理事会にオブザーヴァーとして参加したが,同年秋の第26回国連総会における選挙で1974年末まで3年の任期で経済社会理事会理事国に選出され,1972年5月より6月にかけてニュー・ヨークで開かれた第52回理事会,および同年7月,ジュネーヴで会合した第53回理事会の審議に参加した。

上記理事会会期においては,天然資源の開発,地域経済委員会報告,貿易開発理事会報告,世銀・IMF報告,国連国際大学設置問題,人口と開発,科学技術の開発への適用,国連諸機関活動の調整,土地改革,第2次国連開発の10年などの諸問題が審議された。

なかでも,1972年6月第52回経済社会理事会は天然資源常設委員会の設置した「天然資源探査回転基金設立のための政府間作業グループ」の報告に基づき,国連内にUNDP事務局長の運営下におかれる事務総長の信託基金の設立を原則的に承認する決議を採択したことは注目すべきである。この基金設立の構想は事務総長により提起されたものであるが,わが国はその提案の趣旨を支持し,基金の基本的概念として(i)基金は開発途上国での資源探査を融資する(ii)基金の資金源は当初は先進国からの自発的拠出によるが,(iii)その後の資金源は本基金による探査が成功した結果開発され産出される資源の売却価値の一定割合に相当する基金への返済金によることを骨子とするスキームを推進しており,ほぼこのラインで関係国間の合意が形成されつつある。しかしながら,本件基金の設立そのものについては開発途上国および先進国のそれぞれの内部で基金スキームの細部につき未だ合意がなく第27回国連総会に設置を原則的に承認せしめるとのわが方の方針は実現していない。

科学技術面における開発協力については,第53回会期にて,1971年7月第51回理事会の設立した「開発のための科学技術常設委員会」の付託条項が決定され,あわせて第1回同委員会(1973年3月開催予定)は(i)開発への科学技術適用のための諮問委員会の勧告した「開発への科学技術適用のための世界行動計画」の検討,(ii)第2次国連開発の10年国際開発戦略中の科学技術関係部分の再検討などを優先議題とすることが決定された。

第2次国連開発の1O年国際開発戦略の実施状況のレヴューについては,第51回理事会で設立された「開発の10年レヴュー常設委員会」の第1回会期が1972年6月開催され,1973年第28回国連総会に至る今後の作業日程を決めた。

地域経済協力については,第53回理事会において,現在いずれの地域経済委員会にも属していないバハレーン,イラク,ジョルダン,レバノン,クウエイト,オマーン,カタル,サウディ・アラビア,シリア,アラブ首長国,イエメン人民民主共和国,イエメンの12カ国からなる「西アジア地域経済委員会」を設立する旨の提案がレバノンなどからなされたが第55回理事会(74年7月)に審議延期となった。

なお10月の再開第53回理事会において世銀報告の審議中,中国代表が世銀からの台湾の即時追放を求める演説を行ない,これを記録にとどめるよう要請するとともに,世銀総裁が中国代表権問題に関する第26回国連総会決議(いわゆるアルバニア決議)履行のための措置をとらないのは受け入れられないとマクナマラ総裁を批判したことが注目された。

 

3. 国連アジア極東経済委員会(ECAFE)

 

1972年は国連アジア極東経済委員会(以下エカフェと略称)の設立25周年に当っていたが,1972年11月,この年最大のエカフェ特別会議である第2回アジア人口会議が東京で開催されるとともに,1973年4月には第29回エカフェ総会が本邦で開催されることとなり,わが国とエカフェとの関係において重要な年であった。

また,第29回エカフェ東京総会には中国の参加が,また,1973年8月にエカフェ事務局長の交代(新事務局長にはインドネシアのマラミス大使が就任する)が予定されており,エカフェは現在一つの転換期を迎えているといえる。

かかる全体の動向の中で,1972年におけるエカフェの地域協力プロジェクトの推進を中心とした活動のうち注目されるものをみると次のとおりである。

1970年12月,第4回アジア経済協力閣僚理事会においてその設置の決定されたアジア準備銀行設立に関する政府間委員会が1972年8月,わが国を含めて15カ国の参加を得て開催され同銀行設立協定等が作成された。本件スキーム案に対して西アジア諸国は原則的に支持したが,タイ,マレイシア等の外貨準備が比較的豊かな諸国は消極的であった。総じていえばわが国の出方待ちの空気が強かった。わが国は本件会議においては各国の関心を見守るとの態度をとったが,現在本件スキームのフィージビリティにつき検討中である。

上記閣僚理事会でその検討が勧告されたアジア清算同盟については,1971年3月の本件スキーム設立に対する準備委員会において作成されたアジア清算同盟協定案につき,関心諸国が最終的検討を行なっていたが,1973年2月に9カ国の参加を得て本件スキーム設立に関する政府,中央銀行間会議が開催され(わが国は不参加)その設立が合意された。今後エカフェ東京総会においてこれら諸国により協定の署名が行なわれる予定である。

1971年12月の専門家会合で検討された輸出信用保険スキームは,1972年12月の専門家会合でさらに.具体的に検討され,同専門家会合で作成された本件スキームの憲章に関する質問書が現在各国政府に送付されている。わが国は事務局の要請をうけ本件に関する専門家派遣による技術援助を行なった。

工業化の分野においては,1973年2月に開催された第8回アジア工業開発理事会(AIDC)においてアジア農業機械研究所の設立が支持されたほか,懸案であった地域協力のためのアジア工業調査が3月に終了する予定となった。

1973年2月に開催された第25回産業天然資源委員会において,鉱物資源開発センターをエカフェ事務局内に設置することが決定された。また環境問題については,1972年ストックホルムにおいて人間環境会議が開催されたが,これとの関連で環境に関するアジアの適当な行動計画を立案するための専門家会合の早期開催が要請された。その他,開発への科学技術の適用に関するアジア行動計画が,国連経済社会理事会のもとにある開発への科学技術の適用のための諮問委員会アジア・グルーブによって作成され,産業天然資源委員会に提出された。

資源開発の分野においては,1972年11月,南太平洋地域の諸国(英領ソロモン諸島,フィジー,ニュー・ジーランド,パプア・ニューギニア,トンガおよび西サモア)によって南太平洋沿海鉱物資源共同探査調整委員会が設立された。

人口分野においては1972年11月,エカフェ諸国,国際機関等よりの300名以上の参加者をえて第2回アジア人口会議(第1回は1963年にインドで開催された)が東京で開催された。同会議においては,アジアの人口増加と雇用,農業・工業開発との関係といった従来の家族計画にとどまらない幅広い問題が討議され,数多くの勧告とアジア人口戦略宣言が採択された。

 

4. 国連貿易開発会議

 

(1) 第3回UNCTADは,1972年4月13日から5月21日まで約40日間にわたりチリの首都サンチャゴで開催された。わが国よりは愛知外務大臣(当時),千葉代表以下関係各省よりの参加者からなる延べ70名を超える代表団が派遣された。会議は,本会議のほかに,第一委員会(一次産品),第二委員会(製品・半製品),第三委員会(国際金融・援助),第四委員会(海運・貿易外取引),第五委員会(東西・東南貿易),第六委員会(後発開発途上国),第一作業部会(機構),第二作業部会(開発途上国間経済協力),第三作業部会(技術移転)の6委員会,3作業部会を設け,それぞれの分野における諸問題を討議した。

会議の冒頭には一般演説が行なわれ,112カ国の首席代表が発言した。

一般演説とほぼ並行して各委員会の作業が開始された。開発途上国側は「リマ行動計画」を決議案の形式にして提示したが,コンタクト・グループにおける審議は逐条毎に難航をきわめた。結局会期を3日延長することにより,実質問題に関する諸決議が相次いで採択された。主要決議の要点は次のとおりである。

(イ) 国際通貨問題

国際通貨制度改革を検討するIMF20ヵ国委の設立を支持し,20ヵ国中9ヵ国は開発途上国代表とする。SDRと開発援助のリンク問題につきIMFが早急に研究を完成する。

(ロ) 新国際ラウンド

新国際ラウンドで開発途上国の利益に特別の注意が払われるような基本的ルールが確立されなければならない。ガット非加盟の開発途上国も新国際ラウンドに参加できるようにする。

(ハ) 経済権利義務憲章

国際経済の権利義務関係を体系的に規定する憲章を国連が確立する。(但し,決議採択に当り先進国はほとんど棄権した。)

(ニ) 一次産品

開発途上国関心産品に対する先進国の貿易自由化と国際的な価格政策につき,産品別に政府間協議を行なう。

(ホ) ココア協定

各国政府は1972年中に国際ココア協定を締結するよう最善の努力を払う。

(ヘ) 援 助 量

先進国は,政府開発援助(ODA)を1970年代の中頃までにGNPの0.7%に引上げるために最善の努力をする。現行の援助量目標を再検討する。0DAの継続性を保障するために,先進国が多年次計画等の措置をとるよう勧告する。

(ト) 援助条件

政府開発借款の利子は平均年率2%,償還期間は25~40年,据置期間は7~10年を目標とする。先進国は援助の一般的アンタイイングにつき早期に合意すべきである。(但し,本決議は投票に付され,わが国は態度表明をした上で賛成したが,仏ソ等11カ国は棄権した。)

(チ) 定期船同盟コード

定期船同盟の活動を規制する憲章を,各国政府を拘束する国際協定形式で採択するための全権会議を1973年の早い機会に開催する。(先進国は国際協定方式に難色を示し一致して反対した。)

(リ) 後発開発途上国のための特別措置

開発途上国の中で最も開発の遅れている25カ国に対し,貿易援助面の広範な分野にわたり種々の特別措置が考慮さるべきである。特に政府開発援助はほぼ贈与に近い条件が望ましく,特別基金の設立も検討さるべきである。(但し,大多数の先進国は具体的措置を規定した若干の項目にそれぞれの立場を留保した。)

(2) 第3回UNCTADの諸決議をUNCTAD常設機構内でフォローする目的で,第12回貿易開発理事会(TDB)が10月に開催された。最大の焦点となったのは,国際通貨問題決議の規定にあつた,通貨と貿易の分野の相互依存関係に鑑みIMF・GATT・UNCTADの3機関の活動の調整策を検討するとの問題であった。結局開発途上国側が,調整のための新機関設立に固執するアフリカ・グループとTDBの特別会期開催が現実的とするアジア・グルーブに分裂したため決着がつかず,審議未了となった。

(3) 第3回UNCTADの一次産品に関する決議に基づき,産品別の政府間協議をオーガナイズする目的で,第7回一次産品委が1973年3月に開催された。協議の付託事項に関しては,一次産品の問題点を検討し,開発途上国の輸出関心産品の貿易を拡大するための具体的提案を各国政府に提出するとの趣旨で合意が成立した。また,協議の場については,FAOなどの既存の国際機関を活用することにより作業の重複を避けることとされた。協議対象品目については,開発途上国側内部の対立のため合意に達せず,今後の問題として残された。

(4) 技術移転の分野では,第2回政府間グループ会合が1973年2月に開催された。前回および第3回UNCTAD同様,本分野の基本的問題,すなわち技術移転をいかに把握するか,また何が最大の障害となっているかをめぐり,活発な議論が展開された。今次会合で採択された決議は,先進国による政策措置を要請するパラは少く,むしろ事務局に特定の研究を行なうためマンデートを与えるパラが多いことがひとつの特色である。このように,技術移転の分野におけるUNCTADの活動は一応軌道に乗ったといえよう。

 

5. 国連開発計画(UNDP)

 

開発途上諸国に対して,投資前調査と技術援助を中心に援助活動を行なっているUNDPは年々その援助を拡大しており,1972年には約2億8,000万ドルの援助を行なった。これに対し同年の拠出金は,131カ国より,2億7,OO0万ドルであった。

UNDPはより効率的な援助計画を行なうために,1972年度より,国別計画を中心とする新方式を採用した。1971年1月の第13回管理理事会では19カ国の国別計画を承認し,ついで6月の第14回管理理事会ではインド等16カ国,1973年1月の第15回管理理事会では韓国,ブラジル等23カ国の国別計画がそれぞれ承認された。

一方,各国拠出金の増加率が思わしくないため近い将来資金不足が生ずる可能性が生じており,そのため計画遂行に支障のでてくることが懸念されている。このため事務局経費の節約,事業管理費の縮少等の対策が検討されている。

また各国への援助資金(IPF事業計画指標)の配分を算定する基準についても,より公平な基準を設定すべく,検討が加えられており,第14回管理理事会では,一人当りGNPと人口を基準とする事務局案が提出された。しかし各国の利害が対立し,審議はまとまらず結論は1974年1月の第17回管理理事会に持ち越されることになった。

 

6. 国連工業開発機関(UNIDO)

 

UNIDOの事業計画,活動方針の決定は,45カ国で構成される工業開発理事会(IDB)が行なっており,わが国は1974年末までIDBのメンバー国である。

UNID0の活動は,技術援助のほか,専門分野のセミナー・研究会の開催,企業内集団研修,工業投資促進サービスの実施,工業情報の収集,配布等広範囲にわたっている。わが国は,UNID0に協力して1972年10月2日から10週間にわたりアジア,中近東およびアフリカ地域諸国からの研修生10名に対し機械工業における生産管理に関する企業内集団研修を,また,1973年2月5日から10週間にわたりアジア地域諸国からの研修生8名に対し基礎化学工業における生産管理に関する企業内集団研修を実施したほか,1973年3月12日から同17日までアジア地域諸国から25名の参加者をえて,機械・設備の修理,保守に関するシンポジウムを東京で開催した。

 

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