-商品問題をめぐる国際協調の動き- |
昭和47年度において,一次産品問題に関してもっとも注目されたのは,サンチアゴで開催された第3回UNCTADである。この会議において発展途上国はその関心のある一次産品の価格改善および輸出増加について多くの要望を先進国に提示したが,その要望の多くは極めてトラスティックなもので先進国との討議も平行線をたどる結果となった。そのため具体的な決議も後述のココア協定に関するものが採択されたにとどまり,多数の一次産品の協議問題が1973年以降のUNCTADの下部機構の検討に委ねられた。
しかし,その後国際ココアの協定の交渉は1963年の第一次国連会議以来漸く成功を見るに到った。
また,72年後半から穀物,繊維原料,砂糖,飲料作物等一般に高値傾向をたどるものが多く,一次産品については従来の過剰,低価格問題よりも生産増強,供給保証等が通貨不安定による影響とともに重視されつつあり,商品をめぐる国際協調は一転機を迎えつつあるやに思われる。主な商品に関する国際協調の動きは次のとおりである。
1972年7月5日から11日まで国際小麦協定に基づく第64回国際小麦理事会が東京(外務省国際会議場)において開催された。理事会の東京開催は,長年の協定加盟国および理事会事務局の要望にこたえたものであり,商品関係のわが国における開催としては1967年の国際すず理事会以来のことである。この会期の議題は,理事会役員の選挙,予算の決定等行政的事項が主たるものであったが,当面の小麦市況等についても活発な討議が行なわれ,会議は成功裡に終了した。会議には米,カナダ,オーストラリア,ソ連,ECおよびその構成国,英,ブラジル,インド等加盟44カ国が参加した。なお72/73年度(年度は7月-6月)の理事会議長国としてわが国が選出された。
昭和47年度における小麦市況は,ソ連が不作のため大量の買付けを行つたことが主因となつて72年9月以降急激な価格上昇が見られ,73年はじめには価格は各銘柄の小麦とも未曾有の水準となった。輸入国たるわが国としては,小麦理事会の場においてこのような小麦の需給ひつ迫の状況について重大な関心を示すとともに,必要な輸入量の確保に努力し,理事会において当面の需給実態の把握のための作業を行なうことを提案して,目下各加盟国の協力を得てその作業が進められている。現行小麦協定には供給保証などの経済条項が含まれていない(詳細昭和45年度15号参照)が,今回のような市場の急変にもかんがみ,協定による供給保証の必要性が痛感されている。
現行国際砂糖協定は1973年末をもって失効するので,1972年11月の理事会において協議した結果,1974年1月1日から有効となる新協定を交渉するための国連砂糖会議を開催することとなった。会議は1973年5月および9月の2回にわたりジュネーヴで催されるが,わが国もこれに参加することを決定している。
現行第4次国際すず協定は1971年7月から発効したが,1972年6月英ポンド賞のフロートに伴い,協定のポンド建て価格帯をマレイシア・ドル建てに変更した。また,市況は弱含みに推移し,1973年1月の理事会においてすずの輸出統制を行なうことを決定した。
第3回UNCTADにおいては,長年懸案となっている国際ココア協定の作成についてその成立を促進すべき旨の決議No.49が採択された。この決議に則り1972年の国連ココア会議は9月11日再開され,6週間にわたる交渉の結果,10月21日「1972年の国際ココア協定」のテキストを採択した。
この協定の内容は,カカオ豆について一定の価格帯(1ポンドあたり最高32セント,最低23セント)を設定し,輸出割当てと緩衝在庫制度を施行することによって,変動の多いココアの価格を上記の価格帯に安定せしめることを目的としている。
わが国としてはこの協定がココア輸出に依存する西アフリカ,南米等の開発途上国の援助となること,ココア協定作成が多年にわたるUNCTADの要望であることおよびココア価格の安定が輸入国たるわが国の利益ともなることを勘案し,閣議の決定を得たうえ73年1月15日本協定に署名した。署名開放期間中に署名を下した国は,輸出国6カ国,輸入国35カ国であり,協定は1973年7月発効するものと考えられる。
現行国際コーヒー協定は1973年9月30日に失効するが,1970年以来引き続いているコーヒーの高値および輸出割当てをめぐる輸出国と輸入国の対立等もあり,1973年1月から現行協定における割当ても実施されない状況となっている。
1973年10月1日以降有効となるべき新協定についてもそのあり方に関する輸出入国間の考え方にはかなりの差があったが,結局経済条項を削除して2年間延長することに決定した。