-国際通貨問題- |
(1) 英ポンドの変動相場制移行
(イ) 1971年末に成立した「スミソニアン体制」は,72年3月はじめ和蘭ギルダー等に対する投機が激化した際の危機を克服した後はしばらくの間小康状態を保っていたが,6月中旬に至り,スミソニアンのレート調整直後からその過大評価が指摘されていた英ポンドに対する投機が激化し,同月23日より英ポンドは固定相場を離脱した。かくして,スミソニアンのレート体系の一角が崩れたわけである。右のポンド危機の基本的原因は前記のとおりポンドの過大評価にあるが,直接的には,同国におけるインフレ進行,昨年初頭以来の貿易収支の赤字傾向を背景として港湾スト,ヒーリー労働党議員のポンド切下げの予測に関する発言,新聞論調等に触発されたものである。
(ロ) ポンドがフロートした結果,投機がその鉾先をドルに向けたため,EC諸国は23日より,またわが国は24日より短資流入防止のため為替市場を閉鎖したが,この事態の収拾のため,24日のEC通貨評議会,EC中銀総裁会議を経て26日に開かれたEC閣僚理事会は,下記の決定を行なった。
(a) 英ポンドは,フロートを継続するが,EC各圏通貨はスミソニアン合意による為替レートを維持する。
(b) EC域内通貨間の縮小変動幅を維持する(なお73年1月1日のEC加盟を控えた英国およびデンマークも縮小変動幅を維持していたが前者は上記(a)のとおりフロートし,また後者は変動幅を4.5%に拡充した)。
(c) リラ防衛のため暫定措置として伊中銀に対しドルによる介入を認め,介入後のイタリアとその他の加盟国間の清算に当っては,イタリアはドルにより返済することができる。
上記の決定によって,EC諸国は多角的通貨調整に導く惧れのある一斉フロートを回避し,極力EC通貨総合のスケジュールを乱さず,スミソニアン合意の大枠を維持して通貨危機を局地化せんとする意思を示したものとみられるが,「スミソニアン体制」の生みの親であるアメリカが、同体制の維持を一早く内外に宣明したことが,危機の局地化に大きな影響を与えたものと考えられる。
(ハ) 再開された為替市場(ロンドン同月27日,EC諸国28日,わが国29日)においては,前記のとおりEC理事会が現行レート維持の確固たる姿勢を示したこともあり投機はほぼ鎮静し,英ポンドも9月末まで対ドル5~7%程度安の変動幅で推移した。しかし10月にはいるや一挙に10%程度安まで下がり,その後73年2月の通貨危機発生に至るまで10%安前後で推移した。
(2) 「スミソニアン・レート体系」の崩壊
(イ) ドルの再切下げ
(a) 「スミソニアン体制」は,ポンド危機を乗切って以来,73年1月22日にかねてからその脆弱性が指摘されていた伊リラが二重相場制に移行するまでの約7ヵ月間,おおむね小康状態を保っていた。しかしこの間の国際通貨情勢には基本的には下記のような不安定要因が存在していた。
(i) 米国の貿易収支改善の実績が現れないこともあり,ドルに対する信認の回復がみられなかったこと。
(ii) 円の過小評価,伊リラの過大評価等,各国為替レート間に不均衝が存在するのではないかとの見方がかなり有力であったこと。
(iii) 800億ドルに達するユーロ・ダラーが,有効な規制を受けないまま放置され,また米国の公的短期債務もユーロ・ダラーとほぼ同一の額まで膨張しており,この点からも通貨危機が一触即発の状態にあったこと。
(b) こうした状況の中で1月22日,イタリアが二重相場制に移行したことがきつかけとなり,その後スイスが市場への介入を停止し,また2月に入るやドイツ・マルクが激しい投機攻勢を浴びた結果,通貨危機は一挙に爆発し,結局同12日欧州の為替市場は閉鎖に追込まれた。
なおわが国はそれに先立つ10日より市場を閉鎖した。
(c) 上記事態収拾のため、ヴォルカー米財務次官が,わが国および欧州諸国を訪れ,関係国間で協議が行なわれたが,結局米国政府は同月12日シュルツ財務長官の対外経済政策に関する声明を通じて,ドルの10%切下げを発表した。これに伴ない,わが国の円は変動相場制に移行し,また伊リラについても二重相場制を維持しつつ経常取引レートもフロートするに至った。これに対し,投機の対象となったドイツは,同国の経常収支が殆んど均衡していること,現SPD(社民党)政権の政治的威信,EC通貨同盟に対する考慮から,最後まで固定平価堅持の立場を貫ぬき,またフランス,ベルギーは二重相場制(経常取引レートは固定),オランダは固定相場制と,それぞれ従来よりの態度を変更しなかった。しかしドルが10%切下がったことにより,これら諸国の通貨はいずれも対ドル11.11%切上がる結果となった。
(d) ところでこの通貨危機に際し米国のとった態度が注目された。すなわち同国は72年6月の英ポンドのフロートの際には,「スミソニアン体制の堅持」の立場をとったが,今回はむしろ傍観者的態度に終始し,結局ドル切下げ措置によって,「スミソニアン・レート体系」を崩壊させるに至った。米国のドル切下げは,激しい投機攻勢にも拘らずドイツが平価変更拒否の立場を貫き,またわが国の円も強固な為替管理によって守られている事情に鑑み,謂わば局面打開の切札として使われたといえるが,米国政府の意図は,ドル切下げによる新しいレート体系に加うるに,大幅な対米黒字を記録しているわが国の通貨のドル切下げに対応する切上げによって,最大の懸案である対外貿易収支の赤字解消を目指したものといえよう。これには,スミソニアン合意の際35年ぶりに金価格を変更した経緯が既にあり,今回ドルを再び切下げても,アメリカにとってもはや政治上の威信に関する問題ではなくなっている事情を看過することはできまい。
また今回のドル切下げを,SDR平価の変更としたこと(すなわち1ドル=0.92106SDRより1ドル=O.82875SDRへの切下げ)は,米国政府の金廃貨への意思を示したものといえよう。
(e) こうして現出した各国の為替相場関係は,ほぼ適正なものとの点で,各国の見方は一致していたといえる。
しかるにその後も為替投機の底流は依然として存在し,スイス・フラン,金,ドイツ・マルク等が循環的に投機のアタックを受け,3月1日には,欧州各国通貨は軒並みに対ドル上限ないし上限近傍まで上昇し,結局2日には主要国の為替市場は閉鎖に追込まれた。
(ロ) EC6カ国の「部分的共同フロート」
(a) 上記の事態を収拾するため,関係主要諸国間で数次に亘り国際会議が開かれた。すなわち当初EC諸国は,EC諸国内部で問題の解決をはからんとしたが,事態の国際的な性格に鑑み,またジスカール・デスタン仏蔵相が特に米国の責任を指摘したため,米国およびわが国をも含めた国際会議,すなわちEC諸国とECに属さない10ヵ国グループの計14カ国の蔵相および中銀総裁会議が開かれた。
まず9月に開かれた会議では,EC諸国は,既に不可避と見られていた何らかのフロート措置を決定提示し得ず,米国に対し市場介入等のドル信認回復のための協力措置を要請したが,米側は,EC側の出方をまず反問し,一般的な協力姿勢を示したに止まり,具体的投機対策は何ら決定し得ず,さらに1週間の市場閉鎖を決めその間関係会議を開くことを決定したにすぎなかった。右蔵相会議のコミュニケの要旨は下記のとおり。
(i) ドル10%切下げに伴う調整による新しい評価,基準レートの関係は,経済的要請に合致するものであり,これは国際収支の状況の改善に通貨面から効果的に貢献するものである。
(ii) 共同で秩序ある為替レート制度を確保するための対策の作成に関し,本会議の代表代理に直ちに技術的検討を行なうよう指示した。
(iii) EC諸国およびスウェーデンが3月19日に為替市場を再開できるよう必要な決定を行なうことを目的として16日に再び会議を開くことを決定した。
(iv) IMF20ヵ国委員会の作業を促進するため必要な措置をとることを決定した。
(b) 上記決定が行なわれた時点においては,各国の態度決定までかなりの迂余曲折を経ることが予想されたが,週明けの3月11日に開かれたEC蔵相理事会がEC6カ国の「部分的共同フート」採用を決定したことにより,意外に早く事態の解決の見通しがついた。右EC蔵相理事会の声明要旨は次のとおり。
(i) ドイツ,フランス,デンマーク,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの6カ国は,互いの通貨の変動幅の最大限を2.25%に維持しつつ(縮小変動幅),対ドル固定評価を離脱する。二重相場制を採用しているフランスおよびベルギーは,経常勘定についてのみフロートさせる。
(ii) 撹乱的資本移動から通貨体制を保護するため,1972年3月21日付指令(非居住者の投資規制等5項目の短資対策)の適用を強化する。
(iii) 英国,アイルランド,イタリアは,出来る限り早期に共同フロートに参加する。
(iv) ドイツは,マルクのセントラル・レートを外為市場の再開前に調整する。(右声明に従い,マルクは対SDR3%切上げられた)。
(c) 2回目の14カ国蔵相・中銀総裁会議は,前記EC蔵相理事会のコミュニケに従い16日に開かれたが,ここでは主として次のような為替投機対策に関するコミュニケが発表された。
(i) 各国は,為替市場の状況に照らし,かつ売買される通貨国の当局と緊密な協議の上,市場に介入する。右介入に必要な資金は,相互の信用供与ファシリティーによってまかなわれる。
(ii) 米国は,1974年末までに長期資本流出に対する制限を漸次撤廃する措置は外為市場の状況と,国際収支の趨勢を適切に考慮した上でとる。また同国は,資本流入の抑制措置を除去するに適当と思われる措置を検討しつつある。黒字国は,資本流出特に長期資本流出に関する制限の撤廃ないし緩和の可能性を検討する。
(iii) ユーロ・カレンシー対策の検討に際しては,(あ)IMF加盟国が公的準備を放出することの制限,および国内金融市場における支払準備に比すべき支払準備の必要性が問題となろう。公的準備の放出規制については,各国は率先して範を示し,米国も資金環流促進のための措置を検討する。
(iv) 公的通貨残高のファンディングまたはコンソリデーションは,徹底的かつ緊急の注目に値する問題である。
(v) 国際通貨の安定は究極のところインフレ抑制が成功するか否かにかかっている。
(d) 上記14カ国蔵相会議においては,米国が比較的柔軟な態度を示したことが注目される。これは通貨危機の根因である「ドルたれ流し」を許容している米国が,国際協調の精神に則り何らかの責任を果す姿勢を示さないならば各国から非難を浴びるのみならず,通貨不安再発の惧れがあり,米国としては,市場再開に最小限必要な協力姿勢を示すことが,今後の通貨・貿易体制改革を主導権をもって推進する上にも必要と考えたためと思われる。しかし米国が実質的にコミットしたとみなしうるのは,市場介入と,長期資本流出制限の漸次撤廃に条件を付したことだけといえ,その他の点については検討を約したに留まっている。
(e) かくして3月19日より各国の市場は再開されたが,再開後の各国為替市場は,総フロートの状態の中にドルが比較的堅調な動きを見せており,国際通貨情勢は小康状態を取戻したが,果してEC諸国間の固定平価が今後維持されうるか,または為替レートの変動による取引の阻害がどの程度出てくるかにより,並立しつつ相互にフロートしている通貨圏の間での貿易縮小傾向による世界経済のブロック化が懸念される。いずれにしても固定レートヘの復帰の際は,フロートに代わり投機再発を防止しうる体勢の整備が不可欠であるので,フロートの期間は相当長引かざるを得ないものと予想される。
(3) 長期的国際通貨改革
IMF総務会は1971年秋の年次総会において,IMF理事会に対し国際通貨制度の改善または改革に必要な,または望ましい諸措置を検討し,これを遅滞なく総務会に報告することを求める決議を採択したが,これを受けて理事会は精力的に論議を重ね,72年9月6日国際通貨制度の改革に関する報告書を作成,発表した。
本報告書は,国際通貨制度改革について一致した結論を出すことを目的としたものではなく,多くの主要問題に関して賛否の議論をその主張する国名を示さずに併記する形をとっている。報告書の主要点は次のとおり。
(a) 為替レート調整のメカニズム
(i) 現行協定では,基礎的不均衡がある場合にのみ平価変更を行なうことができるが,これは義務的でないので,これを義務的に改める。
(ii) 平価変更の客観的基準(対外準備,直物為替相場,国内物価指数等の基準)を用い,平価調整の必要性の判定を行なう方向に努力することに賛否両論がある。
(iii) 特定国の不均衡の場合は,黒字,赤字を問わず当該国が調整の責任を負うが,IMFに平価変更勧告権,強制措置をとる権限を認めるかについては,賛否両論がある。
(b) 交換性および国際収支不均衡の決済
米国も他国と同様に従来のドル残高を除き国際収支の準備資産(金、SDR,IMFポジション)で行なうべきであるとの議論と,資産決済は調整メカニズムおよび短資移動対策が効果的に機能し,米国の国際収支が改善されねば無理であるとの議論に分れた。
(c) 準備資産の役割
(i) 資産決済制度が導入されれば,SDRの役割は増加し,準備通貨の役割は減少する。IMFに準備通貨とSDRの代替のための代替勘定を設ける。
(ii) 将来の通貨体制における金の役割,金価格引上げについては,意見の対立がみられた。
(d) 撹乱的資本移動対策
短資対策は統一的に管理されることが望ましく,多角的監視の下に置かれるスワップ等のファシリティーの取極を行なう必要がある。
(a) IMFは通貨改革の討議を目的としたフォーラムとして7月26日IMF総務会20カ国委員会の設置を決定したが,開発途上国9カ国を含む20カ国の蔵相をメンバーとする右委員会は,9月末のIMF総会開催中の9月28日に第1回会合を,また73年3月26,27日の両日第2回会合を,それぞれワシントンで開催した。
(b) また右委員会の代理会議は72年9月29目に第1回会合を開いて以来,11月末,73年1月下旬,3月下旬と計4回開かれているが,通貨改革に関する実質論議はむしろこの代理会議で行なわれている。代理会議での論議は,国際収支の調整メカニズムより始められたが,第2回目の会合より,準備資産,資産決済問題等についても議論が行なわれた。また3月21日より23日まで開かれた会議では,本年2月上旬より会議直前まで継続した国際通貨危機に鑑み,短期規制に関する議論に多くの時間が費やされた模様である。
(c) ところで通貨改革の方向の決定に決定的な影響力をもつ米国は,72年9月のIMF総会におけるシュルツ財務長官の演説,20カ国委員会代理会議でのヴォルカー提案において同国の希望する改革案を提示したが,同国の最大の関心事である国際収支の調整メカニズムについては,黒字国,赤字国対策の立場ではあるが,従来の体制より見れば国際的監視,制裁を含む厳しい黒字国責任論を打出しており,またレート調整の必要性の有無の判断基準として,外貨準備の増減を「客観的指標」とすべき旨主張している。
(d) 3月26,27日に開かれた第2回20カ国委員会代理会議では,通貨改革の幾つかの柱となる項目について大筋の方向付けを行なったが,改革の個々の具体案については合意は見られず,これらは代理会議に対する宿題として持越された。
(e) 今後の見通しとしては,各国ともしばらくフロート状況の模様眺めで,73年9月末のIMFナイロビ総会を目途に作業自体は進捗しても,必ずしも早期に合意に達するか定かでない。
(4) 円の変動相場制移行
スミソニアンの通貨調整で,対ドル16.88%の切上げを行なった円は,73年2月12日のドルの再切下げ措置に伴い,変動相場制に移行した。円はスミソニアン・レート調整によってもなお過大評価されているのではないかとの見方を諸外国によりされていたが,ドル再切下げの結果現出したレート体系が現実の「経済の要請」に合致するものであると関係会議のコミュニケで参加諸国が認めたことは,これを裏書きするものであったといえよう。円の対ドル相場は3月末現在16%高前後で推移しているが,「総フロート」の状態が長びくことが予想されることから,円の早期固定相場復帰は期待しえないものといえよう。
(1) 1972年におけるIMFの活動状況
1972年におけるIMFの主たる活動としては
(イ) 国際通貨制度の改革に関し理事会において討議してきた結果を取纏め,9月,理事会報告書の形で公表したこと(前記1,(3),(イ)参照)。
(ロ) IMFの枠内に20カ国委員会(正式には,「国際通貨基金の」国際通貨制度改革およびその関連問題に関する総務会委員会」と呼ばれる)を設立し,年次総会会期中に第1回会議を開催したほか,同代理会議を9月および11月の2回開催し,上記理事会報告書中の諸問題点につき,さらに討議を重ねたこと(前記1,(3),(ロ)参照)。
(ハ) 濠,南アなど26カ国の平価ないしセントラル・レートの変更を承認したこと。
(ニ) 6月,英ポンドの変動相場制移行を承認したこと。
(ホ) ルーマニアなど5カ国が新たに加盟したこと(その結果,加盟国数は125となった)。
(ヘ) 一般勘定およびSDR勘定を通ずる取引としては
(a) IMFからの外貨引出し合計16億SDR余(うち英国が引出した額は約5.8億SDR)。
(b) IMFへの返済合計13億SDR余(うち約9.5億SDRは英国の返済)
(c) SDR参加国数は116であるが,うち70カ国が72年末現在SDRを使用している。
(2) IMFの対日年次協議
IMFの対日年次協議は,1972年12月4日より2週間にわたり,東京において行なわれたが,とくに71年12月に円切上げが実施され,その後も2回にわたり各種円対策がとられたにもかかわらず,引き続き輸出は増勢を示し,貿易収支は大幅黒字傾向を辿っていた故もあり,討議の中心は自ら経常収支余剰削減対策に集まり,可成り突込んだ意見の交換が行なわれた。これらの意見交換を通じ,先方も,輸出鈍化,輸入増加傾向が既に看取されていた故もあり,今後,円切上げ効果の発現,国内景気の一層の回復などのため,経常収支の黒字幅は,明年は縮少に向かうであろうとの認識を示した。本協議において討議されたその他の問題は,財政金融政策の果すべき役割,経済社会基本計画の概要などであった。
(1) ECの通貨統合計画
(イ) ECの経済通貨統合計画の基軸である域内通貨間の変動幅縮小計画に関し,72年3月,EC理事会は下記の決定を行なった。
(a) 域内通貨間の変動幅を2.25%に縮小し,介入は原則として域内通貨で行ない,ドル介入は上下夫々2.25%の点でのみ行なう。
(b) 短資資金の流入規制については,非居住者の投資規制,居住者の対外借り入れ規制,銀行の対外ネットポジション規制,強制準備率制度の発動の4項目を指針とする。
(c) 通貨統合を支える機関として経済政策調整委員会を設立し,また地域開発基金,欧州通貨協力基金の設立を検討する。
(ロ) 上記理事会決定に基づき,まず域内各国中央銀行間で介入を援助するための資金供与協定が結ばれ,次いで4月24日に,変動幅縮小計画が実施に移された。当初英国も正式加盟を待たずに参加したが6月末のポンドフロートにより,脱落し,原EC6カ国では,73年1月まで約9カ月間に亘って維持された。
また10月のパリ首脳会議では,74年1月1日に経済通貨統合計画を第2段階に移行させることが確認され,また欧州通貨協力基金を73年4月1日までに創設することが決定された。
(ハ) しかし,73年に入りEC通貨統合計画は,前項で述べた一連の通貨危機により再び試練に立たされた。3月11日EC理事会はその解決策として,域内6カ国(英,アイルランド,伊は除く)通貨間の変動幅は2.25%に維持するが,対域外通貨に対してはフロートするとのいわゆる共同フロート制を採用した。この結果変動幅縮小計画は,変則的ではあるがともかく維持されることとなった。しかし国際通貨情勢が流動的な中で共同フロートを実施するには,技術的問題点も多いといわれており,今後同計画の主要な運営機関となる欧州通貨協力基金の機能が如何に拡充されていくかが注目される。
(2) コメコンの通貨統合計画
(イ) コメコンは1971年7月末のブカレストにおける第25回総会において採択された統合計画によると,(i)加盟国は1971~72年に振替ルーブルの各国通貨への交換性(オブラチモスチ)および各国通貨相互間の交換性の実現の問題を研究し,また1973年に上記交換性実現の条件および手続きを共同で研究する,(ii)加盟国は振替ルーブルの実際的振替性(ペレパジーモスチ)ならびに交換比率および金含有率の実現性について1973年末までに研究することになっているが,現在,上記スケジュールに従って検討が続けられているものと予想される。
(ロ) 昨72年7月10~12日モスクワで開かれた第26回総会は,前回総会の「統合計画」の路線に沿って加盟諸国の経済統合を進めることを再確認しコメコンの「共同市場」に対抗する経済ブロックとしての面が強調された。なおこの総会ではキューバの正式加盟が承認された。