-ソ 連- |
大平外務大臣は,オーストラリア,ニュー・ジーランドおよび米国への訪問の後,1972年10月21日から24日までソ連邦を訪問し,コスイギン首相と会談するとともにグロムイコ外務大臣との間で第一回日ソ平和条約締結交渉を行なつた。この交渉において,わが方は,領土問題の解決なくしては平和条約の締結はありえないとの基本的立場から,歯舞群島および色丹島とともにわが国固有の領土である国後島および択捉島の返還を強くソ連側に要求した。しかるに,ソ連側の態度は依然として固く,わが方の要求が容れられるところとならなかった。したがって第1回日ソ平和条約交渉においては,双方がそれぞれの基本的立場を表明し,かつ,今後ともこの交渉を継続することに合意するに止らざるをえなかった。
共同新聞発表中の平和条約交渉に関する部分は,次のとおりである。「両大臣は,本年1月に日本とソ連との間に達成された合意に従って,両国間の平和条約締結に関する交渉を開始した。両大臣はこの問題に関するそれぞれの立場を表明し,意見の交換を行なった。双方は,交渉を継続することに合意した」。
2. 田中総理大臣とブレジネフ・ソ連共産党書記長との間の書簡交換
田中総理大臣は,ブレジネフ・ソ連共産党中央委書記長に宛て書簡を発出した。この書簡は,1973年3月6日に新関駐ソ大使よりブレジネフ書記長に直接手交された。田中総理は,この書簡において,日ソ関係全般についての日本政府の基本姿勢を表明し,とくに日ソ平和条約締結交渉を1973年中に行なう必要性があること,日ソ経済協力が双方に満足のゆく形で進められるなら,政府としても前向きに対処する用意があることおよび最高首脳レベルでの対話の必要性を述べた。
この総理書簡に対して,ブレジネフ書記長は,田中総理にあてて書簡を発出し,3月28日在京トロヤノフスキー大使より直接田中総理に手交されたが,この書簡において,ブレジネフ書記長は,日ソ関係を全面的に発展させる用意を表明し,平和条約締結交渉を本年中に行なうことを確認し,互恵の原則の下で日ソ経済協力を推進する用意があることを述べ,田中総理に対する訪ソ招待を確認した。
(1) 安 全 操 業 問 題
6月のイシコフ・ソ連邦漁業大臣来日の際の,同大臣と赤城農林大臣との間の合意に従い,9月,新関駐ソ大使より,カーメンツェフ・ソ連邦漁業第一次官に対し本件に関するわが方提案に基づく交渉の早期開始方要請した。ソ側回答は,まだなされていない。
(2) 漁船の被だ捕状況
北方水域におけるソ連官憲による本邦漁船のだ捕抑留事件は,依然として頻発しており,1972年(歴年)中における本邦漁船のだ捕件数は36隻,234名であり,その内17隻,213名が帰還した。なお,1946年より1973年3月31日まで,ソ連側に抑留された漁船の総数は1,400隻を数え,抑留漁船員の総数は11,827名に達しているが,その内ソ連側から送還された船舶は861隻,漁船員は11,773名であり,だ捕の際,または引取りの途中で沈没した船舶は23隻,抑留中に死亡した漁船員は32名である。
(1) 貿 易 概 況
1972年の日ソ貿易実績は,通関統計で輸出5億400万ドル(FOB対前年比33.7%増),輸入5億9,200万ドル(CIF対前年比19.5%増),合計10億9,600万ドル(対前年比25.6%増)で,日ソ貿易史上初めて10億ドルの水準を上回った。また貿易バランスも著しく改善された。対ソ輸出は,輸入の増加を上回る伸びを示したが,これは過去の輸出契約が大きかったため,1971年後半からの国際通貨調整の影響もさして受けず,順調に推移したことによる。他方,輸入は,我が国景気回復の立遅れと船舶の動きが十分でなかったため,伸び悩みを示した。
輸出では機械設備(2億300万ドル),繊維製品(9,800万ドル),鉄鋼製品(8,680万ドル),化学品(4,910万ドル)が大きな割合を占めた。輸入では,木材(2億2,600万ドル),非鉄金属(1億2,100万ドル),石炭(1億700万ドル),石油および石油製品(7,400万ドル)が目立ち,また金額的には少ないが,ソ連製機械設備(約600万ドル)の輸入も次第に増加している。
(2) シベリア資源開発プロジェクトをめぐる日ソ経済委員会の活動
1972年2月,東京で開催された日ソ,ソ日経済委員会第5回合同会議は,(1)チュメニ石油開発輸入,(2)南ヤクート石炭鉱床の開発輸入,(3)サハリン大陸棚の石油,ガス探査の各問題を審議し,また既に成立している極東地方の森林,港湾開発等のプロジェクトの実施状況につき,報告を聴取した。その後,政府関係者を顧問に加えたチュメニ石油開発プロジェクト現地調査団(1972年6月16日から7月1日まで)およびサハリン大陸棚探鉱プロジェクト現地調査団(1972年9月8日より15日まで)が各々訪ソした。また1972年11月には,オシポフ・ソ連邦外国貿易省次官が来日し,チュメニおよびヤクート天然ガス開発輸入プロジェクトにつき,わが方政府関係者を含む関係者と会談した。なお,南ヤクート石炭鉱床の開発プロジェクトについても日ソ双方の当事者間で検討が続けられている。
1972年1月のグロムイコ外務大臣の訪日および同年6月の大石環境庁長官の訪ソの際に,日ソ間で自然保護の目的から渡り鳥等を保護するために協力することは有意義である旨,意見の一致を見,1973年2月14日から16日までモスクワにおいて日ソ間で渡り鳥保護のための条約を締結する問題に関し,第1回専門家会議が開催された。この会議においては,両国の自然保護行政に関する情報交換および条約にもり込むべき主要内容についての意見交換が行なわれた。第2回の専門家会議が近い将来に東京で開催を予定されている。