-西欧地域- |
(1) 現 状
1972年におけるわが国の総貿易に対西欧貿易の占める割合は輸出16.6%,輸入10.6%であり,またこれを西欧側から見るとEC(拡大前)については輸出0.9%,輸入1.6%,EFTAの場合は輸出1.8%,輸入2.3%(以上数字は1971年)となお小さく,日欧貿易は今後の発展の余地を残していると云えよう。ただし,最近のわが国の対欧輸出は急速な拡大傾向を示しており,72年には輸入の伸びが20.2%と総輸入の伸び19.1%とほぼ同水準であったのに対して輸出の伸び率は39・9%と総輸出の伸び19・0%を大幅に上回った。このような輸出の急増は一都の特定産品に集中している点が注目される。例えばラジオ受信機(対EC,対EFTA輸出の増加はそれぞれ約97.7%,60.3%),自動車(同様に135.8%,108.5%),テレビ受像機(157.1%,123.2%),テープレコダー(100%,30.8%)等の品目を挙げることができる。これらの品目の輸出量は従来の実績が小さかったため絶対量としてはなお低水準にとどまっているが,輸出の伸びが急速なため西欧諸国にわが国の経済的進出に対する警戒心が強まってきた。
このような西欧諸国の日本に対する不安を除去すべく,わが国は適正な輸出秩序の維持の立場から,問題となっている品目につき輸出自主規制を実施する等日欧経済関係の改善に努めた。
これに対し,EC内部には,わが国からの輸入急増問題についての対応策実施の必要性を説きつつも,わが国の一方的な自主規制によってEC市場が影響されることもまた好ましくないとする意見も強い。こうして,西欧,特にECに対する輸出秩序維持対策の推進にあたっては,EC内部の複雑な事情に十分配慮することが必要となっている。
(2) 貿 易 交 渉
1970年以来EC加盟国との貿易交渉はEC規約上不可能となっているため行なわれていないが,EC非加盟国とは例年通り貿易交渉が行なわれた。
(イ) 日英貿易交渉
日英間の相互の貿易拡大を目的とする日英年次貿易交渉は,1972年4月14日からロンドンにおいて行なわれた。その結果,工業用綿製品9品目および74年の対英輸出について日本業界が英側の満足のゆく自主規制を行なうことを条件として家庭用陶磁器4品目の対英輸出自主規制を撤廃することが合意され,11月13日双方の間でその旨の書簡交換が行なわれた。これにより残存対英輸出自主規制品目は32品目となった。
(ロ) 日・オーストリア貿易交渉
1971年12月24日に署名された日墺貿易取決めは,1972年12月末で失効するため,1973年以降の取扱いにつきウィーンにおいて交渉がおこなわれた。
その結果,1973年12月31日まで,両国間の貿易は引き続き1966年11月4日付の取決めによって律せられることとなった。
(ハ) 日・スペイン貿易交渉
1966年2月に締結された日・スペイン貿易協定は1970年まで毎年延長されてきたが,これに代る新しい貿易協定を締結するため,1971年11月東京で行なわれた第1回交渉の後をうけて,1972年5月29日から6月7日までマドリッドで第2回交渉が行なわれたが,妥結には至らなかった。
(ニ) 日・ノールウェー貿易交渉
わが国は,ノールウェーとの間に,1962年以来毎年貿易交渉を行ない貿易取決めを締結してきた。1972年においても,10月23日から11月1日までオスローにおいて交渉を行ない,対日輸入制限の削減に努めた結果,対日制限品目は38から36(綿製品に関する輸入制限を除く)に減少した。
ヒース英国首相の来日
ヒース英国首相は,1972年9月16日から19日まで,日本政府の招待により公賓として訪日した。これは,現職英国首相による史上初の訪日である。
ヒース首相は,滞日中,皇居において天皇・皇后両陛下に拝謁した。
また,ヒース首相は,田中総理大臣および大平外務大臣と会談し,世界情勢,世界の諸紛争の平和的解決,アジア情勢,欧州情勢,拡大EC,開発途上国援助,国際通貨・貿易,日英通商関係,日英協力等,日英両国が共通の関心を有する広汎な問題について意見を交換した。これらの会談において,世界の平和と安定を推進するため協力してゆくとの両国の決意が表明され,また,国際問題に関する双方の見解がきわめて近接していることが示された。
ヒース首相の訪日は,日英両国間の相互理解を深め,友好親善関係を一層強化する上で大いに資するところがあった。
(1) 日独航空当局間協議および航空協定の附表改訂
日独航空当局間協議は,1972年4月10日から14日までボンで開催され,協議の結果,日独両国間にシベリア経由の航空路線を開設することが合意された。
上記の合意にもとづき,1972年7月18日大平外務大臣と駐日ドイツ連邦共和国大使の間で,日独航空協定附表改訂のための書簡交換が行なわれ,右改訂の結果,協定附表にシベリア経由路線が追加された。
(2) 日伊航空当局間協議
日伊航空当局間協議は,1972年9月6日から8日まで東京で開催された。協議の結果,日伊両国間にシベリア経由の航空路線を開設することが合意された。
(3) 日蘭航空当局間協議および航空協定の附表改訂
1972年2月にへーグで行なわれた航空当局間協議での合意に基づき,1972年12月19日大平外務大臣と在京オランダ大使の間で日蘭航空協定附表改訂のための書簡交換が行なわれ,この結果,沖縄返還にともなう附表の字句の一部修正が行なわれた。
(4) 日仏航空当局間協議および航空協定の附表改訂
日仏航空当局間協議は,1972年4月17日から20日までパリで開催され,協議の結果,東京とタヒチおよびニュー・カレドニアを結ぶ南太平洋路線の開設等について基本的な合意が成立した。
また上記協議での合意にもとづき,1972年7月18日大平外務大臣と駐日フランス大使の間で,日仏航空協定附表改訂のための書簡交換が行なわれ,この結果,沖縄返還にともなう附表の字句の一部修正が行なわれた。
(5) 日希航空協定の締結
日本とギリシャは,両国間に航空協定を締結するため,1972年10月10日から10月21日までアテネにおいて,日本側安藤駐ギリシャ大使,ギリシャ側パナゴプロス航空庁長官をそれぞれ首席代表として交渉を行なった。その結果,双方は,協定内容に関して実質的合意に達し,両首席代表は,10月21日「航空業務に関する日本国とギリシャ王国との間の協定」に仮署名した。
次いで1973年1月12日アテネにおいて,日本側安藤駐ギリシャ大使とギリシャ側カヴァリエラトス外務大臣代行との間で署名が行なわれた。
この協定により,日本側およびギリシャ側各航空企業は,東京・アテネ間路線の運航を認められることになる。
(6) 日・スイス航空当局間協議
日本・スイス航空当局間協議は,1972年9月20日から22日まで東京で,1973年3月12日から14日までベルヌで,日本側後藤運輸省航空局審議官,スイス側グルディマン運輸通信省航空局長を代表として開催された。その結果,両国指定航空企業が1974年4月から,北極経由路線にDC-8機により週1便の運航を行なう権利および南廻り路線に大型機械を使用する権利を認めることが合意された。
(1) 日・スペイン租税条約締結交渉
わが国とスペインとの租税条約締結のための交渉は,1971年9月20日から9月24日までマドリッドにおいて行なわれた第1回交渉の後をうけて,1972年5月8日から13日まで東京で行なわれた。交渉の結果,条約案文の大部分につき合意をみた。その他の部分についてもその後の交渉により実質的に合意をみるに至っており,遠からず署名が行なわれる見通しである。
(2) 日・ポルトガル租税条約締結交渉
わが国とポルトガルとの租税条約締結交渉は,1972年4月17日から20日まで東京において,6月20日から22日および7月4日から8日までリスボンにおいて行なわれ,条約案文の大部分につき合意をみた。その他の部分については今後の交渉に委ねられた。
(3) 日・フィンランド租税条約の批准書交換
1972年2月29日ヘルシンキにおいて署名されたわが国とフィンランド共和国との租税条約(「所得に対する租税に関する二重課税の回避および脱税の防止のための日本国とフィンランド共和国との間の条約」)の批准書交換は,1972年11月30日東京において,日本側大和田外務省欧亜局長,フィンランド側ラレス駐日大使との間で行なわれた。この結果,同条約は1972年12月30日に効力を生じ,同年1月1日に遡って適用された。
(4) 日・伊租税条約の批准書交換
わが国とイタリアとの租税条約(「所得に対する租税に関する二重課税の回避のための日本国とイタリア共和国との間の条約」)は,1969年3月20日に署名ずみであるが,同条約の批准書の交換が1973年2月15日にローマにおいて,日本側竹内駐イタリア大使,イタリア側マンザーリ外務省法律顧問との間で行われた。この結果,同条約は3月17目に効力を生じ,73年1月1日に遡って適用された。
(1) 外交・公用旅券所持者に対する日白査証免除取決め
わが国とベルギー政府は,1972年10月31日,東京において外交・公用旅券所持者に対する査証免除について口上書の交換を行なった。この結果,1972年12月1日より外交・公用旅券を所持する日本国民およびベルギー国民は滞在期間のいかんにかかわらず査証を免除されることとなった。
(2) 日・マルタ査証相互免除取決め
わが国は,マルタとの間に査証相互免除取決めに関する交渉を行なってきたが合意をみたので,1973年2月5日イタリアにおける両国大使館の間で査証相互免除に関する口上書を交換した。その結果,1973年3月1日以降,両国国民は,継続する3ヵ月以内の滞在については,原則として査証なしで相手国に入国することができることになった。
(3) 外交・公用旅券所持者に対する日本・ルクセンブルグ査証免除取決め
わが国とルクセンブルグは,1973年3月12日,外交・公用旅券所持者に対する査証免除について相互に口上書を交換した。これにより,1973年5月1日から外交・公用旅券を所持する両国民は滞在期間のいかんにかかわらず,査証を免除されることとなった。
(4) 日・サイプラス査証相互免除取決め
わが国は,サイプラスとの間に査証相互免除取決めに関する交渉を行なってきたが合意をみたので,サイプラス政府との間で1972年9月20日および1973年3月1日査証相互免除に関する口上書を交換した。その結果,1973年4月1日以降両国国民は,継続する3ヵ月以内の滞在については原則として査証なしで相手国に入国することができることになった。
(1) ECの拡大
1973年1月1日,英国,デンマークおよびアイルランドのEC加盟条約が発効し,人口2億5,300万人,GNP6,930億ドル(71年べニス)の9カ国拡大ECが発足した。ノールウェーも加盟条約に調印していたが,72年9月の国民投票で加盟反対派が多数を占めたため,当面加盟を断念した。
ECの外延的拡大には3つの側面がある。第一はEC自身の拡大であり,第二は,ECに加盟しないEFTA諸国(スイス,オーストリア,ポルトガル・スウェーデン・フィンランドおよびアイスランド)とECとの間で結成される工業品についての自由貿易地域である。このための条約は72年7月22日調印され,フィンランドとアイスランドを除く4カ国については,73年1月1日に発効した。なお,ノールウエーもこの自由貿易地域に参加するため,現在ECと交渉中である(5月14日協定署名)。EC拡大の第三の側面は,開発途上諸国との連合・特恵関係の拡充で,英国のEC加盟にともない英連邦特恵が解消されるため,アフリカ,カリブ海,南太平洋所在の後発発展途上諸国は,今後ECとの連合・特恵の関係に入ることもあるものと予想される。また,地中海諸国との関係整備のため,ECは,包括的な地中海政策の検討を72年から精力的に進めており,73年中にはかなり具体化するものとみられる。
(2) 拡大EC首脳会議
英国等3カ国の正式加盟を目前にした10月19,20日の両日,パリにおいて拡大EC9カ国の首脳会議が開催され,下記の基本的方針に基づいて今後拡大ECの発展を図ることが合意された。
(イ) 1970年代の終りまでに,加盟国間の関係全体を一つの欧州連合(European Union)に発展させることを主要な行動目標とする。
(ロ) 経済通貨同盟計画を予定通り1980年末までに実現する。このため,欧州通貨協力基金を本年4月1日までに設立し,また74年1月1日からの第2段階移行のために必要な措置を73年中に執る。
(ハ) 当面の緊急課題として,インフレ対策を強力に進める。
(ニ) 地域開発を優先課題として進め,このために地域開発基金を設立する。
(ホ) 労働条件の改善,消費者保護措置の強化など,社会政策を重視する。
(ヘ) 産業,科学・技術,環境およびエネルギーなどの新たな分野での発展を図る。
(ト) ガット新国際ラウンドを重視し,73年7月1日までに,これに対するECの態度を決める。また,米国,日本などと建設的な対話を続ける。
(チ) ECと連合関係などの特別な関係を有する国の利益を尊重しつつ,全世界の発展途上諸国に対する開発協力を拡充する。
(リ) 東欧諸国との間で相互主義に基づいた協力政策を推進する。
(3) 日・EC関係
(イ) 通 商 関 係
1970年以来,日・EC間の最大の懸案となっている日・EEC統一通商協定締結交渉の打開のため,72年5月のダーレンドルフEC通商担当委員の来日の際などに,日・EC間の話し合いが続けられた。しかし,緊急輸入制限(セーフガード)問題について,現行の日・ベネルックスおよび日・仏貿易議定書と同様の規定を要求するEC側と,ガットの規定以外に特別な規定を日・EC間で設ける必要はないとする日本側との歩み寄りがみられず,交渉の早期妥結は困難な見通しにある。このため,ガット新国際ラウンド交渉が間近に迫っていることでもあり,本件交渉の対象事項はできるだけ同ラウンドにおいて解決する方向で,現在日・EC間の話し合いが進められつつある。
(ロ) 経済調査団の派遣
1972年10月,外務省は,拡大ECの今後の動向および日・欧間の資本・科学技術の交流につき調査のため,堀江薫雄貿易研修センター会長を団長とする官民合同の大型経済調査団を,拡大EC9ヵ国および周辺5カ国(ノールウェー,スウェーデン,スイス,ギリシャ,スペイン)に派遣した。同調査団の派遣は,貿易面だけでなく,投資,科学技術,産業,地域開発その他経済分野全般にわたって日・欧間の相互理解を高め,協力関係を深める上で,きわめて有意義であった。
(ハ) EC駐日事務所の設置
EC委員会は東京に駐日事務所を開設すべく,72年3月,下準備のためボルシェット委員を派遣した。本件については,今後さらに日・EC間で調整を要すべき点が残されているが,近い将来に実現の運びとなることが期待される。
イタリアの対日賠償請求問題の解決
1952年以来懸案となっていた第2次大戦(1937年7月7日からの支那事変を含む)中の損害に関するイタリアの対日賠償請求問題の解決について1972年6月5日から22日までローマにおいて日伊両国代表の間で話し合いが行なわれたところ,わが政府が総額120万合衆国ドルの見舞金を伊政府に一括支払うことにより最終的に解決することで合意が成立し,7月18日在イタリア高野大使とメディチ伊外務大臣との間に本件に関する公文が交換された。9月18日わが政府が前記支払を下したことにより,戦時損害に関するイタリア政府および同国民のわが国に対する賠償請求問題はすべて解決された。